27 記憶と追憶
ハーブティーを淹れ直すリリーの手元は、微かに震えている。久しぶりに耳にした名に、想いも溢れそうだ。
ーーーーーーーー千年以上前……先王ガスパルが支配していた時代は、まさに弱者にとって過酷な環境だった。
絶対的な王が血に飢え、日常的に行われていた殺戮は、ベルナールが即位する事で減っていった。
人をむやみに襲うと罰を与え、儚い命を無駄にしないよう統制を進めた……とはいえ、並大抵の道のりではない。
私が物心つく頃には、メイドもバトラーも人間とヴァンパイアが混ざっていたし、ハンターと呼ばれる契約者も数多くいた。
「ーーーー修さんと史代さんは……今は、陛下のハンターなんだね……」
「あぁー」
少しずつ甦る記憶に涙がこぼれる。
泣きたい訳じゃないのに……どうして……
「リリー」
レオに抱き寄せられ、気づけば膝の上だ。抜け出そうにも力の強さで敵わない。
「ーーーーっ! レオ、大丈夫だから……」
「その顔で、大丈夫な訳ないだろ?」
頬に触れる手に、身体がぴくりと跳ねる。まともに向き合えず顔を逸らすと、目元に唇が寄せられる。
「……リリー」
甘い囁きに心臓がうるさい。頬に触れる柔らかな感触に視線が交われば、あの頃のレオがいた。ターコイズグリーンの瞳に吸い込まれそうだ。
「レオ……私は…………」
額に寄せられた唇が、幼い頃の記憶と重なる。
リリーにとって、初めて耳にしたアベルとベルナールの過去。複雑な心境のままで言葉に詰まる。
まだ分からない部分が多すぎて……クリスティーとクロヴィスの繋がりを知っていたなら、他にもやりようがあったはずだけど…………
「俺も……そう思う」
口にはしていなかったが、リリーの言いたい事はしっかりとレオに伝わっていた。
「他に……道がなかったんだ。今まで味方だった人に裏切られたら……心が追いつかないよな」
「うん……」
それは、アベルやベルナールだけじゃなくて……きっと、ダヴィドも同じ。
記憶にある彼は至上主義を掲げながら、騎士として務めを果たそうとしていた。
いつしか方向性は違ってしまったけど……『陛下の役に立ちたかった』と、聞いた事がある。
アベルも同じだったんだ……何度も打ちのめされて、涙を流したところで、時は止まってはくれない。
どんなに会いたいと願ったところで、死んだ仲間が生き返ることはなくて……何度、自分の無力さを感じたか分からない。
何度も…………命が、目の前をすり抜けていった。
ーーーーーーーー現実は残酷だ。
表面的な傷は癒せても、心の奥までは癒せない。
傲慢だと言われても、それでも……すべてを救いたかった。
「リリー……」
瞼に寄せられる唇に高鳴りながらも、また胸が締めつけられる。
クロヴィスの言った通り、かつて暮らした城は廃墟となった。
いつから操られていたのだろう……いつから、ダヴィドは……
考えを巡らせても答えは出ない。彼に会う事はもう二度とないのだ。
「……見張られているな」
「うん……」
いつも感じる誰かの視線……それは、コウモリや烏だったり、姿は違うけど……害悪を向けられているのは分かる。
「……レオ……アベルが最後に、此処に来たの?」
「あぁー……そうだな……」
二人は気づかない振りをして話を続けた。
「……ヴァンクレールを死守しながらも、クロヴィス……クリスティーの行方を探っていたんだ」
言葉を選びながら告げるレオに、まっすぐな瞳が向けられている。
「此処は……ヴァンクレールの半数が、この世から去った……惨殺があった場所だ」
「此処が?」
「あぁー……あの頃とは様変わりしてるから、分からなくても仕方がない」
髪に触れる手は変わらずに優しいままだが、その瞳には怒りが含まれる。
「ーーーー黒魔術の……痕跡が多数見つかったんだ」
「ーーっ!!」
ことの重大さはリリーにも分かる。
死者を甦らせるだけでなく、禁忌と呼ばれる魔術が存在した。世界が滅んだともされる闇の力だ。
顔色が悪くなっていたのだろう。頬に触れられる手で、ようやく息を吐き出していた。
「ーーーーレオ…………」
「あぁー……」
苦しそうに頷く表情で、どれだけの仲間が犠牲になったか分かる。
「……いなくなったね」
「あぁー、鋭くなったな」
「……そう……かな?」
頬に触れたままの手に唇を寄せたリリーは、微笑んでみせた。
黒く染まったりはしない…………私は、本当は……
「リリー、騎士の一人は侯爵家の遠縁にあたるんだ」
「うん……」
「万が一はないと思いたいが、この状況下ではどうなるか分からない。一人での行動は控えてくれ」
「うん……私は、大丈夫だよ……それよりも……」
顔色が悪くなる間隔は開いたけど、私の血じゃダメなのかもしれない。
レオの頬に、無意識に触れていた。
