二章⑩
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そして迎えた放課後。アリスターはミアと二人で帰路に着いていた。教室から出る際にライルが声を掛けてきたが、ミアとの先約があることを告げると「刺されない程度に頑張れ」と肩を叩いてきた。
刺されるとは、ミアにということだろうか。彼女にはそんな凶暴性があり、それをライルは知っているのか。それともまさかアリスターの計画に気付き、警告しているのではないだろうな。
真意を問い質そうかとも思ったが、ミアに背中を押される形で促され、それは叶わなかった。ライルを問い質すのは明日にしよう。
「たしかアリスターくんって、入学きっかけで王都に引っ越してきたんだよね」
「うむ。よく覚えていたな、褒めてやろう」
「わーい」
ひどく間延びした棒読みで喜びを表現するミア。なんと独特な感情表現をするやつだと驚愕するアリスターだった。
彼女は一歩前へと出てこちらを振り返り、後ろ歩きをしながら言った。
「それじゃあ王都の街並みには、まだそんなに詳しくなかったり?」
「まあ、そうだな。食料品の買い出しのために市場へ出ることはあるが、あとは家から学院までの道くらいしか知らん」
「ふーん。へえー。そうなんだー」
にやにやとした笑みを浮かべながらミアが何度も頷いてみせる。その意図は分からないが、愉快な気分でないことは確かだ。
「なんだその顔は」
「いやぁ。こんな小さなことでもさ、あたしがアリスターくんに勝ってるところを見つけられて嬉しいなって。あたしは生まれも育ちも王都だから、道だけは詳しいんだ」
道について詳しいか否かが勝ち負けに値するのか、アリスターは判断に迷ったものの、わざわざ否定することでもない。
「ならば、いつか案内してもらおうか」
代わりにそう言うと、今度は素直な笑顔を浮かべ、ミアは頷いたのだった。
王都の中心部を抜け、さらに歩を進めていく。郊外へと出る手前、大通りから一本道を外れ、日の当たらぬ裏通りへと踏み入れたところでミアが声を上げた。
「え、そっち!?」
「なにか問題あるか?」
「問題っていうか、その……」
ここから先の一帯をなんと呼ぶか、それくらいはアリスターも承知していた。だからこそ、彼はミアを安心させるべく穏やかに語り掛ける。
「安心しろ。貧すれば鈍するとは言うが、わざわざ獅子に噛みついてくる鼠などおらん」
「鼠がいることは否定しないんだ……」
と言いながら、ミアはアリスターの後についてくる。アリスターの袖を指先で掴み、ぴたりと身体を寄せながら歩く様子はいつもの彼女らしくない気弱さが窺えた。
ここは貧民街。王都において最も治安が悪いとされている場所であり、アリスター自身もつい昨夜、とある襲撃場面に出くわしたばかりだ。
昼とはいえそんな場所を闊歩することにミアは不安を感じているのだろう。アリスターには到底共感できない感情である。
「えーと、もしかしてアリスターくんのお家って……?」
「貧民街のアパートメントだな」
「……ですよねー」
しばらくの間、二人は無言のまま歩を進めていった。途中で一人の男とすれ違った際、ミアの身体がほんの少し強張るのを感じ、アリスターは彼女の手を取った。
一瞬、ミアの身体がびくっと震える。が、すぐに彼女はアリスターの手を握り返してきた。二人は手を繋いだまま歩き続ける。
「アリスターくんのご両親ってさ、なにをやってるの?」
不意にミアが訊ねてきた。アリスターはすぐに答える。
「俺様に両親はいない」
「え」
「……いや、こうして誕生しているのだから、生物学的な両親はいるか。ただ少なくとも、俺様の記憶にそやつらが存在していないのは確かだ」
「それってつまり……孤児ってこと?」
問い掛けに首肯すると、ミアは「ごめん」と謝ってきた。
「どうして謝る」
