16 公爵令嬢、魔族将軍と交渉する
リーゼはマーベラの腕をとり、別の控室に急ごうとした。案内役の近衛兵も、レジィとリーゼたちの間に割り込んで、隠してくれようとしていた。
全て無駄だった。
隣の控室に行こうとするリーゼの前に、魔族将軍リジィが立っていた。
魔法的な何かで瞬間移動したのではない。
やや遅れて風が吹き、通路の床に足跡が残っている。
恐るべきは、レジィの脚力なのだ。
「逃げることはないだろう。退屈していたんだ」
赤鬼族だというレジィは、にかりと笑った。口の中まで赤く、犬歯は八重歯ではなく牙だと感じた。
「私たちは、王を頂く臣民にすぎません」
「そうだろうね。それで?」
「王のいらっしゃる城で、武器を抜くことは禁じられています。魔族のレジィ様なら咎められることもないでしょうが、お相手はできかねます」
リーゼはスカートをひらりと広げて会釈した。レジィは笑みを深めた。
「ああ、そのことか。別に、喧嘩したいわけじゃないさ。退屈だったんだ。あんた達も、控室に行くんだろう? なら、あたしのとこでいいじゃないか」
「では、お任せします」
近衛隊隊士が、リーゼとマーベラを見限った。いや、保身に走ったと言うべきだろう。
魔族の将軍レジィが正式に使者として認められているかどうかは、リーゼにはわからない。仮に使者として認められていようとも、敵方の現役の将軍と令嬢二人を同室に入れて立ち去ることなど、考えられない。
「ああ。任せな」
応えたのはレジィだが、近衛兵が任せたのは、おそらくマーベラだ。リーゼは、王城の内部では影の薄い存在だった。
公爵家の令嬢であり、次期王の最有力候補であるラテリア王子の婚約者とはいえ、従順で大人しい深窓の令嬢で、毒にも薬にもならないと思われていたはずだ。リーゼは、そうあることを望まれていたのだ。
王を呼び捨てにしたことも、光の聖女と対決したことも、魔族将軍に啖呵を切ったことも、王城で知られているはずがないのだ。
魔族将軍レジィは、自分に言われたものだと勘違いして応えた後、さっきまで占拠していた自分の控室に、リーゼの腕をつかんで戻った。
控室とはいえ、戦勝国の使者を敗戦国が待たせるのだ。最も立派で、広い部屋をあてがわれていた。
落ち着いた品の良い内装に、テーブルとティーセットが置かれていた。
「まあ、座りなよ」
「よろしいのですか?」
リーゼが尋ねたのは、リーゼたちが来るまでレジィの相手を勤めていた近衛隊隊士だった。出入り口近くにいるのは、誰かが呼びにきても、すぐに気がつけるようにだろう。
「どうぞ」
やや安堵しているように見えるのは、レジィの相手をしなくてもよくなったからに違いない。
「レジィ様、よろしいのですか? 先ほど、時間がないのだと仰っていたようですが」
「へぇ。立ち聞きかい? 人間の貴族様の御令嬢がねぇ」
レジィとリーゼが椅子に腰かけると、マーベラが急須からお茶を注ぎ入れた。先にリーゼのカップに傾け、レジィのカップに移動させようとして、マーベラの手が震えた。
マーベラは、通路でレジィの声が聞こえてから、一言も発していない。
「マーベラ、大丈夫よ。私がやるわ。あなたも座って」
「しかし……リーゼ様……」
「大丈夫」
リーゼは立ち上がり、マーベラを座らせた。自らレジィ将軍とマーベラのカップにお茶を注ぐ。
「立ち聞きしようとしたわけではありませんのよ。だって、レジィ将軍の声でしたら、どんなに厚い壁でも防ぐことはできませんわ」
「そうかい?」
「戦場では、さぞかし遠くまで指示が届くのでしょうね」
「当然さ。赤鬼族のレジィって言ったら、百里先の魔族兵にも命令できるって有名だからさ」
レジィは嬉しそうに笑った。おだてられると弱いのだろう。
