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44 忌み子と双子 上編

 「ーーーーすまない…………」


 隣で眠るリリーの髪に触れながら漏らしたレオに、遠い記憶が錯綜する。

 叶わない願いはなく、純血はいつの世も特別であり続けたからこそ、過ちは一つも許されなかった。そんな者がいる筈はないのに。

 苦しい想いに蘇るのは、王族の為に働き続けたダヴィドの姿だ。それは、彼にとって正しい事であると信じて疑わなかったが、仲間にとっては違った。幸せな夢も希望も、いつしか潰えていったのだ。






 侯爵家に生まれたダヴィドとクロヴィスは、王族を護るべく厳しい教育が幼い頃から行われていた。穏やかなダヴィドに対しクロヴィスの残虐さに気づいたのは、家庭教師として迎えたはずの同族が変死した時からだ。


 「ーーーーっ、酷い……」


 ダヴィドの目の前には、見るも無惨な死体が転がっている。黒焦げになった死体には短剣が刺さっていたかと思えば、さらさらと灰になっていく。

 ボロボロになった衣服だけが、その場に残されていた。口元を覆ったところで意味がないと分かっていながら、そうせずにはいられない程の死臭が漂う。

 本来なら灰に匂いなど無い。音もなく散っていくのがヴァンパイアの最期だ。そうでなかったという事は、彼等が中途半端な存在だった事を示していた。


 「ーーーーどこが?」

 「どこがって……」


 冷淡な顔で灰と黒焦げになった服を踏み潰す。クロヴィスにとって取るに足らない命であった。そう目の前にいる弟すらも、彼にとっては取るに足らない命であり足枷に他ならない。


 「うわっ?!」


 顔面蒼白の片割れに向けて、苛立ちを隠す事なく蹴り飛ばす。見るも無惨な衣服や灰を拾い上げる姿がクロヴィスの神経を逆撫でた。


 「ーーーーーーーー失せろ」


 同じ髪色に、同じような色の瞳、外見だけなら変わらない二人は驚くほど違った。

 腹を押さえ、奥歯を噛み締めるダヴィドは、圧倒的な力の差に嘆く事すら出来ない。たとえ仲間を失っても、彼は声を出す事すら叶わず、ただ怯え隠れるように過ごすだろう。『卑怯者』と罵られ、『役立たず』と罵倒されても、何一つ行動に移す事はなく、最期を迎えるだろう。

 自己主張の激しすぎる兄とは大違いだが、それが彼の良さでもあった。純血であるが故に威張り散らし、他者を蔑ろにしてもいい理由にはならない。強者だからこそ、それ相応の態度が求められた。これが人間社会だったなら、真っ先に弾かれるのはクロヴィスだった事だろう。そうならなかったのは、ヴァンパイア故の業であった。


 「ーーーーくそっ……」


 悪態を吐いたところで、それ以上の事は出来ない。それがダヴィドという双子の片割れであった。


 稀な双子は、片割れだけが生き残る事が多かった。それは無理矢理に分かれて生まれ出るからだ。片方の力を奪い尽くして生まれ出る事も多く、生かすも殺すも親次第だった。


 クロヴィスの生まれ持った残虐さから逃れられないダヴィドは、常に体のどこかに傷があった。心配する殿下を他所に、知っていながら毒を選んだ。

 彼を癒したのはクリスティー、ただ一人であった。彼女だけが血を与え、ダヴィドに寄り添い続けた。

 あれだけの同族がいるにも関わらず、ダヴィドにとっては二人だけが生きる意味であった。

 それなのに……アベル殿下は、簡単に王位を譲った。

 その上、メイドとして雇っていた人間と結婚すると言う。

 許し難い裏切りだ。

 誰よりも崇高な殿下が、ただの人間を娶るなどあってはならない。

 様々な画策を企てたが、全て失敗に終わった。

 

 そして、自分がどれだけ愚かだったか知る事となる。それは殿下を追い詰めた後の事だった。


 空白の時間が増えていく度、戸惑いながらも彼女の言うがままに従った。

 彼女の願いを叶える事こそが自身の使命であり、生きる意味にもなっていたからだ。

 そう信じて、疑う事はなかったのだ。


 ダヴィドの側に道を正す者は、一人として残っていなかった。

 足の引っ張り合いや騙し合いが日常であり、そうしなければ自身も生きていけなかったが、それだけでは無い。

 クリスティーに全て殺害されたからだと気づく事もなく、ただ彼女を想い続けた。

 内情を知っている者にとっては滑稽に映った事だろう。

 それくらいの分別は残っていたが、すでに手遅れだった。

 彼女は人を、仲間を……殺しすぎたーーーー私利私欲のために動く姿は、まるで嫌っていたクロヴィスのようであった。

 魔女と揶揄されるまでになった妻に……持ち合わせる言葉は一つもない。


 後悔だけが残り、殿下が正しかったという事実が突きつけられる。ようやく正気に戻った時には、全て片割れによって失っていた。


 愛する者も、側にいてくれた仲間も、一人としてダヴィドの側に残る者はいなかった。今までの非道な振る舞いが全て兄によって仕組まれたものだと分かっても、何一つとして変わらなかった。

