二章⑦
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「ちょっとエミリー、まだこっちの話は終わってないわ。誰も入ってこないようちゃんと見張ってなきゃダメじゃない」
「知ってますか姫様、ここってすごく人気の場所なんですよ!? さっきからもう何十っていう数の人が詰め掛けてきて、その全員に『すみません。理由は言えないんですけど、とにかくいまは入れないんです』って謝ったんですからね私!」
二人のもとまで駆け寄ったエミリーが涙目で訴える。そんな侍女の訴えを真正面から受け止め、ブリジットはさらりと言った。
「そう、ご苦労様。引き続きよろしくね」
「いや私の話聞いてました!?」
二人のやり取りを見ながら、ふと湧いた疑問、それをアリスターはブリジットへとぶつける。
「貴様、人払いをしているのではなかったのか?」
「だからしてたじゃない。エミリーが頑張って」
「……いや、俺様はてっきり王室としての権力なりを使って合法的にここを占領しているのかと」
それがまさかの侍女を扉前に立たせて通せんぼさせるという人力頼みの不完全なものだったとは。ブリジットはふんと鼻を鳴らし、
「期待外れで悪かったわね。私にそんな権力はないし、もしあっても使わないわよ。私、王室のそういう傲慢さが大嫌いなんだから」
「ひ、姫様……!」
エミリーが、アリスターの顔をちらちらと見ながらブリジットに小声で囁く。
「出てます。姫様の、世間体のあまりよろしくない素の顔が出ちゃってます……!」
「……ふーん。エミリー、あなた私のことそんなふうに思ってたの」
ブリジットがあからさまに唇を尖らせると、エミリーは慌てた様子で手を顔の前で振った。
「い、いえその……良い意味で! 良い意味で王室としての品格に欠けるというか」
「どんな意味よ、それ!」
はぁ、とブリジットはため息をつくとアリスターを指差し、
「こいつのことなら気にしなくていいわ。もうその世間体がすこぶるよろしくない私の素、知られてるから」
「そ、そうなんですか……?」
驚きに目を丸めたエミリーが、その表情のままアリスターをじろじろと眺める。その瞳からはアリスターへの興味というよりも、むしろ敵意が窺えた。
「それほど姫様は、この男を信用されていると……」
「不服のようだな、エミリー・ブラウン」
アリスターが声を掛けると、エミリーは一瞬だけ鋭い視線を寄越してきたものの、すぐに頭を下げた。
「私は姫様の侍女です。あなたが姫様のご友人であるということならば、相応の敬意をもって接しさせていただくのみです」
「あ、べつに友人ってわけじゃないから、普通に接してくれればいいわよ」
「はい承知いたしました」
ブリジットが声を挟み、即座に頭を上げるエミリー。どのように接してこようが構わないのだが、それはアリスターが言うべき台詞ではないだろうか。
「それで姫様、私を人の壁に使ってまでこのアリスターさんとなにをお話しになってらしたのですか?」
エミリーからすれば当然の疑問である。それにブリジットがなにか答えるより前に、新たな声が飛んできた。
「これはこれは、やはりブリジット殿下でしたか」
声の主――いつの間にか三人の傍らに立っていた男子生徒を見やる。彼の背後にはさらに男女合わせて七、八人の生徒が控えるように立っており、あたかも隊列を組んだ部隊のようだ。
「ごきげんよう。たしかあなたは――ヨハン・クロフォードさん、でしたか?」
「はい。ご挨拶が遅れ、申し訳ありません。私、名門クロフォード家の嫡男かつ次期当主たるヨハン・クロフォードと申します。以後お見知りおきいただければ幸甚に存じます」
男子生徒――ヨハンが胸を張る。大きな碧眼に色白の肌、上背のない華奢な体格とその容貌は中性的な印象を与え、肩近くまで伸びた長い金髪がよく似合っていた。一方で、制服胸元の襟締の色からアリスターたちの二学年上の三年生であることが判断できるが、とても年上とは思い難くもある。
彼はアリスターやエミリーには一切目もくれず、ひたすらブリジットのみを見ながら言った。
「しかしブリジット殿下、いくら殿下とはいえこの花園を占拠されては困ります。我々が昼食を取れず、飢え死にしてしまいますよ」
