23 ヌレミアの怪我
魔法学園の午後の講義を欠席し、リーゼは馬車を拾って王城に向かった。
マーベラもヌミレアも、寮に帰っていないことはわかっていた。
ならば、王城にいるのだろう。
ドラゴンが王城を襲ったという噂が広がっている。そのドラゴンに魔族将軍レジィの居場所を教えたのはリーゼだ。ヌレミアはレジィのいた同じ部屋にいたかもしれない。
大魔術の儀式に立ち会ったことはなかったが、同じ部屋にいたとしたら、ヌレミアが怪我をしたかもしれない。
リーゼは、王城の警護兵の対応に苛つきながらも、きちんと手続きを済ませて王城に入った。
前回のように、王の一族に面会を求めるわけではない。
自由に歩き回ることもある程度は許されているし、リーゼにはそれだけの特権がある。
ドラゴンが襲撃したという話題の部屋は修繕されておらず、城の外見からすぐにわかっていた。
リーゼが行こうとすると、途中でロープが貼られ、その前に兵士が立っていた。
城の警護兵で、王と一族の身辺を守る近衛兵とは別の所属だ。
「ここから先は立ち入り禁止です。たとえ貴族令嬢でも、宮廷魔術師の許可なしには通すことはできません」
近衛兵なら、リーゼの顔は知っているはずだ。
兵士はリーゼを貴族の令嬢だとは考えたが、公爵令嬢とは思わなかったようだ。
リーゼも、身分を明かして事を荒立てようとは思っていなかった。
「私の友達が、儀式魔法に参加していたはずですの。ヌレミアさんという方なのです。この先に通れなくても構いませんが、どこにいるのか、どうしているのか、ご存知ではありませんか?」
「その方のことは……残念ですが、お応えできかねます」
「いいのよ。通して」
兵士の背後から、つまり立ち入り禁止のロープが貼られた向こう側から、よく通る声が聞こえた。
部屋の一つから顔を出したのは、大魔術師ヌーレミディアだった。ヌレミアの母親である。
リーゼに、ドラゴン探知の杖を授けた本人でもある。
「よろしいのですか?」
「ええ。私が許可します」
兵士の問いに、大魔術士が応じる。兵士がロープを持ち上げるのを待ち、リーゼは立ち入り禁止区画に踏み込んだ。
ヌーレミディアは、いつもの朗らかな笑みを湛えた表情とは裏腹に、暗く沈んでいるように見えた。
「あの……ドラゴンの噂を聞きました。それに、昨日ヌレミアさんが、儀式魔法に参加すると聞いていたので、心配になりまして……」
「……そう。ありがとうございます。リーゼ様、どうぞこちらに」
ヌーレミディアも、左手を包帯で吊っている。
「お怪我をなされたのですね。お加減はいかがですか?」
「あの子ほどではないわ」
怪我をすれば、ヌーレミディアは自分で直せるし、真っ先に治療対象となる。 それだけの重要人物だ。
そのヌーレミディアが、左腕を吊ったままで癒していないということが、怪我人の多さを物語ると感じさせた。
リーゼはまっすぐに伸びた長い通路を案内された。石に囲まれた通路には、いくつも扉が付いていた。
どの部屋にも入らず、ヌーレミディアはリーゼを奥に導いた。
壊れかけた扉を開ける。
大きな部屋の壁が崩れ、外と繋がっていた。
瓦礫が散乱し、床に血が広がっていた。
「ヌレミアさんは、そんなに酷い怪我をしたのですか?」
リーゼの問いに答えず、ヌーレミディアは膝を折り、床を赤黒く汚した痕に触れた。
「もう乾いているけど……ほとんどがあの子の血よ」
「まさか、ヌレミアさんは……」
「いいえ。生きているわ。生きている。けど……それだけね」
「……そんなに……」
リーゼは絶句した。昨日の朝、儀式魔法に初めて参加するのだと、嬉しそうに語ったヌレミアの笑顔を思い出した。
「ドラゴンが儀式の間に飛び込んで来た時、魔術師たちは誰も動けなかった。集中していたし、疲労もしていたのね。あるいは、ドラゴンが恐ろしかったのかもしれない。でも……あの子だけは違った。ほかの宮廷魔術師たちをかばうように両手を広げて、ドラゴンの前に立ちはだかったの」
「……誰も、止められなかったんですか?」
「ええ。『リーゼ様ならこうするから』ドラゴンの爪を受け、意識を失いかけながら、あの子はそう言ったわ。知っているはずなのにね。ドラゴンの居場所を知り、ドラゴンに魔族の居場所を教えられる、たった一人の人間が誰なのか……」
ヌーレミディアは、静かに語った。責める口調ではない。ただ、静かに事実を言っている。
ヌレミアは娘だ。魔術の才能に秀で、将来はヌーレミディアに並ぶと噂されている。可愛くないはずがない。
「……私は……」
「ええ。レジィの封印に反対だったのでしょう。でもね、私たちには他の選択肢はなかった。それが、この国が、国として、いえ、人間という種の最後の一握りが、種族の生き残りのために下した決断だったのよ」
ヌーレミディアの頬を、涙が伝い落ちた。
