35 貴族の矜持と騎士の誇り
私には、今も分からない事ばかりで……オルの加担すら計画の一部だったのかもしれない。
すべてが……魔女の思いのままだったのかもしれないのに……
「ーーーー何故……オルティーズは……」
オレールの声は騎士の疑念そのものだ。
「オルには……どうしても、甦らせたい人がいるの」
「甦らせる?」
「あぁー……オルの恋人は…………人間に、殺されたんだ」
初めて聞く事実に、騎士達は顔を見合わせる。オルティーズをよく知るバジルにとっても初耳であった。
「オルにとっては……たとえ同族であっても、許されざる恋だったから……」
「ーーーー身分の差か……」
「あぁー……ベルナールが即位するまでは、よくある話だけどな……」
現在の王になるまで、それは残忍な方法で殺戮を繰り返し、領地を広げてきた。歯向かう者は容赦なく切り捨て、反論を許さない。王が絶対的な存在であり、同胞の生きる意味でもあったが、貧富の差が激しかった時代だ。
「ーーーーありがとう……」
「いえ……」
重くなる空気に、ふわりとハーブの優しい香りが漂う。
王宮の一角に集まり、ギーの淹れたお茶で喉を潤す。混乱した頭が、すっきりと冴えていくようだ。
「では、オルティーズは……」
「あぁー……禁忌だと知っていながら魔女にすがり、ヴァンクレールに落ち度はないと分かっていながら、村を焼き払ったんだ……」
レオから語られる真実は、信じられない事ばかりだ。王族に背く事は罪深く、仮に幾ら疎んでいても行動に起こす者はいない。現実的な行動とは思えず、言葉に詰まる。
静まり返る部屋に、ソーサーに乗せるカップの音だけが響く。
「ーーーーオルは……彼女と共に、仲間を殺した……許す事はできないけれど…………それでも、恋人の……あまりに無惨な最期を見れば……その気持ちは、分からなくもないの」
大切な人が……目の前で命を散らす場面を何度も見てきた。
どんなに願っても、生き返ることはない。
無力な自分を何度呪ったか分からない…………そう、オルが彼女の手を取った事すら、魔女の思いのままだったのではないかとさえ思うの……
「……呪いだな」
不意に重ねられた手に気持ちが和らぐ。澄んだ瞳に、リリーは小さく頷いてみせた。
「うん……セリアも……甦らせられたに過ぎないから……」
ガタンと、テーブルが揺れる。乱暴にカップを乗せ、思わず拳を打ちつけた。
「ーーーーっ、魔女は!!」
声を荒げるバジルをオレールが制す。掴まれた腕から力が抜け、ソファーに座り直した。
「……うん……魔女は……私達を呪い続けているの」
「あぁー……マリオンが殺した魔女は、確かに死んだ。そして、愚か者の手によって甦らせられたセリアは、彼女の皮を被った別人……クリスティとして、次の世を生きた……」
魔女と揶揄されるようになった彼女は、姿を保ってはいても彼女本来の性質とは違っていたの。
最初だけだった……本物だったのは…………一度は死んだ人生をやり直せるなんて……そんな現実離れした話はない。
蝕まれていった心は酷く歪み、自身でさえ制御できない程になってしまったの。
魔女が使っていた黒魔術を巧みに使い偽装した。
セリアは、自身を甦らせたアントムと側近を恨んだ…………彼等が愚かな行動を起こさなければ、こんな事態になる事もなかったのかもしれない……
「リリー?」
「ーーーーううん……分かってるよ……」
「あぁー」
レオの問いかけに迷いなく応える。
ーーーーすべてを……救う事は叶わない。
命の選別は常に行われてきた。
平和な世になっても、私達はある意味であの頃のまま……譲れないモノの為に命をかけてきた。
そう、オルも……恋人、カーラの為に命を捧げているの。
無力な自分を許せなくて……無惨に殺した人間が許せなくて……大量の命を奪ってでも、もう一度会いたい人がいるの。
ほんの少しの弱さを突かれ、オルは魔女の言いなりとなった……その気持ちは、痛いくらいに分かる。
どんなに泣き叫んでも、もう二度と叶わない…………どんなに願っても、もう二度と会えない…………それは、ダヴィドも同じ。
王族を守る為に在った至上主義は、いつしか変わっていった。
アベルが気づいていた通り、クリスティーと結婚した時から少しずつ狂っていったの。
心の弱さにつけ込み、闇へ堕とすのが、魔女のやり口。
頭に鳴り響く警告を分かっていながら、その手を取ってしまうほど……彼女の能力は高い。
巡る記憶に後悔ばかりが付きまとう。
もっと早く、目覚めていれば…………考えても仕方がないと分かってはいても、心はそうはいかない。
私に死を見せるのは、それも復讐の一環だったから……魔女も、アントムにそうやって……両親を、友人を……数多くの人々を殺されてきたから……だから…………