なあみんな、とヨハンが背後の生徒たちを振り返る。すると彼らは「はははっ」と爽やかに笑ってみせた。……あまり上手い冗談だったとはアリスターには思えなかったが、彼らとは感性の隔たりがあるのかもしれない。
花園の入り口へ目を向けると、エミリーという門番を失ったそこは堰を切ったように多くの生徒たちがなだれ込んでいた。
「まあ大変。知らなかったとはいえ、ごめんなさい。今後は気を付けます」
「いえいえ。ご理解いただけたなら何の問題もございません。ところでブリジット殿下、ここには昼食を取りに?」
「ええ」
「でしたら、我々と一緒に食べませんか? この学園について、私で良ければお教えいたしましょう」
「まあ、それは嬉しいご提案ですこと」
両手を顔の前で合わせ、微笑むブリジット。大した変わり身だとアリスターは内心で舌を巻く。
「でもごめんなさい。今日は先約がありますの。また後日、誘っていただければ嬉しいですわ」
「先約というのは、その者のことですか?」
ヨハンの目線が初めてアリスターへと移る。目が合うと、彼は嘲るように口の端を歪めた。
「殿下、やはり我らとご一緒いたしましょう。王女殿下たるもの、付き合う人間は選ばれるべきかと」
「ご忠告ありがとうございます。だけど私、人を見る目だけは確かなんです」
「いや、しかし……」
「だからヨハンさん、あなたが素晴らしい人であることも一目で分かりましたわ。……それとも、私の目は曇っていたかしら?」
「と、とんでもない! ええ、分かりました。ではまた次の機会を待つことといたしましょう」
そう言い残し、ヨハンは足取り軽くその場を離れていった。
「大したものだ」
ヨハンたちの背が見えなくなった頃、アリスターは素直な感想を口にした。
「ふん。ああいうお坊ちゃんはちょっとおだててやれば簡単に操れるものよ」
「お坊ちゃんなのか、あいつは」
「クロフォード家の長男なんだから、そりゃそうよ。代々魔軍の将を輩出する魔術の名家で、現当主は中将だったかしら」
「詳しいな」
「この学院に在籍している名家の人間のことなら、だいたい頭に入っているもの。そういう自尊心だけ高い輩を取り込めれば、これほど楽なことはないわ」
あっさりと言ってのけるブリジットだが、いったい何人の生徒の顔と名前が彼女の頭には入っているのか。魔術の才覚とは別に、単純な記憶力も彼女は優れているのだろう。
「でも、それはあんたも同じでしょう?」
感心していたところ不意に言われ、アリスターは首を傾げる。
「なんのことだ」
「だから、有力者の子どもと良好な関係を築くっていうこと。あんたもそう考えてたんじゃないの?」
「……ん?」
やはり言っている意味が分からず、さらに首を傾げるアリスター。ブリジットは「ま、いいわ」と話を変え、
「それじゃあエミリー、お昼にしましょう。お腹減ったわ」
「はい」
エミリーが手に提げていた鞄から昼食が入っているらしき包みを取り出す。受け取ろうとアリスターが手を伸ばすと「は?」とブリジットが声を上げた。
「なんだ」
「いや、なにあんたも貰おうとしてるのよ。あんたの分はないわよ」
「ならば俺様はなにを食えばいい」
「知らないわよ。っていうか、私はこれからエミリーと二人で食べるんだから、あんたどっか行きなさいよ」
とんでもない暴言に固まるアリスターとは対照的に、うんうんと嬉しそうに頷くエミリー。本格的に居場所がないことを悟り、アリスターは仕方なく席を立った。去り際、ブリジットから声が掛かる。
「そういえば、さっきの話」
「さっきの?」
「……パーティの話よ」
昼食の支度を進めるエミリーを横目で窺いながら、ブリジットが言った。計画に関することだとすぐに理解する。
「今週末、私の兄――第三王子の誕生日祝いがあるの。そこならきっと、国王も出席するはず」
「ほう。その宴には俺様も参加できるのか」
「……多分。そもそも私にも招待状は届いてないのだけど、出席したいとこちらから言えば、無下には出来ない……と思う」
ぽつりぽつりと歯切れ悪くブリジットが言う。おそらく彼女にとってその行為は、自尊心を傷つけるようなものなのだろう。
そうしてでもなお、彼女は計画に協力しようとしているのだ。
ならばアリスターが返すべき言葉は一つだ。
「礼を言う」
そうして彼は花園を後にするのだった。
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