10 公爵令嬢が婚約者の噂を聞く。ドラゴン対策をとること
リーゼは夢を見た。白い世界だった。
全ては白い。だが、初めてきた時とは違い、鮮やかな色彩に溢れた世界でもあることがわかる。
リーゼが近づくと、テーブルで優雅にお茶を傾けていた白く美しい人が微笑んだ。
「そろそろ来る頃だと思っていたわ」
その美しい人は、初めて会った時は性別もわからなかった。今では、女性の姿をしていることに疑いはない。
「来るですって? あなたが呼んでいるのではないのかしら?」
白い女はゆるやかに笑った。
「ひとりの人間を、そう何度も招くことはできないわ。ただ、リーゼが望んだら別ね。あなたは、私に会いたいと望んだの。だから、ここにいるのよ。まあ……本当は、私に会いたかったのではなく、問い質したかった。そうでしょう?」
リーゼは頷いた。
椅子を引き、腰かけた。目の前に、ティーセットが湯気をあげていた。さっきまでは、なにもなかったのだ。
「私はずっと教会に通い、祈りを捧げ続けたわ」
「ええ。よくわかっている」
「でも、あなたがそうだと、どうして信じられるの? 私は……王を呼び捨てにしたわ。それから、全てが変わっていった」
「まだ、あれから3日しか経っていないわよ」
「だからよ。たった3日で、私の大切なものが、全部壊れようとしているみたい」
「素晴らしいわ。そこまでの効果があったなんて。さすが私ね」
「あなたは本当に……人間の味方なの?」
「もちろん。ただし、リーゼの味方かと問われれば、そうとは言いかねるわね。貴女がやらなければ、人間が一人残らず死ぬ。それは事実よ。でも、人間を救ったことでリーゼが幸せになるとは、私は言わなかったわよ」
女は微笑んだ。
リーゼは思い出した。
人間が滅びる日を示された。その10日後に、魔族は全滅するとも言われた。
一人残らず死ぬはずの人間を、死ぬべき日の10日後まで、一人でも多く生かさせることは、リーゼにしかできないと言われたのだ。
だが、その代わり、リーゼは人間たちに疎まれることになるかもしれない。
「……それが、悪役令嬢という存在なのね」
「そう。覚えていてくれて嬉しいわ。大丈夫よ。だんだん、板についてきたわよ」
女の言い方に、リーゼは腹を立てた。
持ち上げたティーカップをやや乱暴にテーブルに置いた時、目が覚めた。
※
リーゼは魔法学園に行くため、毎朝学生寮から登校する。
途中で、ラテリア王子と会うことが多かった。
最近もそれは変わらない。
ラテリア王子は決まった時間に決まった道を通る。それに合わせるのが、リーゼの日課になっていたのだ。あるいは、義務だと感じてさえいた。少なくとも、3日前までは。
この日もリーゼは、決まった時間に登校するために寮を出た。
同じ時間に寮を出た学生たちを見かけては、挨拶を交わす。
だが、その中にラテリア王子の姿はなかった。
昨日も軍議に駆り出されていたのかもしれない。人間の最後の国を担う王の世継ぎだ。まだ学生の身分とはいえ、自由になる時間は少ないだろう。
あるいは、朝から呼び出されているのかもしれない。
重圧に、体調を崩すこともあるだろう。
リーゼはしばらく景色と見知った人たちとの会話を楽しんでから、あえてゆっくりと学園に向かった。
結局、最初の講座が始まるまでラテリア王子の姿はなく、講義が始まってからも顔を合わせる機会はなかった。
昼食時に、リーゼは友人達から良くない噂を聞かされた。
「私の侍女達が噂をしておりました。王宮の警備兵が、下町の連れ込み宿を警備していたらしいです」
マーベラが声を落としながら言った。
「……連れ込み宿ってなんですの?」
リーゼの代わりにだろうか、ミディレアが質問した。
「侍女達が言うには……汚らわしいことをするための場所ですわ」
「まあ! はしたない! マーベラさんは、そのようなことを、よくご存知ですね」
「私が知っているはずがございません。侍女達から聞き出したことでございます」
リーゼはただ食事を楽しんでいた。下世話な話には、聞くだけにして参加しないことにしているのも、公爵家令嬢としての嗜みである。
紛れもなく、リーゼはお高く止まっているのである。リーゼの態度は、むしろ友人たちに望まれてのことだ。
友人たちは話を続けていた。
「では……その下品な場所を、王宮の兵士が利用しているということですの?」
「いいえ。兵士たちは、その宿の周りで警戒をしていたということでした。自分たちが利用していたのなら、中に入るでしょう」
「では……王宮付きの兵士たちに護衛されるような誰かが……そのような場所に行ったということでしょうか。でも、わざわざそんな場所を利用しなくとも、王宮内にはいくらでも部屋がございますでしょう?」
「王宮内のことでしたら、どの部屋のどんな小さな出来事も、侍女達に筒抜けですから」
リーゼは咳払いをした。
「ああ。ごめんなさい。リーゼ様には、あまり興味がない話でしたでしょうか?」
マーベラが頭を下げる。だが、それが謝罪するつもりだからではないことに、リーゼも気づいていた。
「その場所を利用しなければならない人間は誰か。そう仰りたいのでしょう? 例えば……王位の継承権を持つ誰かと、平民の娘とか……」
リーゼはよほど恐ろしい顔付きをしていたのだろう。マーベラは、昨日王子の浮気を指摘した本人であるヌレミアに振った。
