四章⑥
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さてどうするか。
エドワードとの距離を詰めながらアリスターは、戦術を組み立てようとしていた。
エドワードが有する二色の組み合わせをアリスターは知らない。ブリジットに確認すれば答えは分かっただろうが、そうしようとは思わなかった。理由は明瞭で、そのほうが面白いと思っただけのことだ。
赤色魔術により強化されたブリジットに殴られて無事である以上、二色のうち一つは赤色で間違いないだろう。残る一つが何色かによって、エドワードが取ってくる戦術は大きく変わってくる。
「暴力で解決するのは私の主義に反するところですが……こうなってしまっては致し方ありませんな」
こちらに向かって歩き出したエドワードが静かに言った。その動きには一切の気負いも、慢心も宿ってはいない。
「ふはははっ。そうつれないことを言うな。俺様は貴様の技量で楽しませてもらうつもりだぞ」
「……愚かな」
エドワードが小さく呟くーーその声がはっきりと耳に届くほどに二人の距離は縮まっていた。
「闘争とは目的を果たす手段に過ぎない。その手段に愉悦を見出すなど、愚の骨頂。それすら分からないとは、才能ゆえの傲慢さか」
「傲慢か。せめて強欲と言ってほしいものだな」
にぃ、と笑みを深めるアリスター。そんな彼とエドワードが地面を強く蹴ったのは全く同時だった。
まず感じたのは腕を襲った衝撃。両腕を胸の前で組み体当たりにいったアリスターと、同じく体当たりを仕掛けてきたエドワード、両者の腕が正面からぶつかったのだ。
衝撃にわずか遅れ、衝突音がアリスターの鼓膜を叩く。人体から発せられたとは思えないほどの轟音が花園を駆け巡った。
押し合いながらアリスターは、すぐ眼前に在るエドワードの表情を垣間見る。
眉一つ動かすことのない無表情。それでいて彼は、アリスターの膂力を受け止めていた。
ーー面白い!
さらに魔力を練り上げ、その全てを赤色魔術に集中。エドワードを押し込む腕を最大強化する。
「おおおぉッ!」
咆哮一閃。アリスターの膂力に耐え切れず、半ば自ら飛び退るようにエドワードの身体が吹き飛んだ。
やはりな、とアリスターは確信する。アリスターとエドワード、仮に両者の赤色魔術が同程度だとしても、強化対象である肉体には明確な差がある。
齢六十に迫ろうかというエドワードの老体と、まだ十五なれど鍛え抜かれたアリスターの筋骨。同じ魔力を注いだとして、より強靭となるのはどちらか。それは火を見るより明らかだ。
吹き飛んだエドワードに、アリスターは追撃の手を緩めない。空いた距離を一瞬にして詰め、握り締めた拳を振るう。
その拳がエドワードの顔面を捉える直前、
「ーーなるほど」という彼の呟きをアリスターは確かに聞いた。
次の瞬間、エドワードが消えた。
「……ッ!?」
一瞬前まで視界の中央に立っていた者の消失。その異常事態にアリスターは、拳を空振った体勢のまま固まった。なにが起きたのか状況把握のために思考だけが高速回転する。
その思考を切り裂く声。
「なに止まってんのバカ! 横よ!」
「っ!」
ブリジットの声に反応し、目を向けるよりも先に交差させた両腕を顔の右横に構えるアリスター。それにわずか遅れ、衝撃が両腕を貫いた。
あまりの威力にその場に踏みとどまることすら叶わず、アリスターの身体が花園の芝生を転がる。
楓の木に背中から勢いよくぶつかり、ようやくアリスターは止まった。膝立ちに起き上がり、吹き飛んできた方向へと顔を向ける。揺れる視界の中、こちらに向かって歩み寄ってくるエドワードと目が合った。
「殿下の援護があったとはいえ、悪くない反応だ」
「貴様、いまなにをした」
エドワードの姿を見失ったあの瞬間、アリスターは動体視力の強化をしていなかった。その分の魔力を右拳の強化に充てがったわけだが、それはなにも慢心ゆえの暴走ではない。
後方へ着地したエドワードの両足は完全に地面を噛み、体重も深く乗っていた。衝撃を吸収するため膝は大きく曲がり、そこから次の一歩を踏み出すには、重心を上げる一手間を絶対に要する。
赤色魔術により強化をしたとしても、そこにあるのは人間の肉体に過ぎない。関節を逆方向に曲げることも出来なければ、溜める動作なく高く跳ぶことも出来ない。
そのはずだった。
