07 渇望と葛藤
ーーーー普通科の黄色い声が凄かった…………ノエルだけじゃなくて、特進科の生徒は何かしらの活動をしている人しかいないみたい。
モデルやスポーツ選手、経営者や政財界……各分野でトップを務めるような人は、大抵ヴァンパイアって聞いていたけど……実際に会うまでは、本当の意味で分かっていなかった。
私の知らなかった世界が広がっていたの。
「リリー様、大丈夫ですか?」
「うん……ありがとう、ギー」
呼び名が戻っている。二人はマンションに戻って来ていた。
この空間にいる間だけ許された呼び名だ。
ギーがハーブティーを淹れていると、レオも帰宅してきた。
「ギー、ありがとう」
「レオ様、お帰りなさいませ。すぐに召し上がりますか?」
「あぁー、今日はどうだった?」
レオはネクタイを緩め、スーツからラフな格好に着替えている。
「特に変わった様子はなく、打ち解けていらっしゃいましたよ」
「そうか……」
少し安心したのだろう。レオはギーの頭を撫でると、ソファーに座っているリリーの元へ静かに向かった。
レオの思っていた通り、彼女は眠っている。一日でかなり消耗したようだ。
リリーの長い髪にそっと触れると、唇を寄せた。その瞳は、彼女を慈しむように見つめている。
「ーーーーん……レオ……?」
「……リリー、お疲れさま」
間近に聞こえるレオの声に、ハッキリと目が覚めたようだ。
「あ……おかえりなさい」
「ん、ただいま」
穏やかに微笑み合う二人に、気まずそうにしながらも、ギーがダイニングテーブルにつくように促した。
テーブルには、ギー特製の料理が多数並んでいる。今日は妃梨にも馴染み深い和食だ。
「美味しそう……」
「冷めないうちにどうぞ」
「ギー、ありがとう……いただきます」
「……いただきます」
リリーを真似るように、両手のひらを合わせる仕草をして、三人で夕食を囲んだ。
「……美味しい」
「あぁー、そうだな」
頬を緩ませながら食べるリリーに、レオの頬も微かに緩む。そんな主人の姿に、ギーは必然のように微笑んでいた。
レオを長年間近で見てきたギーだからこそ、主人の微かな違いに気づいていたのだ。
こうして三人で食事をするのは、まだ数える程なのに……何処か懐かしい。
おじいちゃんとおばあちゃんは、今頃…………どうしてるのかな……
『会いたい』と口にしていないが、寂しげな表情を浮かべていたのだろう。
頬に触れる手の感触に、考え込んでいたと気づく。
「……レオ…………」
「リリー……寝る前に、少し話をしようか?」
「……うん」
リリーは彼の気遣いを汲み取っていた。顔を上げた彼女を、心配そうに見つめるレオとギーの姿があったからだ。
リリーが薔薇の香りを纏ってソファーに腰掛けていると、同じ香りを漂わせたレオがハーブティーを持って、隣に腰掛けた。
「お待たせ、リリー」
「レオ……ありがとう……」
ティーカップから広がる花の香りを口に運べば、気分も和らいでいくような感覚に包まれる。
「美味しい……レオが淹れてくれたの?」
「あぁー、特進科はどうだった?」
「違和感は……なかったかな……」
「そうか……」
そう……違和感がないことに驚いた。
もっと影のように、陰湿で暗いイメージを何処かで想像していたから……編入した私に、気さくに話しかけてくれるような温かい人達ばかりだった。
リリーの感じた通り、ヴァンパイアと知らなければ人と変わりはない。とても頭の切れる高校生だ。
「ヴァンパイアについては?」
「うん……皆、綺麗だった……」
素直な反応に、レオは微かに笑みを浮かべる。
「ーーーーそうか?」
「うん……」
でも、怖いくらい美しいと感じたのは……レオだけ……
男の人に対して、この表現が正しいのかは分からないけど……こんなに切ない想いになるのも、レオだけなの……
「何故……ヴァンパイアは美しい容姿で生まれ出ると思う?」
レオの問いに、妃梨は彼をまっすぐに見つめた。
「……餌としていた人を……惹きつける為?」
疑問形で応える彼女の答えは正しかった。
「あぁー、人を魅了し惹きつけ、自分に合った人を探す為だ……」
「同族でも吸血し合うんだよね?」
「勿論するよ……特に現在では、王族とか地位に拘っているのは、ダヴィドのような至上主義派だけで、純血すら知らないヴァンパイアも大勢いる。だから……人に紛れて過ごす者は、必然的に一生共に出来る伴侶を同族から見つけるんだ。人と共存は出来ても、伴侶にする事は出来ないからな……」
「そう……なんだ……」
「人を糧にすると、その人は歳をとらなくなり永遠に近い命を契約したヴァンパイアが死なない限り、得られるって言っただろ?」
「うん……」
「そんなに容姿が変わらなかったら"化物"って、言われるのが落ちだろ? 現在では契約したがる人も滅多にいないのが、現実なんだ……」
寂しげに揺れる瞳に、リリーは手を伸ばしていた。
躊躇いなく触れられた頬に、一瞬驚いたような表情を浮かべたレオは、その手に重ねていた。
「……だから、自然と……ヴァンパイアも人と、適度に距離を保ちながら共存する道を選んだんだ……」
ーーーー私が今日学んだだけでも、人が罪を犯してきた歴史があるのに……なんて哀しい生き物なの……
レオは彼女の手を取ると、そのまま手の甲に唇を寄せた。
ーーーーーーーーこういう事……前にもあった?
