44 魔王軍の護衛
使用人用と言われていたが、逆に大きく立派な馬車に移ってから、旅は快適だった。
馬車は揺れるものだ。
リーゼたちの馬車は大きく天井も高いため、壁と壁の間にハンモックを掛け渡しており、移動中の大部分はゆったりと横になり、心地よく揺られながら、リーゼはロマンス小説を読み耽った。
人間と魔族の最後の大戦が行われた場所は、ゴルシカ王国の王都から一月の場所だと言われている。
軍隊ほど移動に時間はかからないが、馬車を曳く馬たちに走らせているわけではないため、かなりの日数は必要だ。
戦争で人間側が負けたことにより、魔族たちがゴルシカ王国の領土を侵略してきたとしても、短期間で領土が圧縮されるわけでもない。
馬車がまっすぐ魔王が住む魔王城に向かったとしても、30日はかかる行程だった。
リーゼは本を読みながら、馬車の旅を楽しんでいた。
いつ死ぬかもわからない。
ならば、心配しても仕方がない。
一緒にハンモックに揺られているマーベラとヌレミアは、自らの鍛錬に余念がなかったが、むしろリーゼはゆっくりと流れる景色を楽しんでいた。
変化が起きたのは、王都を出立してから10日後のことだった。
外で誰かが大声をあげている。
護衛の騎士、カイセル老兵の声に似ているが、護衛の騎士たちはいずれも高齢のため、聞き分けは難しかった。
馬車が止まる。
「マーベラさん、何事かしら?」
リーゼは、常に最も高い位置のハンモックを使用している。
やや低い位置で、寝そべるではなく腰掛けるようにハンモックを使用していたマーベラに尋ねた。
「『敵襲』と聞こえました」
「敵? 魔王軍かしら?」
「あるいは、野良の魔獣かもしれません。国境の警備隊も壊滅状態と聞いていますから」
ヌレミアがハンモックから降りて立ち上がった。
3人に従う侍女たちは、荷物の影で不安そうに固まっていた。
「見て参ります。お二人はここで」
マーベラが、剣と盾だけを持って馬車の戸口に向かった。
リーゼはエリザを呼び、ハンモックから降りた。
高い位置のものを使用しているため、乗るのも降りるのも、1人ではできないのだ。
「マーベラさん、魔王軍であれば、敵だとは思わないで」
「承知しております。魔王軍を敵とみなすだけの力は、人間にはないのでしょう」
一月前まで兵士見習いだったマーベラが、現在は近衛隊隊長だ。
国の事情のみならず、人間という種族の事情も十分聞かされているのだろう。
リーゼは、以前ヌレミアに渡された小瓶を手にした。
さまざまな彩をした液体が入った透明の瓶は、リーゼの危機を知らせるために温度が上がる。
何度もこの小瓶に助けられた。
だが、今はリーゼが持っていたために温められ、人肌に落ち着いている。
「リーゼ様、杖はお持ちですか?」
扉を開けたマーベラの背を見ながら、ヌレミアは本人の身長ほどもある杖を手にしていた。
以前、ヌレミアの母ヌーレミディアが使用していたのを、リーゼも見たことがある。
首席宮廷魔術士となった母が、新たに宮廷魔術士となったヌレミアに与えたのだろう。
ヌーレミディア本人が現在どんな杖を持っているのかわからないが、使い込まれた杖は、それだけで大きな力を持つという。
リーゼが持つのは、本職の魔術師が持つものではなく、魔法が使える者が嗜みとして身につける短い杖だ。
「ええ。持っているけど、私の魔法は、戦いには不向きだわ」
「いえ。それではなく、ドラゴン探知の杖を」
「ああ。もちろん持っているわ。カレンに従っていたドラゴンをマーベラさんが倒して以来、使う機会もなかったけど」
リーゼは、小物入れのバックの底に埋もれたドラゴン探知の杖を取り出した。
魔法の杖は様々な魔法の媒介となる便利な道具だが、ドラゴンを探知することしかできない特殊な道具だ。
光の聖女カレンを守る小ドラゴンが現れた当時、リーゼは頻繁に使用してきた。
そのドラゴンは、ドラゴン族の秘術で卵に戻った後、リーゼのために秘術が失敗し、マーベラに倒されている。
ヌレミアに言われ、リーゼはドラゴン探知の杖に魔力を込めた。
「……マーベラさん、待って! ドラゴンに囲まれているわ!」
外に出たマーベラを、リーゼは慌てて追いかけた。
※
リーゼが馬車を降りると、マーベラが剣を抜いて立ち尽くしていた。
周囲を、王国に仕える騎馬の兵士が囲んでいる。
いずれも槍と盾を構えながら、怯える馬を必死に宥めていた。
当然だ。
地上と上空を、翼を持つ首の長い爬虫類に囲まれていたのだ。
「一体何が……ひっ!」
前の馬車から顔を出したラテリア王子が、押し潰されたような悲鳴をあげた。
