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続・石黒氏の苦悩

作者: 後藤章倫

 STONE HEAD CROWというバンドを率いて活動していた石黒氏。バンドの解散と共に東京を後にして実家のある東北の片田舎へ帰る事を余儀なくされた。石黒氏は全てに納得がいかなかった。日々、自身のSNSで不満をぶちまけていた。音楽の事、政治の事、食べ物についてや環境問題への意見、只その全てが勘違いだという事を本人以外の人達はみんなわかっていた。そんなものだから周りにいた人たちやSNSでのフォロワーなんかも次々と彼の元を離れて行った。石黒氏は面倒くさい人の代表みたいになっていった。

 そんな石黒氏も四十代後半に差し掛かっていた。相変わらずバンドをやってはメンバーや周りの関係者なんかへ訳の分からない事を説教じみた感じで言って顰蹙を買っていたし、SNSへの投稿もどんどんと深刻化していた。只、彼の父親は地元で実績のある建設会社を経営していて、仕事を手伝っていた石黒氏は石黒建設の専務として日常を過ごしていた。


「いいひとはおらんのか?」

社長である父親が石黒氏に聞いてきた。そろそろ身を固めて石黒建設を継いで欲しいのだ。

「時期が来たら言うから」

石黒氏には少し前からお付き合いをしている女性が居る。奈美さんというちょっと年下の女性だ。奈美さんと知り合ったのは取引先の会社で工期についての打ち合わせをしている時だった。打ち合わせは、ほぼ現場か石黒建設で行われていた為に、下請け会社の会議室へ出向くなんていう事は稀な事だった。そんな中、お茶を運んできた事務員さんに目を奪われた。

「じゃ三日後ということで」目の前で打ち合わせをしていた担当者がそう言ったけど、石黒氏には聞こえていない様子だった。

「専務、ちょっと石黒さん、三日後でいいんですよね?」

その声にようやく反応した石黒氏はカラ返事をした。それから暫くして偶然奈美さんと再会する事となった。

 秋晴れの日曜日、市役所の駐車場は賑わっていた。秋祭りのメイン会場である駐車場にはステージが設置され色々な出し物が行なわれていた。司会進行は県内でも知名度の低いローカルタレントが務めていて、ステージ上で繰り広げられる出し物と出し物の間に訳の分からないトンチンカンな説明や、無理に笑いを取ろうとして着地点を見失ったようなトークで会場の空気を凍り付かせていた。

「えっと、次はアマチュアバンドの演奏みたいですね」

ローカルタレントは楽器のセッティングで忙しいバンドのメンバーに話を聞こうとマイクを向けた。

「皆さんはどういうお仲間なんですか?」

キーボードのケーブルを確認していた三十代くらいの髪の長い小太りの男は初めそれが自分に対しての問いだということに気が付かない様子で黙々と作業を続けていた。

「お兄さん、キーボードのお兄さん」

ローカルタレントの呼びかけにようやくキーボードの男は顔を上げた。ローカルタレントと向き合う形になったけど無言だった。そもそも何を話しかけられたのかも耳に入って無かったし、今すべき事はキーボードのセッティングだった。

「お兄さん緊張しているみたいなので、次は」

ローカルタレントがそう言ったところでギタリストが何気に音を出した。するとローカルタレントや会場にいる人たちも一瞬身体がビクッとなった。音を出した本人でさえも驚くほどの大音量だった。慌ててヴォリュームを下げたけど直後にはマイクがハウリグを起こし不協和音が会場全体を不愉快にした。

ここでローカルタレントはインタビューを諦めた。ドラムの試し打ち、ケーブルが繋がったキーボードの音、さっきまでうんともすんともしなかったベースアンプも立ち上がったみたいでステージ上が活気づいてきた。

 ステージ袖から一人の女性が歩いてきてセンターマイクの前に立った。「チェック、ワン、ツー」と軽く声を出し始め、ギタリストに何か話しかけている。ギタリストは客席として並べてあるパイプ椅子の後方に作られた音響設備の担当者へ手を上げたりクルクルと回したりしながら何かを伝えていた。ヴォーカルらしい女性は一人一人メンバーの顔を見ながら確認するように頷いていた。最後にギタリストが音響担当へ向かって頭の上で両手の指先をつけて大きな丸を作った。それを察知したローカルタレントが慌ててマイクを手にステージ中央へしゃしゃり出てきて手に持った資料をパラパラとめくった。

