11 公爵令嬢、ドラゴン探知の杖で地下室を見つける
魔法の道具というものは、魔力のある人間なら使うことができるはずだ。
魔法学園に通うリーゼも、普段は使用しないが魔力を持ち、有効に利用するために日々学んでいる。
この日の講義が全て終わった後、リーゼはヌレミアから託されたドラゴン探知の杖に魔力を込めた。
杖に反応はない。特に光が出ることもなく、静かにリーゼの手の中に収まっている。
ただ、リーゼの頭の中に、周囲のドラゴンの居場所が浮かんできた。
近くにドラゴンがいる。
リーゼは、学習用の道具をまとめて鞄に入れ、立ち上がった。
「リーゼ様、行くのですか?」
隣の席で講義を受けていたマーベラも立ち上がる。マーベラ以外にも、数人の女子生徒が腰を上げていた。
リーゼが知らない間に、リーゼの味方が増えていると感じた。
「ええ。今日の内に、少しでも手がかりを得たいと思って」
「協力させてください、リーゼ様」
今まであまり付き合いはなかった貴族の御令嬢たちが張り切っていた。
リーゼには察しがついていた。ミディレアが何かを話したのだろう。
マーベラに頷き返し、リーゼはこの日最後の講義を受けていた講堂を後にした。
※
リーゼはマーベラと数人の女生徒たちと共に、魔法学園内部を移動した。
ドラゴン探知の杖に魔力を注いでいる間だけ、リーゼの頭の中にはドラゴンの位置がはっきりとわかった。
「そう言えばマーベラさん、あなたとはよく講義が被るけど、マーベラさんが得意な魔法はどの系統でしたっけ?」
学園の内部では、貴族の令嬢としての付き合いを覚えることが優先で、他人の魔法系統まで関心を持つことは少ない。
マーベラがリーゼに並びながら尋ねた。
「そのようなことをお聞きになるということは、魔法を使う必要が生じるとお思いですか?」
真剣な顔つきのマーベラに、リーゼはほほ笑み返した。
「誰かと争うようなことは、私には想像もつかないわ。ドラゴンのいる場所に行って、何があるのか、どんなことが起こるのか、見当もつかない。だから、魔法を使うことになるかどうかはわからない。でも……マーベラさんのことは頼りにしているから、どんなことができるのか、知っておきたいだけよ。私は……植物の成長に干渉する魔法が得意だけど、誰かと争うのには向かないわね」
リーゼは、いつも持ち歩いている植物の種を、手のひらの上で発芽させた。
マーベラを押しのけ、ついて来た女生徒たちが騒ぎ立てた。
「まあっ! さすがはリーゼ公爵令嬢様ですわね。生活に潤いをもたらす、理想的な魔術ですわ」
「ありがとう。あなたたちは?」
マーベラだけに尋ねるのも悪いかと、リーゼは女生徒たちにも声をかけた。
「私は、金属器を綺麗に磨き上げる魔法が得意です」
「私は、絵画を綺麗に額縁に飾る魔法が得意です」
「私は、猫を気持ちよく寝かせる魔法が得意です」
「……ありがとう。みんな、頼りにしているわね」
誰も役に立たないと思いつつ、リーゼが口から出まかせを言うと、女生徒たちは快く返事をした。
リーゼはマーベラに視線を戻す。
「マーベラさんは、教えてくださらないの?」
「私にとって、魔法の使用は切り札です。簡単にお教えするものではないのですが」
「……そうね。ごめんなさい」
「いいえ。リーゼ様だけでしたら……」
リーゼが視線を向けると、ついて来たマーベラ以外の女生徒たちが視線を外した。
「もう……ひっ!」
リーゼが思わず悲鳴を漏らし、自分の口を塞いだ。
「リーゼ様……何かおありでしたか?」
「何も、何もないわ。何もない。本当よ」
リーゼは、たった今自分が見たものは、錯覚だと信じようとした。
強く首をふる。
マーベラが近くにいた。
最も古くからの友人の姿を見た瞬間に再び上がりそうになった悲鳴を飲み込んだ。
