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三章⑤

5

「ちょっとあんた! どこほっつき歩いてたのよ」

 ランスロットとの会談を終えて元の控え室へ戻ったアリスターを出迎えたのは、ブリジットの怒気を含んだ声だった。

 傍には例のようにエミリー・ブラウンが控えているのだが、何故だかその目線はアリスターとブリジットの間をきょろきょろと右往左往している。ほんの微かに頬も紅潮しており、熱でもあるのだろうか。

 会談についてこの場で明かすわけにもいかず、不本意ながらアリスターは言い繕うことにした。

「少し待っていたが着替えが届けられなくてな。仕方なく貴様らを探そうかと部屋を出て、迷った」

「はあ? 着替えを運んでくれた使用人に聞いたけど、あたしたちが別室に向かったすぐ後に運んだって言ってわ」

 部屋の中を見れば、着替えらしき礼服一式がテーブルに置かれてあった。アリスターとレイリーが去った後、運んできた使用人が置いたのだろう。

「入れ違いになったわけか。まあそういうこともある、気にするな」

「気にするもなにもーーって、なにその傷」

 ブリジットがアリスターの額を指差す。そこはレイリーから脛当て付きの蹴りを喰らった箇所であり、出血こそ止まっていたものの、わずかに赤く腫れていた。

 当然、これも真実を告げるわけにはいかない。

「迷っている最中、柱にぶつけた傷だ」

「え、怖。そんな腫れるほど強く柱にぶつかるとか、あり得る? なにあんた廊下走り回ってたの?」

 白い目を向けてくるブリジットに、アリスターはさらなる嘘を重ねる。

「下を見ながら歩いていたのが良くなかったな。なにせ貴様らーー特にエミリー、貴様は注意せねば見落としかねないほどに小さいからな」

 そう言ってエミリーを指差すと、彼女は憤慨した様子で、

「い、いくらなんでもそこまでチビじゃありません!」

 と、頬を膨らませる。言動とは裏腹に、その様子は実に小動物らしい。

「さて、では着替えるか」

 テーブルへと歩み寄ったアリスターは躊躇なく身に着けていた魔術学院の上着を脱ぐと、ソファへと放った。そのまま中のシャツまで脱ぎ、その上半身を露わにする。

 きゃあ! という悲鳴が室内に響いた。

「なんだ騒々しい」

 アリスターが眉根を寄せると、代表してブリジットが頬を赤らめながら上げた。

「あ、あんたなに突然脱ぎ始めてるのよ!?」

「脱がねば着られまい。知らんのか、着替えとはそういうーー」

「まだあたしたちがいるでしょうが! 淑女の前でいきなり露出するなんて、この変態っ!」

 口角泡を飛ばして抗議するブリジット。その隣では、両手で目を覆ったエミリーがブンブンと激しく頷いていた。……両手が開いているため、指の隙間からこちらを凝視する彼女の目が覗いている。

 やれやれ、とアリスターはため息混じりに首を振った。

 先ほどもそうだったが、どうやら彼女たちは異性の裸体に対して少々敏感すぎるようだ。狭いアパートメントでメディアと暮らすアリスターにとって着替えとは、誰かに見られて当然のものであり、羞恥を覚えるようなものではないというのに。

「ならば部屋の外で待っていればよかろう」

「っ……言われなくてもそうするわよバーカ!」

 ブリジットは捨て台詞のように言い残すと、エミリーの手を取り、扉を壊す勢いで部屋から出ていった。

 とても淑女らしからぬ立ち居振る舞いに呆然とするアリスターだったが、すぐに着替えを再開する。

 一方その頭の中では、先ほど得た情報について考えを巡らせていた。

 アリアドネ・スター。最悪の魔女の本名としてランスロットは、その名を口にした。

 これはどういうことか。考えられる可能性は多くない。

 そもそも最悪の魔女は、王宮により処刑されたことになっている。いくら田舎の農村へ疎開したといっても、その死者の名で生活すればなにかしらの支障が生まれる恐れもあった。

 そのために彼女は、メディア・スターという新たな名を自らに冠したのでは?

 ただその場合、肖像画に描かれていた姿との差異が気にかかる。あの絵に描かれた女性は、顔の造形に留まらず、体格ごといまのメディアとはまるで別人だった。これも魔術によるものなのか。

 ただ、一つだけ確かなこともある。それは、メディアが嘘をついている可能性だけはない、ということだ。

 彼女が魔術を行使する場面は幾度となく見てきた。メディアが四色魔術師であることに疑いはなく、それは彼女が最悪の魔女であることの明確な証左だ。

「……うむ」

 黒を基調とした礼服へと着替えを済ませたアリスターが、自らの首から下を眺め、思わず唸った。

 姿見でもあれば一目瞭然なはずだが、我ながら完璧なまでに似合っていた。急遽用意されたということは既製品のはずだが、もはやアリスターのために意匠されたとしか思えないほどに。

