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24 アベルとベルナール 上編

 城にいた頃と変わらない優しい味に、レオは感慨深そうにしながらも頬を緩ませた。


 「先王の時代……アベルとベルナールの父、ガスパルが王の時代は分かるか?」

 「うん……純血が絶対的な権力を持っていた時代だよね?」

 「あぁー」


 純血であれば、長男かどうかは関係ない。

 強い者が次の王に選ばれる。

 もっと昔には、女王がいた事もあるらしいけど、強者……すなわち、王からその座を勝ちとる体制だった。

 その為に至上主義派は存在していた。

 純粋な血を引く者を守る為に……


 「アベル達の話をしようか……」

 「うん……」


 それは千年以上前に遡る。

 先王ガスパルが支配していた時代。

 絶対的な王が、血に飢えていた時代だったーーーー






 「……ベル、また此処にいたのか?」

 「ーーーーあ……兄上……」

 「ほら」


 アベルから差し伸べられた手を、ベルナールは怯えながらも握り返した。彼はベッドの下に隠れていたのだ。


 「ーーーー大丈夫じゃ……ないな……」

 「あ、あの……」

 「また……あいつか……」

 

 ベルナールは口をぎゅっと結んだまま、それ以上開かない。言うつもりがないのか、あるいは報復が怖いのか、おそらくその両方だろう。


 彼の首筋には牙の痕があった。それは首筋だけでなく、衣服で隠れていた部分にも多数ある事は容易に想像出来た。細い手首には縛られていた痕が、今も痛々しく残っている。


 「…………ベル、ご飯まだだろ?」

 「ーーーーはい」


 幼い手を引いて歩くアベルの手もまだ小さい。二人の歳の差は十ほど離れているが、何百年も生きるヴァンパイアにとって、それは誤差にもならない差である。

 彼等はまだ少年であるが、日頃の鍛錬の成果もありアベルの方が一回りほど大きい。


 「シャーリ、お願い出来るか?」

 「かしこまりました」


 頭を下げて応えたシャーリは、コックコートに白い髭がトレードマークだ。


 「ベル、ここなら安全だから……」


 離れようとしたアベルの服の裾を、ベルナールは無意識に掴んでいた。


 「……シャーリ、消化に良いものを頼む」

 「殿下、心得ております」

 「助かる」


 短く応えたアベルは、ベルナールの隣に腰を下ろした。

 この厨房には、王宮にあるような広々としたスペースはない。コック帽を被るシャーリとメイドの二人だけだ。

 ここにいる分には脅威がないのは確かだが、まだ怯えた様子のベルナールを一人残して行けるほど、アベルは非情になれなかった。


 暫くして出来上がった温かなスープと柔らかなパンを前に、ベルナールはまだ半信半疑だ。つい先日、毒を盛られた為、それは妥当な反応である。


 「ベル……頑張ったな」

 「ーーーーっ……」


 スープに滴が落ちていく。必死に堪えていた想いが溢れ出したのだろう。

 声を殺して涙するベルナールに、温かな手が伸びる。顔を上げると、優しい瞳をしたアベルが映った。


 「……あ、兄上…………」

 「ゆっくりで良い」

 「……は、はい……」


 シャーリは、仲の良い二人の姿とは対照的な傷痕に怒りを覚えた。フライパンを持つ手にも力が込められている。


 時間をかけて遅い朝食を終えたベルナールは、すっかりと夢の中だ。張り詰めた緊張の糸が、ぷつりと切れたかのように眠っている。


 「ーーーーやり方が姑息だな」

 「殿下、言葉使いを改めませんと……」

 「ここにはシャーリとベルしかいないじゃないか」

 「相変わらずですね」

 「それより……ベルはいつ出たんだ?」


 軽口を言い合っていたアベルの声色に、真剣さが帯びる。


 「アベル様が剣の修練に呼び出された間です。私が気づいた時には……ここに、ベルナール様のお姿はありませんでした」

 「くそっ、あいつの配下か……ここは悪魔の巣窟か……いや、悪魔の方がまだマシかもな」

 「……アベル様も、お気をつけ下さいませ」

 「分かっている……俺は大丈夫だ」


 アベルにも修練で出来た傷があった。銀製の剣で斬りつけられた痕だ。そうでなければ、擦り傷程度であれば痕に残る事はない。

 本来であれば、ベルナールの傷痕は異常だ。純血はそれだけ尊いモノとされている為、即処罰の対象だが、あり得ない事にその処罰を受けずに王宮と離れを行き来する輩がいた。


 「ーーーーあいつの目的は何だ?」


 ベルを痛めつけて、一体何がしたいんだ……王妃の座か?


