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43 目覚めと眠り 下編

 香っては消えていく甘美な香りに酔いしれそうだ。完全に記憶の戻ったリリーは、今までの比にならない程の香りを纏っていた。プラチナブロンドの本来の姿だという事を考慮しても、それは予想以上の効力である。


 顔色の悪かった筈のレオは満ちていた。強化されたのだと、はっきりと自覚出来るほど能力の向上が分かる。今ならば、一瞬で葬る事も出来るだろう。


 「リリー……」

 

 甘い囁きに心が揺れ動く。上昇する体温に染まる頬を見せられ、レオの心も揺れる。逢いたかった姫は、変わらずに微笑んでいた。


 「ーーーーレオ……」

 「あぁー……また……」


 小さく頷き、額を寄せ合う。少し前までのリリーなら慌てていた事だろう。今は至近距離にドキドキしながらも、気分は和らいでいくようだ。


 まだ城にいた頃……約束をする度に、額を寄せ合った。

 レオと……離れる時も…………


 「…………懐かしいな……」

 「うん……」


 共通の記憶に頬が緩む。時間を共有した日々が確かにあった証だ。


 「ーーーーリリー?」


 離れていくレオの手を反射的に掴んでいた。


 「ーーーーっ、な、なんでもないの!!」


 顔をそむけ、両頬を手で覆うと、熱を感じる。


 思わず掴んだ手は、あの頃と変わらず騎士の手だった。

 不安に思うことなんて、無いはずなのに……


 背中から抱きしめられ想いは巡り、頬に伸びた指先で泣いていたのだと気づく。


 「ーーーーっ、レオ……修さんと、史代さんが…………」

 「あぁー……」


 張り裂けそうな想いに、気づけば彼の腕の中で泣いていた。大粒の涙は止まる事なく降り続ける。


 『……リリーがすべて想い出した頃に、会いに行くよ』と、言ってくれたけど……叶わなかった…………

 本当の願いは、いつだって叶わない……この手を、すり抜けて……


 「リリー……」


 手の温もりに生きていると感じる。


 生きているからこその、この胸の痛み…………レオだけじゃない。

 生きていてほしいという願いは…………なんて、残酷なんだろう……今までも、何度となく仲間を生かす為に口にした言葉は、確かに本心からだった。

 だけど…………残された側は?

 自分だけが生き残る辛さは、痛いほど分かっているはずだったのに……


 「ーーーーっ、レ、レオ……」


 嗚咽を漏らしながらも口にすれば、子供をあやすように背中を撫でられる。少しずつ気分が和らいでいくのは、ようやく泣く事が出来たからだろう。

 どれだけ気丈に振る舞っていても、オルティーズとの敵対も、二人の死も、簡単に受け入れられるものではなかったのだ。


 錯綜する記憶に戸惑ってる場合じゃない。

 クロヴィスを止めないと、私達に未来はない……それは、痛いくらいに分かっているの。

 始まりは…………彼、だったのだから…………


 『ダヴィド、さようなら……』


 そう言った魔女ーーーークリスティーは、呪いをかけた。

 永遠に溶ける事のない呪縛のような呪いを。

 愛していたはずのダヴィドの変わりように一番衝撃を受けたのは、彼女自身だったのかもしれない。

 空白の時間が増える度、変わっていく夫。

 戸惑いながらも受け入れるしかなく、どうする事も出来ない無力な自分…………それは、今の私のようだったのかもしれない。

 自分の無力さを嘆いた所で現実は変わらない。

 どんなに想っていても、届かない…………この手をすり抜けていく感覚に襲われる度、空虚感だけが蓄積していく。

 双子が生まれた瞬間から……始まっていたのかもしれないのに…………


 それはーーーーヴァンパイアというよりも純血の業だった。


 不確かな記憶が鮮明に蘇り、頭を押さえる。倒れそうになるリリーを支えたレオは、自身の膝の上に頭を乗せた。


 「ーーーーレオ……」

 「あぁー……終わらせる」

 「うん…………」


 …………ヴァンパイアも人も関係ない……そう、はっきりと言える世の中だったなら…………


 額に触れる手に、リリーはそっと瞼を閉じた。柔らかな感触に瞬かせれば、レオの顔が間近にあった。そっと唇が離れていき、また柔らかく触れ合う。


 二人が望んだ未来は、今も叶ってはいない。

 少しは近づいていると思いたいのは、陛下の絶え間ない努力が報われて欲しいと願うから。

 孤独を感じないはずがないのに…………


 「リリー……」


 溢れる涙の意味はレオにだけは伝わっていた。彼が気づかない筈がない。だからこそ純血は呪われているのだから。


 少し目を凝らせば、心の内が読める。

 だからこそ、裏切る事は不可能で……長老達の策略は、ある程度までは見通す事が出来た。

 でも…………すべては、叶わなかった……


 「クロヴィスは…………」

 「あぁー」


 言葉少なに応えるレオに深く頷き、立ち上がろうとして引き戻される。


 「ーーーー無茶はするな。一番、手強いのは……分かってるだろ?」

 「うん……必ず終わらせるの」

 「あぁー……」  


 必ず、終息させてみせる。

 あれだけの事をしたというのに、裁かれないなんて…………そんなの……


 「リリー」


 頬に触れる手に瞼を閉じる。重なり合った唇から想いも伝わっていくようだ。


 「…………レオ……」

 