体調が悪化すれば、能力に制限がかかる。
万全の状態でいなければならないはずなのに……私から言わない限り、求められない……
「リリー、違うからな?」
「えっ?」
「その顔見れば分かるよ。よからぬ事、考えていただろ?」
応えないリリーに、レオは自分の直感を確信した。
「……リリー、言って?」
「ーーーー私の血は……飲めなくなった?」
「違う。そんな事は絶対にない! むしろ……」
答えを待つリリーに、息を吐き出したレオは正直に告げた。
「……リリーじゃなきゃ、ダメなんだ……」
「えっ……今までは、どうしてたの?」
「供給された血を飲んで……凌いでた。リリーと、約束したのにな……」
罰が悪そうに告げるレオに、リリーは涙目だ。
以前は供給システムは存在しない。
枯渇すればどうなるかくらいは分かる。
血が濃ければなおさら……
「何で……そんな…………」
「大丈夫だ……生きてるだろ?」
「ーーーーっ、そう……だけど……」
「ごめんな……」
「ーーっ……」
……レオに……謝って欲しいわけじゃないの……
言葉に詰まり、首を横に振ったリリーは手を伸ばした。胸元にレオの頭を寄せ、抱きしめている。
「……レオ、飲んで…………私の為を思うなら、お願い……」
血の再生能力を使うリリーは、眠る事で体力を回復していた。深い眠りになる度、悪夢を見ていた為、必然的に長い眠りが必要となった。
目覚める前のリリーからの懇願なら、レオは迷わずに断っていただろう。だからこそ、今日まで告げずに来たのだ。
今も記憶が完全ではない彼女に躊躇っていた。
「ーーーーリリー?」
溢れ出した涙が止まらない。
もうレオには、傷ついて欲しくないのに……
「話すべきだったな……」
「ううん……気づかなくて、ごめんなさい……」
「いや、リリーのせいじゃないから……」
慣れた手つきで涙を拭う姿に、泣き虫な私がよく困らせていた事を想い出す。
「…………レオ……他は、合わなかったの?」
「あぁー」
即答する彼に、リリーは顔面蒼白だ。残酷な事を言った自覚はあっても、飲んでくれているものだと信じて疑わなかった。そうでなければ、此処まで生き延びる事は難しい。それが彼等にとっての常識である。
「リリー、俺は大丈夫だから……力を使うのは控えてくれ……」
「ーーーーいや……」
「リリー?」
「……またそうやって、私を優先する!」
思わず語気が強まり、涙目のまま視線が合えば、ターコイズグリーンの瞳が優しく微笑む。
「……なんで……笑ってるのよ……」
「いや……リリーだなと、思ってな」
怒りが何処かへ行ってしまう程、穏やかな表情だ。それは彼女と、かつてのリリーが重なって見えているからだろう。
「…………傷は作らないように、努力はするから……そうすれば、飲んでくれる?」
レオの頑なな態度には敵わず、リリーが折れる形になった。
私は……他者を癒せるけど、自分自身の傷は癒せない。
だからこそ、傷をつけるとアベルに怒られながら、治して貰っていた。
そうだ……こんなやり取り……前にもあったような……
「リリー、癒してくれる?」
「うん!」
素直に抱きついて、さらさらの髪に触れると、首筋に牙が刺さる。
「ーーーーっ……」
…………香りが変わった?
啜ったと思えば、すぐに舐めとり治していくレオに尋ねる余裕はない。自分から言い出したとはいえ、吸血行為には不慣れなままだ。
「リリー……」
甘い声で囁かれ頬を染めれば、それすらも愛おしそうに見つめるレオに包まれる。
前にも……こんな事があった…………
『ーーーー殿下、見つけました』
抱き合った二人に通信が入る。
『応援を送る……気取られるなよ』
『はっ!』
騎士からの連絡に応えるレオに、リリーが気づく事はない。本来の彼女であれば、すぐに気づいただろう。リリー自身は気づいていないが、ヴァンクレールではない能力を秘めていた。
「……レオ、瞳が…………」
紅く染まる瞳を手で隠そうとするが、リリーに阻まれる。愛おしそうに見つめられれば、抵抗は敵わない。
「…………リリーだけは……」
小さすぎる呟きは、心音にかき消され届かない。抱き合えば、そっと唇が重なり、香りが高まる。
……私、本当は…………
「リリー…………」
「もう一度……」
レオの頭は傾けられ、さらさらなプラチナブロンドの髪が頬をかすめると、宝石のように澄んだ瞳と見つめ合う。
無意識になった姿に、レオは驚きながらも手を伸ばした。本来の姿で飲まなければ、彼にとっては足りないままだ。
部屋を満たす香りは、先程よりも強く香っては消えていった。
『ーーーー動くぞ』
『はっ!!』
短い返答に深く頷いたレオは、腕の中で眠るリリーの瞼に唇を寄せた。涙を拭った彼の瞳は、紅く揺らめいていた。