 侯爵家は廃嫡となった。

 誰一人として一族が残る事はない。

 その筈だった…………


 『ダヴィド……』


 投げかけられる言葉に、胸が酷く締め付けられた。

 私の名を呼んでくれる者は、もう一人もいないと思っていたからだ。


 『…………リリー様……』


 躊躇わずに名を呼ぶ少女に救われていた。

 振り返っても、あの時だけだ……あの瞬間だけが、自身であったと言えるだろう。

 また曖昧になっていく記憶を阻む手段はなく、気づいた時には酷い死臭の部屋にいた。

 あぁー……闇に堕ちてしまったんだ…………そう、他人事のように思った。

 そんな私自身がまた滑稽に映った。


 彼には現実を受け止められるだけの器も技量もなかった。ただ従うことで自身を満たし続けた結果、空白の時間を取り戻す事はできなかったのだ。






 リリーの頬に雫がつたい、壊れ物にでも触れるようにそっと拭うレオの瞳は、過去を映し出しているかのように暗い。紅く染まる瞳を覆い、首筋に伸びた指先を遠ざけた。


 「…………結局……」

 「ーーーーーーーーんっ…………レ、オ……?」


 躊躇いなく伸びてきた手に委ねるように横になると、寝ぼけ眼のリリーが頬を緩ませる。


 「…………レオ……す……き…………」


 顔を背けるレオの服はしっかりと握られ、離れることを許さない。上気する頬のまま振り向けば、幸せそうな寝顔が心音を速める。

 寝言に複雑な心情になりながらも、そっと額に唇を寄せた。

 

 「……リリー、ありがとう…………」


 何の役にも立たない力に落胆した数は、数えきれない。


 ーーーーーーーーたった二人きりの兄弟だった……それなのに…………その残忍さから追放されたクロヴィスに、何も言えなかった。

 ダヴィドは、片割れに奪われるだけの存在だった…………俺は……何一つ、分かっていなかったんだ…………


 『ーーーーいっそ……すべて夢なら良かったのにな……』


 そう言ったアベルが思い浮かんだ。


 現実でなければ、どんなによかっただろう。

 そう思わせるほど、過酷だったあの頃と今も、そこまでの大差はない。


 人々の暮らしに差はあれど、彼にとってはどちらも無価値のように映った。彼女だけが光のような存在であったからこそ、全て滅んでしまってもいいと思った事があったのだろう。狂気のような想いに蓋をして、夜明けを待ち望んでいた。






 「ーーーーーーーー我々の悲願だ……」


 薄暗い部屋でそう口にしたクロヴィスの瞳は、黒く染まっていた。彼の視線の先には、ボロボロになった玉座があるだけで人影はない。黒ずんだ革は大きく破れ、修繕した名残りはあるが叶わなかったのだろう。中の生地が剥き出しになっている部分が見られる。


 「…………我々の……」


 かつては豪華な装飾で彩られた部屋も、今は廃墟と化した無惨な姿だ。

 頭が痛むのだろう。左手で押さえ、足をつく。本来ならば執事なり世話役が真っ先に気づくはずだが、此処には誰もいない。どれだけ苦しもうとも助けは来ないのだ。


 「……………め……だ……」


 もがき苦しみながら巡る記憶に闇が広がっていく。


 『化け物!!』 『人殺し!!』

 『お前なんて、いなければ!!』 『お前のせいで!!』

 『能無しが!』 『この文無しが!!』


 暴力を振るった奴は一人残らず殺した。

 害虫がいなくなって、実に良い気分だった。

 そう感じていた筈なのに、いつの間にか囚われていた。

 長すぎる生は牢獄のようだった。


 それは、ずっとリリーの中にあった懸念の一つでもあった。長い時間を過ごすには、一人ではあまりに過酷な時代だった。よく人は一人では生きられないとか、支えあって生きているとか言うが、その通りであったと身をもって知る事となった。


 『ーーーー貴方の望みは?』


 魔女だろうが誰でも良かった。

 片割れを守れるのなら、何だって良かったんだ。

 何も初めから嫌っていた訳ではない。

 むしろ片割れは自分自身のように映った。

 もう一人の自分は人が良く騙されはしたが、人々に好かれていた。

 自身とはあまりに違う為、クロヴィスが本来持っているはずの心を全て持っているかのように映り、いつしか歪んでいった。

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