一章⑩
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十八年前、ヴェルランド王国は東の大国からの侵略を受け、戦争下にあった。結果として王国はその戦に勝利を収め、領土を守ると共に賠償金まで得ることができた。
勝利を収めた背景はいくつかある。挙国一致による国民の総動員、王国の誇る魔軍の奮闘、大国内に芽生えた内乱の兆し、そしてなにより彼女――後に『最悪の魔女』と呼ばれる強大な魔術師の存在が大きい。
もちろんそれらの出来事のすべてはブリジットの生まれるより前の歴史であり、彼女にとってさほど大きな意味があるわけではない。
重要なのは母――メリルが従軍看護婦としてある時期、戦地へ赴いていたこと。
そしてその戦地で指揮を取っていたのが、当時第一王子であり、現国王のダミアン・ヴェルランドだったということだ。
貴族の出自でもなければ優れた魔術師でもないメリルと、王子であるダミアンとの間にどういった経緯があって交流が生まれたのか、ブリジットは知らない。二人の馴れ初めなど知りたいはずもない。
結果として二人は男女の仲となり、戦から数年たった十五年前、ブリジットは生まれたのだった。
その頃、すでにダミアンには他国の王家から娶った妃がいた。完全な政略結婚であったものの、二人の間には男女合わせて四人の子がおり、夫婦仲はある程度上手くいっていたのだろう。
王国に側室制度はない。そのためブリジットは『王子の娘』としてではなく『未婚の母の娘』として育てられた。当然そこに父親の影はない。
母との二人だけの暮らし。ただその日々はブリジットにとって苦ではなかった。父はいなくとも自分を愛してくれる母がいる。戦争により両親を失い、孤児院で暮らす子も少なくないことを考えればなんと恵まれているのだろうと本気で思っていたのだ。
こんな暮らしがいつまでも続けばいいのに。
慎ましやかなブリジットの願いは、しかしある日唐突に打ち砕かれることになる。
その類稀なる魔術的な才覚がゆえに。
「ほら見てママ、これが学院の制服! 可愛いでしょ」
「ええ、よく似合ってるわ」
「ふふっ、でしょ? そう言ってもらうために着替えずに来たんだもの」
その場でくるりと回り、スカートの裾を翻す。我ながら子供っぽい振る舞いだと思いつつ、嬉しさに身体がついつい動いてしまう。一緒に暮らしていた頃は当たり前だった母に褒められるということが、こんなにも嬉しいだなんて!
泣き止んでからというもの、ブリジットはひたすら母に向かってしゃべり続けていた。王宮での暮らしぶり、口うるさい教育係への不満、唯一出来た友達エミリーのこと等々。それらの多くはすでに手紙に書いて送ったことがあったものだったが、そんなこともお構いなしに言葉を重ねる。
この五年間、積もりに積もった話は日が沈む頃になっても尽きる気配すらなかった。
「そうだ聞いて! 私、今日新入生の代表として挨拶したの。王女だからじゃなくて、私が優秀だからよ」
「すごいわブリジット。……本当にすごい」
母の手がブリジットの頬に添えられる。その手が小さく震えていることに気付き、両手で握った。
「ママ?」
「あなたが立派な魔術師になってくれること。それだけが私の願いよ、ブリジット。そうなればあなたはきっと幸せになれる」
「……そうかもね」
王国が独立を保っていられる最大の理由、それが優れた魔術師により構成された魔軍であることは明白だ。それ故に魔術師という地位は、この国における特権階級を許されている。権力、富、住環境とあらゆる面において魔術師は優遇を受ける。
「だからママは、私を王女にさせたんでしょ?」
母の手の震えがいっそう強くなった。
五年前、自分に魔術師としての才があることに気付いたブリジットは、そのことをすぐに母へと伝えた。きっと喜んでくれると信じて疑わず、実際のところ母は喜んでくれた。涙を流すほどに。
翌日母は王宮へと手紙を送った。十年前に即位し国王となっていたダミアン・ヴェルランド宛てにだ。
手紙の細かい内容までは知らない。だがその数日後には王宮より使者が送られ、ブリジットを『王女』として迎える用意があると通告してきた。
それは母と王宮、両者の思惑が複雑に入り混じった結果だった。
いくら才覚があろうと、適切な教育を受けなければ一流の魔術師にはなれない。しかしその教育を受けるには、相応の金が必要となる。そしてその金が、母にはなかった。
一方、ダミアンと王妃の子どもたち四人の中に魔術師の才がある者は一人しかおらず、それも特別秀でてはいないともっぱら噂されていた。魔術師を最重要視する王国の王家に、優れた魔術師が一人もいないというのは外聞が良くない。下手をすれば王家の沽券に関わる問題であった。
ゆえに母はブリジットを王女として迎え入れることを提案し、王宮もそれを呑んだ。
魔術師になるための最高の教育をブリジットが受けられるように。
王家の人間から優れた魔術師を輩出するために。
こうしてブリジット・ヴェルランドという偽りの王女は誕生したのだった。
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