「貴様の体勢は不十分で、機敏に動けるはずがなかった。が、現実はこうだ。どうしたらあのように動ける?」
あの瞬間エドワードは、アリスターの想像を超える動きを見せた。状況がそれを如実に物語っている。
そのことに悔しさはなかった。ただ知りたく、そして自らもやってみせたい。その一心でアリスターの口は動いていた。
「知りたいかね」
「ああ、知りたい」
一切の躊躇いなく頷く。
エドワードは虚を衝かれたように眉をぴくりと動かした後、言った。
「ならばその目と頭、両方を働かせてみることだ」
エドワードの身体が宙を翔けた。
赤色魔術による身体強化ーーだけではない。その速度は正面衝突の際に彼が見せたそれを遥かに上回り、強化したアリスターの動体視力をもってしても追い切れないものだった。
超高速の突撃。その勢いを乗せた拳をエドワードが振るう。
直撃すれば怪我ではすまないその一撃を、アリスターは顔面すれすれのところでかろうじて躱した。
直後に響いた轟音は、エドワードの拳が楓の木を貫いた音だ。アリスターの背中を受け止めた大樹が、素手による一撃であっけなく崩れていく。
まずいな、とアリスターの背中を汗が流れた。
すんでのところでエドワードの拳を躱したアリスターだが、その体勢は完全に崩れている。手を伸ばせば互いに触れられるこの距離で、いまの脅威的な膂力を振るわれれば抵抗する術がない。
生まれて初めて意識する『死』。それは恐怖する間も無く彼の身体を駆け巡った。
が、追撃は来ない。
「あ?」
不完全な体勢のアリスターを前にエドワードは、むしろ距離を取っていた。後方へ大きく飛び退り、魔力を練り上げている。
どういうつもりだ?
アリスターの反撃を恐れたのか。それともまさか手心を加えたとでもいうのか。
脳裏をよぎったその考えを、しかしアリスターは破棄した。俺様をこれほど苦しめる男が、そのようなつまらぬ真似をするはすがない! と。
代わりに浮かんだのは、一つの可能性だ。赤色の他にエドワードが有するもう一色の属性。そして彼自身が直前に発した言葉。
そうした至った一つの仮説。その内容にアリスターは我ながら驚嘆した。もしもこの仮説が真実であれば、エドワードの魔術師としての技量はアリスターの想像をはるかに超えている。
「なるほど……そういうことか、貴様」
思わず顔が歪む。口角と共に頬が吊り上がるその表情は、紛れもない笑顔だった。
「なにが楽しいのかね」
「貴様が化け物であってくれることがだ」
眉根を寄せるエドワードにアリスターは続けて言った。
「貴様の二色の内訳は赤色と、そして『制御』を司る黄色だろう。貴様はその二色を同時に発動し、自らの肉体を強化し、さらに制御を加えている」
エドワードは無言のままだ。しかしその表情には、かすかに驚愕の色が浮かんでいた。
不完全な体勢からアリスターの視界から外れた動き。あれは黄色魔術で自らの身体を制御し、真横へ飛ばしたのだろう。目を瞠るべきはその速度だ。自らの肉体とはいえあれほどの速度で制御できるということは、エドワードは赤色だけでなく黄色魔術についても高い次元にあることを意味した。
そしてその後に見せた超高速の動きこそが、特筆すべき彼の能力だろう。
エドワードは赤色魔術で強化した脚力に、黄色魔術による加速を上乗せしていたのだ。木を貫いた拳の威力は、その速度向上に応じたもの。
つまり単純な膂力ーー互いに掴み合った状態などでは、その能力は発揮されない。だから彼はいまの場面、アリスターから距離を取ったのだ。
「どうした。違うのならばそう言え。勿体ぶるな」
「……ふっ」
それまで無言を保っていたエドワードの口から息が漏れた。彼は言う。
「さすがは四色魔術師といったところか。その目は確かなようだ。だが、それが分かったところでどうする? それで私の動きに付いていけるわけではない」
「そうでもないさ」
「……なに?」
「タネが分かれば、俺様もそれに倣うだけだ。貴様に出来ることが、俺様に出来ないはずがないだろう」
臆面もなく言い放つ。挑発でもなんでもなく、アリスターの本心からの言葉だった。
エドワードはそれを受け、
「……ふっ、ふはははっーーやってみろ小僧が!」
その顔に初めて激情を浮かべた。
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