27 カレンとドラゴン
日が落ちてから、リーゼは寮を出た。
出口で、武装した友人が待ち受けていた。
「マーベラさん、悪いわね」
「いいえ。ヌレミアさんのためですから」
学園の制服ではない。あたかも戦場に赴くような甲冑を身につけ、腰には剣を下げていた。頭部も、短めに揃えた髪を兜に包んでいる。
そのまま戦場に出られる装備だ。
リーゼは夜間の外出に、最も信頼できる友に同行を依頼したのだ。
教会の前を通り過ぎて、学園に入る。
「カレンは、あの場所をリーゼ様に指定したのですね」
「ええ。私があそこでカレンに会ったと、あの時は誰も信じてくれなかったけど」
「申し訳ありません。庶民の一生徒が、学園の秘密の場所を解き明かしているということに、実感を持てず」
マーベラもヌレミアも、地下でドラゴンに会っている。だが、カレン本人と会ったのはリーゼだけなのだ。
「責めているのではないわ。仕方ないもの」
リーゼは、持ち物からドラゴン探知の杖を取り出した。
魔力を注ぐが、ドラゴンの居場所を捉えることができない。
「どうですか?」
マーベラには、目的がドラゴンの血であることも、ヌレミアの治療のために必要であることも告げてある。
リーゼは首を振った。
「ドラゴン探知の効果を妨害する方法があるのかもしれないわね。もし近くにいないのなら、なんのために私を呼び出したのかということになるもの」
「リーゼ様を呼び出して、自分のドラゴンを捧げるということですか? カレンは、リーゼ様のことを避けているのかと思っていましたが」
リーゼとマーベラは、歩きながら話していた。
夜といっても深夜というわけではない。学園の生徒はいなかったが、教師の姿はあった。
明かりを持ったマーベラの姿に声をかけようとして、リーゼを見つけて思いとどまる教師が多かった。
「カレンはもう、私を避けてはいないわ。ラテリア様のことでは、完全にカレンに部がある。勝負あったと思っているのでしょうね」
「そんなこと……」
「ラテリア様は、近いうちに魔王領に行かれるわ」
「本当ですか?」
「ええ。でも、まだ内緒よ」
「はい」
「捕虜としてなのか、表向きは留学になるのかはわからないわ。でも、その時に、私が同行しないことを条件に、ドラゴンに会わせてくれるそうよ」
いくつ目かの角を曲がった。
際奥に地下への階段がある女子トイレは、すぐ近くだ。
「リーゼ様と交渉しようとするなんて、思い上がった女ですね」
「ミディレアさんたちが嫌がらせをしているけど、それも効果はないでしょうね。ラテリア様を思いのままにできるのだとしたら……将来は約束されたようなものだもの」
「それは、リーゼ様の立場だったはずです」
「私も、簡単に譲る気はないわ。今のところ、カレンに部があるということよ」
「はい」
リーゼは、自分を卑下したつもりはない。単に現状を分析したのだ。マーベラは、それ以上言葉が出なかったようだ。
女子トイレに入った。
奥の部屋の入り口に、使用禁止の札が貼られていた。
マーベラが扉に手を伸ばす。
「ちょっと待って、マーベラさん」
「はい」
手を止めたマーベラより前に出て、リーゼは数日前にヌレミアから渡された小瓶を取り出した。
危機があれば知らせてくれるという小瓶だ。
いまだに使い方ははっきりわからない。だが、なんらかの変化があるだろう。
リーゼは小瓶を使用禁止の札に近づける。
変化はない。
「……問題なさそうね」
「それはなんなのでしょうか?」
「ヌレミアさんがくださったの。どんなものか、意味はわからないわ。でも、一度危険を知らせてくれたわね」
リーゼは思い出していた。医務室でのことは、危機といえば危機だったのだ。
小瓶を懐にしまう間に、マーベラが扉を開ける。
暗い階段が現れた。
「本気でリーゼ様と敵対するなら、ここに罠を仕掛けると思いましたが……ゴロツキを忍ばせるとか……」
「ええ。私もそれを警戒して、マーベラさんに来てもらったのよ。でも、カレンにそんな罠を仕掛ける人脈はないはずだし、公爵家全てを敵に回すことになる。そこまではしないつもりなのでしょうね」
言いながら、リーゼはマーベラを伴って階段を下り始めた。
※
