33 読書会の主催者
学園が休みの日の午後、リーゼは侍女エリザを連れて寮を出た。
学園の友人を誘うことは、エリザに反対された。
ロマンス小説は、作者による空想によって描かれた物語だと思われている。
貴族が読むことを禁じられているものではないが、文化として低俗だと見なされているのだ。
これまでリーゼが読んできたのは、小説ではあっても史実に基づいたものや、不可思議な歴史を独自の解釈で説明付けた作品ばかりだった。
全くのフィクションというものは、存在すら知らなかったのだ。
そのため、ロマンス小説が低俗だという認識すらなかった。
友人を誘おうとしたのはそのためであり、また同じ理由で、エリザは止めたのだ。
リーゼはエリザに誘導されるまま、表通りに面したカフェの二階に上がった。
食事は寮か、馬車で気軽にいける場所に住む友人に招かれるか、王城の晩餐会に招かれるのが通常だったリーゼには、飲食店の存在すら物珍しかった。
カフェに入り、間隔を空けて並んだテーブルに興味を持ち、カウンターのグラスを凝視し、エリザに強引に二階に引っ張られることになった。
「エリザ、そんなに強く引っ張ったら手が痛いわ」
「お嬢様はただでさえ目立つのです。突飛な行動はお控えください」
「目立つと困るの?」
「ロマンス小説の読書会にお嬢様が参加していたと知られたら、次の日から援助を求めて貧しい作家が列をなしますよ」
「それは困るわね」
リーゼは大人しくエリザに手を引かれて、二階に移動した。
こんな時、悪役令嬢であればどんな返答をするのだろうかと、想像しながらである。
カフェの二階は、サロンのような作りになっていた。
入り口こそ厚いカーテンで仕切られているが、中に入ればソファーとテーブルが並び、壁際には本棚にびっしりと本が並んでいた。
粗末な紙を使用した本でも、印刷技術が未熟なために高価である。
リーゼは、早速目元を隠すマスクを着用した。
「エリザ、この会には貴族の令嬢もいらっしゃるのかしら? マスクをしたままで、失礼に当たらなければいいのだけれど」
「お嬢様、マスクをしたままで、貴族のご令嬢を探す方が失礼かと。それに、お嬢様がしたことが失礼にあたるような方は、王族だけです。王族の方が読書会に参加したことはないはずです。ああ……私は参加名簿に記入してきます。参加者の名前は、読書会の創設者が自ら管理して、決して口外しない約束です。ご安心ください」
「わかったわ。ありがとう」
エリザが記帳に向かい、リーゼは一人で残された。
リーゼは、マスクをしているので誰もリーゼだとはわからないはずだという奇妙な自身を持ちながら、ゆっくりとサロンを眺めた。
まだ、時間が早いはずだ。
リーゼと同じようにマスクをした女性たちが3人ほどいる。
一人で本を手にとっている女性と、二人で会話をしている女性たちがいた。
壁際に並んだ本は、手に取ってもいいのだろうか。
エリザが帰ってこないと、誰に話しかけていいのかもわからないリーゼは、手を伸ばしては躊躇することを繰り返していた。
「読書会までには時間がございます。気になる本がございましたら、お気軽にお読みください。ここの本は、誰でも読むことができるように並べてあるのですから」
突然背後から声をかけられて飛び上がるリーゼに、マスクをしていない、穏やかな笑みを讃えた男性が話しかけていた。
髪に白いものが混ざった男性だが、立ち居振る舞いから、家令に相当する執事だろうと検討をつけた。
「ありがとう。でも、どの本が気になるかわからないわ。史実ではないのでしょう? 空想だけで書かれた物語なんて……面白いのかしら?」
「民に受けているのです。民の心を知るには、何が受け入れられているのか知ることも大事でしょう」
リーゼは、執事風の男を見つめた。まるで、リーゼの立場を知っているかのような物言いだった。
リーゼは、あえてマスクを手で抑えながら言った。
「民の心を知らなければいけない身分の方も、読むべきだということかしら?」
「無論、そうでしょう。私は、そのためにここにいます」
リーゼは、再び男を見つめた。手を伸ばし、髭を摘む。
剥がれた。
「お嬢様、年寄りに乱暴はおやめください」
「陛下、なんの冗談です?」
声帯を押しつぶしたような声だったため、リーゼは気づかなかった。
髭は元々あったが、付け髭で印象が変わっている。
色付きのガラスで目を隠している。
ゴルシカ王国の国王その人だ。
王が背を丸めた。
「それは、余のセリフだ。なぜラテリアとの婚約を解消した? リーゼ、そなたには期待していたのだ。どうして、こんな重要な時期に、こんな読書会になど参加している?」
「学園が休日なのです。陛下こそ、こんなところで遊んでいる場合なのですか? 人間の存亡がかかっている時期ではありませんか」
「民の心を知らずして、これから先の舵取りができるものか。余にとっては、必要な行事なのだ」
リーゼが王と顔を近づけて小声で話している間に、少しずつ人が増えてきた。
「お嬢様、登録が終わりました。ゲストだとわかるように、こちらのワッペンをお付けください。それと……凄いですね。もう読書会の主催者さんとお友達になったのですね」
エリザが声をかけた。マスクをしているのだ。名前を呼ぶことはなかった。
マスクの奥から、リーゼが国王を睨んだ。
「主催者ですって? 陛下は、お暇なのですか?」
「毎回顔を出しているわけではない。忙しい公務の間に、時間を作っておるのだ。全く……いいか、これは命令だ。読書会が終わったら、王宮に来るのだ」
「御用なら、今仰ったらいかがですか?」
「身分がバレてもいいのならな」
「私は構いませんわ」
「余が構うのだ。将来の娘よ。未来の父を困らせるな」
王は姿勢をただし、いかにも他人であることを強調するようにお辞儀をした。
リーゼが会釈を返す。
エリザからワッペンを受け取った。
胸につける。
「お嬢様、主催者さんとお知り合いだったのですか? あの主催者さんが、自腹でここの本を揃えたらしいです。主催者さんがいるときは、お茶やお菓子もとても美味しいんですよ」
「そりゃそう……いえ、知らないわ。年寄りのくせに、この私に近づいてきたの。身の程知らずだわ」
「まあっ! お嬢様、悪役令嬢みたいです」
「ありがとう」
「ほう。ゲストのお嬢様は、悪役令嬢になりたいのですかな」
少し離れた場所から、執事風の姿をした国王が微笑んでいた。
「ええ。まあ……」
「そろそろ始まります。ゲストのお嬢様、おかけください」
「はい」
リーゼは、返事をした自分の声が引きつっていたことを自覚した。
人間の滅亡予告日まで87日
魔族が滅びるまで97日