「そういえばヌレミアさん、何か成果はありました?」
「ええ。まあ……ここで申し上げて、よろしいでしょうか?」
ヌレミアがリーゼに視線を送る。リーゼはやや迷い、瞳を閉ざしたまま、小さく頷いた。
ヌレミアは報告を始めたが、リーゼが望むようなものではなかった。
「母の魔術を使用すれば、1日の誰の行動でも監視できるのですけど……それは、許してはいただけませんでした。ラテリア王子のことをリーゼ様が心配されているのだと、何度もお願いしたのですが……」
「そう。仕方ないわね」
「でも、代わりに魔道具をいただきました。ドラゴン探知の杖と、ドラゴン避けのお香です」
ヌレミアは、テーブルの上に20センチほどの長さの杖と、掌に乗るような袋を置いた。
「ドラゴン探知の杖ですって? ドラゴンといっても、魔物の一種にすぎないのではないのかしら。どうして、そんなものがあるの?」
リーゼがテーブルに置かれた品に顔を寄せると、マーベラが口添えした。
「小さなドラゴンをカレンが従えているから、ヌレミアが借りてきてくれたのだと思いますが……本来はドラゴンといえば、巨大で強力な魔物です。一体のドラゴンを自在に操れれば、戦況を覆すこともできると言われています。ドラゴンの存在を探知できる専門の魔道具を作るだけの価値はあるでしょう」
マーベラの父は、ゴルシカ王国の大将軍だ。厳つい父に溺愛され、戦場のことは、子守唄がわりに聞いていたはずだ。
「ああ。それでは……むしろ貴重で、大切な品物じゃない。よく貸してくれたわね」
「もう必要とはならない。そんな風に言われました。まだ、ドラゴンを味方につける機会はあるかもしれないとか、敵のドラゴンを探知しなければならない状況になるとか……母は考えていないようです」
リーゼは、ドラゴン探知の杖に伸ばしかけた手を止めた。
人間と魔族の命運をかけた一戦の戦端が開かれたことは、すでにゴルシカ王国全土に知れ渡っている。
だが、既に人間側が大敗したことは、伏せられているのだ。
ヌレミアの母は従軍しなかった。だから王城で生活しているし、宮廷魔術師として戦争の結果は知っている。
その結果は、娘にも知らされていないのだ。
公爵令嬢であるリーゼですら、ラテリア王子を通して人間の敗北を知っただけで、詳細は知らないでいる。
「そう。ヌレミアさんのお母様は、もう使わないと仰ったのね? ドラゴン探知の杖って、他にも何本もあるのではないの?」
「極めて特殊な魔道具ですので、おそらくこの世に一本しかないと聞いています」
「どうして、そんなものを……」
言いかけて、リーゼはその答えをすでに聞いていたことを思い出した。気を取り直して、視線を転ずる。
「では、こちらのドラゴン避けのお香は?」
「ドラゴンが嫌いな匂いを発するお香です。不思議にドラゴンだけが嫌うため、ドラゴン避けと呼ばれていますが、いい香りですよ」
ヌレミアが袋を開けて中身をテーブルに出すと、指先でつまめる程度のサイズの塊が、五つ転がり出た。
「ここに火をつけるのね。香炉を用意したほうがいいわね。私の部屋にあるわ」
「リーゼ様のお部屋のものを使うのはもったいないです。私がご用意します」
黙って聞いていたミディレアが身を乗り出した。
「……では、ドラゴン探知の杖でカレンの居場所を突き止めて……怪しげな場所にいるようだったら、ドラゴン避けのお香を使うということね?」
「はい」
ヌレミアが頷く。二つの品物を用意してきたのはヌレミアだ。リーゼが正しく理解したので、安心したかのようだ。
「それと……できれば、カレンの友達とお近づきになりたいわね。無理やりに言うことをきかせるのではなくて、友好的にこちらに協力させたいわ。魔法学園の平民はカレン1人だと思うし……難しいかしら?」
この場合の『難しい』というのは、カレンには友達が1人もいないのではないかという指摘だ。
ミディレアが自分の胸を抑えて口を開いた。
「私にお任せください。カレンがリーゼ様のご不況を買っていることはみんな知っていますから、生徒たちは距離を取っています。生徒では難しいかもしれません。でも……光の聖女という力をあてにしている教師たちの中には、カレンを擁護しようとしている者たちが何人かいるようです」
「……ミディレアさんは、そのいかがわしい教師たちと親しいの?」
「リーゼ様、私はそのような者たちとは関わり合いはございません。ですが……誘導することはできるのではないでしょうか」
「わかったわ。お願いします。これが上手く行ったら……私にしてほしいことがある?」
リーゼが尋ねると、ミディレアは目を輝かせた。
「あの……生き残る人間のリストというのは、本当にあるのでしょうか?」
リーゼには、即答できなかった。
やや身を引いてマーベラとヌレミアを見ると、2人ともリーゼを見つめている。リーゼの言葉を待っているのだ。
リーゼは嘆息した。
「私は見たことがないわ。でも……『ある』とは聞いたことがあるわね。他言は無用よ。ラテリア王子から口止めされていますもの。ミディレアの望みは、もう聞くまでもないわね。努力はしてみます」
「ありがとうございます」
ミディリアは、まるで使用人のように頭を深々と下げた。
人間の滅亡予告日まで96日
魔族が滅びるまで106日




