一章⑦
7
まず目につくのは、やはりその眩いほどに煌びやかな長い赤髪。琥珀色をした切れ長の目からは強い意志が窺え、穏やかに微笑むその表情は見る者を魅了する。背筋をぴんと伸ばしたその立ち姿は美しく、同時に気品が感じられた。
遠目からでは分かり難かったがブリジット王女はかなり背が高いようで、着席したまま振り返るアリスターは見上げる形で彼女と目を合わせる。
「おいおい立つくらいしようぜアリスター様……」
背後からの声にちらと目だけを遣ると、腰を上げたライルが冷や汗を流していた。つい先刻まで飄々としていたくせして、変わり身の早いやつだ。
「なんだ、王女と話すときは立たんとならんのか。しかし話しかけてきたのは此奴のほうだぞ」
「おまっ……!?」
「構いませんよ」
泡を食うライルとは対照的に、ブリジットは微笑みを浮かべたまま静かに答えた。
が、
「構うに決まってます!」
ブリジットの横に立つ一人の女子生徒――いたく小柄な少女が激昂の声を飛ばしてきた。黒髪を三つ編みにまとめた少女の外見はあまりに幼く、高身長のブリジットと並び立っていることでより未成熟さが強調されている。
そんな少女は顔を真っ赤に染め、まるで子犬が吠えるように言う。
「あなた、姫様に対してなんですその態度! 入学式の時のあのふ、不敬極まりない発言もそうです! この方がどなたか分かってないんですか!?」
「この国の姫だろう。貴様がいま言ったではないか。そうだよなブリジット?」
「よよよ、呼び捨てに……!」
「エミリー、少し落ち着いて。これじゃあお話ができないわ」
ブリジットに割って入られ、少女――エミリーは「は、はい」と押し黙った。ただしその目だけはアリスターを射殺さんばかりに睨み付けている。
邪魔がいなくなったブリジットは改めてアリスターと向き合い、
「こんにちは、ドネアさん。はじめましてと言ったほうがいいでしょうか」
「うむ」
ずっと見上げていることに首が疲れ、アリスターも席を立つ。背の高いブリジットはともかく、横に立つエミリーとは完全に大人と子どもの身長差である。
「こうして言葉をかわせて嬉しいぞ、ブリジット。俺様のほうから出向こうと思っていたんだが、わざわざ参上してくれたこと感謝しよう」
「何様ですかあなたは!」
黙ったはずのエミリーがまたも口を挟んできた。鬱陶しさにアリスターは顔を歪め、言う。
「貴様はブリジットの侍女か?」
「そ、そうですけどっ!?」
「ならば場を弁えろ。貴様の主人はいま、俺様と大変重要な会談をしているのだ」
アリスターの語気に気圧されたのか、エミリーが怯んだように半歩後ずさった。ブリジットは彼女に肩に手を置き、優しく言う。
「大丈夫よエミリー、落ち着いて。ドネアさん、この子はエミリー・ブラウン。昔から私の身の周りのお世話してくれる、大切な友人です」
「覚えておこう。それとだなブリジット、そんなに堅苦しくするな。俺様のことは気軽にアリスター様と呼ぶがいい」
ブリジットを手に入れるためには、彼女との距離を詰める必要がある。良好な人間関係を構築するにあたって呼び名は極めて重要だ。仰々しく姓で呼び合っていては人間関係など縮まるはずもない。
そう思っての提案だったのだが、ブリジットは虚を突かれたように黙りこくってしまった。まるで値踏みするかように彼女の瞳がこちらをじっと見つめてくる。
やがてブリジットは口を開き、
「――それではそろそろ本題に入りましょう、ドネアさん」
「ん?」
変わらぬ呼び名にアリスターが首を傾げる。ひょっとして彼女は耳が遠いのだろうか。
「先ほどは大変熱烈なお言葉をありがとうございます」
「入学式のことか? 礼には及ばん。俺様の本音を伝えたに過ぎん」
野暮なことを言うなと手を振るアリスター。微笑むブリジットの頬がわずかに強張った。
「私、感激しましたわ。本当に心から。ですから私個人としてはなんの問題もないんです。……ただ、周囲の目や声があるのも事実でしょう」
「周囲の目? 声? どういう意味だ」
「この国の王女たる私に対して、不躾にあのような言葉を投げ掛けること。それは万死に値する不敬ではないかと……そんなことを思う国民もいるわけです」
「ずいぶんと物騒な国民がいるものだ」
アリスターはため息を吐く。ライルも似たようなことを言っていたが、どうして凡夫どもはそんなつまらないことを気にするのか。体裁、体面などというものにどんな価値がある。ただえさえ不自由な世界を、何故自ら締め付ける。理解ができない。
「そこで一つ提案があります」
「ほう。許す、言ってみよ」
「はい」
