19 指輪と鎖
レオが……さっきから喋らない。
抱きしめられたまま、どのくらい……時間が経ったのだろう……
リリーもレオもドレス姿のまま、ソファーに座っている。正確には、レオの膝の上に座っていた。
部屋に入るなり抱き寄せられたまま、リリーの心音だけが忙しない。
「ーーーーーーーーレオ……聞いてもいい?」
「あぁー……」
「……ベルナールは、結婚を喜んでくれていたけど…………反対する人もいるよね?」
昔と変わらず率直に尋ねるリリーに、レオはお手上げと言わんばかりに微笑んだ。
「えっ……変なこと言った?」
「いや……そうだな……ごく一部、至上主義派が残ってるのも事実だからな……」
「そう……」
…………まだ残ってるんだ……かつての至上主義派は、あくまで王族を守る為に在ったのに……いつから変わってしまったんだろう。
ダヴィドは、いつから……
寂しげな瞳をした彼女の頬に、手が触れる。
リリーが見上げると、同じような表情を浮かべたレオがいた。二人にとってダヴィドは大切な人だったのだ。
「……純血すら知らないヴァンパイアも、大勢いるって話をしただろ?」
「うん……」
「人に紛れて過ごす者は、必然的に一生共に出来る伴侶を同族から見つけるって言ったよな?」
「ーーーーうん……」
……そう……だから、結婚も認めて貰えないと思っていたのに、あっという間に結婚してた……
私は……中途半端な存在だから、騎士にはいないみたいだったけど、舞踏会の場には微かな害意を向ける人がいた。
「ーーーーリリーが同族だって認められたって事だ。勿論、ベルナールも、騎士も、ヴァンクレールだって知ってる奴は、少なからずいるけど……」
言葉を選んでいるような彼の手を、リリーはしっかりと握っていた。
「……婚姻の儀の際、血を酌み交わすのが本来の習わしだから、同族同士の結婚しか……しなくなったんだ」
ーーーー想像はついた…………
あれだけ多くの死者が出たのだから、そういう風に時代が変わっても仕方がない。
ヴァンクレールが私だけだって言うのも、それなら納得が出来る。
これ以上、争いの火種にならないように……そうするしか無かったんだ……
「……それでも、人を愛する奴だっているから……」
「トマみたいな……仮面夫婦がいるってこと?」
「あぁー、王族は……上流階級の貴族は、濃い血を求めているからな……」
「そう……」
握っていたレオの手にも力が込められている。葛藤する想いは、リリーにも伝わっていた。
……何を抱えているのだろう…………城で別れを告げてから、目覚める前にレオと会うまでの長い時間……私は知らない。
レオが……どうやって、生きてきてくれていたのか……
「血を酌み交わす意味は、永遠に生き続けるって事だ。共に在り続けるって事だから……」
「ーーーー永遠?」
「あぁー、現在は平和になったからな……滅多な事じゃないと、純血は死なない」
「寿命が尽きたらっていうのは……」
「それは、一般的にヴァンパイアの血を引いている奴だけだ。ハンターをつくる能力とか……騎士が使えるような能力を一つも持っていない」
「人に近いってこと?」
「そうだな……王族や……上流階級以外のヴァンパイアは、人よりも見た目が若く、美しいくらいで、寿命も少しだけ長い……だから、特進科を作ったんだ」
「レオが……作ったの?」
「あぁー、オレールやバジルにも手伝って貰ってな」
「そう……」
ーーーーーーーーレオは始祖の血を濃く引く純血。
本来なら、私が隣にいていい立場じゃないはず。
ヴァンクレールは、いつからか迫害されるようになっていったから……
至上主義派からすれば、人との間に生まれた子は邪魔だった。
血が濃いアベルにとっては……特に、魔女狩りを行った彼にとっては……
「リリー……」
触れられる手に、泣きそうになっていた。
何でかな……理由は分からないけど……あの頃の想いが、胸に響いて……苦しくなるの。
「レオは……本当に、私でいいの? 私は……」
「いくらリリーでも、それ以上言ったら怒るよ?」
強い言葉とは裏腹に、リリーの唇に触れる指先は優しいままだ。
その瞳だけが、寂しげに揺らめいている。
ーーーーーーーーこんな顔を……見たかった訳じゃない。
私には、自信も……覚悟も、足りていないんだ。
記憶を取り戻した事で、改めて思い知る現実。
私はヴァンクレールで、吸血をしないヴァンパイア……人と大差はない。
ハンターを生み出す事も出来ない。
「ーーーー……血を酌み交わせば……ずっとそばにいられるの?」
「あぁー……でも、死のリスクはある」
ーーーー死……? 永遠のように生きているヴァンパイアなのに……?
