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私が悪役令嬢にならないと人間が滅亡するらしいので  作者: 西玉


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43 魔王領への旅路にて

 王都から離れると、急に人家が乏しくなる。

 広い田園地帯が広がっていたはずだが、野生動物ではなく魔物が徘徊するようになり、作物ではなく人間を餌として狙い出してから、急速に荒地化が進んでいる。

 護衛の兵士たちは頼もしく見えるが、少し進んだだけで、その数は半減した。


 もはや人間という種族にすら望みがないというのに、王家に仕える理由もなくなったのだろう。

 何より、向かっているのが魔王領である。

 減った半分の護衛は、逃亡したのだ。


「ヌレミアさん、護衛なしでも、魔王領に行けるかしら?」


 リーゼが尋ねると、向かいに座っていたカレンが笑った。


「もうしばらくすると、魔王軍が護衛にくるわ。その時までに人間の兵士がうろついていれば、全て餌となるでしょうね」

「そうか。魔王軍が護衛につくなら頼もしいな。魔族と人間の調和を唱えていただけある。さすがはカレンだ」

「もちろんよ。ラテリア様」


 カレンが、ラテリア王子に寄りかかった。

 リーゼはカレンに尋ねた。


「私たちは、魔王領のどこに行くの? 真っ直ぐ地下牢に向かうわけではないでしょう?」


 ラテリアの本来の立場であれば、真っ直ぐに牢に向かうことも考えられた。

 ただし、ラテリア本人は理解していない。

 ラテリアは、人間側の大使として魔族との交渉に向かうことになっている。


 魔族と交渉が可能だとは、これまで人間たちは考えなかった。

 だからこそ、ラテリア王子が選ばれた。

 交渉は初めから不可能なものとして、人質ぐらいの役には立つのではないかと想定されたのだ。


「当然じゃない。私がいるもの。向かうのは魔王城よ。ラテリアは、魔王城で人間を代表して、魔王様とお会いするのよ」

「その段取りをつけてくれたのが、カレンというわけだ。これでリーゼにもわかっただろう。カレンこそ、人間の希望なのだ。光の聖女が、人間を救うのだ」


 ラテリアが本気で言っていることも、カレンが嘘をついていることも、リーゼにはわかっていた。

 リーゼはマーベラに尋ねた。


「途中から、護衛が魔王軍に変わるらしいわ。兵士たちを逃がせるかしら?」

「やってみましょう。止めて!」


 マーベラが応じ、声を上げた。

 戦場で声を通すことを想定して鍛えた喉は力強く、馬車を御していた兵士が馬を止めた。


「ついでに、第二夫人以下の私たちは、後ろの使用人の馬車に移動するわ。大使と正妃さんは、ごゆっくり」

「気が効くな。リーゼも、カレンのことを認める気になったか」

「もともと、そのつもりですよ」


 リーゼが答えると、カレンは年齢にそぐわない艶然とした笑みを浮かべた。

 リーゼに勝った。そう感じているのだろう。

 リーゼは否定せず、馬車を降りた。マーベラとヌレミアも下りる。


 護衛しているのは、いずれも騎馬の兵士である。

 馬車が止まったのは、深い森の中に入ろうとする場所だった。

 まだしばらく人間の国の範囲のはずだ。

 人間と魔族の最終決戦が行われた場所は、ずっと先である。


 だが、森はおどろおどろいしい影を伸ばし、すでに魔族に飲み込まれたかのようにそびえている。

 すでに人間の国を守る軍隊は壊滅しているのであれば、いつ魔族が現れてもおかしくはない。

 比較的広い道を、やや距離を空けて従っていた騎馬の兵士が近づいてくる。

 馬の鞍から降りようとした兵士を、マーベラが止めた。


「老体に乗り降りは応えるだろう。そのままでいい」


 出立にあたり近衛隊長の地位となったマーベラは、上官にあたるのだろう。

 ぞんざいな物言いに、老齢の兵士は敬礼した。


「ありがとうございます。馬車をお下りになったのは、なぜでしょうか?」

「リーゼ様が、あなたたちの命を惜しんでのことよ。私たちの馬車は、いずれ魔王軍から護衛されることになるらしいわ。魔王軍が護衛に現れた時、あなたたちがまだ残っていたら、殺されてしまうのではないかと心配したのよ」