階段を下りた先の扉は、以前は封印されていた。
リーゼが教師たちに調査するように依頼した。
扉には封印もなく、傷つけたような痕もなかった。
リーゼは服のポケットから小瓶をとりだし、再び変化していないことを確認してから、扉を押した。
なんの抵抗もなく、静かに扉が動いた。
「不思議ね。教師たちは、この扉の奥を調査しなかったのかしら?」
「あるいは、誰にも開けられなかったのかもしれません」
マーベラが応じた。かつてマーベラは、リーゼを助けに階段を下り、この扉に阻まれたのだ。
「でも、簡単に開いたじゃない」
「リーゼ様は招かれているのでしょう。リーゼ様、ここは私が」
「うん。お願い」
リーゼが扉を開け、マーベラが先に部屋に入った。
リーゼが先に入ると、マーベラが入る前に閉ざしてしまうのではないかと警戒したのだ。
マーベラはランプを灯して持っている。
リーゼが続いた。
リーゼの背後で自然に扉が閉まったが、すでに二人とも気にしなかった。
部屋に入ったリーゼとマーベラは、広い部屋の中央に描かれた、魔法陣と卵に視線を吸い寄せられた。
「リーゼ様は、以前この部屋に入られたのですよね?」
マーベラの質問に、リーゼは頷いた。
「ええ。あの時は……部屋の真ん中に血の池があったわ。そこに……カレンが全裸で浮かんでいたわね」
「リーゼ様のお言葉ですが、やはり信じられません」
「事実よ」
言ったのはリーゼではない。
部屋の隅にいたのか、リーゼもマーベラも気づかなかった。
あるいは、人間の半身ほどもある巨大な卵に驚いて気づかなかっただけかもしれない。
「認めるの? 自分が、魔族だって」
「リーゼ様、そうなのですか?」
「違うわ。私は魔族じゃない」
ゆっくりと近づいてくる。今日は服を着ている。
近づいてきたのは、光の聖女と呼ばれるカレンに間違いない。かつてのように肌はまだらではなく、蒼白に見えるが普段見せている顔のままだ。
「では、質問を変えるわ。あなたは誰なの? 魔法学園の生徒であるカレン? それとも……魔王の娘?」
「どちらでもない。いえ……どちらでもある。そう言うべきでしょうね。私のこと、誰から聞いたの?」
「誰でもいいわ。あなたが何者でも、今は構わないもの。ドラゴンは何処にいるの?」
リーゼは、荷物の中でずっとドラゴン探知の杖を握っていた。
部屋に入れば、ドラゴンの存在を感じられるかと思った。
だが、結果は空振りだった。
「いるじゃない。ずっと見ているでしょう」
カレンは指をさした。床の上にある丸い卵だ。
「これが? ドラゴンが孵化するというの? でも、あなたには卵ではないドラゴンが付いていたはずじゃない」
「あの子がこれよ。ドラゴンのままでは、私を守れないもの。だから変化することにしたみたいね。多分、人に近い姿に生まれ変わるのでしょうね」
リーゼは聞いたことがなかった。この世界に存在している者が、あえて卵に戻り、別の者に変わろうというのか。
「では……その後はドラゴンではないの?」
「私も詳しくは知らないわ。そうかもしれないわね」
「……そんなことが、誰でもできるの?」
「まさか。ドラゴン族の秘儀よ。でも、卵になったからといって、変わらなければならないわけではない」
「どういうこと?」
カレンは、卵の下に広がる魔法陣を指差した。
「このまま放置すれば、ずっと卵のままで何年も過ごすでしょうね。孵化させるには、魔法陣に魔力を注がなければならないわ。でもこの魔法陣は、魔力の注ぎ方次第で、どんなものにもなれる。魔法文字で書かれているのよ。魔法陣に、ドラゴンを孵化させるように魔力を注げばドラゴンが生まれるし、人間を孵化させるように魔力を注げば、人間が生まれる」
リーゼは、魔法陣を見つめた。
読めなかった。
「マーベラさん、魔法文字を読める?」
「いいえ」
「カレン、あなたは約束したでしょう。ここにくれば……いえ、私がラテリア様と魔王領に行かないと言えば、ドラゴンと会わせるって。ドラゴンとして孵化させる方法を教えてくれるのでしょうね」
カレンは微笑んだ。いつもの可憐な笑みではない。
人を苦しめて楽しむ、悪魔の微笑だった。
人間の滅亡予告日まで92日
魔族が滅びるまで102日




