23 変わらない想いと移りゆく景色
放課後デートなんて初めて……人として過ごしてきた間も、そんな事したことない。
嬉しいはずなのに……それよりも、誰かの視線が気になって……
「妃梨?」
「ううん、何でもない」
首を小さく横に振って応えると、レオは彼女の手を取り、車に乗るように促した。
助手席に腰掛けたリリーは、不思議そうに彼が運転する横顔を見つめていた。
「…………妃梨、見過ぎ。そんなに珍しい?」
「うん……」
即答するリリーに、彼は可笑しそうだ。
「……玲二さん、運転出来るんだね」
「あぁー、妃梨は免許なかったな」
「うん……」
レオは何処まで知ってるのだろう…………
私のことを……私よりも知っていそう……だって、疑問形じゃなかったから……離れて過ごしてきた時間が長すぎて……私は、今のレオを知らない。
どんな仕事をして、何を思って過ごしているのか……車が運転出来るのも初めて知ったし、レオが目の前にいるはずなのに、何だか知らない人みたい……
「今日は寿司を食べにいくから」
「お寿司?」
「あぁー、妃梨のすきな鮪が美味い所だよ」
「ありがとう……玲二さんは、何がすきなの?」
「俺も鮪かな。食べたら、妃梨を連れて行きたい所があるから」
「うん……」
頷いて応えたリリーは、窓の外の景色を眺めていた。正確には、窓に反射して映るレオに視線が向けられていた。
ーーーーレオと結婚したんだよね。
まだ信じられない……そう、また夢の中にいるみたい。
数日前の婚姻の儀に参列した顔ぶれを思い出していた。
私の記憶にある人は半分くらいで、残りは見覚えがなかった。
半数以上は……もう、いないって事だよね。
いくら永遠といっても、本当に全てが永遠な訳じゃないから……
「妃梨、どうかしたのか?」
「……ううん、変じゃない?」
「可愛いけど……こっちも着てみて?」
「う、うん……」
リリーは彼に言われるがまま、制服からワンピースに着替えていた。
なんか……すっごく高そうなんだけど……
袖を通すだけで緊張しているリリーに、彼は楽しげな様子だ。
「うん、似合うな」
甘い視線を向けられ、頬が赤く染まる。
「ーーーーこれにします。そのまま着て行きますので」
「かしこまりました」
リリーが口を挟む間もなく会計は済まされ、再び車に乗り込んだ。
…………すっかりレオのペース。
淡い色合いのワンピース姿になったリリーには、変わらずに甘い視線が向けられている。見つめられるとどうしていいか分からなくなり、窓から移りゆく景色を眺めていた。
「ーーーーレオ、前を見て」
「俺に見られるのはイヤ?」
「…………ずるい」
顔を背けるリリーに、レオから笑みが溢れる。
そんな甘いやり取りを繰り返していると、彼が連れて行きたかった店に着いた。リリーの感じた通り、すっかりと彼のペースだ。
「ご無沙汰してます、大将」
「玲二くん、久しぶりだね。そちらのお嬢さんが?」
「そう、可愛いでしょ?」
「ちょっ、玲二さん?!」
堂々と言ってのけるレオに、大将が豪快に笑う。二人は親しい間柄のようだ。
「……玲二くんのそんな顔、初めて見るなー」
「妃梨は特別ですからね」
「ーーっ!」
カウンターが十二席しかない店内には三人だけだ。貸切予約したと知らないリリーは、二人の会話を聞く度に頬を赤らめている。他にも客がいたなら、口を塞ぎたくなるほどに甘々だ。
「……美味しい…………」
思わず漏れた本音に、大将の頬も緩む。
大将の握り寿司はどれも絶品なのだろう。終始笑顔のまま、箸が進んでいく。
「どうかしたのか?」
「……ううん……どれも美味しいね」
「だろ?」
リリーの反応に大将は嬉しそうだ。
「ありがとうございます。それにしても……まさか、玲二くんが結婚したとはねー」
「大将、そんなしみじみ言わなくても……」
「いやーー、だって独身貴族っぽいでしょ?」
「そうですね」
「ちょっ、妃梨まで」
慌てたそぶりを見せるレオに、彼女は可愛らしい笑みを浮かべていた。
そっか……結婚したんだよね…………苗字が変わるわけじゃないし、指輪も学校ではつけないから、そういう実感もない。
ただ……子供の頃の約束が叶ったんだ……それだけが、私にとって唯一の現実みたい。
ずっと……叶わないと思っていたから…………
顔馴染みの店というのは一目瞭然だが、それもあと数年だけになるとリリーには分かっていた。同じ姿のまま、この世界で在り続ける事は不可能だからだ。
大将は人なんだ……誰もヴァンパイアがいるとは思わないよね。
あの頃とは、違うんだから……
昔の記憶があるからか、彼女は時折り考え込むような仕草をしていたが、本人は無自覚のようだ。今も静かに食べてはいるが、二人の会話はしっかりと聞こえていた。察知能力に長けている所は、さすがはヴァンクレールと言えるだろう。
ーーーーーーーー赤い瞳の……烏?
