一章④
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階段を下り着いた先に待っていたのは一人の女性教諭だった。まだ年齢は二十代前半の若手教諭と思しきその顔には大きな丸眼鏡が掛けられてあり、個人的にはあまり似合っているとは思えない。
「あ、あああなたがアリスターくん!? どどどうもはじめまして私は担任のセシル・スチュアートでしゅ……!」
「まず落ち着こうセシル教諭」
盛大に噛み倒しながら頭を下げるセシル教諭の姿は、見ているこちらが心配になるほどであった。
「そ、そうですね。こういう時は深呼吸です。深呼吸さえしていれば人間死なないので……!」
「いや生きるためにはもう少し必要なことがあるだろう」
すーはー、すーはーと大きく胸を上下させるセシル教諭。童顔とは不似合いに豊かな胸部が目の前で強調され、自然とアリスターは目を逸らした。
「はい、もう大丈夫です! それじゃあ教室に行きましょうアリスターくん! みんな待ってますよー」
「みんな?」
「もちろんクラスメイトのみんな、ですよ! アリスターくん入学早々目立っちゃいましたからねー。もうみんなアリスターくんの噂で持ち切りです」
「ほう」
噂の内容はさておき、アリスターの存在は同級生たちの間で広まったらしい。悪名は無名に勝る。いや悪名かは知らないが。
セシル教諭と並び歩く形で学院内を進んでいくと、やがて煉瓦造りの高い建物へと着いた。学院長室からも確認できたそれは新入生用の校舎だ。
校舎へと足を踏み入れ、廊下を進む。廊下端にある一室の前でセシル教諭が足を止めた。
「ここが講義室か」
「そうですよー。さ、入って入って」
促されるまま扉を開け、入室する。
「……っ!」
ギョロ、という音が聞こえた気さえした。
講義室は階段式になっており、アリスターが立つ教壇に対して生徒たちが着席している講義机は高所にある。最後方の席にいたっては二階ほどの高さがあった。
室内にいる生徒の数は、アリスターを除けば三十九人。つまり七十八の瞳が一斉にアリスターへと降り注ぐ。
文字通り注目の的となったアリスターは不敵に笑い、
「俺の名はアリスター。アリスター・ドネアだ。俺に興味を持ってくれているようでなにより。俺もお前たちに興味がある」
「ひえっ」
横に立つセシル教諭から飛んできた悲鳴にも近い声を無視し、彼は挨拶を締めた。
「だから俺に失望されぬよう、精々励め」
講義室中の皆がぽかんと口を開き、呆ける。アリスターの強烈過ぎる個性に、魅了されたのだろう。彼はうんうんと満足げに頷いた。
「それでセシル教諭、俺の席は?」
「へ……? あ、えーと、アリスターくんの席は中央最後列ですけど……」
「了解した」
聞き終え、アリスターは自らの席へと向かう。一歩踏み出す度にクラスメイトたちの目線もまた動いた。
衆目を集めながらアリスターは、形容し難い心地良さを覚えていた。なるほど俺は注目を浴びることが好きなのだな、と自己分析を深める。
講義机は大の男の背丈ほどに横幅のある長机となっており、その机に二名の生徒が横並びに着席する形だ。セシル教諭に示された中央最後列――アリスターの席にも一人の女子生徒がすでに着席しており、そしてその顔を彼は知っていた。
着席しながら、声を掛ける。
「ほう。先刻ぶりだな」
「あ、覚えててくれた」
横に座る女子生徒、それは入学式の際アリスターの隣に立っていた少女に他ならなかった。思えば彼女のおかげでブリジット王女という貴重な情報を早々に手に入れることができたのだ。
「当然だ。貴様には感謝している」
「いや貴様て。言葉遣いが独特だなぁ」
女子生徒は座ったまま半身をこちらへ向け、
「あたし、ミア。ミア・ブーケドール。これからよろしくね、アリスターくん!」
「うむ。これからよろしくしてやろう、ミア」
アリスターが鷹揚と頷く。入学初日にして配下を得た満足感が胸中にあふれる想いだった。
一方ミアは虚を突かれたように一瞬硬直した後、「あはは……」と乾いた笑みを浮かべる。
「あの、アリスターくん? 一つ訊いてもいい?」
「許す。なにが知りたい」
「その俺様キャラって天然? それとも実はつっこみ待ちのウケ狙いだったりする?」
ふむ、とアリスターは片手をあごに添え、思案した。質問には答えてやりたいが、そもそも問い掛けの意味が分からなかった。
「俺様、などという一人称を使った覚えはないが……」
ミアが椅子から滑り落ちた。器用な真似をするやつだ、と感心する。
「一人称の話じゃなくて! なんというかその……態度の問題? アリスターくんってば威風堂々とし過ぎてもはや傲岸不遜な感じだからさ。それが天然なのかなーって」
「よく分からんが、堂々と振る舞うことに過度も不足もあるまい。これが俺だ」
「……あ~、なるほど。つまりド天然なわけね」
納得したように頷くミア。経緯はさておき、配下の疑問を解消できたらしい。
満足感を覚えると同時に、アリスターは一つの単語を口の中で転がした。
――俺様、か。
その響きにアリスターの胸はときめき、心が躍る。現在そして未来において光り輝く存在となる自分に相応しい……否、自分のみがこの一人称には相応しいと確信する。
「ふはは。礼を言うぞミア」
「え、なに急に。ていうかいきなり呼び捨て」
「貴様のおかげで俺様はまた一つ、完璧な存在へと近付いた!」
「……あんまり聞いたことが感謝の言葉、どういたしまして」
呆気に取られながら、絞り出すようにミアが言った。心なしか先ほどまでより距離を感じるが、きっと気のせいだろう。
教壇に目線を下ろすと、セシル教諭が今後の教育課程について説明を始めていた。
「こ、こほん。えっと、それでは改めてみなさん入学おめでとうございます! これからみなさんは六年間、魔術について学術的・実践的な勉強をすることになります。あ、もちろんそれ以外のことも勉強してもらいますからね。社会で生きるには魔術以外にもたくさん大事なことはありますから! 常識とか礼儀とか社会性とか」
ちらちらとこちらに目線を遣りながらセシル教諭が言う。いくらアリスターの存在感が別格に強いとはいえ、教師たるもの生徒たちには平等に接すべきだ。やはり彼女はまだ教師として未熟なのかもしれない。
そのセシル教諭はさらに細かい説明を続けるが、アリスターはそれを聞き流しながら思案に耽っていた。
六年に及ぶ学院での教育、その目的は優秀な魔術師を育成することだ。そしてその課程のなかで特に優秀な成績を残した者は、魔術師によって編成された部隊である魔軍の将校として迎え入れられる。
そうなればこの国の中枢へと潜り込むことができ、アリスターの目的である国家転覆への筋道も見えてくる。
だがあるいは、事はもっと早く成就するかもしれない。
ブリジット・ヴェルランド。王国第三王女だという彼女に近付くことが出来れば、六年もの時間を浪費することもない。
最速最短でこの国を転覆させることができる。
この講義室に彼女の姿は見えない。おそらくはクラスが違うのだろう。遠目に見たその眩いほどの赤髪を思い浮かべながらアリスターは心中で誓う。
――絶対に手に入れて見せる。
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