 確かめ合うように抱き合い、甘い夜を過ごす。漏れ出る声に煽られながら、深く溶け合っていった。




 ーーーーーーーーまただ……また……あの夢…………


 無惨に殺された仲間の仇をとる事すら出来ない無力な自分に、何度嫌気がさしたか分からない。

 傷を癒せたって、何の意味も無い。

 死んでしまったら、もう……二度と、生き返らないんだから……


 『ーー仲間ヲ、返シテホシクバオマエノ命ヲ捧ゲルノダ……純血ノ姫ヨ……』


 不気味な声が放つ言葉に、上手く息ができない。


 私の命一つで助かるのなら、差し出しても構わないとさえ思った事もある…………


 『自分を蔑ろにするな! 会いたいんだろ?!』


 見透かすようなアベルに、言葉が出なかった。


 ずっと…………逢いたかった…………

 たくさんの仲間がいて、幸せな日々もあった。

 それでも、彼にもう一度だけ……ひと目だけでもいいから、逢いたかった…………だからこそ、生き抜く事が出来た。

 それだけが支えになっていたの…………どんなに疲弊していても、気丈に振る舞う事が求められた。

 今思えば、誰も無理強いなんてしていなかったのに……そう、強くなければ……私が、生きていけなかったの…………


 「ーーーー……リリー?」


 眠りながら涙を流す頬に触れると、苦しみが和らいでいくのだろう。柔らかな表情に戻っていく。  


 『ーーーー姫様……ありがとう…………』


 消えていく度、最期に残された言葉。

 何も出来なかった私に……そんな風に言ってもらう資格はない。

 無謀だと思われても火の中を進んだのは、一人でも救いたかったから…………結局、誰一人として救えなかったけれど……投げかけられた言葉は、優しいモノばかりだった。

 

 業火が全てを掻き消していく。小さな指輪の一つさえも残らない。粉々に砕け散って欠片さえも拾えず、灰になっていく。目の前に突きつけられた現実は残酷であった。


 どれだけ打ちのめされても、止まる事は許されなくて…………嘆いて悲しんでいるような僅かな時間すら与えられなかった。

 非情だと感じたけれど、それはすべて……仲間の為だった。

 あのままとどまっていたら、更に犠牲者が出ていた…………頭では分かっていても、心は追いついていかなかった。

 多くの血が流れ、どれだけの仲間が命を落としたのだろう。

 

 リリーの記憶に残るのは、綺麗なブロンドのさらさらの髪に、寂しげに揺れるターコイズグリーンの瞳だ。


 ーーーーーーーー生きるのに必要なだけ名があった。

 レオを表す名は、『玲二さん』だけじゃなかった。

 今は本来に近いモノになっているけど、そうじゃない事の方が圧倒的に多かった…………仮初の幸せな時間が終わる時が来たの。

 私は…………その為に、在ったようなモノなのだから……


 「ーーーーリリー、リリー!」

 「ーーーーーーーーん……」


 耳に響く声に目覚めれば、心配そうな瞳の彼が滲んだ視界に映る。

 

 「リリー!!」

 「…………レオ……」

 「あぁー……」


 頬に触れる指先が涙を拭う。


 「ーーーーこれで終わりだ」

 「うん……」


 紅く染まる瞳が遠い記憶を呼び起こす。

 

 あれは…………いつの事、だったのかな……


 「リリー?」

 「ーーーーレオ…………今度は……」

 「あぁー」


 強く抱き寄せられ、現実だったと知る。


 目の前で大切な人達が消えていく度、心は酷く擦り減っていった…………レオの為に、私は……


 「……レオ…………」


 言葉に詰まるリリーに優しい眼差しが向けられていた。背中に感じる温もりに、また涙が零れる。


 胸を借りて泣き叫ぶリリーに言葉が出ないのはレオの方だ。純血の呪いとは無縁の世界で生きていて欲しかった。それが不可能だと分かっていながら、願わずにはいられなかった。

 彼が望まなければ、狙われる事も、仲間の死さえも、防げられたのかもしれない。何度も後悔に襲われていたのはレオの方だった。


 「ーーーーリリー、すきだよ……」


 謝る代わりに口にした言葉に、反応を示す。あれだけ想われていながら、時折不安が押し寄せていた。それは彼女自身の本能だったのかもしれない。


 顔を上げると耳を赤く染めたレオに、あの頃が重なる。


 「……うん…………レオ、ずっと一緒にいてね」

 「あぁー、約束する」


 キッパリと肯定する口調に安堵の息をつくと、視界が揺れる。


 「わっ!!」


 ベッドにダイブするように腕を取られていた。


 「おやすみ、リリー」

 「うん……おやすみなさい、レオ……」


 寄り添って眠る二人は互いを信頼しあっていた。幼い頃の記憶を辿るように、幸せな夢を見ているようだった。

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