13 公爵令嬢、婚約者に詰め寄るも、はぐらかせられる
リーゼは朝、魔法学園女子寮が面する大通りで佇んでいた。
いつもは、友達と一緒に魔法学園に向かう。
だが、友達とはそれぞれ受ける講義が違うため、いつも同じ顔触れになることはない。
リーゼが単独で行動しようと、奇異には見られない。
公爵令嬢が佇んでいれば、声をかけてくる者は多い。
リーゼは考えた。
自分はまだ、達していない。女神が望んだ存在には至らない。
『悪役令嬢』ならば、きっとリーゼの地位に関わらず、リーゼを恐れて声などかけなくなるのだろう。
勝手な妄想に浸っている間に、リーゼは目的の人物が近づいてくるのに目を止めた。
颯爽と立ち振る舞い、高位の貴族の子弟たちを引き連れ、用もないのに遠回りして女子寮の前を通過する男だ。
以前は、婚約者であるリーゼと会えるのではないかと期待しているのだろうと、むしろ愛おしく解釈したが、現在ではリーゼはそこまでの積極思考にはなっていなかった。
木陰で佇むリーゼに気づかず、ラテリア王子が通り過ぎようとする。
リーゼは、木の影から進み出た。
「あらっ、ラテリア王子、奇遇でございますわね」
「リーゼ?」
「公爵令嬢様、いかなるご用事で?」
驚くラテリア王子の前に、王子を守るかのように貴族の子弟たちが人垣を作る。
「用がなくては、声をかけてはいけませんの? 私たち、婚約者同士ではございませんか。皆様方……」
リーゼは、人垣をかいくぐってラテリア王子の手を取った。手を握り、貴族の子弟たちに視線を向ける。
「お立場を、お忘れになって?」
「……失礼いたしました。エクステシア公爵令嬢。ですが、ラテリア王子の意思こそ、私たちが尊重すべきものですので」
「私と一緒に居たくないと仰るの? そうなのですか? 婚約者様?」
リーゼは、背の高いラテリア王子を上目遣いで見た。ラテリア王子は、戸惑いながらも鷹揚に頷いて見せた。リーゼの問いを肯定したわけではない。
「私が、婚約者殿をないがしろにするようなことがあるものか。突然のことに驚いただけだよ。さあ、講義に遅れてしまう。リーゼの講義も、同じ時間だったかな?」
「いいえ。違いますわ、ラテリア様。でも、普段取っていない講義に出席してはいけないと言う規則はございません。今日は、御一緒いたしませんか?」
「ああ……そうだね。お前たち、少し離れてくれないか?」
ラテリア王子は、取り巻きである貴族の子弟たちに離れるよう告げた。
リーゼは、ラテリア王子の意図を汲み、さらに追い打ちをかける。
「ラテリア様、もっとはっきり仰った方がよろしいでしょう。あなたたち、背を向けて、耳を塞ぎなさいな」
「リーゼ……」
「間違っておりますか?」
「いいや。お前たち、リーゼの言う通りにするのだ」
貴族の子弟たちが、二人に背中を向け、耳を塞いだ。
通学時間の大通りである。間違いなく奇妙な一団に見えることだろう。通りかかる学生たちが、奇異な目を向けている。
「これで二人きりだ」
「ラテリア王子の可愛い誰かさんなら、王子に抱き付くところかしら?」
「リーゼ、どういう意味だ?」
「それとも……汚らわしい、く、口づけ、などをなさるのかしら?」
「リーゼ、私が浮気をしているという噂でもあるのかい? それなら、はっきりと言って置く。根も葉もない出鱈目だ。私は、リーゼを愛しているのだよ」
「私が、それを疑う理由を知りたいのでしょうね?」
「ああ。大方、君の周りの悪友たちに吹きこまれたのだろう。大した家柄も魔力もなく、君に取り入ることで生き延びようとする連中に、深入りさせるのは感心しないよ」
「誰のことを仰っているのか分かりかねますけど……もしそのような方が私の友達の一部にいたとしても、その子も生きるために必死なのです。生きるために必死にならなければならない状況にしないことが、ラテリア様とお父様のお勤めでしょう?」