ヌーレミディアは、これまでリーゼによくしてくれた。ドラゴン探知の杖やドラゴン避けのお香に加えて、昨日は危機を知らせる小瓶をくれた。
リーゼがやったことは、裏切りそのものだろう。
だが、リーゼは言わなくてはならないのだと感じた。
「ヌレミアさんに会えますか?」
「意識が戻らないわ」
大魔術師ヌーレミディアは、顔を上げずに床に広がった染みを見つめていた。
「それでも構いません。ヌレミアさんは親友なのです。せめて……一目会わせてください」
ヌーレミディアは視線を上げる。リーゼを見つめ、はっきりと言った。
「ヌレミアが助かったとして……その後も、同じように親友でいることはないでしょう。それでも、リーゼ様はお会いになりたいですか?」
ヌレミアは、生死の境をさまよっている。大魔術師はそう言ったのだ。
助かっても、リーゼの友達には戻らない。それは、ヌーレミディアが阻止するのだろう。
「構いません。ヌレミアさんが無事であれば」
「そうですか。なら、ついて来てください」
ヌーレミディアの声は硬く、リーゼを拒絶しているかのようだった。
儀式が行われていた崩れた部屋を出て、通路に戻る。
それほど遠くはなかった。リーゼが通過してきた部屋の一つに、ヌーレミディアは入った。
魔法に使用すると思われる薬草や小動物の丸焼き、動物の骨の破片などが所狭しと並んでおり、その中央の寝台に、包帯に覆われたヌレミアが横たわっていた。
リーゼは、足の踏み場に躊躇する。
「構いませんよ。治療のための魔術は終わっています。ただ、片付ける気力が湧かないだけです。踏み散らしてお進みください」
「そのような無作法は心得ません」
「本当に?」
ヌーレミディアの挑戦的な問いに答えず、リーゼはスカートをつまんで引き揚げ、自分の足の位置を確認しながら、広げられた貴重な魔法の道具を避けてベッドに近づいた。
ヌレミアは、胸部と腹部に傷を負ったようだ。顔は綺麗なままだった。
リーゼはベッドに手をついて覗き込み、よく見知ったヌレミアの頬を撫でた。
「ヌレミアさん、あなたが怪我をすることなんてなかったのに……あなたには生きて欲しい。100日を越えて、もっと長く……ヌーレミディア様、どうしてヌレミアさんは目覚めないのですか? 治療はしたのでしょう? ヌーレミディア様の傷の治療を後回しにするほど、手は尽くしたのでしょう?」
リーゼが姿勢を正して振り返ると、大魔術師ヌーレミディアは、険しい視線を向けた。
「ヌレミアは、ドラゴンの爪と牙を受けました。ドラゴンは、爪にも牙にも毒を持ちます。ドラゴンの毒は中和できません。唯一中和出来るのは、もともと耐性を持つ……つまり『ドラゴンの血』だけです。ドラゴンに傷つけられても、毒に侵されるとは限らない。でも、ヌレミアは毒に侵されました。ドラゴンの毒を中和できない限り、傷口を塞ぐのは逆効果なのです。傷口を開いたまま、毒の侵食が進まないように肉体の抵抗力を上げなければいけません」
「では、『ドラゴンの血』が手に入れば、毒を中和出来るのですか?」
「ええ。まだ、人間が世界中を旅できた頃には、ドラゴンもただの伝説ではありませんでした。中和剤の製造法は分かっています。『ドラゴンの血』抜きで同様のものを精製する実験を続けていますが……効果は捗々しくありません」
リーゼは、意識を失ったままのヌレミアを見下ろした。
「『ドラゴンの血』でしたら、私が手に入れます」
「……ゴルシカ王国内にはありませんよ。他国は滅んでいます。手に入れる方法はありません」
「『ドラゴンの血』を探すのではありません。ヌレミアさんから聞いていませんか? 魔法学園に、ドラゴンがいます」
「……本当に?」
ヌーレミディアの顔が、訝しげに歪んだ。信じられないのだろう。魔法に対して、ドラゴンに対する多大な知識があるからこそ、信じられないのだ。
「ドラゴンから直接、血を抜きます」
「……生きたドラゴンの脅威を、リーゼ様はご存知ない……」
ヌーレミディアの呟きは、リーゼの耳には届かなかった。聞こえてはいた。だが、カレンが連れている小さなドラゴンのことを、ヌーレミディアは知らないのだ。
「いつまでに必要ですか?」
「……調合に2日かかります。3日以内……それ以上は、ヌレミアの体力が持ちません」
「それでは……ヌレミアさんは、死ぬ寸前なのですか?」
「そうですね」
ヌーレミディアははっきりと言った。
「こんなことしている場合ではないのではないですか?」
「私が、遊んでいるとお思いですか?」
リーゼが改めて見ると、ヌーレミディアの頬はこけ、顔色は悪い。
かなり無理をしていたのだと、リーゼは悟った。
「失言でした。ヌレミアさんの治療をお願いします。私は……なんとしても、『ドラゴンの血』を手に入れます」
リーゼは言うと、ヌレミアの病室を飛び出した。
人間の滅亡予告日まで93日
魔族が滅びるまで103日




