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34 彼等の正義と彼女の別の正義 下編

 「お願いします、セリア様! あの村を焼いて下さい!!」

 「ーーーーっ、あ……貴女は……」


 マリオンが背中に触れると、先程まで発する事の出来なかった声が戻る。


 「…………私も……変わらないのです……これは、現実から目を背けてきた罰なのです……」

 「マリオン……」

 「セリア様、お願いします…………私では、あの村を焼き尽くす事が出来ません……」


 深く頭を下げる彼女に切実な願いだと分かるが、戸惑いを隠せない。順応性が高いセリアであっても理解に苦しむ。


 正妃である私に妾が向ける視線は……いつだって、冷たかったわ……そう、マリオンを除いて……

 

 「…………貴女は?」

 「ーーーー私も……セリア様と……同じでございます」

 「……純血……なのね?」

 「……はい……力は……譲り受けませんでしたが……」


 頭を過るのは、アントムの告げた言葉だ。


 「貴女…………双子だったの?」

 「ーーーーはい……妹は、死んでしまいましたが……」

 「…………そう……」


 素っ気ない態度をとるセリアに、変わらずにマリオンは懇願を続けた。彼女の故郷でもあるはずの村は、一人の魔女によって支配されていたのだ。


 マリオンが……純血…………頭の片隅にあった違和感は、これだったのね。

 学ぶ機会さえあれば、造作もない事だわ。

 私達にとって、一度目にしたモノは忘れられないのだから……


 「……陛下は…………」

 「いえ、彼の方はご存知ありません。真実を告げたのは、セリア様が初めてでございます」

 「何故……」

 「セリア様ならお分かりになるのでは?」


 あぁー……マリオンも……私と、同じなのね…………


 純血でありながら、まともな生活を送ってこなかった。それは二人が双子と近しい間柄だからだ。マリオンは自身が、セリアは父が、忌み嫌われる双子であった。


 「……私は…………」


 狂っていくお父様を止める事が出来ず、秘密裏に処刑されたと知ったのは、アントム様の寵愛を受けるようになってからだった。

 私は……純血でありながら、何も分かっていなかったのだと、思い知らされたわ。

 ダリが亡くなった日…………本当なら、あそこにいるのは私のはずだったのよ。


 「……場所は、分かるわ」

 「では!」

 「ええー……でも、貴女は……マリオン?」


 遠くを見つめる横顔は、はるか未来を見ているかのようだ。


 「私は……魔女を…………あの女を……」


 怒りに震える声色にセリアは驚く。穏やかな少女が見せる初めての姿だ。


 「…………マリオン……」


 思わず手を握るセリアに、マリオンは曖昧な笑みを浮かべた。自分の命を燃やしてでも、魔女を葬る覚悟が滲んでいる。

 触れた手は、まだ僅かに震えていた。


 ーーーー震えるほどの怒りを感じるわ。

 それだけの事が……あの村では、行われていたのね。


 セリアも不思議には思わない。何故なら、人間の残酷さは何度も痛感してきたからだ。

 純血にとって人間と偽って暮らす事は容易い。完璧に偽装できたとしても、所詮は外見だけだ。心根までは変えられない。それはヴァンパイアも人間も同じだ。取り繕う事は出来ても、続けていれば綻びが生まれる。


 「……私の血を吸って下さい」

 「ーーーーっ、マリオン……」

 

 ある意味では自分の命を差し出す行為だ。ヴァンパイアは日常的に命のやりとりを行っていた。

 それは、この時代の人々と何ら変わりはない。数多くの戦争があり、命の選別がされていた時代だ。


 戸惑っていたセリアも、懇願に抗うことなく首筋に牙を埋めた。流れ込む感情に、体が熱を帯びていくようだ。


 「…………セリア様……ありがとうございます……」


 一筋の涙が頬をつたう。セリアにとっては些細な事でも、マリオンにとっては重要な事だったようだ。

 彼女から伝わる記憶にセリアは呼吸を乱す。それは自身が置かれた状況よりも、はるかに過酷な現実であった。 


 「ーーーーっ、はぁ……はぁ……はぁ……」


 肩で息をしながら、吐きそうになる場面にセリアは思わず口元を押さえた。


 「……よく……生き延びたわね…………」

 「はい……」


 それ以上を語らないマリオンに、セリアも求めない。

 そっと笑みを見せ、地下牢を抜け出した。

 