不思議そうな顔をしていたのだろう。
レオは微かに口角を上げると、長い髪に触れた。
「ハンターと……婚姻の大きな契約の差は、分かるか?」
「ハンターは血を一滴与えて、身体強化……二滴与えて、契約成立とみなし……時を止める……」
「ーーーー覚えてるんだな」
「うん……」
至上主義派から逃げていた日々に、ハンターの数も増えていったから覚えてる。
この契約をした日から、ハンターの姿は老いを知らない身体となって……でも、契約をしたヴァンパイアが死ねば、ひと月も経たずにハンターも死んでしまう。
助かる道は、他のヴァンパイアと契約し直す事だけ……だから、アベルが殺された時……多くのハンターも亡くなった……
実際に見た訳じゃないから、真相は分からないけど……気配は辿れなくて、少なくとも……この城には、私の知るハンターはいないみたい……
「……婚姻の儀は……どう違うの?」
「純血にとって血を酌み交わす行為は、その濃さに耐えきれず人を殺めてしまう事もある。だから、同族同士の結婚しか選ばなくなった。大切な伴侶を失いたくはないからな……」
「でも……アベルとマリアは?」
「三百年程前は、そんな儀式は存在しなかったからな……」
「そう……ベルナールが結婚を急いだのは、レオの庇護下に置きたかったから?」
「よく分かったな……」
「これでも、純血の娘ですからね」
リリーは、態と何でもない事のように微笑んだ。
ようやく会えたのに、こんな所で死ねない。
死にたくない。
でも、契約を交わさなければ……いずれ残った至上主義派に迫られる可能性が高い。
そんな事くらい……私にだって分かる。
だって、至上主義派は……
「リリーは……どうしたい?」
「……契約しなくても、いいってこと?」
「あぁー」
レオは何でもない事のように即答した。
ーーーーそんな訳ない。
交わさなければ、確実にレオが糾弾されるのに……
リリーは彼の手を握り直していた。
「………私の願いは変わらないよ」
あの頃から……一つも変わっていない。
私の願いは、レオのそばにいる事だから……
「…………殿下と……交わしたいです」
急に抱き寄せられ、彼の腕の中に倒れ込む。
「ーーーーずっと待ってた……」
消え入りそうな声で耳元で囁かれ、寄せられた唇を気にする余裕がないほど、心に響く。
その言葉を聞けただけで十分だったのだろう。レオに強く抱きしめられ、そばにいる事を実感するリリーがいた。
純血にとって、婚姻の意味は重い。
ヴァンパイアは貴族社会だから、その狭い世界の中で生き抜くには……多少の犠牲を厭わない。
それが、レオのいる世界。
そして……これから、私が踏み入れる世界。
リリーの首筋に唇が触れると、甘い香りが漂っていく。
「リリーには、これで……」
レオが銀製のナイフを彼女に手渡した。
「ーーーー私がやるの?」
「あぁー……怖いか?」
まっすぐに向けられた瞳に、リリーは首を横に振って応えた。
彼の指先に小さな切り傷をつけると、微かに血が滲んでいく。
リリーは指先に唇を寄せていた。
ちゅっ……と小さな音をたて、彼女が離すと、傷口は綺麗になくなっていた。
ーーーー不思議な味……一滴にも満たないくらいに少なくても、レオの血が濃いことは分かる。
胸が……熱くなって……
「リリー、大丈夫か?」
頬の赤くなった彼女は、レオの腕の中にいた。
どうやら倒れ込んでいたようだ。
「ーーーー大丈夫だよ」
微笑んで応えるリリーの首筋に、彼の牙が触れる。
部屋が甘美な香りで満たされたのは一瞬で、すぐに香りは消え去る。
彼女の首筋にあった筈の痕は、綺麗になくなっていた。
「ーーーー大丈夫そうだな……」
「うん……」
「少しでも、体調に変化があれば言うんだぞ?」
「うん、ありがとう……」
…………些細な婚姻の儀だけど、私がヴァンクレールでなかったら……死んでいてもおかしく無い。
それくらい、純血は『呪われている』から……
「リリー?」
ほっとした様子のレオに抱きつく。
「ーーーーありがとう……生きていてくれて……」
「あぁー……」
ーーーー遠い日の約束。
私がそばにいなくても、生き抜いて欲しかったから口にした言葉。
今思えば、酷い約束をさせたと思う。
私の血以外……飲めなかったレオに……
『ーーーー必ずよ?』
『ーーあぁー……』
納得はしていないのだろう。彼は複雑な表情を浮かべたままだ。
『ーーーー私の血じゃなくても、ちゃんと……飲んで……生き抜いて……』
頬に触れられ顔を上げると、レオと同じように複雑な表情を浮かべるリリーがいた。
『……何があっても……必ずよ?』
『あぁー』
今度はレオも、彼女をまっすぐに見つめたまま応えた。
『リリーも……生きていてくれ……』
『うん……』
強く抱き寄せられ、二人はベッドの上で抱き合っていた。
ーーーー何があっても、生きていて欲しかった。
たとえ、他の誰かの血を飲んででも……レオには、生きていて欲しかったから…………酷い事を言った自覚はある。
嫌われてもいいから……そばにいられなくても…………それでも、レオにだけは生きて……幸せになって欲しいと願っていた。
リリーの目の前にいる彼は、優しい笑みを浮かべている。
ーーーーーーーーまた逢えるとは……思っていなかったの。
ドクンと、胸が強く鳴り、胸元を押さえる。瞳が一瞬だけ紅く光ると、元の瞳の色に戻っていく。
「リリー?」
「ーーーー大丈夫だよ」
そう応えた彼女は、レオの腕の中に倒れ込んでいた。
「リリー!? リリー!!」
「ーーーーすぅーー……」
小さな寝息が聞こえてきた。
「はぁーーーー……寝てるのか……」
レオは彼女を横抱きにすると、ベッドに寝かせた。本来ならお姫様抱っこに赤面するリリーが見られそうだが、反応はない。
安堵した様子のレオは頬に触れていたが、気配がしたのだろう。窓の外に視線を移した。
夜の闇に紛れたコウモリが、城から十メートル以上離れた木に止まっている。その赤黒い瞳は、まるで二人を観察しているかのようだ。
レオの鋭い視線を感じたのか、コウモリは羽音を立てる事なく消えていた。
まるで魔法のように、跡形もなく消えていたのだ。
「ーーーーーーーー魔女か……」
そう呟いた彼の瞳は、怖いくらいに紅く染まっているのだった。