 と、そこで部屋の外に人を待たせていたことを思い出し、「もういい、入れ」と声掛けた。

 するとまたも勢いよく扉は開け放たれ、柳眉を逆立てたブリジットが怒鳴り込んできた。

「遅い! どんっっっだけ着替えに手間掛かるのよ、あんたは!」

「ほう」

 そこまで手間取った自覚はなかったが、メディアについて思わず考え込んでしまったのだろう。

「そうか。許せ」

「本当あんた、ところ構わず偉そうにするわね……。さすがに慣れてきたわ」

 ブリジットが辟易したように言う。

 そんな彼女の手には小型の鞄が携えられていた。部屋を出た時にはなかったはずのそれは、小物入れだろうか。

「それはなんだ」

「あ、そうそう。ほら、そこ座りなさい」

 ソファを指差すブリジットの意図が分からずアリスターが突っ立っていると、彼女は「いいから」と彼の袖口を掴んで強引に座らせた。

「おいどういうつもりだ」

 正面に立つブリジットを非難すべく、睨みつける。着席している関係から、アリスターが彼女を見上げる形だ。

 ブリジットはニヤリと唇を歪めた。

「ふーん。なるほど、なるほど。あんたを見下ろすっていうのはこんな気分なのね。悪くない気分だわ」

 言いながらブリジットが、手に携えていた鞄から一本の小筆を取り出した。

 筆による悪戯。それに思い至り、アリスターは失望のため息をつく。

「落書きごときではしゃぐとは……、哀れなほどに幼稚だな貴様」

「ぶん殴るわよ。そうじゃなくて、あんたに悪目立ちされると連れてきたあたしが恥かくの。だから、それちょっと消すわ」

 ブリジットがアリスターの額を指差す。それ、とは蹴られたことによる腫れのことだろう。

「……治癒魔術か?」

 赤色魔術により治癒力を高めることは確かに可能だ。とはいえ、打撲による腫れを一瞬で治すなどアリスターにも叶わぬ芸当であり、まさかブリジットにはそれが出来るというのだろうか。

 ブリジットは筆先に、これも小物入れから取り出した薄橙色の粉を付けながら答えた。

「んな訳ないでしょ。そうじゃなくて、肌の赤みを化粧で見えなくするだけよ

 ブリジットの握る筆が、アリスターの額にそっと触れる。筆先に付けた薄橙色の粉を、額に塗りつけているのだ。

「お、おい。くすぐったいぞ」

「はい動かない。手元が狂うでしょうが」

 抗議の声も無視し、筆を動かし続けるブリジット。されるがままのアリスターだったが、ふと、その目線が眼前に立つブリジットへと向かう。

 着席するアリスターの額に目線を合わせるため、彼女は前屈みの姿勢を取っていた。それにより、アリスターの位置から目線を下ろすと、ちょうど彼女の胸元を覗き込む形となりーー、

「……ちっ」

 小さく舌打ちし、アリスターは目を閉じた。視界が暗闇に覆われる。

「なによ」

「なんでもない。そういえば、エミリーはどうした」

 暗闇のなか訊ねるとブリジットは少しの間を空けた後、ゴニョゴニョといつになく口ごもった様子で、

「……あー、エミリーなら部屋の外で待ってる。けど、うん、気にしないで。あの子ったらとんでもない勘違いしてて、それで妙な気を遣ってる……みたい」

「勘違い? それはどういう」

「い、いいから! 後でしっかり言い聞かしておくから、あんたは気にしない! いいわね!?」

 ブリジットの有無を許さぬ強い語気に、アリスターも口を噤むほかなかった。

 それからしばらくはお互い無言のまま、ブリジットが筆を動かす微かな音だけが部屋に流れた。

 額を塗り終えた筆が、今度はアリスターの頬へと伸びてきた。思わず口を挟む。

「額以外、特に傷はないだろう」

「一箇所塗ったら、他の部分にも塗らないと逆に目立つのよ。いいから、じっとしてる」

 そうしてまたも流れる静寂の時間。それを破ったのは「ふふっ」というブリジットの笑い声だ。

「なにか可笑しかったか?」

「あ、ごめん。昔のことをつい思い出しちゃって。昔、こうやってママにお化粧してもらったなぁって。それがいまは、あたしがお化粧してあげてるんだもん。それもまさか、男相手に」

 ブリジットの声は、遥か遠くの記憶を懐かしむようでありながら、どこか寂しげにも聞こえた。アリスターは閉じていた目を開け、彼女の目を見ながら訊ねる。

「ママとは王妃のことか」

「……ううん、違う」

 ブリジットが首を振った。やがて彼女は小さく息を吐き、言った。

「あんたには言っといたほうがいいわね。あたしは王妃のーー国王の正室の娘じゃないのよ。国王がまだ王子だった頃、戦地で作った愛人の娘。だから王室内の立場も、まあ酷いものでねーー」

 そうしてアリスターは、ブリジットの今日に至るまでの物語を知ることになるのだった。


ご愛読ありがとうございます。

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