「…………リリー」
エメラルドグリーンの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「ーーーーっ、なん……で……」
皆やるせない思いを抱えていたが、その大きさはリリーが一番強いようだ。
優しい手が触れ、涙に気づく。
「…………レオ……」
「いいんだ…………これは、俺の特権だろ?」
「うん……」
抱き寄せられ、背中に触れる温かさに、そっと瞼を閉じる。
加速する甘い雰囲気は、殆どの騎士にとっていつもの事だが、ヴィスの感情はまだ揺れ動いていた。
彼女の為に剣を振るいたいとさえ思う自身に驚いていた。
貴族として王族を支える立場だが、それを捨てでも彼女を守り通せと、心が叫ぶ。純血に持つ感情と、何ら変わりはない。心は最初から分かっていたのだろう。ただ、自身の感情が追いついていなかったのだ。
「ーーーーリリー様……」
「ヴィス…………傷が痛むの?」
躊躇いなく触れてくる手に、急激に上昇する体温。周囲の騎士は生暖かい目で見守っていた。
「い、いえ……先程、癒して頂きましたから……」
服を着替えただけでなく、確かに胸元にあった傷は綺麗に無くなっていた。リリーが治癒してみせたのだ。
柔らかに微笑むリリーは引き戻され、膝の上に収まる。騎士もあまり見ないレオの瞳に、頬が染まるのはリリーだけではない。
「レ、レオ!」
「これくらい許せ」
「ずるい……」
顔を背けても、すぐに引き戻される。甘いやり取りを間近で見ていたヴィスの方が赤らめる。
「ーーーーそれで、今後の方針は?」
態とらしい咳と共に、バジルが口を開いた。
「迎え撃つ事に変わりはない。引き入れる仲間がいなくなった今、魔女はリリーを欲するはずだ」
「……なんで、姫様なんだ?」
マリユスの疑問は最も……本来なら、私である必要はない。
ヴァンパイアを憎んでいた魔女なのだから……
「リリーが……マリアの娘だからだ……」
「それと、魔女と……何の関係が?」
「それは…………」
言い淀む手を握ったリリーは、深く頷いてみせた。彼女にはそれだけの覚悟があった。目覚めた瞬間から、こうなる事も予期していたかもしれない。
「マリオンに執着していたセリアの想いが強かったの……記憶に残っていたから……」
「記憶……ですか?」
「うん…………セリア自身も甦らせられたって言ったでしょ?」
頷き応える騎士に、重い口を開く。
「……甦らせる事すら、魔女の意のままだったの。甦ったセリア……クリスティは、彼女自身のようで半分以上は魔女そのものだった」
「あぁー、魔女は純血を憎んでる。だからこそ、いつの世も純血に近い者がターゲットとなった」
そう……犠牲になるのは、いつだって純血に近しい仲間から…………アベルも気づいていたけれど……マリアが生まれた事すら、対抗する為の一つの手段だったのかもしれない。
あの村を焼いてと、頼んだマリオンの瞳は……今にも泣きそうだった。
他に、魔女の業を止める手立てがなかったから……
「許せるはずがないだろ? あれだけ憎んでいたヴァンパイアと人の友好の象徴であるヴァンクレールを生かしていたら、何の為に呪っていたのか分からなくなる」
「……そう……理由なんて、何でもよかったの……私達を殲滅する事が出来るなら、何だって……」
「あぁー……」
再び重い空気が漂う。魔女が恨んでいる事は分かっていたが、それ程までの惨虐的な記録は何処にも残されていない。
純血にとって隠蔽は容易い。当時の王が『YES』と応えれば、たとえ間違いであっても、それが真実になってしまうのだから。
「ーーーー殿下…………」
「これ以上はよそう……気分がいい話は一つもない……」
純血の異常性は分かっていた。
畏怖の対象となる程の絶対的な権力に統率力。
憧れてやまない存在…………それが、純血の王。
それは、今の世も変わりはない。
「レオ…………殿下……」
改まって告げるバジルは片膝をついた。それに続くように次々と膝を折る。王に傅ずく騎士そのものだ。
「……我々は、必ずや呪いを解きます!!」
「この命に代えてでも!!」
それは、リリーが城を出る前に見た光景であった。
ーーーーーーーー本当に、戻ってきたんだ…………
錯綜する記憶は胸を締めつけるが、全てが悲しい記憶ばかりではない。幸せだったひと時も確かに存在していた。
「……最後まで、付き合ってくれ」
『はっ!!』
「ただし……誰も、死ぬ事は許さない」
『はっ!!』
懇願にも近い命令に勢いよく応える。度重なる戦いで騎士の代替わりはしていたが、今も変わらずに殿下を慕う姿があった。
叶わないと知りながら、誰も傷つかない事を願う変わらない二人がいた。




