表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/49

32 彼等の正義と彼女の別の正義 上編

 「先々代の王……アントムにとって、クリスティ……いえ、セリアは望んだ女性だった……自分と劣らない血統も、美しい容姿も、彼女を支配すれば……すべてが叶うと思っていたの……」


 騎士達にとって初めて聞く名だ。歴史を学ぶ場を作ったレオだったが、詳しい内容は語れはしない。王族の名を誦じているのは、王であるベルナールとレオだけである。それは王族だけが独占している知識であったが、リリーにも容易な事だった。


 驚愕した様子の騎士達に、リリーは柔らかく微笑んでみせた。


 「……セリアにとって王妃の座は、自分に相応しいモノだと思っていたけれど……幸福な日々は、長く続かなかった……」

 「あぁー……アントムは側室を増やし続け、子孫を多く残したが、正妃であるはずのセリアとだけは……最期まで、子を成す事はなかった……」

 

 すべては先々代の時代から、始まっていたのーーーー

 





 「ーーーーそんな……」


 思わず悲痛な叫びが漏れる。陛下が人間との間に子を成したからだ。


 「セリア、可愛いではないか……其方が正妃である事に変わりはないのだ。私の一番はセリア、其方だ……」

 「陛下…………」


 握られた手が酷く冷たくなっていく。

 あれだけ望んでいた子を一気に亡くしたわたくしには、裏切りのようだわ。


 「ーーーーマリオン、よくやった」

 「陛下……ありがとうございます……」

 

 セリアの目の前には、愛おしい我が子を抱くマリオンとアントムの姿があった。

 妾の一人にすぎないマリオンとセリアでは、天と地ほどの差があるが、彼女には自身こそが要らない存在のように思えた。


 ーーーー見下されてる気分だわ。

 陛下だって、あれだけ人間を嫌っていたのに……私は、マリオンにすら勝てない……


 勝ち負けの問題ではないが、セリアにとっては堪え難い屈辱だった。


 ……純血に心を奪われたなら、まだ理解出来るのに…………マリオンは、人間じゃない。

 何の力も無いくせに、陛下の寵愛を受けるなんて……何も知らない、ただの人間のくせに…………


 セリアを黒い感情が包んでいく。周囲の呼び止める声も聞かず、離宮を抜け出していた。

 

 「ーーーーっ……」


 声を上げる事も出来ずに、一人で涙を流す。


 正妃と言っても、所詮はお飾りだわ。

 結局、陛下は……あれから、私を望んで下さらなくなった。


 双子を孕ったセリアは、自分の命と引き換えに子を失ったのだ。陛下の下した判断とはいえ、堪え難い事だった。


 現代の王ベルナールよりも二代前の王アントムは、先代のガスパルの時代よりも更に純血が力を持ち、繁栄したとされる。

 先々代のアントムは多くの側室を持ち、子をたくさん成したが、正妃であったセリアとだけは最期まで子を成す事はなかった。

 そんな中、人間で唯一側室となったマリオンは例外中の例外であり、陛下の寵愛を一身に受けた。それは誰が見ても一目瞭然なほどに。


 「…………マリオンさえ、いなければ……」


 そう口にしながら、陛下の言葉も分かってはいた。


 私を望んで下さったから…………そう言い聞かせる事でしか自分を保っていられないわ。

 純血のヴァンパイアである私が、人間の娘に劣るというの?

 たかが十数年しか生きていない娘に、負けるというの?


 堪え難い屈辱に苛まれ、セリアの心を黒く焦がす。


 「ーーーー失礼致します」


 メイドが扉をノックした事にも気づかず、忌々しげに叫ぶ。


 「ーーーー元は、生贄のくせに!!」


 人間がヴァンパイアを恐れ、生贄として差し出した見すぼらしい娘……あの日の事は、今も鮮明に覚えているわ。

 それが、たった一年で美しく変貌したけれど……私の方が美しいのに。

 痩せ細っていた体にいくら肉がついた所で、純血の私に敵うはずがないのに……


 「何だと言うの?!」


 今までも当たりがきつく、物言いが激しい事は度々あったが、ついにセリアはメイドに手を上げた。

 

 純血の側に仕える事はメイドにとって名誉であったが、死を間近に感じる場所でもあった。

 セリアに叩かれた頬を押さえ、その場に座り込む。恐ろしさのあまり声すら出ない。赤く染まった瞳が、贄にした人間を貪る姿と重なって映る。


 「ーーーーっ、その目は何?」


 今まで、それなりに使用人達とも上手くやっているはずだったわ……それなのに…………皆、私を憐れんでるようだわ。

 こんな下級の同族にまで、こんな目で見られるなんて……私が正妃でしょう?