「心配要らないわ。迎えが来たのよ」
カレンが前の馬車から降りる。
「危ないわよ」
リーゼが声をかけると、マーベラが振り向いた。
「リーゼ様、中にお入りください。ここは、私が食い止めます」
「あなたが死んでは意味がないわ。戦わないでと言ったはずよ」
「リーゼ様をお守りできなければ、私の死に場所がありません」
「心配いらないわ。だって、私の迎えなのだから」
リーゼがマーベラを説得する前に、カレンが進み出た。
地上に降り立ったドラゴンたちは、まだ小さいのだろう。馬の4倍ほどの体躯で、鼻から小さな炎をあげている。
「ヌレミアさん、例のあれある?」
馬車から身を乗り出していたが、降りてはいなかったヌレミアを振り返る。
「ドラゴン避けですか?」
「ええ。カレンに投げて」
「また、恨まれますよ」
マーベラが忠告した。すでに剣を抜いているが、ドラゴンたちが動かないために切っ先を下げている。
かつて、ドラゴン避けの匂い袋を与えたことで、カレンはドラゴンに襲われたことがある。
「リーゼさん、余計な気遣いは不要よ。私に任せなさい」
カレンが手を上げた。リーゼたちに下がるよう告げる。
カレンがドラゴンの一頭に近づき、平伏を要求するかのように手で示した。
ドラゴンが口を開ける。
カレンを飲み込もうとした。
「ヌレミアさん!」
「はい」
ヌレミアが放ったドラゴン避けのお香が飛び、ドラゴンの鼻先で破裂した。
カレンに噛みつこうとしていたドラゴンが唸りを上げて顔を背ける。
怒りの咆哮と共に、リーゼたちに首の先を向ける。
「待て!」
まるで雷鳴のような声が頭上から降り注いだ。
ドラゴンの一頭から上がったように見えたが、その背にはより小さな人影があった。
地上にいたドラゴンたちには誰も乗っていないが、上空のドラゴンたちの背にはいずれも小さな影が乗っている。
声を上げた1人が手を下ろすのが見えた。
同時に、上空を舞っていたドラゴンたちが乗り手の指示で地上に降りる。
地響きが上がり、馬車が揺れた。
馬車を曳く馬たちがいなないた。
地上のドラゴンたちは、ほんの子どもだったのだと判明した。
地上から降りてきたドラゴンたちは、かつてリーゼが見た最も大きなドラゴンと同等の体格をしていた。
「リーゼ様に馬を! 馬車は使えぬ。リーゼ様だけは、生きていただかなくては」
「マーベラさん、辞めて。争いにきたのではないはずよ」
「しかし」
震えるマーベラの肩を叩く。リーゼは振り返った。
「ヌレミアさん、ドラゴン避けを持って馬車の中にいて。万が一の時は、お願い」
「承知しました」
ヌレミアが下がろうとする。
「ヌレミアね! あんたまた、余計なことを!」
ドラゴンに食われそうになり、地上に降りたドラゴンたちに圧されて尻餅をついたまま、カレンが叫んだ。
リーゼは告げた。
「助けられたこともお分かりにならないの?」
「助けられた? 私を迎えにきたのよ! 私が襲われるはずがない!」
「地上のドラゴンには、乗り手がいないわ。まだ育成途中なのでしょう。先遣隊として、余計なものを食い荒らすのが役目なのでしょうね。子どものドラゴンを傷つける者がいれば、本体がくるのね。カレン、あなたが何者だろうと、今の肉体は人間なのよ。まだ知恵の働かないドラゴンに、餌以外の何かに見えると思うの?」
「ぶ、無礼な。私を誰だと思っているのよ」
「光の聖女でしょう。聖女の力で、身を守りなさいな」
「……くっ」
「そちらの話は終わったか?」
ドラゴンの背から、1人が降りた。
リーゼは、ドラゴンたち全てに指令を出していた人物だと見てとった。
ドラゴンから離れ、歩いて近づいてくる。
マーベラが剣を震わせた。
握る手に力を込めているのがわかる。
身長はリーゼより低い。
全身を金属の鎧で覆っており、頭部も隠しているため顔は見えない。
だが、声から女性だとわかる。
「ええ。失礼しました。私たちは、ゴルシカ王国王太子と妻たちの一向よ。魔王様との交渉を望みます」
「滅びゆく人間が、魔王陛下と対等に交渉だと? そんな要求ができると思っているのか?」
「国としての正式な使者よ。拒否するかどうか、あなたが決めるの? 将軍」
「……そうだな。その通りだ。望むなら、魔王陛下のところに連れて行こう。相変わらずだな、リーゼ」
リーゼが将軍と呼んだ女性が頭部のヘルムを脱いだ。
真っ赤な肌と、鋭いツノが現れる。
かつて、ゴルシカ王国を訪れた魔族将軍、赤鬼族のレジィが笑みを見せた。
人間の滅亡予告日まで45日
魔族が滅びるまで55日




