19 公爵令嬢、現場を目撃する
医務室を出た直後、リーゼは誰もいない廊下で懐を抑えた。
胸の下のところで、熱い塊があるような感覚があったのだ。
懐の内側に手を入れると、滑らかな小さな、ガラス製の小瓶が指先に触れた。
つまみ出す。
リーゼの小さな手のひらに、キラキラとした小瓶が収まった。
透明のガラスに入っているのに、中に入っているものがなんなのか、リーゼにはわからなかった。
学園の寮の前で、今朝ヌレミアから渡されたものだ。
ヌレミアは使い方を教えず、危険が迫れば教えてくれるとリーゼに語った。
だが、リーゼにはヌレミアの説明が間違っていたのではないかと感じた。
ガラスの小瓶は訴えている。
現在、リーゼに危険が迫っているとは思えなかった。
リーゼは小瓶を見つめた。
小瓶は語らない。
だが、背後から声が聞こえて来た。
聞こうとしていたのではない。
聞こえて来たのだ。
『どうして、リーゼにあんなことを言ったのです。カレンがここに居ないと言うだけでよかったのに』
男にしては甲高い声は、ラテリア王子の声に聞こえた。
『仕方ないじゃありませんか。カレンがここに居ない理由を、どう言い訳すればよかったんですか?』
『元気になって帰ったと言ってくれればよかったんだ。リーゼが、それ以上のことを追求するものか』
『ラテリア様、リーゼ様は簡単には引き下がらなかったと思いますよ。リーゼ様は、恐ろしいお方です』
カレンの声だ。その後も、しばらく扉の向こうから声が聞こえていた。
リーゼは、自分の手の中に視線を落とした。
「……なるほど。ある意味では、危機が迫っているのかもしれないわね。いい子ね」
キラキラと輝く小瓶に口づけし、リーゼは懐に戻した。
背後の声は聞こえなくなっていた。
リーゼは、医務室の扉をそっと開けた。
医務室の校医は、厳しい女性だと思われている。
リーゼのような最高位の貴族令嬢にまで厳しく接することはなかったが、恐れられていたのは事実だ。
扉を開けたリーゼが隙間から覗き、校医の女性と目があった。
女性は引きつった顔をしたが、口の前に指を立てたリーゼの意図を察し、小さく頷いた。
扉の動きと音を抑えながら、リーゼは医務室に戻った。
「ラテリア様とカレンはどこかしら?」
ごく小さく、わずかな唇の動きで伝えると、校医の女性は脅迫されているかのように、パーティーションで区切られた部屋の奥を指差した。
リーゼは微笑み、黙ったまま親指で通路を指差す。
休日のこの時間帯、ほかに医務室に人はいない。指図されたとおり、校医の女は医務室から出て行った。
リーゼは、足音を殺して締め切られたパーティーションに近づいた。
「ラテリア様、本当にレジィを封印するのですか? 水晶に生きたまま封印するのは、死ぬよりも苦しいと本で読みましたけど」
カレンの声が聞こえる。二人で話をしている。リーゼは、自分の胸を抑えた。感情的になってはいけない。
「ああ。本来は、死刑よりも重い罰に使われるものだからね。でも、死にはしない。殺してしまうと、交渉の材料に使えない」
「それに……魔王軍を本当に怒らせてしまうのは、殺すのも封印するのも同じではありませんか? 私は、魔王軍と敵対するよりも、宥和する方がいいと思いますけど……」
「魔族に慈悲を求めるか。俺も以前は、その方がいいと思っていたが……最終的に人間の王政を認めないだろうというのが、王の意見だ」
「人間を奴隷にするか、皆殺しにするか、ということですか?」
「カレン、誰にも言わないでおくれよ。まだ、戦争は終わっていない。民衆には、そう信じさせておかなくちゃいけないんだ」
「はい。でも、魔族将軍レジィを封印してしまって、その後の交渉なんて、上手くいくのでしょうか?」
