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私が悪役令嬢にならないと人間が滅亡するらしいので  作者: 西玉


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47 マーベラとヌレミアの受難

 傷を治す魔法はあるが、どんな傷でもたちどころに治る魔法を使える者は限られている。

 ドラゴンに噛まれたヌレミアが、宮廷魔術師の母を持ちながら、生死の境を彷徨ったほどだ。

 また、魔族は人間より体が頑丈で、怪我にも強いと言われている。

 人間の国より、治癒系の魔法が普及していないのだ。


 それでも、治癒の魔法を使用し、再び昏睡状態に陥ったリーゼがベッドから離れられるまでに二日しか経過しなかった。

 治癒の魔法を使用しなかった場合に比べれば、はるかに早いはずだ。

 リーゼの腹を鋼の剣が貫通してから、五日しか経過していないのだから。


 リーゼはベッドから降りて石の床を踏み締める足の裏の感触を確かめると、この日もリーゼの部屋に来ていたレジィに言った。

 レジィは、暇さえあればリーゼの部屋に来ているらしく、さらにレジィは魔王軍の将軍として、とても暇であるらしい。

 人間を滅ぼすだけの状況となり、魔王軍の大部分は暇なのだ。


「マーベラさんと、ヌレミアさんに会わせて」

「ああ。リーゼがそう言うと思った。これ以上引き伸ばすと、どっちかが死にそうだ」

レジィは朗らかに笑いながら言ったが、リーゼがそれは比喩ではないのだと感じ取った。

「死にそう? どっちが?」

「さあな。見分けができん」


 魔族のレジィは、一緒に助けた侍女たちの見分けも全くできないようだった。侍女とマーベラたちの見分けもできていないだろう。

 人間の見分けができないのだ。

 リーゼのことだけはわかるらしい。

 リーゼ自身は、レジィは匂いで判断しているのではないかと思っている。


「なら、早く連れて行って」

「構わないが、リーゼの方は大丈夫なのか? 1人は、リーゼを殺そうとした奴だぞ」


 言いながら、レジィはリーゼの腹部を拳で突く真似をした。

 リーゼは首を振る。


「私を殺そうとしたわけではないわ。マーベラさんは、父である大将軍の仇を討とうとしたのよ。私は、それを邪魔したの」

「そうだったのか。どうして邪魔をした。オレが殺した奴の肉親が、オレを殺しに来る。こんなに楽しいことはない」


「レジィに何かあれば、私たちの全員が殺されるとわかっていたからよ。少なくとも、止めなければマーベラさんは死んでいたわ。私たちは、人間としての全権限を託されているわ。勝手に死ぬことは許されないのよ」


 リーゼの腹部を気遣いながら、レジィは首を傾げた。


「どうせ、人間はみんな死ぬんだ。全権限を託されたからといって、結果は変わらないだろう。ああ、心配はいらない。リーゼは殺さない。魔王様も、リーゼは殺さないと約束した」