 アベルは一度もその名を口にしない。妾の存在を気に入らないのは、彼に限った事ではない。

 正常な判断の出来る少数派の騎士は、すでにアベルの傘下だ。


 『次期王』と口が裂けても言えないが、その才能と実力からも、アベルがなるだろうと誰もが思っていた。

 女性にうつつを抜かし、疲弊していく同胞にガスパルは悪でしかない。

 潤っていたはずの土地は、いつの間にか枯れ果て、作物が育たなくなった。彼女がガスパルの妾になった時から、少しずつ狂っていったのだ。


 幼いながらも民から慕われるアベルとは違い、ガスパルはいつからか『愚王』と揶揄されるようになっていた。


 しかし、表面上は王に忠誠を誓う騎士であり、表立った行動は出来ない。それが故に、ベルナールを救う手立てが乏しいのが現実だ。

 離れに住む兄弟にとって、妾の存在は邪魔でしかない。特に彼女は、魔女と揶揄されるほど妖艶で残虐だった。


 「ーーーー母上が……生きていたらな……」  


 ありもしない現実を願わずにはいられないほど、残酷な現実しかなかった。まだ幼い二人には母親が必要な時期だが、それすらも叶わず、まるで悪夢のような日々を繰り返す。


 …………ベルは……母上の温もりすら、知らない。

 怯える目も、傷だらけの身体も、俺に出来るのは血を分けてやる事くらいだ。


 手出しをすれば、更に罰を受けるのはベルナールだった。『純血の癖に貧弱だ』と、ガスパルは当たり前のように殴った。


 悔しさのあまり強く握った手から、血が微かに滲む。


 「ーーーーアベル様」


 そっと触れられた手に我に返った。

 滲んだ血の香りに嫌気が差す。


 「……シャーリ…………」

 「アベル様は違いますよ」

 「あぁー……そうだな……」


 ……ガスパルとは違う。

 そう思いたいのに……血の匂いで、同族だって嫌でも思い知らされる。

 こんな自分は嫌いだ。

 何の力もない……ベル、たった一人残った弟を助けることも出来ないなんて…………なんて無力なんだ……

 

 嫌な匂いが鼻についた。香水を纏った彼女が離れに来た気配を感じとったのだろう。熟睡していたはずのベルナールが飛び起きる。


 「ーーーーっ!! はぁーー、はぁ……はぁ……」

 「べ、ベル?!」


 顔色はみるみるうちに真っ青になり、肩が震え出す。苦しそうに呼吸をする姿は誰が見ても異常だ。


 ベルナールを強く抱き寄せ、あやすように背中をさするアベルの瞳は、驚くくらい澄んでいる。弟にとって、アベルはヒーローのような存在だった事だろう。


 「はぁ……はぁ……あ、兄上……」

 「無理に喋るな。大丈夫だ……俺が側にいる」


 微かに笑みを浮かべた弟は、また眠りについた。正確には気を失っていた。彼女の狂気にあてられたのか、涙目になったまま瞼を閉じた。

 

 「ーーーー俺に…………」


 言葉にならずに消えた続きを、シャーリは痛いくらいに分かっていた。

 

 「…………アベル様……」

 「……シャーリ……戻るまで、ベルを頼む」

 「かしこまりました」


 そっと頭を撫でたアベルは、引退した騎士であるはずのシャーリに告げ、キッチンを出て行った。

 

 俺がいる限り……これ以上、ベルを傷つけさせたりはしない。

 これ以上……奪われてなるものか!!


 階段を降りる手前で手摺りを強く握った。駆け降りるはずが立ち止まっていた。

 眼下には、殺意すら芽生える妾の一人が男を連れていた。

 彼女は胸元が大きく開いたドレスを纏い、両手に男を侍らせている。腰を抱き寄せ、愛を囁いているようだが、男の目はどこか虚ろだ。


 「ーーーーーーーー此処に何の用ですか?」


 鋭い視線を向けたアベルに対し、態とらしく頭を下げた妾は歪んだ笑みを浮かべた。


 漆黒の長い髪も灰色の瞳も、傷一つない白い肌も、どれも嫌いだ。

 こんな奴らのせいで…………


 「アベル様に会いに来たのですよ?」


 ーーーーその名を呼ぶな!!


 心の中で悪態をついて、媚を売るさまに嫌気がさした。


 「私は、貴女に名を呼ぶ許可を出した覚えはない。この離れには、誰の許しを得て入ってきた?」

 「ーーーーっ、も、勿論……陛下ですわ」

 「虚偽か……陛下には捨ておくよう進言するが良いか?」

 「そ、そんな!!」


 顔色が悪くなっていく妾を男達が支えている。


 ーーーー正気に戻ったところで、こんな小者に用はない。

 どうせ……奴に唆されて、此処まで来た者だ。


 「去れ」

 「ア、アベ……」

 「去れ!!」


 一瞬で距離を詰め、短剣を首筋に突きつけた。支えていたはずの男は揃って気絶している。


 「ーーーー次は命が無いと思え」


 ゴクリと、唾を飲み込む音が響く。


 「虫唾が走る、さっさと出て行け」


 手をかざし、風と共に外へ排除した。扉の向こうには、彼女が涼しい顔で佇んでいる。


 「ーーーー陛下なら王宮ですが?」

 「あら、そうだったのね」

 「この女も、貴女の差金でしょう。臭い匂いが鼻につきます」

 「ーーーーっ!!」


 怒りで頬を赤らめた妾に、さらに追い討ちをかける。


 「陛下の気が変わらないうちに、出ていかれては?」


 袖で鼻を覆ったアベルは、鋭い視線を向けたまま扉を勢いよく閉めた。

 紅く染まった瞳が元の翡翠色に戻ると、外から血の匂いが漂う。


 「ーーーーくそっ……」


 壁に思い切り手を打ちつけたが、傷ついた手はもとの肌に戻っている。 


 「……あいつさえ、いなげれば…………」


 十人以上いたはずの弟達は、ベルだけを残して消えた。

 すべては、たった一人の欲深きヴァンパイアによって狂っていったのだ。

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