「それこそ、恐れ過ぎだ。魔族に戦争で負けたことで、全てが終わるわけではない。魔族と手をとることもあるだろう。人間にはない技術を持っている。魔族の技術を吸収し、数十年後には、人間こそが世界を支配することになっているかもしれない」
リーゼは、夢の中で女神から聞いたことを思い出した。魔族は、人間と手を取り合おうとする。それこそが、魔族が人間を根絶やしにする計略なのだ。当然、リーゼはそうとは言えなかった。
「だから……光の聖女と懇意になさっているの?」
「カレンのことは関係ない。いや……リーゼ、君は、カレンと私の関係を疑っているのかい?」
リーゼは目線を伏せた。ラテリア王子の浮気は疑っている。だが、リーゼが光の聖女カレンの名を出したのは、別の理由だった。
「そんなこと……」
「お前たち、もう耳から手を話していい」
突然、ラテリア王子が周囲の子弟たちに声をかけた。耳から手を話す素早い反応に、リーゼは本当に聞こえていなかったのかと疑問に思うほどだ。
「ラテリア様、まだお話は終わっておりません」
「講義に遅れる。話なら、いつでもできる。私たちは、婚約者どうしなのだからな」
ラテリア王子は歩き出す。リーゼは、ラテリア王子に並んで歩きだした。
貴族の子弟たちが取り巻くが、取り巻きがいなくとも同じことだろう。
未来の国王と婚約者である公爵令嬢の行く先を、防げる者など誰もできないのだから。
※
最初の講義から、それは起こった。
ラテリア王子とリーゼが講義に出席し、参考書を広げていると、ラテリア王子を挟んでリーゼの反対側の位置に、あか抜けない地味な少女が腰を下ろしたのだ。
魔法学園に貴族ではない庶民は非常に少なく、自分から最も高い身分の者の隣に座る者は一人だけだろう。
「お早うございます。リーゼ様」
ラテリア王子に笑いかけながら、光の聖女カレンはリーゼに会釈した。
昨日の地下室でのことが忘れられないリーゼは、平然としたカレンの態度に目を疑った。
かつては、カレンはリーゼを恐れていたはずだ。
「カレンさん、ドラゴンはどうしたの?」
「呼ぶまでは来ません、リーゼ様」
ラテリア王子越しに話しかけると、カレンは丁寧に返した。
リーゼは、ドラゴン探知の杖を机の下で握り、魔力を込めた。
「リーゼ様、何をお持ちなの?」
「いいえ。何でもないわ。魔法の練習をするための小道具よ」
ドラゴンを従える本人に、ドラゴン探知の杖の存在を知られたくなかった。リーゼは杖を強く握りしめ、魔力を注ぎ続けた。
ドラゴンは近くにいる。だが、同じ室内ではない。カレンの言うことに間違いはなさそうだ。
「カレンのドラゴンは、どのぐらいまで大きくなるのだかな? 人を乗せるぐらいまで成長するのだろうか?」
女子トイレの地下で起きた出来事は、ラテリア王子には言っていない。カレンとリーゼの関係に、ラテリア王子は何も気づいていないようだ。
「もちろんです。本物のドラゴンですから」
「それは頼もしい。光の聖女を乗せたドラゴン……いや、ドラゴンにまたがる光の聖女か……魔族たちも肝を冷やすだろう」
「ええ。それが魔族たちの敵であれば、そうでしょうね」
リーゼが頷く。カレンはラテリア王子に言った。
「王子の婚約者様は、私のことをお嫌いなのでしょうか……」
「そんなことはないさ。リーゼ、失礼だぞ」
「そうですわね。私としたことが、失礼いたしました」
リーゼは言いながら、布の袋にお香を入れて、軽く揉みしだきながらカレンに差し出した。