 マリオンの記憶は、無惨な実験にヴァンパイアが使われていたわ。

 そう……ダリも、その一人に過ぎなかったのね……


 目の前に浮かぶ情景に怒りが湧き上がる。村はあの頃と変わらずに存在していた。


 強く握った拳を広げ、行き交う人に向けて放つ。火だるまになる様が重なって映るが、構わずに放ち続けた。


 懇願通り、セリアは村を焼き尽くす。少しの躊躇いもなく命を奪っていく非情さがありながらも、一筋の涙が頬をつたう。


 気づけば燃え盛る炎の前で、泣きながら立ち尽くしていた。


 ーーーーマリオンは、果たせたかしら…………


 あれだけ嫌っていたはずの妾の心配をする自身に驚く。止めどなく溢れてくる涙の理由を分からずにいた。

 

 黒炭になった枠組みに灰が混ざる。人ではなくヴァンパイアだった証だ。

 黒焦げの塊は数える程しかいない。それは、ほとんどが同族だった証だ。


 「…………マリオン……」


 思わず口にした名に驚きながらも、不思議と憎しみは消え去っていた。


 鎮火を許す事なく、燃やし尽くす。

 それから三日三晩、村は燃え続けた。気づけば三日も経っていたのだ。


 ーーーーーーーーまだ……足りないわ。


 フツフツと湧き上がる憎しみに囚われていた。


 あれだけ村を焼いても、人を殺しても、何も……何も、感じないのよ。

 もう……何が正しいのか、分からないわ……


 「…………其方が……」 

 「ーーーー陛下……」


 あれほど恋焦がれていたはずのアントム様が……知らない人のようだわ。


 ようやく訪れた陛下を虚な目で見上げた。浴びせられる罵詈雑言はセリアには届かない。


 ーーーー視線が合う事もないわ。

 今頃になって、自身の愚かさに気づくなんて……


 剣先を向けられても恐怖すらない。あるのは愚かな王へ向ける侮蔑の視線だけだ。


 アントム様が……知らないはずが無いもの…………この方は、知っていながら放置したんだわ。


 騎士に取り囲まれ、無数の刃と共に向けられる害悪。


 あぁー……私は…………


 抵抗する事なく受け入れたセリアの瞳は一瞬だけ澄んだ色を見せたが、すぐに消え去った。


 グサッと、イヤな音が響く。無数に貫かれ口から血を吐き、声を発する事も敵わない。彼女はただ焼き払った村に、ダリを想い返していた。


 『ーーーーセリア様、お慕いしております』


 あの日に戻れるなら、私は……………


 音もなく灰になっていくセリアに、アントムは正気を取り戻していく。

 目の前で最愛の彼女が無惨な死を遂げる。それは魔女の復讐であった。ヴァンパイアに両親を殺された娘の復讐の一環であったのだ。


 「ーーーーっ、セ……リア……セリア!!」


 手遅れだ。どんなに叫ぼうと、純血の力を持ってしても、生き返る事はない。

 目の前で命を散らした正妃に、アントムは両膝をつく。それは騎士達が初めて見る王の取り乱した姿であった。


 「セリア! 逝かないでくれ!! セリア!!」


 数刻前まで罵詈雑言を浴びせた同一人物とは思えない程の狼狽ぶりである。


 「ーーーーっ、セリア様!!」


 駆け寄るマリオンは騎士に阻まられる。


 「なりません! マリオン様!」


 驚くほどに彼女の手は血で染まっていた。血に慣れているはずの騎士が思わず口を袖で覆うほど、酷い死臭がする。


 「また……間に合わなかった…………」

 「ーーーーマリオン……其方は……」

 「……陛下、目覚められたのですね」

 「あ、あぁー……」


