31 偽称と証 下編
「ふふふ……そんなもので、何が出来るというの?」
嘲笑うかのようなクリスティに侮蔑の視線を向けると、エメラルドグリーンの瞳が微かに紅く染まる。
「では……いつまで、そこにいるつもりですか?」
ガシャーーンと、勢いよくステンドグラスが割れ、黒い影が姿を現す。それは、ヴィスと同じ格好をした騎士達だ。
喉元に突きつけられる銀の剣先に、クロヴィスは狼狽える事なく声を上げた。
「はっはっはっ、さすがだな……だが、我らのモノだ! その事実は変わらぬ!!」
「ーーーー殺れ」
頭に響く命令を騎士達は忠実に守る。それが彼の声ではないと分かっていながら。
二人同時に貫かれる姿に、声を上げる者はいない。血が飛び散り、瘴気に似た匂いが鼻を掠める。
リリーは、血だらけの二人から逸らせなくなっていた。
ーーーーーーーーこの……場面は…………
その瞬間、欠けた記憶が甦っていく。頭を押さえ、ふらつきながらも、銃口を魔女に向けたまま。
…………まさか……この為に…………?
倒れそうになる寸前で、見張り番の一人が銃を押さえ、抱き止めた。
人ならば即死の出血も、ヴァンパイアには関係ないのだろう。ヒューヒューと、息を絶えながらもまだ生きている。クロヴィスの真っ黒に染まった瞳は血の涙を流し、魔女は歪んだ笑みを浮かべていた。
「ーーーーさようなら……」
それがダヴィドを狂わせた呪いだと気づくが、手遅れだ。微かに動く指先で、クリスティは自らを炎に包む。
「ーーーーっ、とどめだ! とどめを刺せ!!」
慌てる騎士を横目に、冷静さを保つ。
甦る記憶に終止符を打ったのは彼女と、震える手を支える次期王。声を張り上げた彼は、強靭な見張り番から元の姿に戻っていた。
添えられた手に確信したのだろう。まっすぐに炎を見つめ、二つの銃声が続けざまに響く。
火達磨になった二人が抱き合うように重なり合う中、とどめを刺したのは他でもないリリーとレオだった。
「ーーーーーーーー終わったか?」
「いえ……魔女は……」
「くそっ!」
思わず悪態を吐くレオの頭を優しく包み込むリリー。それは騎士達に、在りし日のアベルとマリアを思い起こさせた。
鎮火しても塵となっていくクロヴィスに、涙を流したのは他でもないリリーだ。騎士にとっては敵以外の何者でもない存在であったが、彼女にとっては違ったようだ。
音もなく消えていく姿に、ダヴィドだけでなく二人を重ねていた。
あぁー……まただ…………また、無力だ…………私の目の前をすり抜けていく。
いつだって……救えない。
誰も救えない……こんな力、何の役にも立たない。
目の前で失われていく命……あの頃と、何一つ変わらない。
私は…………
黒焦げになったクリスティの遺体は、人の形をなしていたが誰かは分からない。皮膚は爛れ、見るも無惨な姿だ。ただそれが、魔女では無いという事だけは騎士にも分かっていた。
「ーーーーリリー…………」
背中から抱きしめられ、彼の香りに包まれる。ようやく息を吐き出したリリーは、涙を拭って狂っていった双子を悔やんだ。
「…………レオ……」
変わらずに綺麗な涙を流すリリーの頬に触れ、違和感に気づく。
「…………想い……出したのか?」
「…………うん……」
「そうか……」
紅みを帯びた瞳と、朝日に照らされた長い髪が輝く。葛藤していたバジルにも、幼い頃の姫と重なって映る。慈しむように穏やかに微笑むリリーは、マリアのようでもあった。
「……うん……私は……ヴァンクレールだけど……そうじゃないから…………」
「あぁー」
強く抱き寄せられたリリーは、そっと背中に腕を回した。
抱き合う二人を眺める騎士から発する言葉は無い。横たわっていたヴィスだけは、手枷が外され驚いていた。
「ーーーーーーーー貴女が?」
「……ヴィス……ごめんなさい…………」
彼女が謝るべき事は一つもない。
務めを果たせなかった自身の方が謝罪すべきだ。
ヴィスは本能的に察知した。彼女には敵わないと。
「……オルは?」
「ーーーー行ってしまった」
「そう……逃れられないのね……」
「……あぁー」
騎士を失い、悲痛な想いが駆け巡る。
オルは……あの日、ダヴィドと共に在った。
黒魔術を使い、ヴァンクレールを全滅に追い込んだ元凶の一人。
アベルを慕っていたオルにとって、純血を蔑ろにする事が許せなくなった。
人を……マリアを、大切に想う気持ちが、理解出来なくなっていった。
オルには……すべてが、耐えられなくなっていったの……
「……リリー?」
溢れ出る瞳は、過去を映していた。
残酷な世界に抗う術はなく、たくさんの命が目の前で消えていった。
魔女の目的は分かった……けど…………慣れない。
こんなこと、慣れるはずがないの…………
その場に崩れ落ち、静かに涙を流す。
「ーーーーっ、また……助けられなかった…………」
涙とは対照的な悲痛な想いを吐露するリリーにとっては、全てが自身の責任のように感じていた。
「…………クリスティは、オルを……」