「これは、私からお詫びのしるしです。私はお詫びをしなければならない理由を思い至らないけど、ラテリア様のように勘違いなさっている方もいらっしゃいますしね。ちょっとした臭い袋ですが……聖女カレンは庶民とはいえ、いずれその功績により貴族位も賜るでしょう。こういう物にも、慣れておいた方がいいわ」
カレンは、リーゼが差し出した臭い袋を受け取った。
「まあ……素敵な匂いがいたします。リーゼ様、ありがとうございます」
「ああ。リーゼ、カレンと仲良くな」
「はい。それは、ラテリア様次第かと思います」
リーゼが言うと、ラテリア王子が咳払いをした。講義を受けている学園の生徒たちが振り向いた。
あまり人気のある講義ではない。講堂中の注目は、講義を行う講師より、三人に集まっていたらしい。
※
この日の最初の講義である魔法史が終わった。
ラテリア王子は、時間割を確かめるために手帳を手にした。
「次は剣術ですね」
「ああ……そうらしいね。よく知っているな」
「もちろん。婚約者様のことですから」
リーゼはほほ笑んで見せた。
「リーゼ、剣術の講義を受けるつもりかい? 怪我をするかもしれない。止めておいた方がいいだろう」
「いいえ。光の聖女様が受けるのでしたら、私もご一緒させていただきます」
「ああ……わかった」
ラテリア王子が、やや乱暴に荷物をかたづけ、席を立つ。
リーゼと、当然のように光の聖女カレンが立ち上がった。カレンも剣術の講義を受けるのだろう。以前から受けていたのかもしれない。リーゼに口を出せることではない。
剣術の講義は、道場と呼ばれる場所で行われる。
講堂を出たところで、リーゼの親友の一人であるミディレアが近づいて来た。
「リーゼ様、よろしいですか?」
ラテリア王子がいるにも関わらず、声をかけて来た。緊急の用件なのだと、リーゼは頷いた。
「ええ。ラテリア様、残念ですが、少し外させて頂きます」
「ああ。構わない。私たちは、先に道場に行っている」
まるで安堵したかのようなラテリア王子の態度は気になったが、リーゼはミディレアに誘われて、使用されていなかった教室の一つに入った。
授業が行われていないはずの教室では、若い女性教師が待っていた。
「リーゼ様、魔法文字学のアンジー先生です」
ミディレアが背後で囁いた。魔法文字学は、あまり人気のない講座だ。強い魔力を持つ者は、魔法文字に頼らなくても十分に魔法を使用できるという認識が一般的であり、魔法文字を使用するのは能力が足りないからだと見做されることが多いからだ。
リーゼは、学園内でも強い魔力を持つ者に分類される。適性が植物の成長への干渉というのは、花を綺麗に咲かせるだけでなく、食物の生産にも応用可能だ。
便利で強い魔力を持ったリーザは、魔法文字学の講義を受けたことはなかった。
「お初にお目にかかります。アンジー先生」
「私は、初めてではないですけどね。エクステシア公爵令嬢」
魔法文字学の教員アンジーは、丁寧に腰を折った。
教員としては新参である。何より、貴族の家系ではあったが、本人は爵位を持っていなかったはずだ。
つまり、カレンの立場に近い。
「ミディレア、あなたが先生を呼んだの?」
「いえ、アンジー先生が、リーゼ様とお話したいと」
「ええ。私がお願いしました。ミディレアさんの方から、エクステシア公爵令嬢の話を振ってきたのは確かですけど、私からも話したいことがあったので」
「ミディレア、あなたはなんて先生に申し上げたのかしら?」
アンジーの言葉を聞きながら、リーゼはあえてミディレアに尋ねた。この中で、圧倒的にリーゼの地位が高い。教員であろうと、リーゼの言葉に従うしかないのだ。
「私は、カレンのことを聞いたのです。私は、アンジー先生の講義でカレンと一緒になりますから、アンジー先生とカレンが話しているのを見かけて……『リーゼ様のことをカレンが怖がっているようですけど、何かあったのでしょうか』ってお尋ねしました」
