四章⑩
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床に手を触れる。絹糸を何層も織り込んだ絨毯の柔らかな感触は、すかわち目の前の光景が幻覚の類ではないことを示していた。
学園から王宮内地下室、その間にある距離や遮蔽物、その他すべての障害を無視した瞬間移動。
自らを襲った事象に対して、アリスターはそう判断する。そうしながら彼の胸中には強い動揺が走っていた。
こんなことが可能なのか?
なんらかの魔術であることは疑いようもない。しかし四色ある系統をどれほど極めればこんな芸当が叶うのか、想像すら出来なかった。
ただ問題は、どうやって? ではなく、誰が? という点だ。
当然ながらアリスターの脳裏に浮かんだ人物はただ一人、メディアをおいて他にいない。
しかし同時に、メディアをもってしてもこんな真似がはたして可能だろうか? という疑問がよぎった。
メディアが魔術を行使する姿は幾度となく見てきた。その膨大な魔力も、磨き上げられた技術も十二分に理解している。彼女こそが最強の魔術師であるとアリスターは信じて疑わない。
それでもなお、アリスターたちを瞬間移動させたこの魔術が、メディアなら出来るとは断言できない自分がいた。
「ねえアリスターくん。ここってアリスターくんの知ってるところなの?」
不意にミアが訊ねてきた。アリスターの先の発言からそう思ったのだろう。
「知ってるというほどではない。昨日、一度だけ案内されただけだ。地理的には、王宮内の地下室になる」
「え」
「ランスロット曰く、かつてメディ……"最悪の魔女"はここを魔術の研究室として使っていたらしい」
「……ええぇ!?」
目を見開き、飛び上がるミア。彼女は目を右往左往させ、慌てるように捲し立てた。
「どど、どうしようアリスターくん! あたしなんかが王宮に上がり込んじゃうなんて、ひょっとしなくても犯罪なんじゃ……!?」
「あたし"なんか"などと自らを卑下するのはよせ。貴様の価値は俺様がよく知っている、誇れ」
「あ、ありがとう……って嬉しいけどそれはいまほしい言葉じゃないかなって!」
ほのかに頬を赤く染めたミアがぽかぽかと叩いてくる。そんな彼女の分かりやすく冷静さを失った姿を見ていると、却ってアリスターのほうが冷静さを取り戻してきた。
まずは状況把握こそが肝要だろう、とアリスターはミアに問う。
「ミアよ、俺様をここまで飛ばしてきたのは貴様の仕業ではないのだな」
「も、もちろん! っていうか、あたしにそんなこと出来っこないし!」
ミアが即答した。この場所がどこかすら分からなかったのであれば当然だろう。
「ここへ飛ぶ直前貴様は、メディの危機を訴えたな。あれはどういう意味だ。貴様はなにを知っている」
メディアの失踪についてなにか掴んでいるのか、という意図での問い。しかしミアが返した答えは、まるで予期していないものだった。
「……あたしね、夢を見たんだ」
「ほう」
「怖い……すごく怖い夢。その夢の最後、ほんの一瞬だけど、メディアちゃんがどこか知らないところで倒れてたの。もう見るからに命の危機ですって状態で」
「具体的には?」
問い質すと、ミアは躊躇いがちに言った。
「……両足がね、千切れてたの」
「それは危機を通り越して死んでいるだろう」
「そ、そうだけど! 普通に考えたらそりゃそうなんだけど、まだ息があることは確かなの! なんでかって訊かれたら困るけど、それは分かったんだ」
強く抗弁するミアだったが、アリスターはそれをほぼ意に介していなかった。
ミアの話はすべて夢での出来事ーーつまりただの戯言だ。現実におけるメディアの失踪とはなんら関わりはなく、そこから有益な情報を得られはしないだろう。
そしてこの場所への瞬間移動についても、彼女はおそらく関係がない。巻き込まれてしまっただけと考えるのが妥当か。
「貴様は普段から自分の夢を信じて行動するのか」
「そういうわけじゃないけど……ってアリスターくん、さては馬鹿にしてるでしょ!」
「いいや。貴様がどんな行動理念を抱こうとも、それは自由だ。好きにするがいい」
答えて、アリスターは腰を上げた。高くなった視界で周囲を観察する。
地下室に二人以外の姿はない。昨日訪れた時と比べて特に大きな変化も見られず、学院からここまで飛ばされた仕組みはやはり不明だ。
「……ん?」
ただ一点、奇妙な違和感があった。
とある箇所から、まるで何かを引きずったような跡が床に敷かれた絨毯に残っている。その痕跡は地下室の出入口へと伸び、扉の向こうまで続いていた。
いつまでもここに留まっていても仕方がない。その痕跡を辿るべくアリスターが出入口へと歩を進めると、ミアもそれに付いてきた。
扉を開けると、そこにあるのは地上へと上る階段だ。これを上れば、昨日レイリーをねじ伏せた応接間に繋がるはず。
「あれここって……」
背後からミアの呟きが聞こえた。が、アリスターの耳にそれは入らない。
彼の全意識は前方の階段ーーその中腹ほどにうつ伏せで横たわる人物に割かれていた。
地面を蹴ると同時に叫ぶ。
「メディ!」
そこにあったのは膝から下の両足を失いながら、一滴の血も流していないメディアの姿だった。
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