 頭を下げたメイドに、優越感よりも苛立ちを覚える。


 「本当は……少しも、悪いとは思っていないのでしょ?」

 「いえ……その、ような……」

 「私が間違っているとでも言うの?」


 何を言っても不正解の状態だ。メイドは押し黙ったまま平伏したが、それすら気に入らないとばかりに頭を床に強く擦りつける。


 「ーーーーっ……」


 悲鳴を呑み込んだメイドは、強く頭を押さえつけられセリアの表情が分からない。ただ手の強さから怒りを感じ、赤い瞳で見られていると思い恐れ慄く。


 「ーーーー貴女、いらないわ」


 耳元で声がしたかと思えば、メイドは生気を失っていた。セリアが血を飲み干したのだ。

 

 「ふぅ……美味しくないわねー……」


 急激に痩せ細った体になったメイドは、もはや声を出す事も敵わない。潤んだ瞳に映った彼女は歪んだ笑みを浮かべ、ゴミでも見るかのように侮蔑の視線を向けていた。

 

 「…………さようなら」


 灰になっていく同族にセリアは何の感情も抱いていない。 


 「…………呆気ないわね」


 純血にとって、下級とはいえ同族すら儚い生き物だわ。

 だからこそ……陛下は、惹かれたのかしら…………


 正気に戻ったセリアは、目の前の灰をゴミのように払った。


 「存外……私と、変わらないのね…………」


 塵になったメイドは、服だけが無造作に折り重なり姿を消した。純血の恐ろしさは突出すべき能力にあった。


 混じり気のないセリアは、陛下にも完璧を求めた。だからこそ上手く言いくるめられ、子を残す事を嫌がった。そうとは知らないセリアは、ただ従順であったが故に側室が増えていく事に小言はあれど、反対する事はなかった。

 それは相手がアントムだからか、それとも純血の王だからなのか、セリア自身にも分からない。

 夢物語の純血は、その濃さ故に戦争の火種となった。恐るべき能力の高さに、人々は恐れをなし刃を向けた。


 他者と違うからと刃を向けられ、化物と罵られ、私達には心が無いとでも思っているのかしら…………そんな事、ありはしないのに。

 傷が増え、心を焦がしても、簡単に死ぬ事も出来ない。  


 「ーーーー哀れな生き物だわ」


 そう言っていた人もいたわ。

 確かにその通りだと思ったわ……人知れず生まれ、死んでいく命だもの。

 私が亡くなったところで、彼の方はもう…………悲しんではくれないのでしょうね。


 自身の矛盾な想いに気づいていながら、気づかない振りをした。誰よりも純血であることの誇りも、尊厳も、陛下の前では無意味に変わっていたのだ。


 ーーーー人間が憎い……あの娘がいなければ、私が一番だったはずなのに…………

 行き場のない感情をメイドにぶつけて、遂に殺してしまったけれど……罪悪感はないわ。

 だって、純血以外に興味はないもの。

 陛下さえいて下されば、私はそれ以上に望むものはないわ。


 歪んだ愛情は、呪われた純血が故なのか、彼女の気質なのか、おそらくその両方だろう。


 ベルを鳴らしメイドを呼び寄せ、何事もなかったかのように掃除を命じた。灰を拾うメイドは恐れながらも、静かに命令に従う。純血が正しいといえば、全てその通りになる世界だ。


 「次は、紅茶をお願いね」

 「はい……かしこまりました……」


 気丈に振る舞っているが、その声は微かに震えていた。メイド仲間が殺された事は明白であり、彼女の反応は当然である。

 血統を重んじているとはいえ、あまりに理不尽な最期であった。


 必死に去勢を張る姿に、セリアは冷たい視線を向けた。


 ーーーーーーーー純血以外はいらないのよ。

 存外、簡単に殺める事が出来たわ。

 特に……感情が動く事はないのね…………思っていた通りだわ……所詮、純血と……他とでは差がありすぎるのよ。


 セリアは血統の誇りが誰よりも強かった。だからこそ、純血の、ヴァンパイアの王であるアントムが、マリオンを愛した事が許せなかった。側室との間に生まれた子が、憎くて堪らなかった。


 いつから陛下は変わってしまったの? 

 始まりは…………二人だけだったのよ?


 涙を流すセリアに声をかける者はいない。煌びやかな宝飾で彩られた部屋がやけに重たく感じた。


 いくら高価なモノを与えられても、心までは満たされないの。

 私には、陛下だけ……アントム様だけが、私を導いてくれていたのだから……


 増え過ぎた側室は十人以上。それ以上はセリアですら覚えていない。正確には、記憶する事を止めたのだ。生半可な記憶力ではない事も、彼等ならではの悩みだろう。


 …………私を愛して下さらないなら、陛下はもう居ないのと変わらないわ。

 いくら境遇が似ていても、私は純血なんだから……


 メイドが一人死んだくらいで心が動く事はない。アントムはセリア以上に冷酷だった。それが変わっていったのは、マリオンを生かした時からだろう。


 あの時、始末しておけばよかったのね。

 そうすれば、アントム様は……今も私のモノだったわ。


 一方的な想いが身を滅ぼす事を知りながら、自身に止める手立てはない。

 双子を失った日から、セリア自身も狂っていったのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