二章⑧
8
「さて、どうする」
花園から校舎へと戻り、廊下を進みながら誰にともなく呟く。
あてにしていた昼食にありつけず、確かな空腹をアリスターは覚えていた。持参した糧食もなく、そして食堂を利用するような金などない。また一度約束を撤回した以上、いまさらライルのもとへ行くのはさすがに不義理に過ぎるだろう。
「……まあ一食ごとき、か」
王都へ越してくる前、国境付近の農村に住んでいた頃は作物の出来不出来が食卓事情に直結し、不作の年であれば二、三日なにも食べないことなどざらにあった。当時を思えば、昼食を取らない程度もはや誤差だ。
昼休みが終わるまでまだ時間はあるものの、他に行くあてもなく教室へ戻ることにした。
昼休みの喧噪を横目に廊下を進み、目的地である教室へと到着。その扉を開ける。
まだほとんどの学生が食堂や花園といった場所で食事を取っている時間帯であり、教室内にクラスメイトの姿はなかった。
ただ一人、教室最後列――アリスターの隣席に座るミアを除いて。
「あ、アリスターくんっ!?」
自席で白パンを頬張っていたミアが驚きに目を丸め、声を上げた。口元を手で覆いながら、咀嚼していたパンを慌てて飲み込もうとしている。アリスターは教室内を進み、彼女の隣である自席へと腰を下ろした。
「落ち着け。せっかくのパンがのどに詰まるぞ」
「むぐっ! な、なんでもう戻ってきたの?」
「なんでもなにも、俺様が自分の席に戻る理由がいるのか」
「でもお昼ご飯は――」
ぐぅ、と。ミアの言葉を遮り、アリスターの腹が大きく鳴った。彼女は躊躇いがちに訊ねる。
「……えーっと、ひょっとしてアリスターくん、食べる物がなくてお腹が減ってる……?」
「ほう。よく分かったな」
「そりゃあね! ……ぷっ。あはははっ」
驚きの次は突如として笑い声を上げるミア。感情の起伏に富んだ少女である。
「あー、面白っ。うんうん、やっぱりアリスターくんはアリスターくんだねぇ」
「言っている意味が分からんぞ。なんだ、とんちか?」
「ごめん、ごめん。こっちの話」
ミアは目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら、自らの鞄から包みを取り出した。それをそのままアリスターへと手渡してくる。
「これは?」
「家の商品で悪いけど、味は保証するからさ」
促されて包みを開けると、中には彼女が食べている物と同じ白パンがあった。アリスターは勢いよく顔を上げ、
「くれるのか!?」
「もちろん。お詫びってわけじゃないけどさ」
聖母のような微笑みを浮かべ、ミアは言った。
「一緒に食べよ?」
※※※
「美味い!」
「本当? 嬉しいな、ありがとう」
「美味い!」
「えへへ。照れるなー」
「美味い!」
「……うん。いや、そんなに言ってくれるほどではないと思うよ?」
恵んでもらった白パンを頬張りながらアリスターが述べた感想に、それまで照れ笑いをしていたミアがふと我に返ったように言った。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、ただの小さなパン屋のパンだから。良くも悪くも普通の味だよ。よっぽどお腹が空いてたんだね、アリスターくん」
「たしかにな」
ごくん、と頬張っていたパンを飲み込む。芳醇な小麦の香りが鼻を抜け、幸福感に満たされる。「美味かった」と礼の意味を込めて頭を下げた後、アリスターは続けて言った。
「たしかに腹は減っていた。だがたとえそうでなくとも、あのパンは美味かった。昨日ライルに食わせてもらった食堂のパンよりもずっとな」
「……っ。そ、それは言い過ぎだってばー。だってほらここの食堂のパンっていったら、うちの店の何倍もお高いんだから」
「金の話は知らんし、してもいない。俺様はただ素直な感想を述べたに過ぎん。貴様からもらったパンは本当に美味かった。だから礼を言わせてくれ。ありがとう」
「ん、ん、ん~……! ど、どういたしまして……?」
ミアは顔を朱に染め、そっぽを向きながら応えるのだった。
「でも良かった、そんなに喜んでくれて。そうでなきゃ、お詫びにならないもん」
ぽつりと漏れたミアの呟きに、アリスターは首を傾げる。
「さっきからなんだその詫びとやらは。どうして俺様が、貴様に詫びてもらわなければならない」
当然ながらアリスター自身にはその覚えがなく、一方的な謝意を示されても反応に困るだけだ。
「うーんと。ほらあたし、午前中アリスターくんのことちょっと避けてたでしょ? アリスターくんが四色魔術師だって分かってからさ」
「そうだな。それで?」
「それで、って……。やっぱりアリスターくんは強いなぁ。だから、べつにアリスターくんはなにも悪くないのに避けてごめんねってこと! 凡人は凡人なりに距離を感じちゃったの」
「距離を感じた、とは」
「だーかーら。四色魔術師っていえば、めちゃくちゃすごい人じゃん! 二色魔術師でさえ天才って言われるくらいなのに、その倍だよ!? ってことは四色魔術師なんてもう超大天才じゃん! そんなすごい人と、あたしみたいな普通極まりないやつが一緒にいていいのかなーって。そう思っちゃったの!」
午前の授業以降、多くのクラスメイトがアリスターから距離を取るようになっていたことは事実であり、その中にはミアも含まれていた。彼らの瞳には恐れの感情が浮かび、その理由をブリジットは「アリスターとメディアを重ねている」と推測した。
しかしどうやらミアがアリスターから離れた理由は、それとは異なるらしい。アリスターはため息をつき、言う。
「たしかに俺様は超大天才ではある」
「自分で言っちゃった!」
「だが、それがどうした。そんなことが、俺様と貴様が一緒にいてはいけない理由になるはずがなかろう」
「いや、まあ、それはそうなんだけど――」
「俺様は貴様と一緒にいたいぞ」
ひっ、というミアが息を呑む音が聞こえた。両目を見開いた表情のまま固まる彼女に、アリスターは続けて言う。
「忘れたか。この『俺様』という一人称、これは貴様がくれたものだろう。育ての親を除けば、俺様に影響を与えたのは貴様が初めてだ」
もしも入学式でミアと言葉を交わさず、クラスの席が隣でなく、知り合うことがなければアリスターの一人称は『俺』のままだったろう。それはつまり、現在のアリスターはいなかったことを意味する。
極論、いまのアリスターがいるのはミアのお陰なのだ。
それゆえに、アリスターは当然の帰結としてミアにこう告げるのだった。
「だから俺様は、これからも貴様と一緒にいたい」
「~~っ……!」
ミアの顔が真っ赤に染まった。……つい先ほども、誰かの似たような表情を見た気がするが。
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