ブリジットはにこりと笑い、告げた。
「ドネアさん、謝ってください」
「あ?」
考えるより先に声が漏れた。ブリジットは構わず続ける。
「いま、この場で、皆さんが見ている前で私に謝ってください。そうすればきっと誤解も解かれ、ドネアさんの学院生活は平穏なものになります」
「それは本気で言っているんだろうな?」
「ええ、もちろん。ただ床に跪き、頭を垂れるだけじゃないですか。それだけですべてが丸く収まるのです」
「そうか。断る」
「……え?」
微笑みに固定されていたブリジットの表情が、驚きに揺れる。水面に浮かんだ小さな波紋のようなそれは、彼女が初めて見せる『感情』に他ならなかった。
「ど、どうしてですかっ。……それともまさか、謝罪する度量すら持ち合わせていないと?」
「ふむ、そうだな。これがブリジット、貴様自身が不快に思ったという理由であれば頭を下げることも吝かではない。だが民衆どもの義憤のために下げる頭など、俺様は持ち合わせていない」
ひゅう、という口笛が背後から聞こえた。振り返らずとも、それがライルのものであることがわかる。
いつのまにかブリジットの顔からは笑みが消え失せ、その目には明確な敵意が灯っていた。
「……では、こうしましょう。私はあなたの非礼極まりない言動を、ひどく不快に思いました。耐えれないほどの屈辱です。ですから謝罪を求めます。さあ、謝ってください」
「はっはっは! ようやく貴様の言葉が聞けた気がするぞブリジット。しかしもう遅い。俺様が気に食わぬのなら初めからそう言えばいいものを、くだらぬお為ごかしを並べおって。そのような者に下げる頭もまた俺様は持ち合わせていない」
「っ……!」
互いの視線を真正面から受け止めながら、表情一つ変えずに対峙するアリスターとブリジット。対照的に彼女の横に立つエミリーは顔を青ざめ、キョロキョロと二人の顔を見回している。
暫しの間を空け、ブリジットは口を開いた。
「わかりました。ではこれで失礼します」
言うや否やブリジットは踵を返し、足早に立ち去る。それに遅れたエミリーが「ひ、姫様~」と半泣きの声を上げながら小走りについていった。
取り残されたアリスターはひとまず着席し直し、いまだ呆然としているライルにも着席を促す。
「どうした。落ち着かんな、座るがいい」
「お、おう……。いや、というか大丈夫なん?」
「なにがだ」
「いやだってアリスター様、お姫様とお近付きになりたいわけだろ? なのにあんな……」
言葉を濁すライル。ふむ、とアリスターは先ほどまでのブリジットとの会話を思い返す。
仮初の微笑みを浮かべてきたブリジットだったが、最終的にその顔に浮かんでいたのは紛れもなく彼女の感情そのものだった。アリスターはいま、彼女の本心と語り合ったのだ。
アリスターは至極満足げに言う。
「あと一歩というところか」
※※※
「姫様待ってくださ~い!
足早に進んでいくブリジットの背中を、エミリー・ブラウンは懸命に追っていた。そんな彼女の声にもブリジットは振り返らず、食堂を抜け、学院正門へつながる舗装路を闊歩していく。
多くの生徒がいまだ食堂で食事中のためか周囲に人影はなく、二人を見咎める者は皆無だ。
「姫様~!」
再び声を張り上げると、ようやくブリジットは立ち止った。その間にエミリーは「はぁはぁ」と息を荒げながら彼女に並ぶ。立ち止った場所はちょうど街路樹のすぐ傍らであり、木陰の涼しさが有難い。
「ねえエミリー」
汗を拭いながら、主人の顔を見上げる。
拭った汗が、一瞬にして冷や汗と化した。
「なんとかしてあいつ、死刑にできないものかしら」
表面だけの笑みを浮かべ、そんなことを言うブリジット。エミリーの背筋が凍る。
「そ、それはさすがに難しいかと……」
「本当? どうしても? 非合法すれすれの方法を使っても?」
「は、はい」
「そっかー」
ブリジットは肩をすくめ、素早く周囲へと目線を遣る。
直後、彼女は傍らの街路樹を蹴った。思い切り、何度も。
「ああムカつくムカつく! なになんなのあいつ! 偉そうにしちゃってさあ! あたし王女よ!? なのになんであんな得体のしれない男に言い負かされないといけないのよ!」
眉を逆立て、一心不乱に街路樹を蹴りつけるブリジット。王女としてあるまじきその姿を、他の何者にも見られるわけにはいかない。エミリーは涙混じりに声を上げる。
「ひ、ひひひ姫様お気を確かに~!」
彼女の想いが届くまでには、少しの時間を要したのだった。
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