「誰にも言わないわ」
「ありがとうございます」
マーベラは、リーゼの手を握った。
※
ドラゴン探知の杖は、リーゼが知らない場所に導いた。
魔法学園は古い建築物をリフォームしたもので、古代魔法の英知が眠っていると言われている。
だが、学園生として生活している限り、古代魔法の英知に触れることはなかったはずだ。
リーゼは、女子トイレの一番奥の個室が、地下に続く階段の入口になっていることを発見した。
「……この入口のこと、今まで誰も知らなかったのでしょうか? 私は聞いたことはありませんけど……」
地下に向かって伸びる入口を覗き見て、マーベラが不安そうに言った。
リーゼは、ずっと握っていたドラゴン探知の杖に再び魔力を込める。
かすかに情報として頭に流れ込んできていたドラゴンの情報が、先ほどより明確にわかる。
この地下階段の先に、ドラゴンがいる。
リーゼは、地下に続く階段を見下ろした。
「今日はここまでにしましょう。これ以上は、もっと時間がある時に調べてみるべきだわ」
リーゼが言うと、金属器や絵画や猫を扱う魔法が得意だと言った三人の娘たちは、たちどころに安堵した顔を見せた。
女子トイレから外に出ると、三人の娘は深く頭を下げて去っていく。
二人だけになり、マーベラが口を開いた。
「リーゼ様、ヌレミアさんを呼んできます」
「……ええ」
「あの子たちは、最近リーゼ様に近づいて来た子たちです。怖い思いをさせれば、二度とリーゼ様に近づこうとはしないでしょう。賢明なご判断だと思います。リーゼ様、一人では行かないようにお願いします」
付き合いの長いマーベラには解っていたのだ。ドラゴンを連れているのはカレンのはずだ。カレンが地下にいることになる。
リーゼすら存在も知らない地下で、何をしているのか。
光の聖女と呼ばれ、ラテリア王子に庇われているだけの平民の娘の行動とは思えない。
「もちろんよ。綺麗にお花を咲かせることが取りえの私が、ドラゴンに近づこうなんて思わないわ」
リーゼが言うと、マーベラは素早く頭を下げ、大将軍の娘に相応しい軽快な足取りで走り去った。
マーベラが去った後、リーゼは今朝ミディレアからもらった小さな香炉を鞄から取り出した。魔法の力もなく高価でもないが、使い捨てるのには最適な品物だ。
ドラゴン避けのお香を香炉に入れ、火をつける。
リーゼが得意な魔法は、植物の成長を助け、誘導するものだった。ただし、得意でない系統の魔法が使用できないというわけではない。
中には全く使用できない不得手の系統もあるが、些細な魔法であれば、得意系統の魔法でなくとも使用することはできる。
火の魔法に属する種火の魔法は、その一つだ。
ドラゴン避けのお香に火種を乗せる。
香炉から、爽やかな匂いが立ち上る。
香炉から立ち上った細い煙が、風に流されて天井に向かう。その後は拡散されて視認できない。
ドラゴン避けのお香は、ドラゴンに向かうわけではない。単にドラゴンが嫌がる臭いだというだけで、魔法的な効果は期待できないだろう。
マーベラはまだ戻ってこない。
ヌレミアは、一日の講義が終わった後は必ず図書館に寄る。まだ帰宅してはいないだろう。
リーゼは、ヌレミア自身の得意魔法を知らなかったが、ヌレミアの母は宮廷魔術師として、様々な魔法に長けていると聞いている。その娘が凡庸だという噂を聞いたことがない以上、同世代の中ではかなり魔法に長けていると考えていいだろう。
リーゼは地下への入口を見つめた。再びドラゴン探知の杖を握る。
ドラゴンは移動していない。
階段の先に何があるのかはわからない。
ドラゴン避けのお香も炊いた。
光の聖女カレンと呼ばれる少女は、リーゼを極度に恐れていた。リーゼが何もしていないのに、土下座にも似た態度をとった少女の姿を思い出す。