「あぁー」
同じように膝をつき、肩を寄せ合うレオとリリーに、その場で騎士が傅く。涙を拭って顔を上げれば、真剣な眼差しの騎士と合う。
「…………リリー様……待っておりました」
「ーーーーっ……」
そう言ったトマには、レオと同じく全てが分かっていた。
「……どういう事だ?」
困惑した表情のバジルに視線を向けたリリーは、穏やかに微笑んでみせた。
「……私は……ヴァンクレールであって……そうじゃ、ないの…………」
言葉に詰まるリリーの手を静かにレオが握っている。
視線を通わせた二人は、まっすぐに前を見つめた。
「…………マリアが……ヴァンクレールだったから……」
「ーーーーえっ?」
思わず声を上げたバジルに、リリーは微笑む。
真実を知らない騎士にとって衝撃の事実であったが、ある意味では納得もしていた。彼女が他のヴァンクレールとは違い、限りなく純血に等しい存在だったと、騎士は皆、本能的に感じ取っていた。ヴィスでさえ、反発しながらも表立って命令に反くことは無かったのだ。
「……マリア……様が…………」
「まさか……」 「……そうか」
「そう……だったのか……」
次々と溢れ出る呟きに、瞳が揺れ動く。
……そう…………私はヴァンクレールであって、そうじゃないから…………だからこそ、クリスティは執拗に私達を追った。
オルの裏切りは、仲間を想っての判断だった……結局は、『何が自分にとって一番大切かによるから』……か……
オルにとっては……クリスティを生かす事でしか、叶えられない願いだから…………
「ーーーー見当はついてるのか?」
頭上から聞こえる柔らかな声に、リリーは強く頷く。
「…………修さん達には、誰が護衛に?」
「トマだが、今は烏に見張らせている。今の所、特に異常は無い」
「そう……よかった……」
心の底から安堵したように息を吐き出す。リリーにとって大切な人を奪う事は、魔女にとって復讐の一環であり、覚醒に必要な条件でもあった。
「……どうして、そこまで…………」
ヴィスの疑問は、トマ以外の騎士にとって当然の疑問であった。
何故そこまで魔女が執着するのか?
何故ここまで魔女は生きながらえているのか?
絶対的な純血の命令からは逃れられない。それが彼等の常識である。
「……クリスティは、先々代の王妃だったけれど…………マリアは、先々代の……娘の一人だったから…………」
「姫様は……いつ、から……?」
バジルの言葉の続きは、すぐに分かった。
『いつから知っていたのか?』……当然の疑問だ。
「……他のヴァンクレールと、違う事に気づいた時から……かな…………ずっと、疑問だったの…………何故、私には純血しか扱えないはずの擬態が出来たのか……何故、幼い頃は吸血をしていた事を忘れてしまったのか…………無理やり記憶を封じ込めても、あれだけの血を見れば……嫌でも甦って……」
「アベルとマリアが命懸けで守ったのは、リリーに平和な世界を知って欲しかったからだ……」
「レオ……」
見上げれば穏やかに微笑む彼の姿があった。リリーにとって心からの笑顔を見るのは初めてである。違和感の無い現実に、ようやく本来のカタチを取り戻した気がした。
「……ずっと、待っていたんだ……残酷な世界に戻してしまうと知りながら……」
「ありがとう……ずっと、会いたかった……」
渇望しないわけが無い。
私はずっと……ずっと、レオに逢いたかったんだから……
「リリー様……今までの非礼をお許し下さい」
頭を下げるヴィスの姿に、同じ目線になって告げる。
「私こそ……ごめんなさい…………」
もとを辿れば……純血の狂った歴史から、すべて始まっていったの。
すべて…………止める事の出来なかった私達の責任だ。
「陛下が存じ上げない事も……レオは……分かっているよね?」
「あぁー……」
陛下も知らない純血の恐ろしさ。
相手の血を取り込み、記憶を全て受け継ぐ。
すべて受け継ぐ器が無ければ、破滅していくだけ…………少しずつ狂わされていったダヴィドのように…………
今ならはっきりと分かるのに……あの頃の私は、何一つ分かっていなかった。
何一つ、理解していなかったの。
仮初の城は徐々に塵になっていく。クロヴィスと同じく、音もなく消えていく。始めから何も無かったかのように。
トマが無言のまま頷き、護衛任務に戻ると、レオが話を続けた。他言無用の緘口令に、騎士達は耳を傾ける。
語られる真実は、傲慢さゆえの失態と孤独との戦いだった。
クリスティが生き続け、魔女と揶揄されるようになってまで果たそうとしている事は何か、オルティーズが魔女の傍らに在り続ける事を選んだ理由は何故かーーーーリリーが目覚め、その全てが交わる時が来たのだ。
ーーーーーーーーすべては先々代の王、クリスティが王妃になった時から始まっていたの。
プラチナブロンドの長い髪が風に揺れ、空を眺めるエメラルドグリーンの瞳は寂しげだ。すべての記憶に呑み込まれる事なく、リリーは今を見ていた。




