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綸言汗の如し

作者: 烏木

『綸言汗の如し』というのは、かいた汗を体内に戻すことができないように、一度発せられた綸言(皇帝の言葉)は取り消したり訂正する事はできないという意味の格言です。


皇帝は無謬(理論や判断に誤りがない)でなくてはならないので、綸言を訂正する事は罷り成らんという事。(皇帝が贋作を真作と言ってしまったばっかりにその贋作を真作として取り扱わないといけなくなった例もあるとか)

この言葉は『取り消しも訂正もできないので皇帝は何かを発するときは熟慮に熟慮を重ねた上で行うべきである』という戒めの意味も持つ。


この『皇帝(君主)は無謬でなくてはならない』と『皇帝(君主)は失言がないように熟慮の上で発言すべき』というのは君主制の社会ではわりと普遍的にみられるもので、日本でも『平家物語』や『太平記』に“綸言汗の如し”がでてくるなど少なくとも鎌倉時代末期から室町時代初期にはそういう共通認識はあったと考えられます。

『無謬でなくてはならない』から『主張と現実が異なる場合は現実を変えねばならない』というのは君主制のみならず宗教もそういう側面を持っています。


さてさて、そういう前提の下で考えれば『陛下のお言葉(綸言)は取り消す事も訂正する事もできないとても重いものなので、賛否が分かれうる事柄についてのお気持ちの表明は、玉音放送のように余程の事態でもなければ綸言ではなく、側近などが“あくまで私共が拝察するに”という形をとる』というのはご理解いただけるだろうか。


先般、宮内庁の西村泰彦長官が、陛下が東京オリパラが新型コロナ感染症の感染拡大を招かないか懸念されている旨の発表をしました。

これに対して政府は「宮内庁長官がそう感じたという長官ご本人の見解を述べられた」という反応をしました。


これが「御懸念されている事態にならぬよう全力を挙げて対応いたします」とでも言ったならまだしも「宮内庁長官がそう感じただけでしょ?」というのは個人的には如何よと思ってしまいます。

こういった賛否が分かれるし影響が大きい事柄においては、綸言ではなく周りの者が“私共が拝察するに”という形をとるというのは、保守系の政治家なら余程の無知蒙昧でない限り分かっていることではないでしょうか。

何せ、親に“人の気持ちが分からない冷血漢”とまで言われた私ですら思い当たった事なんですから、老練の保守系政治家がこの辺りの機微が分からない筈がないと思うのです。


まあ、私個人としては尾身先生の提言を「自主的な研究発表」だの「中止という文言は無かった」だの「別の地平の言葉」だのという妄言で返した方が許せないのですが、右派の方は「宮内庁長官の感想」に怒り狂ってもおかしくはないと思うのですよ。

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