リリーの頭の中には、映像を切り抜いたように鮮明に浮かんでいた。
ブロンドの髪をした男の子が、小さな手にキスをしていた……
何かの拍子にフラッシュバックする事は、今までにもあったけど……きっかけが、分からない。
手の甲に触れた唇は、手首から腕に移動していく。
「ーーーーっ、レ、レオ……」
「リリー……すきだよ……」
「ーーーーっ!!」
彼女の腕でチュッと音を立てて離れた唇よりも、突然告げられた言葉に驚いていた。
ーーーーーーーー私……今…………
リリーの頬は今まで以上に、真っ赤に染まっている。感情のコントロールが、上手く効かないようだ。
「リリー……」
「あ、あの……」
何か……何か言わなくちゃ……レオは、私の答えを待っているのに……
そう頭の何処かで声が響いているが、リリーは声に出来ずにいた。
伝えたい言葉を見つけられずにいると、頬に触れる手の感触に顔を上げたが、レオと視線を合わせる事すらままならない事に気づく余裕はない。
「ーーーー悪かったな……」
ーーーー……悪かった……?
「リリーは、そのままで……」
「…………うん」
私……何で、こんなに……心が揺れているの?
戸惑ったままのリリーに、更に追い討ちをかけるように囁く。
「ーーーー覚えておいてね。リリー……俺は、君がすきだよ……」
耳元で囁かれた甘い言葉に、胸がきゅっと締めつけられるような痛みさえするのに……
リリーは赤く染まった耳に無意識に触れていた。レオは、そんな彼女の反応に微笑んでいる。
子供をあやすかのように頭をポンポンと優しく撫でられ、寝室へ行くように促された。
「……寝つくまで、そばにいるよ」
髪に触れる優しい手に、リリーの緊張感も解けていたのだろう。そっと瞼を閉じていた。
静かに眠る彼女の首筋に、レオは赤い痕を残していた。
「ーーーーーーーーマズいな……」
寝室を静かに出たレオは、いつものグラスに赤い液体を注ぎ、先程まで彼女と座っていたソファーに腰掛けると、味わう事なく一気に飲み干した。
「…………不味いな」
見た目は綺麗な赤い色をしているが、本当に美味しくないのだろう。唇を指で拭う表情は、優れないままだ。
『…………バジル』
『レオ、どうした?』
リビングにはレオ、ただ一人だけだ。独り言を呟いている様子もない。
『ーーーー見つかったか?』
『まだだ……』
『そうか……』
『レオ、一つ気になる事がある。ノエルがーーーー……』
『ーーーー分かった』
二人の会話は、一分もかからずに終わったようだ。
レオは深く息を吐き出すと、リリーの元に戻った。
深い眠りについているのだろう。レオが抱き寄せても、リリーが目を覚ます気配はない。
彼女の綺麗な素肌が露わになった背中に、赤い痕を残していく。
一瞬、紅く染まったかに見えた瞳は、元の緑がかった色に戻っていた。
「リリー……」
レオの漏らした声には、渇望するほどの想いが込められているようだった。
『リリー……すきだよ……』
そう告ってくれる人がいた。
大切な人がいたの……ずっと一緒にいられるって、そう願っていたけど……叶わなかった人。
『ーーーー必ずよ?』
傍にいる事が叶わないのなら、せめて……貴方が生き抜くことを願った。
眠れない夜も、貴方を想うだけで安らぐ事が出来たの。
ーーーー久しぶりに見る……また血の海。
多くの命が無惨にも失われていく、生きていく事さえ難しい世界。
『リリーー!!』
強く呼ぶ声に、彼女は目覚めていた。
天井が滲んで見えている。リリーの瞳から、涙がこぼれ落ちていたからだ。
ーーーーーーーー私……泣いてるの?
誰かに呼ばれる……夢を見ていた……気がする。
夢の内容まで覚えていないようだが、溢れ出る涙は止められないようだ。
子供のように泣きじゃくりそうになるのを堪えていると、気配を感じたのだろう。涙を拭って見上げた扉の前には、レオが佇んでいた。
「ーーーーっ、レ……オ……」
上手く声の出せないリリーは、柔らかな香りに包まれていた。
「リリー……」
名を呼ばれ、心の底から落ち着いた様子で、ほっと息を吐き出す。
ーーーーこんなに……渇望するような想いなんて、知らない。
知らない筈なのに、苦しいくらいに胸が痛むの。
「…………起きられるか?」
「うん……」
何とか笑顔を作って応えようとするリリーの額に、そっとレオの額が寄せられる。
「ーーーー大丈夫だよ」
リリーは戸惑いながらも、その言葉を反芻させていた。
『ーーーー大丈夫だよ』
そう言ってくれる男の子がいた。
それは遠い記憶……でも、それが貴方だってことは分かる。
心が……そう叫んでいるから…………
額の触れ合う距離で、二人はただ静かに抱き合っていた。