17 公爵令嬢、桃色のドラゴンと約束する
リーゼも見知った宰相は、青い顔をして魔族将軍レジィを連れて出て行った。
今回レジィは、リーゼと話をしている最中だとごねたが、さすがに国王以下のゴルシカ王国最高権力者が集まっている場に呼ばれたのだ。
一通りごねてから、結局大人しく従って出て行った。
控え室に、ラテリア王子とリーゼ、マーベラが残り、部屋付きと思われていた近衛隊隊士も、ラテリア王子の勧めで別の仕事に向かった。
「リーゼ、このところ君らしくない行動が目に余るようだね。どうしたんだい? 今日のことなら、別に軍議の最中に城まで来なくても、後で教えるのに」
3人になると、途端にラテリア王子は本題を切り出した。リーゼは、これまで自分がどのように見られていたのか、しっかりと自覚することになった。
ほんの数日前であれば、ラテリア王子に従順に従い、身の回りで何があろうと、ラテリア王子が話してくれるまで待っただろう。
生き残る人間のリストがあるのだと言われれば、誰が載せてもらえるのか、それだけで頭はいっぱいだったはずだ。
だが、現在では、誰を優先で生き残らせようと、人間は100日以内に全員死ぬのだと知ってしまっている。
「マーベラさんを見て、お分かりになりませんか?」
「ああ……」
ラテリア王子は、まるで初めて気づいたかのようにマーベラを見た。
マーベラの顔色はますます悪くなっている。
父親である将軍が魔族将軍に討ち取られた現実を突きつけられ、ラテリア王子の態度から、マーベラ本人にはもはや価値がないことを突きつけられたのだ。
「ひょっとして、リーゼをそそのかしているのが君なのかい?」
「いえ、私は……」
「ラテリア様、いい加減にして。私は、誰にもそそのかされてなんておりませんことよ。ラテリア様とは違いますもの」
リーゼの言葉に、ラテリア王子の顔つきが変わった。
「マーベラを庇っているだけならいいのに……今のは聞き捨てならないな。私が何をしたというのだ?」
「あら……証拠は上がっていましてよ。でも、今はいいわ。私はラテリア様との婚約を破棄するつもりはないし、今日はそのことで来たのではないのですもの」
リーゼは、自分の声が甲高く、聴く者を威圧するように響くのを感じていた。だが、止めることはできない。自分の意思ではどうにもできないほど、自然に声が出ていた。
「……そうか。さっきまでこの部屋に、魔族のレジィ将軍がいただろう。敵討ちにきたわけじゃなさそうだな」
「マディソン将軍の首を、マーベラさんに返してください。もう検分は終わっているのでしょう? マーベラさんは、遺族として父親の首の返還を求める正当な権利があるはずです」
リーゼの言葉に、ようやくラテリア王子は素直に頷いた。だが、帰ってきた返事は、リーゼが望むものではなかった。
「そう思うのは当然のことだね。でも、無理だな」
マーベラが喉を鳴らした。マーベラの精神は限界まで来ているのだとリーゼは思っていた。マーベラを庇うようにラテリア王子の視線を受け止め、リーゼは真っ直ぐにラテリア王子を睨んだ。
「人間側が敗北したことを、一切公表しないつもりですか?」
ラテリア王子の顔付きが変わる。厳しく、真剣な表情を見せた。
「そこまで理解できるのなら、私がこれ以上言うことはないだろう。戦場にいた人間側の兵士は、誰も生還していない。ただ一人、斥候兵が傷つきながら逃げ帰っただけだ。つまり、死んだとも限らない」
「……なんてこと……」
「ただ兵士がいなくなっただけで、戦争は終わっていない。我々は、まだ戦っている。それが軍議での結論だ」
「つまり、パパの首は……」
こらえきれず、マーベラが言った。
「生死不明」
「首があるのに」
「ないんだ。政治的にはね」
ラテリア王子は明言した。
マーベラは泣き崩れ、リーゼはただ立ち尽くした。
ラテリア王子は背を向ける。
しばらく、リーゼとマーベラは控え室から出ることができなかった。
※
リーゼは、魔法学園の学生寮までマーベラを送り届けた。
一緒にマーベラの自室に入り、椅子に座らせても、マーベラは落ち着かなかった。
マーベラが落ち着くまで、リーゼは側についていようと思っていた。
だが、マーベラは一人になりたいと言い、お付きのメイドたちに促され、リーゼはマーベラの部屋を出た。
リーゼの部屋も同じ寮内にある。
すでに学園の講義は終わっている時間であり、学園に戻る意味はない。
ただ、リーゼは日課のように通いつめていた教会に足を向けた。
ここ数日、リーゼの夢に女神を名乗る白い女は現れていない。
本当に女神であるなら、もう一度会いたかった。
会って、直接尋ねたかった。リーゼがこれまでしてきたことで、何が変わったのか。マーベラにどうして辛い試練を与えるのか。
女神に会ってからの方が、明らかに苦悩が増えているのはなぜなのか。
リーゼは教会を目指した。
教会は魔法学園と学園寮の間にあり、通い慣れた道だ。
リーゼは一人で歩いていた。
まだ日が落ちるほどの時間ではない。
リーゼは教会を目にした。
次の瞬間、目の前になにかが出現していた。
突然のことに。それがなんなのかわからなかった。
「トカゲ?」
「失礼だな。ドラゴンだ」
喋った。確かに、見たことがあった。リーゼが女子トイレの奥から地下への階段を降りたのは、まだ昨日のことである。