「……ありがとう。魔王様に会うのが楽しみだわ」


 リーゼとしては、精一杯の嫌味のはずだった。


「ああ。楽しみにしているがいい。とにかく、とても恐ろしいお方だ。あのお方が殺さないと言ったのだ。リーゼを殺そうとする奴なんか、いるはずがない」


 まだ会ったこともない魔王にそれほど気に入られているのならば、それはレジィが気に入られているということだろう。


「レジィはひょっとして、魔王の愛人なの?」

「そんなはずがないだろう。どうして、そんなことを聞く?」

「だって、そうじゃなければ、私がレジィを助けたからって、まだ会ったこともないのに、私を殺さないと約束するはずがないでしょう」

「魔王軍の中で、将軍は12人だけだ。その1人がオレだ。オレは魔王領で113番目ぐらいには偉いのさ」


 どうやら、魔王領には文官や宰相という存在がいないらしい。

 魔族の強さを考えれば、それもあり得るのかもしれない。

 あるいは、統治を司る役人たちより、戦いに赴く将軍たちの方が位が高いのだろうか。

 戦時であれば、その方がいいのかもしれない。

 リーゼは複雑な思いを抱きながら、レジィに地下牢への案内を頼んだ。


 ※


 リーゼは魔族将軍レジィに連れられ、屋敷の最奥から入る地下牢の入り口を潜った。

 地下向かって、朽ちかけたような古い階段が続く。

 蜘蛛が巣を張り、足元では痩せこけた小さなネズミが走る。

 天井から滴り落ちる水滴は、茶色く濁っていた。


 リーゼは、不衛生な環境に、マーベラはとにかくヌレミアが耐えられるだろうかと心配になった。

 リーゼがベッドで治療を受けていた5日間、ずっと地下牢にいたとすれば、2人とも衰弱しているだろう。


 レジィは夜目が効くため暗くとも問題ないらしいが、リーゼが求めると、壁に立てかけてあった松明を手にとった。

 松明ではあるが、火はついていない。普段は使わないのだろう。

 リーゼのように暗闇では見えない目を持つ者のために、備え付けられているのだ。


 火の付いていない松明で、レジィは壁を擦り付けた。

 壁と松明の摩擦で、湿った松明に着火した。

 きっと油か硫黄を染み込ませてあったのだと、リーゼは震えながら自分に言い聞かせた。

 レジィに渡された火のついた松明を受け取り、リーゼはただの木の枝であることから目を背けた。


「オレの個人的な牢だから、そんなに広くない。魔王城の地下牢は凄いぞ。地下10階以上あり、最下層には魔王様の奥さんの死体が安置されている」

「……どうして、魔王の奥さんが地下牢に葬られているの?」

「魔王様の趣味らしい」


 言いながら、レジィは階段の行き止まりで足を止めた。

 狭い空間があり、腐りかけた古い鉄の扉が備え付けられている。


「鍵はない。昔はあったが、無くした」


 言いながら、レジィが鉄の扉を押す。ひどい軋み音を上げながら、扉が開く。

 暗い通路の先から、腐った血肉とカビの匂いが漂ってきた。

 レジィの言った通り、個人的な地下牢なのだろう。

 決して中は広くなかった。


 狭い通路に、鉄越しがついた個室がいくつかあるだけだ。

 レジィが用意してくれた松明を掲げ、リーゼは息を呑んだ。

 鉄格子の向こうで、マーベラが両手に枷をつけられ、鎖で釣られた状態で意識を失っていた。

 胸が動いている。まだ、生きている。


「マーベラさん!」


 リーゼは鉄格子を掴んだ。意識を失っていたと思われたマーベラが、うっすらと目を開けた。

 薄くしか開けられないのだろう。

 装備は剥がされ、服は破れていた。

 服の破れ目から見えた肌は、赤く裂けていた。

 腫れ上がった顔は、かろうじてマーベラだと判断できるものだ。


「リーゼか?」


 リーゼは、マーベラの口調に震えた。まるで、親の仇を呼ぶかのような声に聞こえたのだ。


「レジィ、二人に何をしたの?」

「痛ぶった。こっちの奴はつまらん。対して悲鳴もあげん。もう1人はいい声で啼いたが、もう声を出さなくなった。死にかけているのは、そっちの方だ」

「どこなの?」


 レジィが首を後ろに向ける。

 リーゼの背後の鉄格子の向こう側に、やはり鎖で吊られたままのヌレミアが意識を失っていた。

 マーベラのように顔は腫れていない。傷はむしろ少ない。

 だが、枷をつけられた手の先に爪はなく、血が滴っている。

 足の甲に楔が打ち込まれていた。


「ヌレミアさん! ヌレミアさん! どうして……こんなことを」


 リーゼはレジィを見据えた。レジィは薄く笑った。


「オレの友達を殺そうとした。オレも殺すつもりだったはずだ」


 言われれば当然の処置なのだろう。レジィはリーゼたちの迎えを任された。

 どんな迎え方をしようとも罪には問われないはずだ。仮に、問答無用でリーゼたちを皆殺しにしたところで、同じことだ。


「レジィ、仮に2人を解放するよう私が頼んだところで、無駄なのでしょうね」

「そりゃそうだ」

「2人と話をさせて。少しでいい」

「オレにとって、何か得があるのかい?」

「2人と話をさせなさい。さもないと、絶交するわよ」


 リーゼがレジィを睨んだ。レジィはリーゼの胸ぐらを掴み上げ、壁に押し付けた。


「オレに命令できるのは、魔王様だけだ」

「気に入らなければ、私を殺せばいいわ」

「よく言ったな」


 レジィの瞳が赤く光る。レジィであれば、このままリーゼを締め殺すことなど容易なのだろう。

 リーゼは視線を逸らさなかった。

 レジィを睨みつけた。

 交渉の材料などない。自分の胆力の及ぶかぎり、怯んではならない。


 それが、悪役令嬢を目指した自分のあり方だと信じていた。

 その結果、殺されるのであれば、仕方がない。

 だが、リーゼの首を押さえつけるレジィの腕から、力が抜けた。


「恩人は殺さない。だが、忘れるなよ。殺せないわけじゃない」

「レジィ、わかっているわ。でも、あなたが友達になった人間のお嬢様は、泣いて頼んだりはしないはずでしょう?」


 締め上げられた首を撫で、咳き込みながらリーゼが言った。


「ああ。そうだった。リーゼは、そういう奴だった。魔王様に会わせるのが、心配になってきたな」

「大丈夫よ。ほんとうはちゃんとした令嬢なのよ」

「だといいがな」


 言いながら、レジィはマーベラが繋がれている牢の扉の鍵を開けた。


 流石に、牢の鍵までは紛失していなかったようだ。


 人間の滅亡予告日まで38日

 魔族が滅びるまで48日

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