「どうして、って言われても……。あたしが謝りたいと思ったから?」
なるほど、それは十分な理由といえた。
「べつに気にするな。両親はいなくとも、家族ならいるぞ。育ての親だがな」
「ひょっとしてその人が、アリスターくんの魔術の先生?」
「うむ」
「……そっか」
ミアが小さく息を吐いた。彼女は少しの間を空け、
「あたしの両親はさ、ずっと王都でパン屋をやってるんだ」
「という話だったな」
「それでさ、二人とも魔術の才能なんてこれっぽちもないんだ。それどころか家系を代々辿っていっても、一人として魔術師なんていない、完全に一般人の血筋なの」
「ほう。さぞ両親は喜んだことだろう」
この国において魔術師は特権階級とも呼べる地位を有している。その可能性を持つというだけで、ミアは稀有な人材といえた。そのような娘を授かった両親にとって、彼女は誇り以外の何物でもないはず。
そう思ってのアリスターの発言だったのだが、
「……んー、だったらいいんだけどね」
「違うのか」
「まあ、うん。残念ながら。アリスターくんはきっと知らないと思うけど、この国のみんなが魔術師のことを尊敬してるわけじゃないんだ」
「ほう」
「魔術師はいろいろな意味で優遇されている。国の富みを独占して、実質的に支配をしている――なんて考えを持つ人も、一定数いるんだなこれが」
ミアの言葉は的を射ていた。たしかに魔術師はその他の国民に比べ圧倒的に高い収入と地位を与えられている。国家運営を決定するのも王室と一部の魔軍将校であり、特権階級であることに疑いはない。
が、
「力ある者が恩恵を得るのは、自然の摂理だろう」
「うん、そう。きっとみんな分かっているんだ。この国が独立を保っていられるのも、だれでも綺麗な水が飲めるのも、魔術師のおかげだってことは。だから魔術師は優遇される。頭では理解している」
静かに、ゆっくりと、まるで自らに言い聞かせるようにミアは言葉を紡いでいった。アリスターはそれにじっと耳を傾ける。
「だけど、魔術の才能は先天的なものだから。どれだけ強く望んでも、努力を重ねても、才能を持たずに生まれた人は絶対に魔術師にはなれない。つまり生まれたその瞬間に、優れた人材にはなれないことが決まっちゃうんだよ」
ミアの足が止まった。俯く彼女の表情が見えない。
「……それは、やっぱり辛いよ」
ふむ、とアリスターは考える。ミアの主張に大きな誤謬はない。それも一つの物の見方ではあるのだろう。
ただ彼女の言葉のなかには、一つだけ明確に訂正すべき箇所があった。
「ミア、貴様の両親は魔術師ではないのだったな」
「え、う、うん。そうだけど」
「しかし貴様の両親が作ったパンは美味かった。本当に美味かった。あれほど美味いパンを焼ける人間が、優れていないはずがない」
ミアが顔を上げた。驚きに見開いた彼女の瞳に、アリスターの確信に満ちた顔が映り込む。
「魔術師であろうとなかろうと、そんなものは関係ない。貴様の両親は間違いなく、俺様にとって優れた人材だ」
――ぷっ、と。
驚きに固まっていたミアの口から笑い声が漏れた。
「あはっ、あははは! なにそれ! 全然、あたしが言ってることと全然違うじゃん! あはははっ」
そのまま笑い続けたミアはやがて息を整え、「あー、面白っ」と目尻を拭った。
「どこが笑うところだったのか、俺様には理解できないのだが」
「ごめん、ごめん。こっちが勝手に面白がっただけだからさ、気にしないで」
ミアがそう言って、再び歩き出した。繋いだままの手を引かれ、アリスターも歩を進める。
「やっぱりアリスターくんは、アリスターくんだなぁって思っただけ」
振り返ったミアの顔に浮かぶ笑みは、これ以上なく晴れやかなものだった。
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