「……わからない。殺していないのだから、話し合いの材料にはなるだろうと……宰相たちが考えたことだけどね。考えても仕方ないだろう。俺がどう言おうと、王や宰相たちの決定を覆すことはできない。カレンはそんな話をするために、俺をここに呼んだのかい?」
「……まさか……」
二人の声が止んだ。
リーゼは、黙ってパーティーションに手をかけた。
パーティーションをわずかに開け、リーゼが片目だけで覗き込む。
カレンはベッドに寝ているのだろう。ラテリア王子の後頭部が見えた。
頭の位置が重なっている。
「ちょっと待った……誰かいるのか?」
ラテリア王子が気づいた。物音を立てただろうか。
リーゼにはわからなかった。
リーゼは動かなかった。
ラテリア王子がいらだった声をあげた。
「私を誰だと思っている。無礼にも……」
頭をあげ、振り返り、睨みつけ、固まった。
カレンが悲鳴をあげた。
リーゼは逃げ出したかった。二人の頭部が重なって見えたのだ。重なって見えるほど、近づいていたのだ。
接していたのかどうかは、見られなかった。
リーゼは、ラテリア王子とそこまで顔を近づけたことはない。
パーティーションを掴む手に力が入った。パーティーションに、リーゼの指が食い込んだ。
「ま、待て。リーゼ……話せばわかる」
リーゼは、パーティーションをスライドさせようとした。力がこもってしまった。
勢いよく、パーティーションを投げ捨てたようになった。
「リーゼ様! わ、私ではございません! 私は嫌だったのです! ラテリア王子が無理やり……」
「カレン?」
リーゼが踏み込んだ。二人が怯えて下がる。
リーゼは、ラテリア王子を避けてカレンに近づいた。
カレンの悲鳴が上がる。ラテリア王子がかばった。
「リーゼ、カレンは悪くない」
「婚約者がいる男を医務室のベッドに呼びつけることが、悪くないとおっしゃるのですか?」
「それはつまり……聞いていたのか?」
「聞きたかったわけではございません。カレン」
「はい」
光の聖女と呼ばれる女の喉が大きく動いた。
リーゼは身を乗り出し、寝間着姿のカレンの首元に触れた。
ラテリア王子が止めようとしたが、カレン自身がラテリア王子を制止した。
リーゼの手が、カレンの首元に触れる。
匂いでわかっていた。
リーゼは、カレンの首にかけられた、匂い袋を引っ張り出した。
「あの、それは……リーゼ様から頂いたもので……」
「自分であげたものぐらい、覚えているわ。つい昨日のことですもの」
言うと、リーゼは勢いよく匂い袋を引っ張った。結び目が千切れ、リーゼの手に匂い袋が残った。
「あなたには不要なものよ。光の聖女カレン、あなたの正体をいずれ暴いて差し上げる。ラテリア様、お話があります」
「ああ……わかった」
医務室のパーティーションを戻し、リーゼはラテリア王子を連れ出した。
医務室から出た直後、リーゼは口を開いた。
「私はただの婚約者ですが……ラテリア様にとっては、煙たい存在なのですか?」
「そんなことはない。ただ……カレンは光の聖女だ。人間にとって、とても大事な存在だ。それは、リーゼもわかるだろう?」
「いいえ。わかりかねます。今、この時期に、光の聖女の役割がどこにあるのか、私にはわかりません。ラテリア様のおっしゃることでしたから、これまでは我慢してきました。ですが……あからさまに蔑ろにされてまで、我慢せよとは公爵家の教えにはございません。平民の小娘と天秤にかけることが、私に対する扱いとして妥当かどうか、いずれお分かりになるでしょう」
リーゼは言うと、カレンから奪ったドラゴン避けの匂い袋を、ラテリア王子に投げつけた。
人間の滅亡予告日まで94日
魔族が滅びるまで104日