「それでは準備も整ったみたいなのでよろしくお願いいたします。次のバンドは、カサ?サンド?えっと、これ何て読むんですか?」

ローカルタレントの間抜けな言葉は全てマイクが拾っていて変な空気になろうとしていた。もう退けとばかりにカサンドラのドラマーがカウントを刻みだした。

 カウントからすぐにソウルフルなヴォーカルで曲は始まった。

「珍しいな」会場をぶらついていた石黒氏は、そう呟いた。曲はオーティスレディングのものだった。オーティスの曲を女性ヴォーカルで聞くのは初めてだった。心地良いリズムにアレサフランクリンよろしくなヴォーカルが映えていた。ステージからだいぶ離れたところに居た石黒氏は足を止め客席のパイプ椅子を目指した。パイプ椅子に座っている観客はスカスカで、ステージを見ているというよりも秋祭り会場での休憩所という感じだった。石黒氏は最前列の中央のパイプ椅子へ腰を下ろした。次の曲が始まり石黒氏は息をのんだ。そのソウルフルなヴォーカリストがあの事務員さんだったからだ。


 「あのう」

ステージを終えたバンドに石黒氏は声をかけていた。

「あ、専務、お疲れ様です」ヴォーカルの女性は頭を下げた。そこから石黒氏と奈美さんの付き合いが始まった。奈美さんはシングルマザーだった。歳は三十八、二人の息子を育てていた。奈美さんの話を聞いていると石黒氏は自分の心の欠落したところが柔らかいもので満たされていくような感覚になった。仕事の事やバンドの事、好きな食べ物、読書に映画、そんな事を話していく度に石黒氏と奈美さんの距離は確実に縮まっていった。

 三日ぶりに逢った奈美さんは表情が沈んでいた。石黒氏は直ぐに気付いて話しかけた。

「なんかあったの?」

「う、うん」そう言って奈美さんは目線を下へ向けた。数十秒沈黙が続いてようやく奈美さんが話し始めた。

「うちのバンドのねドラムとベース、それにキーボードまで辞めるってメールが来て」


 翌年の春に石黒氏と奈美さんは結婚した。石黒氏を知る人、奈美さんの周りに居た人などは、それが最悪の事柄だという事をわかっていた。奈美さんは石黒氏に劣らずの面倒くさい人間だった。バンドメンバーが辞めていくのは年中行事だったし、最初の結婚が破綻したのも、その性格の悪さからだった。彼女は我が強かった。言い出したことは引かない。常に集まりの中の中心でいないと気が済まなかった。子供たちの学校行事には、これでもかとしゃしゃり出て顰蹙を買い、最早、子供の行事なのか奈美さんの主張の場なのかわからなくなる事も屡々だった。そんな二人が結婚してしまった。石黒氏は結婚を機に石黒建設の社長へ就任した。社長夫人となった奈美さんは、それまで石黒建設の下請け会社だった元職場へ訳の分からない圧力をかけたりし始めて、皆、彼女が何をやりたいのか理解に苦しんだ。

 結婚当初は上手くいっていた夫婦関係も当然の如く壊れ始めた。相手を気遣っていたメッキが剝がれていき衝突が絶えなくなった。その頃になると代が変わった石黒建設への評価も下がり止まりが見えなくなっていた。工事のずさんさ、工期の遅れ、会社内部の人間関係、退職者の増加に加えて、社長夫人である奈美さんの傲慢な立ち振る舞いに色々な人がかき乱されていた。


 前社長である石黒氏の父親が亡くなったのは、寒さが増してきた晩秋だった。前社長とはいえ、あの石黒建設を築いた人間なのに葬儀は寂しいものになった。取引先や下請け会社もすっかり少なくなり、石黒建設は最早名前だけが残っているだけのような存在に成り果てていた。


「出ていけ」

石黒氏は妻を激しく怒鳴った。

「冗談でしょ?あんたが出ていきなさいよ」

奈美さんは引かなかった。二人いた子供のうち長男は大学へ進学し家を出ていた。次男は高校三年生で大事な時期だ。そんな時に今年二回目の不良債権を抱え込み石黒建設は倒産した。石黒氏は奈美さんと離婚し、借金を背負い込んで蒸発してしまった。奈美さんはというと、そんな事はどこ吹く風よとばかりに残った自宅で数少ない知り合いを招いてバーベキューなんかをして日々を送っていた。当然のように次男は進学に失敗してニートとなった。


 石黒氏は今何処で、その苦悩に苛まれているのだろうか。


 


                    終



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