「では先生は、カレンのために私と話しをしたいということでしょうか?」
カレンが魔法文字学を履修していると聞き、リーゼは穏やかではいられなかった。魔法文字学を履修する生徒は二つに分かれる。
一つは魔力が弱く、その補助のために魔法文字学を学ぼうとする者。もう一つは強い魔力を持ちながら、より強い力を求める者だ。
ほとんどが前者だが、後者の特徴としては、貴族の中でも位が低い者が占める。魔法文字学は弱者の学問と見做されているが、活用次第では強い武器になることもリーゼは知っていた。
「ええ。そうなるでしょうね。昨日、女子トイレの奥にある地下室を見つけたのでしょう? 調査するように教師に求めましたね?」
「はい」
ミディレアは目をしばたかせている。理解していないのは仕方がない。昨日は、ミディレアとは会っていない。
「それを、やめさせて欲しいの。エクステシア公爵令嬢の言葉であれば、教師たちも従うわ」
「危険な場所の調査を求めるのが、間違った行為ですか?」
「危険な場所ではないでしょう? あの場所は、普段はカモフラージュされていて見てもわからないし、カレンが見つけたの。カレンは、強い魔力を持っていても、光の魔法に適性があっても、庶民の出だから虐められていたわ。一人になって、安心できる場所が欲しかっただけなのよ。カレンの力は、この国にとって重要になるわ。ただでとは言いません。カレンに、ラテリア王子とのお付き合いを控えるように言います。だから、カレンにとって安心できる唯一の場所を奪わないであげて」
リーゼはアンジーを見つめたまま答えた。
「まるで、私がカレンを虐めて、追いつめようとしているかのようですわね」
「その通りでしょう」
「どうして、先生はカレンを庇うのですか?」
「頑張っている、まじめな生徒だからよ。そりゃ、ラテリア王子とお付き合いしているのは気に入らないでしょうけど、近づいたのはラテリア王子からなのよ。光の魔力を持つ貴重な存在で、しかも庶民だから……王子が近くにいれば、誰も手出しできないと判断したみたい。だけど、その王子には婚約者がいた」
「リーゼ様は悪くないですよ」
ミディレアが気丈に口を挟んだ。アンジーは小さく頷く。
「わかっています。カレンを虐めるのも、当然の反応にすぎないでしょう。でも……責められるべきは、カレンではなくラテリア王子ではありませんか?」
「ラテリアとカレンがお付き合いをしているのは、確定なのですか?」
リーゼの問いに、アンジーは自分の口を手でふさいだ。リーゼが続ける。
「カレンから聞いたのですね」
リーゼは鞄を握りしめた。さっきまで笑って話していたカレンが、急に憎く思えてきた。
教師まで抱き込んだのは、リーゼの方ではなかった。むしろ、カレンは先手を打っていたのだ。
リーゼは、アンジーを睨んだ。だが、リーゼが握りしめた鞄の中にあった杖が、リーゼに訴えかけた。
リーゼは、アンジーに視線を向けたまま、鞄の中に手を入れた。
鞄の中から訴えてきたのは、ドラゴン探知の杖だった。
カレンがドラゴンを連れている。
そのことは知っている。さっきはいなかった。
昨日、直接対峙した。
その時とは比較できないほどの巨大な反応が、リーゼの脳裡に浮かび上がった。
「アンジー先生、カレンのことはわかりました。でも、私の知るカレンは、先生が思うほど、弱い子じゃないですよ。話はまた後にしましょう。ミディレア、マーベラとヌレミアを探して。運動場に来るように伝えて」
「リーゼ様、どうしたのです?」
「大きなのが来る。そう言ってくれれば、二人はわかるわ」
リーゼは、ミディレアにドラゴン探知の杖を見せながら、教室を飛び出した。
人間の滅亡予告日まで95日
魔族が滅びるまで106日