 向けられる視線に戸惑いを隠せない。常に何かに怯えた様子のマリオンとは別人のようだ。血に怯える事もなく、堂々と短剣を握りしめている。簡素な格好をしているとはいえ、少女に似つかわしくない。


 「ーーーー陛下……セリア様のおかげで、ようやく村は滅びました……」

 「セリアのおかげ?」

 「はい…………お忘れ、ですか?」


 酷く冷たい視線に思わず後退りしそうだ。純血の王であるはずのアントムでさえ、畏怖を感じた。それは彼女も純血であったからだろう。


 「……魔女は…………」

 「ここに」


 ドサッと、地面に投げ捨てた砂袋には、血塗れの遺体が入っていた。何処から出したのか不思議に思う余裕はない。ただ目の前の現実を直視できずにいた。


 「マリオン、其方は……」

 「私は、この村の生き残りです…………殺しますか?」

 「ーーーーっ!!」


 その瞳が殺して欲しいと物語っていた。約束を叶えたマリオンにとって、この世の未練は一つだけだ。


 「アントム様…………お慕いして、おりました……」

 「マリオン……」

 「…………マリアを、頼みます」


 不憫な娘の事だけが気がかりだが、負の連鎖を断ち切る事を最優先とした。持てる力を振り絞り、自らに短剣を突き立てる。


 「ーーーーっ、よせ!!」


 アントムの叫びは届かない。マリオンは彼女が死んだ時点で対価を払う気でいたのだ。

 生命力の高さを呪いたくなるほど、簡単に死ぬ事の出来ない体。マリオンが純血だったなら、此処まで魔女が力をつける事も、呆気ない最期を迎える事もなかっただろう。


 「ーーーーっ……さよ……なら……」


 音もなく消えゆく姿は、ヴァンパイアのそれであった。


 「そんな……マリオン!!」


 半分以上ヴァンパイアとして生を受けたマリオンは、確かに純血と言ってもいい存在であった。本人が望まなくとも、陛下でさえ純血と感じた。

 そんな愚かな王の前に残ったのは、すっかりと変わり果てた村と愛する者の灰であった。


 「ーーーーーーーー私は…………」


 両膝をつき、後悔が襲う。いつからか曖昧になっていった感情は、ダリを見殺しにした時からだろう。王であるアントムが操られていたとは誰も思わない。残忍な性格は元からであり、魔女は少し手を貸したに過ぎなかったのだから。

 





 「…………純血にしては、呆気ない最期だったな」

 「うん……そして、アントムが死にガスパルが即位する頃には…………」

 「あぁー……セリアが魔女と揶揄されるようになった」


 何処までが現実で、何処からが仮初だったのか……今となっては、誰にも分からない。

 私は…………


 仮初の城は廃墟となった苦い記憶が甦る場所に建っていた。不意に抱き寄せられた肩に、考え込んでいたのだと気づく。


 「ーーーー大丈夫だよ」


 そう呟いたリリーは青空を見上げ、レオに寄り添う。倒れそうになる程の記憶も、今は体に馴染んでいるようだ。


 「…………リリー……魔女は…………」


 辛うじて声を発するバジルに頷く。


 「うん……誰よりもヴァンパイアらしい……その血が、許せなかったの……」


 魔女と呼ばれるまでの彼女を……私は、知らない。

 遠い記憶、マリアを通して知っているだけ。

 無理に甦らせられたセリアは、生前よりも歪んでいった。

 それは、本当にセリアと呼べるモノだったのか…………それすら曖昧になっていったの。

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