「なんとお優しい。さすがはマーベラ閣下の友……悪役令嬢のリーゼ様です」

「悪役令嬢って、いつから褒め言葉になったの?」


 リーゼがぼやく。誰も聞いていなかった。

 ぼやきは無視されたが、リーゼはマーベラの前に出た。


「警護の責任者はあなた?」

「いや……責任者は、王都を出るとすぐ、いなくなりました」


 兜を被った老人が、困ったように頬を撫でた。

 リーゼはマーベラに言った。


「魔王軍が代わりに護衛に来ると言うのが真実なら、全員逃した方がいいわ」

「魔王軍が護衛にこなかったら、魔物の巣の中に丸腰で突っ込むことになりますよ」


 マーベラの言葉は最もだ。だが、リーゼは首を振る。


「この人たち、魔物の巣の中で戦える戦力なの?」

「……そうですね。時間稼ぎの餌にしかならないかと」


 馬に乗ったままの兵士にも聴こえている。だが、老兵は顔色も変えなかった。

 全て承知しているのだ。


「私が護衛している馬車を見捨てて逃げろといえば、あなたたちは逃げるかしら?」


 リーゼが直接老兵に話しかける。兵士は笑った。


「命を惜しむ者たちは、すでに全て逃げております。残った兵士は、先の戦いに参加を断られた老兵ばかりです。死に場所は選びません。ですが、死に方にはこだわりがあるでしょう。マーベラ様の駒として、ヌレミア様の壁として、リーゼ様に足蹴にされて死ぬのであれば、これほどの死に様はありません」


 堂々と言い切った兵士に、リーゼは口を曲げた。


「私に対する評価が、どうも歪んでいるようだけど」

「高く評価されている証拠ですよ」


 2人の影で話を聞いていたヌレミアが笑った。

 リーゼは頷いた。


「兵士さん、あなたの名前は?」

「カイセルです」

「では、兵士カイセル殿、あなたを護衛部隊の隊長に改めて任じます。私たち3人のために、死になさい」

「謹んで、お受けいたします」


 兵士カイセルが馬上で礼をした。リーゼがマーベラを振り返る。


「これでよかったのよね?」

「もちろんです。さすがはリーゼ様、カイセル老でしたら、不足はありません」

「ああ……それと、私たちが馬車を降りたのは、後ろの馬車に移るためよ。あの馬車は、王子と聖女様の専用にしたわ」

「それはよう御座いました。ご案内します」


 隊長に任命されたカイセル老兵が、馬主を巡らせて3人を先導する。

 王子たちと一緒にリーゼたちが乗ってきた馬車より、使用人たちが乗っている後列の馬車の方が明らかに大きかった。

 王子と聖女はあえて侍従を連れてこなかった。


 そのため、使用しているのはリーゼたち3人の侍女が、それぞれ1人従っているだけだ。

 荷物が大部分を占めているにしては、荷物専用の馬車も後続に続いている。

 リーゼは出発時に不思議に思ってはいたが、ラテリアやカレンと対面しているうちに忘れていた。

 改めて後列の馬車に移ろうとして、馬車の奇妙なサイズに戸惑った。


「どうして、こんなに大きい馬車なのかしら?」

「王国一の馬車を手配したらしいですわ」


 ヌレミアが笑っている。マーベラは無言で胸を張っていた。

 リーゼは意味がわからないまま、馬車の扉を開けようとした。

 リーゼの手が届く前に、扉が開いた。


「お待ちしておりましたリーゼ様、このまま魔王領についてしまうのかと、心配していたのですよ」

「エリザ、それに、トリアとサン」


 3人の侍女が顔を出した。リーゼの専属メイドのエリザに、ヌレミアに従うトリア、マーベラの世話係のサンだった。

 リーゼが何も言わないうちに、ついてくるのを泣くほど嫌がったエリザが、リーゼの腕をとって馬車に引き入れた。

 馬車の内装は、まるで宮殿の貴賓室のように豪華で、快適に過ごせるよう工夫されていた。


「これは……」


 リーゼが言葉を失っていると、ヌレミアが入ってきた。


「リム大老のお計らいのようですわ。本来は、ラテリア様はただの飾りで、リム大老が正式な大使として交渉に臨むはずでしたが、ラテリア様の失敗を見越して、リーゼ様に全権大使の権限を託されたのです。王にかけあって、国内で最も快適に過ごせる馬車をさらに改造させたとか」


「リム大老も、よほど魔王領には行きたくなかったのね」

「そうとも言えますが、リーゼ様に期待してのことですよ」


 ヌレミアが言うほど、リーゼは自分に自信があったわけではない。


「……わかったわ。では、この快適な馬車の中で、もう一度おさらいをしましょう。エリザ、おすすめの一冊を」

「承知いたしました」


 ヌレミアとマーベラが目を丸くした。リーゼは、品の良い文机の上で、ロマンス小説を読み始めたのだ。


 人間の滅亡予告日まで55日

 魔族が滅びるまで65日

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