15 公爵令嬢、王城に押しかけて魔族将軍と出くわす
魔族の将軍レジィとラテリア王子たちが王城に向かった後、マーベラは半狂乱だった。
リーゼはマーベラを支えながら医務室に行き、長い昼食の時間が終わるまで、マーベラに付き添った。魔法学園では実践的な魔法や武器での訓練も行う。怪我をすることも多いため、保健室ではなく医務室なのだ。
2人きりになった時、動揺が激しく、ベッドに寝かしつけられたマーベラが尋ねた。
「リーゼ様……人間が負けたのは、本当なのですか?」
「ええ」
周囲からは衝立で仕切られている。周囲には人がいないことを、リーゼは確認していた。
椅子に腰かけたまま、リーゼは応じた。
「リーゼ様は、ご存知だったのですね?」
「四日前、ラテリア様が軍議に呼ばれたことがあって……その時、私は聞かされたわ。軍議の結果として、ラテリア様からね」
「どうして、言って下さらなかったのですか? 親友だと……私も、リーゼ様ほどではなくとも、貴族の端くれです。秘密を共有していただける程度には……親しい間柄だと信じていたのに」
リーゼは唇を噛んだ。人間が負けたと聞いたのは、ラテリア王子からだ。だが、負けると夢で告げられたとは、言えなかった。
「マーベラさんは親友よ。私が心を許せる相手は、ラテリア様ではないわ。マーベルとヌミレア……二人が最も大切な親友だと思っている」
「……ヌミレアは、人間側が負けたと知っているのですか?」
「いいえ。昨日、教会の礼拝堂でヌミレアの母君、ヌーミレディア様とお会いしたけど、何もおっしゃっていなかったわ。もちろん、宮廷魔術師であるヌーミディレア様はご存知でしょうけど、ヌミレアは知らないと思うわ」
「私には……王城の内部に、知り合いはいません。父は、将軍として戦場に赴いていましたから」
「ええ。そうね」
「私だけ……知るすべがないとは思って下さらなかったのですね」
マーベラが上半身を起こす。リーゼを睨んでいる。剣術のみならず、あらゆる武器を自在に使いこなすマーベラは、相当の修練を積んでいるはずだ。そのマーベラの視線には、力があった。
おびえながらも、怯むわけにはいかないと、リーゼは気持ちを奮い起こした。
「人間が戦争で負けた。私が聞いたのは、これだけなの。言っても混乱させるだけでしょう? 特に……マーベラは不安になると思って」
「……はい。そうでしょうね。人間側が負けたことを知っていれば、今日来たレジィが敗残兵ではなく、むしろ交渉役であったことがわかります。手を上げてはいけない相手でしょう。もし対処を間違えば、人間は戦争に負けただけでなく、皆殺しにされるかもしれません。その危険は、情報を共有することで減らせたでしょう」
「……そうね。ラテリア様に、正確な情報を公開するよう伝えるわ。マーベラのような思いを、もう誰にもさせないようにしないといけないわね」
「リーゼ様、ありがとう。私の……父の首は、どうなりました?」
「あっ……それは、レジィが持って行ったわ」
リーゼが言うと、マーベラは布団を跳ね上げた。
「マーベラ、どうするの?」
「パパの首を、交渉の道具にはさせない。人間の国に持ち帰ったのであれば、私が弔います」
「わかりました。ラテリア様に言うわ」
「いえ。ラテリア王子を待ってはいられません。リーゼ様、行かせてください」
リーゼもマーベラも、まだ学生の身分であり、貴族の令嬢という立場にすぎない。
王宮への影響力はあっても、それは将来のことであり、現在のところ何ら力は持っていない。その点ではラテリア王子も同じだが、将来の王となる第一候補であれば、影響力は二人とは比較にならない。
現実に要望があれば、ラテリア王子に話を通すのが最も現実的だ。
だが、マーベラはそれを待てないのだと言う。
「マーベラ、あなたはまだ動揺しているのよ。正常な判断能力を失っているわ」
「リーゼ様……パパが殺されて、冷静でいなくてはいけませんか?」
「いいえ。あなたが冷静でないのなら、誰か付いて行く必要があると言っているのよ」
「しかし……」
「私なら大丈夫。午後の講義は予習済みです。聞かなくとも、成績に影響はないわ」