昨日は部屋の中にいる主人を守るため、桃色の小さなドラゴンがリーゼの邪魔をしたのだ。
ドラゴン探知の杖は現在も持っている。魔法の杖も、バッグの中にただ持っているだけでは、ドラゴンの接近を教えてはくれないらしい。
リーゼの目の前に現れたのは、光の聖女カレンが従えたと噂されている小さなドラゴンだった。
「なにか用なの?」
通常なら、小さいとはいえドラゴンだ。恐怖に怯えてしかるべきである。
「カレンに何をした?」
「何のことかしら? 私はなにもしていないわよ。カレンは……魔族の将軍レジィが乗っていたドラゴンに不用意に近づいて、怪我をしたはずね」
その後のことが多すぎて、カレンがドラゴンに弾き飛ばされたことがはるか過去のことのように思われた。
リーゼが言うと、桃色のドラゴンは地面を蹴り付けて苛立ちを表しながら言った。
「そうじゃない。カレンの側に近づけないんだ。カレンが寝ている病室に行くと、気持ち悪い匂いで吐きそうになる」
「カレンの体臭じゃないの?」
さすがのリーゼも、魔物相手に言葉を飾る気にはならず、単刀直入に言った。
「違う! カレンはとってもいい匂いなんだ! お前とは違う。カレンはいい奴だ。でも、おいらがカレンの病室に行くと、すごく嫌な臭いがする。おいら、思い出したんだ。昨日……あんたから同じ臭いがしたって……」
「ああ……あれね」
リーゼは思い出した。ドラゴン避けのお香で、昨日はこのドラゴンを遠ざけた。
カレンにもプレゼントした。人間にとってはただのいい匂いであり、お香をほぐして小さな布袋に入れて渡すと、カレンは非常に喜んで受け取ったのだ。
「やっぱり、お前の仕業なんだな」
「私がなにをしたって言うのよ。あっ……まさか、ひょっとして……レジィのドラゴンに張り飛ばされたのが、匂いのせいだと言うつもりなの?」
「やっぱりお前、カレンに何かしたんだな?」
桃色のドラゴンが、ぐるぐると喉を鳴らして威嚇してくる。リーゼは恐ろしいとも思わず、肩を竦めた。
「ドラゴン族が嫌いな匂いを小袋に詰めてカレンに渡したわね。とても喜んでいたわよ」
「カレンが怪我をしたのは、お前のせいじゃないか!」
ドラゴンが怒りの咆哮をあげる。
だが、リーゼは冷静に、荷物入れから小さな陶器の入れ物を取り出した。
臭いが漏れないよう、きっちりと蓋をしてある。
「どうして私が、そんなものを持ち歩いていないと思うの?」
「そ、それ……」
しっかりと蓋をしてあっても、ドラゴンには臭うのだろう。リーゼが小瓶を取り出すと、鼻を塞いで下がったのだ。
「人間にとっては、ただの芳しい香りだもの。でも、いいわ。カレンに近づきたいのなら、カレンから匂い袋を取り上げてあげるわ。私も、怪我をさせようと思っていたわけではないのよ。私の婚約者にまるで恋人みたいな顔をして近づくから、ただの意趣返しだったのにね。薬が効き過ぎたようね。でも、条件があるわ。私の質問に答えなさい。答えないのなら、このままカレンにはドラゴンに嫌われていてもらうわ」
リーゼがドラゴン避けのお香を見せてから、桃色のドラゴンは腰が引けたようだ。それほど嫌いな臭いなのだろう。
「……なんだよ」
「カレンは魔族なの?」
「……違うよ。魔族の臭いじゃない」
「なら、どうしてあなたは従っているの? 昨日は、地下室で何をしていたの?」
「質問は一つじゃないのか?」
「私が、いつそんなことを言ったの?」
ドラゴンは首を斜めにしてから、元の角度に戻した。質問が一つだとは、リーゼは言っていない。そのことを思い出したのだろう。
「どうしてカレンに従っているのか、おいらにもわからない。誰かに送り出されたような気もするし……気がついたら、あんたがカレンを虐めているのが見えたんだ。カレンはいい奴だって、すぐにわかった。助けてやらなくちゃって思ったんだ……当然だろう?」
桃色のドラゴンは、リーゼからカレンを守るように、突然出現した。当時のことを思い出しながら、リーゼは言った。
「あの時……私は別に、カレンを虐めていたわけではないけどね。結局……あんたじゃ何もわからないわね。でも、カレンが魔族ではないのは確かなのね?」
「ああ。魔族に従っているドラゴンは、力で従えられている奴が多い。魔族にはたまに、とんでもない力を持っている奴がいるんだ」
「魔族のレジィもその一人ね」
「おいらは、そいつは見たことがない。でも、おいらが気に入っているからって、どのドラゴンもカレンのことが好きだってわけじゃないぜ。あんたがカレンに、知らないドラゴンのところに行かせたんだろう? どうして、知らないドラゴンに近づいたりしたんだよ」
「ああ……それは、ラテリアを責めたほうがいいわね。で、カレンは昨日、地下でなにをしていたの?」
「知らないよ。おいらは、ただ入り口を守っていたんだ。誰も通すなって言われたよ」
「嘘じゃなさそうね。わかったわ。カレンには、明日の朝会いに行く。私も暇じゃないのよ」
「……ちぇっ。わかったよ」
桃色の小さなドラゴンは、舌打ちして飛び上がった。明日の朝まではカレンに会いに行けない。そのための舌打ちだろう。
ドラゴンは鳥ほど器用に飛ぶわけではない。それでも、何度か羽ばたいた後、上空に消えていった。
リーゼはドラゴンとの会話を思い出しながら、いつもの通り教会で祈りを捧げた。
人間の滅亡予告日まで95日
魔族が滅びるまで106日