きっと大丈夫だ。
リーゼは自分に言い聞かせ、マーベラの戻りを待たずに、ドラゴン探知の杖とドラゴン避けのお香を頼りに、女子トイレの奥の個室から地下へ続く階段へ足を踏み出した。
※
ドラゴンを見つけた。
階段を下った先にある、古いが痛んでいるとは思えないしっかりとした扉の前に、中型犬ほどの体躯で長い首と翼をもった、鱗に覆われた魔物がいた。
体を覆う表皮は桃色をしており、顔つきもデフォルメされたかのように愛らしい。
見た目は、ドラゴンであることを除けば可愛いとさえいえる姿だった。
だが、このドラゴンは、光の聖女カレンを守るために現れた。
光の聖女がドラゴンを従えたという評判は、貴族社会でも非常に大きな影響を見せた。
ドラゴンを従えた功績で爵位を与えようという声さえあるのだと、リーゼは聞いていた。
リーゼは、ドラゴンの姿をみた瞬間から、引き返すことを考えていた。
元々、危険を冒すつもりはなかった。
人と争ったこともない。深窓の令嬢だったのだ。
仮に、元々悪役令嬢だったとしても、ドラゴンと一人で争おうとはしないだろう。
待っていれば、マーベラとヌレミアが来る。リーゼは階段の途中で足を止めた。
風が吹いた。
地上の女子トイレの入口を、閉めてこなかっただろうか。
風は、リーゼの背後から下に向かって吹き抜けた。
「誰だ?」
桃色の小型ドラゴンが、体躯と容貌に似つかわしくない、おどろおどろしい声を発した。
「……私よ」
黙っていては、恐れていると思われる。魔獣に対して、恐れていると思われてはいけない。リーゼは、魔獣の生態についての講義を思い出していた。
「……光の聖女を害する愚か者か?」
「そんなつもりはないわ」
「では……ぐはぁっ! なんだこの臭いは!」
桃色のドラゴンが身をよじった。リーゼに吹いた風は、風下のドラゴンに、リーゼの匂いからやや遅れて、ドラゴン避けのお香の匂いを運んだのだ。
『キッシモ、誰かいるの?』
古い扉の向こうから、高く澄んだ声が聞こえてきた。
知っている声とは違った。
リーゼが知っている声は、もっと怯えて、弱弱しかった。
「ああ。客だぜ」
『ラテリア王子?』
扉の向こうにいるのは、カレンだ。知っている声の印象とは違うが、カレンに間違いない。ラテリア王子と勘違いしたことが、リーゼに確信させた。
リーゼは、全身の血が逆流するような衝動を覚えた。
ドラゴンに近づくのは危険だ。だが、一歩を踏み出した。
「私よ!」
『あらっ……いいわ、キッシモ、通して』
「はいよ」
キッシモというのが、目の前のドラゴンの名前なのだろう。
扉を守っていたのは、扉の中に誰も入れないようにするためなのだ。
リーゼが階段を降りる。ドラゴンは、忌々しそうに唾を吐いた。
「その気持ちの悪い臭い、次は止めてくれよ」
ドラゴン避けのお香は、効果がないわけではないのだと、リーゼは知った。キッシモは忌々し気に頭を振っている。
「どうして、ラテリア王子だと思ったの?」
『入ってくれば解るわ』
「入るわよ」
『どうぞ』
リーゼは古い扉に手をかけた。
光の聖女カレンは、ただの平民ではなかったのだろうか。
息を呑み、腕に力を込めた。
扉が開く。
むせかえるような臭いが漏れ出た。
ドラゴン避けどころではない。
リーゼには、何の匂いかわからなかった。
扉を大きく開ける。
真っ暗だ。
何も見えない。
だが、何かがいる。
臭いの正体もわかった。
「……どういうこと?」
部屋の中に、カレンはいた。
むせかえるような匂いは、鉄分を含んだ血の臭いだった。
部屋の中央がくぼみ、揺蕩う大量の血の中に、光の聖女カレンは浮かんでいた。
人間の滅亡予告日まで96日
魔族が滅びるまで106日




