34 読書会の後で
読書会は楽しかった。
仮面をつけているために誰かわからず、名前も名乗らない。
だが、そのうちの何人かは、推測できた。
商人の妻や大農家の娘、民間の学園講師、道場の師範だろうと思われる者たちがいた。
一つの職業に習熟すると、所作や知識に明確に出てしまうのだ。
リーゼは、世の中に多くの空想上の物語があることを知った。
悪役令嬢について知りたいとだけ思っていたリーゼだが、読書会の終わりには数冊の本を借りていた。
「でも、悪役令嬢はあまり話題にならなかったわね」
読書会の会場から退出しながら、リーゼはエリザに言った。エリザも仮面をしている。
リーゼは悪役令嬢が好きだと勘違いした参加者たちは、悪役令嬢が登場する書籍をいくつか紹介してくれた。
リーゼはその書籍を借りることにしたのだ。
「仕方ありません。あまり人気のあるキャラクターではありませんから」
「そうなのですか? でも、地位は高いのでしょう?」
「まあ、ご令嬢でしょうね。お嬢様ほど高貴な方は稀でしょうけど」
「私は、それほど高貴ではないわ」
読書会は二階で行われていた。
部屋を出て、階段を降りながら話をしていた。
まだ読書会の参加者が近くにいるのだ。自分の身分や名前がわかることは口に出せなかったし、マスクも外せなかった。
外に出ると、明らかに貴族が使用するとわかる馬車が止まっていた。
「お嬢様が手配されたのですか?」
「まさか。読書会の主催者さんでしょう。私は、歩いてきたのだもの。歩いて帰るわ」
「そうですよね。でも、主催者さんって、やっぱり身分の高い方なんですね」
「そうね」
国王である。リーゼは、国王が変装している意図を汲み、それ以上は言わなかった。
馬車の横を通り過ぎようとしたリーゼの目の前で、扉が開いた。
「乗るのだ」
「……陛下?」
馬車の中にいたのは、読書会の主催者であった国王だ。
すでに変装のためにつけていた髭を外し、いつものきらびやかな衣装に着替えていた。
エリザは驚いて、口をぱくぱくと開閉させていた。
「承知しました。エリザ、今日は楽しかったわ。この本、寮の私の部屋に運んで」
「はい、承知しました。お気をつけください。リーゼお嬢様」
リーゼは抱えていた本を押し付けると、扉が開かれた馬車に乗り込んだ。
振り返ると、渡された本を抱えて、エリザが深くお辞儀をしていた。
「陛下はお暇なのですか?」
馬車に向かい合って座り、リーゼは変装を解いた国王に言った。リーゼ本人も驚くほど、刺々しい口調だった。
「民の考え、主張、思想を知る。これは、100人の家庭教師を雇うより価値のあることだ。時間を無駄にしているとは思わんな。リーゼも、同意見だからあの場にいたのではないのか?」
「王は主催者と聞きました。有意義だとしても、限度というものがあるでしょう」
馬車は小刻みに揺れている。窓の外を、見知った街並みが流れて行く。
「庶民の読みものにも、学ぶべきところは多い。最も、遍歴の騎士が一人で魔法を操る巨人たちを屠るような、見るべきところもない夢物語もあるがな」
「そのような騎士がいれば、私たちの置かれた立場も、もう少し余裕があったでしょう」
「ああ、そうだな。先程の余の問いに答えていないぞ。リーゼ公爵令嬢も、平民の文化を知ることの重要性を感じたのだろう?」
国王は、豊かな白い髭に撫で付けた油を拭き取りながら尋ねた。本来なら、侍女にやらせることだ。リーゼが手伝うべきかもしれない。
だが、婚約を解消された男の父親と知って、優しい気持ちにはなれなかった。
「いえ。私はただ、悪役令嬢なるものを知りたかっただけです」
「ははっ。おかしなことを言う。悪役令嬢など、それこそ物語の中にしかいないだろう。知ってどうする? 魔王学園の課題か?」
「私の目指すべき姿だからです」
リーゼの言葉に、王は鼻で笑った。
髭に塗りたくった油を拭き終わり、手ぬぐいを足元に捨てた。
「拾え」
王の命令である。リーゼは下に落ちた油まみれの手ぬぐいに手を伸ばそうとした。
リーゼの肩が掴まれる。
「何を……」
「『私を、公爵令嬢リーゼ・エクステシアと知って言っているのでしょうね。位が高いだけのシミだらけの穀潰しが、私に命令しようなんて100万年早くてよ』」
普段の地声から比べて甲高い裏声で、王は一息に言った。
リーゼが驚いて口を開けた。言葉も出なかった。
王は笑う。
「悪役令嬢になろうという理由は知らんが、余が悪役令嬢だったなら、無礼な命令をされたら先ほどのように言い返す。驚くことはない。王とは、なんでもできるから王なのだ」
「……では、ラテリア様は王失格ですか?」
「あの者の話をするのであれば、城に入ってからがよい。余の部屋ならば、詮索する者もいない」
「詮索しても、口に出せないだけでは?」
「詮索されたらどうする? もし、リーゼが悪役令嬢であったならだが」
「ただの噂など、放置いたします」
「それではダメだ」
王は首を振った。先程の豹変ぶりを見たリーゼは、王の反応をさぐりながら尋ねた。
「では、もし陛下が悪役令嬢なら、どうするのですか?」
「むしろ噂を利用するだろう。国王と一夜を明かしたなどという噂が広がれば、たとえ事実がどうであろうと、周囲には言いふらすであろう。『もう、この国は私のものも同然ですわ。だって、国王は私にぞっこんですもの。そこのパッとしない王子、あなたのような馬の骨でも、この国の支配者である私の足拭きぐらいには使ってあげてもよろしくてよ。ほほほほほっ』とな」
「……陛下、そんなことを言い出したら、親から勘当されます」
「無論だ。だからこそ、悪魔役令嬢は物語の中にしかおらん。物語でも、まず幸せにはならん。だが、リーゼは目指すのであろう?」
「……はい。ところで、私は陛下と一緒に王城に行くのは承知いたしますが、一夜を明かしたりはしませんよ」
「チッ」
「陛下」
「冗談だ」
舌打ちをした国王をなだめると、国王は楽しそうに笑った。
馬車が王城に戻る。
リーゼは王に伴われて、今まで入ったことのない王族の住まいの際奥に足を踏み入れた。
人間の滅亡予告日まで87日
魔族が滅びるまで97日