「リーゼ様……」
マーベラがリーゼの手に口づけする。マーベラの紫がかった茶色い髪をゆっくりと撫でてから、リーゼは手を引いて立ち上がった。
※
リーゼとマーベラは魔法学園を出て馬車を拾い、王城を目指した。
王城は、まるで敵の襲撃を受けているかのような厳戒態勢だった。
戦争中であるから警戒するのは当然だ。だが、実際には戦争は終結している。そのことは、まだ兵士たちには知らされていないのだ。
乗っているのが乗合馬車だったため止められたが、乗っているのがリーゼとマーベルだとわかると、敬礼されて通された。
馬車を下り、城の内部に入ると、軍服を着た男が礼儀正しく立ちふさがった。
近衛兵と呼ばれる者たちだと、リーゼもマーベラも知っていた。
「現在、厳戒態勢中でございます。ご用の向きは、私が承ります」
「結構。ラテリア第一王子の婚約者リーゼ・エクステシア公爵令嬢が、婚約者殿に面会を求めているとお伝えください」
「そうですか。しかし、ラテリア様は、現在重要な軍議に出席しておいでです。面会は難しいものとご承知ください」
「では、こう伝えてください。魔族の将軍レギィが持ち帰ったものを、遺族に返すようにと」
近衛隊の隊士の視線が、マーベラに移動した。いつもはリーゼを守るように前に出ているマーベラだが、この時は姉に甘える妹のように、リーゼの影に隠れていた。
「わかりました。では、控室にご案内いたします」
「お願いします」
リーゼとマーベラが近衛隊の隊士に連れられて移動する。
王族の面会ができる場所は少なく、約束していたとしても控室で待たされるのが通例だった。
だが、マーベラはとにかく、リーゼが控室で待たされたことはなかった。
広い王城の全てを知っているわけではなく、リーゼは知らない部屋に案内されようとしていた。
『いつまで待たせるのだ! あたしが来るまで、結果を知らなかったわけではあるまい。従属か殲滅か、選ぶだけだろうが!』
控室が並ぶ長い通路に、一室からよく響く声が漏れ出てきていた。
「リーゼ様……」
背後のマーベラが言いたいことはわかっていた。
「あの魔族も、ここで待たされているのね。マーベラ、ここで争っては駄目よ」
「はい。解っています。王城内で武器を抜くことは、禁じられていますから」
王城内での武器の使用はご法度である。使用可能なのは、御前試合などの特別な場合だけだ。
『将軍、落ち着いてください。人間たちには、まだ戦争の終結を正式に受け入れていないのです。すぐに皆殺しにされるか、奴隷になるか選べと言われても、結論が出るはずがないでしょう』
部屋の中に、別の人間がいるようだ。レジィのように明確に聞こえる甲高い声ではなかったが、興奮しているのか、やや声が大きくなっている。
『あたしの任務はどうなるんだ! 魔王様から、直接返事をもらってこいって言われているんだよ!』
『だから、待ってくださいと申し上げているじゃないですか。人間全体にかかわることです。簡単に結論は出せません』
「苦労しているみたいね。中にいるの、あなたの同僚?」
リーゼとマーベラだけでなく、案内役の近衛隊隊士も足を止めていた。リーゼがねぎらうと、近衛隊隊士ははにかむように笑った。
「はい。いい奴なんですが……」
最後まで言う前に、部屋の中で何かが動いた。
『もういい! あたしが直接、人間どもと話しをつける!』
リーゼの目の前で、控室の扉が開いた。
けたたましい音を上げて弾けるように開けられた扉の中から、午前中に出会った赤い肌の女が出て来た。
「おや……あんた、朝見たね。リーゼだったか。兵士でもないのに、このあたしに啖呵を切った勇ましいお嬢さんだ。覚えているよ。魔族軍でも、そんな奴はいない」
「お、覚えていただいて恐縮ですわ。レジィ将軍閣下。では、ごきげんよう」
リーゼは公爵令嬢としての振る舞いで切り抜けようとした。レジィに用があったが、レジィと直接交渉するつもりはなかった。
「待ちなよ。そっちの……あたしと勝負したいんだろう?」
魔族の将軍レジィは、マーベラを指さした。
人間の滅亡予告日まで95日
魔族が滅びるまで106日