リリーは学園から追ってくる嫌な視線にも気づいていた。
本当に……人じゃなかったんだ……
「……妃梨?」
「ううん、どれも美味しかったです。ご馳走様でした」
「あぁー、ご馳走様でした」
二人の反応に、大将は嬉しそうに微笑んだ。
「またご夫婦でいらして下さいね」
「はい、ありがとうございます」
店を出ると、リリーは無意識にレオの手を握っていた。
「妃梨?」
「…………今……」
彼女の脳裏に、靄のかかった夢のようなイメージが浮かんでいた。
「……気のせい……みたい…………」
小さく首を振ったリリーは、握った手を緩めた。そのまま離れようとした瞬間、また少し冷んやりとした手に引き寄せられていた。
「……玲二さん?」
「妃梨……少し、寄り道していいか?」
「うん……」
レオが車を止めた先は、人が行き交う街並みが見える小高い丘だった。街灯が夜を照らし、まだ十時前という事もあり、店も開いている。その灯りは闇夜を照らす光のようだ。
「ーーーー此処……」
「似てるだろ?」
「うん……」
…………城を抜け出して見た景色に似てる。
あの頃は幸せだった……レオのそばにいられたし、仲間もみんな……笑顔だった……
「妃梨……」
頬に触れられた指先で、泣いている事に気づく。一筋の涙がこぼれ落ちていた。
「…………玲二……さん……」
まだ追いついてない…………なんで、私は忘れていたんだろう……なんで、忘れていられたんだろう……
涙を拭う優しい手に、思わず手を伸ばした。
会いたかった…………他の何を諦めても、諦められなかった……
「……今日はありがとう…………」
涙を溜めながら告げたリリーの瞳は、元のエメラルドグリーンに微かに戻っていたが、それは一瞬だった。既にいつもの栗色の瞳だ。
「…………玲二さん?」
不思議そうに見上げるリリーに、レオはいつも通りに微笑んだ。彼女が自身の些細な瞳の色の違いに気づく事はない。
「ーーーー俺が……今、生きてる場所を見せたかったんだ」
「うん……」
「聞きたい事があるんだろ?」
「……うん……そんなに顔に出てる?」
「妃梨の事なら分かるよ」
あの頃と変わらない優しさに救われていた。
中途半端にしか力のない自分自身が、許せなくて……
「玲二さん……離れていた間の話を聞きたい」
「あぁー、俺も……妃梨の話が聞きたいな」
夜景の綺麗な自宅に戻り、二人はソファーに並んで腰掛けた。テーブルにはリリーが淹れたハーブティーが置かれ、懐かしい香りが漂っている。
「ーーーー覚えてるんだな」
「えっ?」
「いや……」
レオがカップに口をつけると、城にいた頃に彼女が淹れたハーブティーと変わらない味がした。
記憶を失った彼女が何処まで覚えているかは分からなかったが、少なくとも日常生活において差し障りがない事は確かだ。
今も何処かの国の令嬢のように、綺麗な姿勢のままティーカップを手にしている。
「……美味しい」
「ありがとう……昔も、そう言って飲んでくれたよね」
「あぁー……リリーの事なら、一つ残らず覚えているよ」
レオが告げた言葉は誇張ではなく事実だ。ヴァンパイアである彼が、記憶を失くす事はない。残酷な現実が薄れていく事もないのだ。
「レオ……」
「ん?」
「この国にいるのは……どうして?」
聞きたい事はいっぱいあったはずなのに……そんな事しか出てこなかった。
でも、これが……一番確信を突いてると思うから……
勘のいいリリーの直観通り、的を得た質問だった。
「ーーーーそうだな……アベルの痕跡があるからかな……」
ーーーーアベルの痕跡?
先王やヴァンクレールの痕跡じゃなくて??
普段はポーカーフェイスが上手いはずのリリーも、レオの前では感情が豊かだ。今も不思議そうな顔を向けている。
「アベルが……王になるはずだった事は知っているか?」
「えっ?」
……確かに…………アベルがベルナールの兄なのは知っているけど、長男が必ずしも継ぐ訳じゃない。
物心がついた頃には、すでにベルナールが王で……
「……知らない…………アベルが王になるはずだったの?」
「あぁー……今でも、父は……そう思っているな」
「そんな……あれだけ務めを果たされているのに……」
彼女の本音に、レオは曖昧に微笑んだ。
「リリーだけは、そのままで……」
レオから語られる過去は、私の知らないアベルとベルナール……先王の息子達についての厳しい現実だった。




