二章②
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「さてどうするアリスター様。いっそ逃げるなら付き合うぜ?」
横に立つライルがそっと耳打ちしてくる。こいつはなにを言っているんだ? とアリスターは訝るが、すぐに合点がいった。昨日アリスターは学院食堂にてブリジットといくつかの言葉を交わしたが、ライル曰くその中で彼女の不興を買ったという。その後、紆余曲折あった末に二人は協力関係を築くまでに至るわけだが、当然ながらライルがそれを知る由もない。
なるほど。つまりはライルは、ブリジットが昨日の意趣返しのため待ち構えているものと判断し、その上でアリスターの身を案じているのだろう。
判断自体はとんだ誤解ではあるものの、ライルの立ち居振る舞いは配下として申し分ない。彼の有能さと、それを初対面で見抜いた自らの眼力を再確認するアリスターだった。
「安心しろ。やつならすでに懐柔済みだ」
「え? あ、おい……!」
困惑するライルを尻目に、アリスターはブリジットのもとへゆっくりと歩み寄る。わずか遅れ、ライルも付いてくるのが足音でわかった。
「おはようブリジット。これほど清々しい朝に貴様と会うことができ、俺様は嬉しいぞ」
「ええ、私もです」
にこやかに声を掛けるアリスターとそれに応えるブリジット。友好的な二人の雰囲気に、周囲の学生たちが俄かにざわつき始める。
「……こいつは驚いた」
ライルの呟きが耳に入った。昨日のアリスターとブリジットの険悪(だったらしい)さを知る者にとって、ほんの一日の間に起こった二人の関係性の変化は驚きを禁じえないものなのだろう。
二人の関係が良好であることを周囲に示す。それは昨夜、国家転覆の盟を結んだ後にブリジットから提案された策だった。
今後、計画を進める上で二人は学内でたびたび相談せねばならず、その場面を誰かに目撃されることも可能性も排除できない。そうした際、二人の関係を不仲なものとして周囲に認知されていては説明が面倒になる。そのため、昨日がそうであったように衆人環視のもと、あらかじめ二人の関係の良好ぶりを示す必要がある。
――というのがブリジットの言。周囲の目など知ったことではないと思っていたアリスターにはない着眼点だったが、快く承認してやった。
どうせ示すのであれば、いっそ徹底的に、喧伝するほどにやったほうがいいだろう。アリスターはそう判断し、真剣な表情を浮かべて言う。
「ブリジット、貴様は今日も美しい。その美しさに俺様の目は危うく焼かれるところだ」
しん、と周囲が静まり返った。にかやな笑みを浮かべていたブリジットの表情が、ぴしりと固まる。横のライルがまたもひゅうと口笛を吹いた。構わずアリスターは続ける。
「しかしたとえ焼かれようと、俺様は貴様から目を離すまい。そうなればこの目に映る最後の光が貴様だということになる。おお、なんという僥倖だろうか!」
「う、嬉しいお言葉をありがとうございますアリスターさん。あなたのお気持ちはとてもよく分かりましたわ……!」
アリスターの言葉を遮り、ブリジットが手を握ってきた。周囲の学生たちが嬌声を上がる。
「どうした」
「アリスターさん」
ブリジットが踵を浮かせ、口をアリスターの耳元へ寄せる。矯正がさらに大きくなった。
すぐ眼前のアリスターにだけ届くような小声で彼女は言う。
「いい加減にしなさいよ、あんた。なに、なんなの? あたしをバカにしてるの?」
「貴様が言い出した策だろう」
「だれが口説けとまで言ったのよ!」
「なにを言って……おい、痛いぞ」
わずかながら赤色魔術により強化した握力でブリジットが手を握り締めてくる。アリスターが対抗するため赤色魔術を発動させる寸前、ぱっと手が離れた。
「それでは。今後ともよろしくお願いいたします」
言い残し、その場を去っていくブリジット。なんと身勝手な振る舞いだろうか。
ブリジットの後を追うのは、傍らに立ちながら一言も発さなかった少女――エミリー・ブラウンだ。二人の会話の最中、彼女は眉根を寄せながらじっとアリスターを睨み付けていたのだった。
そういえば、エミリーは計画のことを把握しているのだろうか。確認しなくてはならない。
「なんだこの集まりは!」
主役たるブリジットがいなくなった人だかりに響いた怒声。その発信源であるロス・キャンベル教諭は、中央に取り残されたアリスターとライルを見つけると足早に歩み寄ってきた。
「また貴様かアリスター・ドネア!」
「ああ、おはようロス教諭。朝から元気で結構なことだ」
「上からだなー」
冷静に声を挟んでくるライル。ロス教諭はキッと鋭くした眼光を彼に向ける。
「ライル・サラーか。どういうつもりでアリスター・ドネアと一緒にいるか知らんが、分かっているだろうな? 貴様の身の振り方ひとつでお父上の顔に泥を塗ることになるのだぞ」
「はいはい、もちろん分かってますよ。必要十分にね。さっ、行こうぜアリスター様」
ライルに背を押されるようにして歩を進めるアリスター。首だけを振り返ると、ロス教諭がこちらを睨みつけていた。今朝はよくだれかに睨まれる朝だ。
「ロス教諭と貴様の父親は知り合いなのか?」
背を押されるままに訊ねると、背後からライルの声だけが返ってきた。
「そんなところ。昔、一緒の職場で仕事をしていたらしい」
「ほう」
魔術学院で教鞭を振るうロス教諭と職場を同じにするということは、ライルの父親もまた魔術関係の職に就いているのだろう。魔術の素質については遺伝的要因が大きいため、驚くことではない。
校舎へと着き、そのまま教室へと入ると中には半分ほどの生徒たちがすでに着席していた。それぞれ付近の席に着く生徒同士で会話を交わしている。
「じゃあなアリスター様。また後で」
ライルは最前列が指定席であるようで、そこに鞄を置きながら言った。「うむ」とアリスターも頷いて応える。
「昼はまた一緒に食おうぜ。今日は他のやつも誘ってよ」
「構わん。今日も馳走になってやろう」
「いや奢るとは言ってねえよ?」
最後に聞こえてきた戯言は無視し、アリスターも自らの席へ向かう。隣席にミア・ブーケドールの姿はまだなく、長机には彼のみが座る形となった。
両隣の長机にも着席する生徒はおらず、周囲にアリスターの動きを注視している者もいない。そうしてようやく彼はその手に握った――ブリジットから握らされた小さな紙片に目を落とした。
『お昼休み。花園にて』
それはお誘いの手紙であった。
ふむ、とアリスターは考え込む。わざわざ握手に見せかけて渡してきたことを考えれば、これは他者に悟られてはならない密会の招待なのだろう。紙になど書かず、耳打ちの際に口で言えば良いものを。
計画について細かい打ち合わせをする必要もあり、この招待を断る理由はない。ただし懸念事項が二つ。
一つは『花園』なる場所の在り処。
そして二つ目が、
「……ライルに断りを入れねばな」
奢ってもらうはずだった昼飯への未練を滲ませながらアリスターは呟いた。
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