「ですから、立ち聞きしたわけではございません。時間がないと仰っていたようですけど、よろしいのですか?」
「そりゃそうさ。別に、急いではいないからね」
レジィ将軍は言った。退屈だったので騒ぎ立てただけであるらしい。
部屋付きの近衛隊隊士は、レジィの言葉に複雑な顔をしていたが何も言わなかった。
リーゼもあきれたが、レジィの性格は魔法学園で見ていたこともあり、意外とは思わなかった。
レジィとマーベラのカップにお茶を注ぎ、最初に勧められた椅子に腰かけた。
「私は、ラテリア王子に会いに来たのですわ」
「誰だい? そいつ? 逢引きかい?」
レジィはふんぞり返って足を組みながら尋ねた。
「レジィ閣下をこのお城まで案内したはずですわ」
「ああ……朝いたあの男か。あんたの印象が強烈だったんで、忘れたよ。あんな男、どこがいいのさ」
レジィにとっては、敵国の王子である。そもそも、魔族にとって貴族や王太子の価値がどんなものなのかわからない。
リーゼにとっては婚約者だ。見下され、気持ちのいいものではない。
「……優しいのよ」
「ほう。その優しさが、どう役に立つ?」
「国を滅ぼす、かもしれませんわね」
リーゼはあえて言った。リーゼは、人間を滅ぼさないために悪役令嬢になれと夢で告げられた。
夢に出て来たのが女神だとは、いまだに断言できないし、悪役令嬢というものがどんなものか、リーゼにははっきりとわからない。
だが、悪役令嬢という呼び方からして、穏やかで優しい存在ではないだろう。ならば、優しさは人間を滅びに向かわせる。リーゼはそう判断し、言ってからレジィを見つめた。
レジィの頬が緩やかに吊り上がる。笑っているのだ。
「あんた、何を知っている?」
「私が何を知っているとお思いですか?」
「……まさか、あんたは魔王軍と連絡を取っているのかい?」
「申し上げられませんわ」
「リーゼ様」
リーゼとレジィが腹の探り合いのような会話を交わしている横から、マーベラが口を挟む。レジィが苛立たし気に眉を吊り上げた。
リーゼがレジィを制する。
「ええ。わかっているわ」
「わかっている? 何をだい?」
レジィの視線がリーゼとマーベラを貫く。リーゼを値踏みしようとしているのが明白だった。
「私たちは、ラテリア王子に会いに来ましたけれど、目的はラテリア王子ではございません。レジィ閣下」
「なんだよ」
「マディソン大将軍の首を、遺族にお返しください」
「……『遺族』って、その子かい?」
リーゼは縦に首を振る。
「パパの首をどうしたの?」
マーベラがレジィを睨みつけ、目尻に涙を浮かべた。
「あんたたちの言う、王子とやらが持って行ったよ。例の会議だかなんだかで、調べているんじゃないか?」
「……本当に、人間は負けたのね」
マーベラが呟くように言った。
「今更、そんなことを言っているのかい? 人間の兵士にだって、斥候ぐらいいるだろう。本国に知らせることもできないのかい?」
「ゴルシカ王国は、戦争に負けたことを国民に知らせていないのですわ。知っているのは……今軍議に出ている人たちと、親しい数人だけですわ」
「その親しい数人のうちの一人が、あんたってわけだ。リーゼと言ったね。あんたは、この国を裏から支配する魔女か何かかい?」
レジィは挑発的にリーゼを睨んだ。リーゼは首を振る。
「ただの公爵令嬢ですわ」
「へぇ。で、『公爵令嬢』ってなんだい?」
魔族とは、貴族の捉え方が違うのかもしれない。リーゼが言葉を詰まらせた時、控室の扉が叩かれた。
レジィが返事するのを待ち、扉が開く。
魔族将軍レジィを呼びに来た宰相の一人が戸口にいた。その背後に、リーゼが来ていることを知ったのだろう、ラテリア王子が姿を見せた。
人間の滅亡予告日まで95日
魔族が滅びるまで106日




