16 エマの過去と希望の光
博物館に並ぶような調度品が並ぶ王宮の一室で、彼女は眠っている。
「ーーーーリリー……」
彼女の手を握り、目覚めを待つレオはラフな格好に着替えていた。
扉をノックするか迷う気配に気づいたのだろう。
レオが扉を開けると、ティーセットを持った彼が立っていた。
「ギー、身体は?」
「はい……リリー様のおかげで、傷痕は一つもありません」
「そうか……」
「ーーーーレオ様……エマのこと……」
「ギーが気に病む事じゃない。悪いのは……クロヴィスだ」
「……あの……伺ってもよろしいでしょうか?」
「ん?」
ギーからティーカップを受け取ると、安らぐ香りに癒されていくようだ。
「……クロヴィスとは……誰なのでしょうか?」
「そうだな……少し、昔話でもしようか」
「はい……」
レオは寝台で眠るリリーから、ティーカップに入ったハーブティーに視線を移した。
「ギーも双子だから、それは滅多に生まれない事は知っているな?」
「はい……私達のような者は稀で、千年に一度生まれるかどうかの存在だと……」
「そうだ……クロヴィスは……ダヴィドの片割れだ」
「えっ……」
「驚くよな……」
「はい……ダヴィドが、侯爵家唯一の跡取りだったと記憶しています」
「そう、唯一の跡取りに変わりはない。おかげで至上主義派が波及したからな……」
レオは飲み干すと、ローテーブルにカップを置き、話を続けた。
「……侯爵家の歴史は、ヴァンパイアそのもののようだった。陰湿で、残忍で……非道な事も数多く行ってきた。クロヴィスは一卵性の双子の兄だ。その残忍な性格から、紋章無しのレッテルを貼られ、追放されたヴァンパイアだ」
「レオ様、紋章無しとは……私のような貴族階級に入らない者を指すのでは?」
「そうだな……そんな事を言う奴もいたな。貴族階級に入らない紋章が無い者を蔑んで紋章無し、文無しとも呼ばれていたか……」
「はい……」
「その頃は、差別や貧富の差が激しい時代だったな……」
ギーの揺れる瞳に『大丈夫だ』とでも言うように、頭を撫でる。
「元の意味は違うんだ。もう知ってるような奴は、俺とか騎士のほんの一部だけだろうけど……追放された者をそう呼んでいた」
「では、クロヴィスは死んだのですか?」
「ーーーーいや……生きていたんだろうな。おそらく……ダヴィドを操っていたんだろう。ギーは、エマについてどのくらい知ってるか?」
「いえ……そんなに多くは…………私達は別々に暮らしてきた時間の方が、圧倒的に長いですから……」
「そうか……俺の知ってるエマについて、話をしようか」
トントントンと、タイミングよく扉をノックする音がした。
「入れ」
短く応えたレオの前には、バジルとオレール、そしてトマと、今回の件に関わった三人の騎士が揃っていた。
「揃いも揃って、どうした?」
「ーーーー殿下、書類整理が溜まっております」
「はぁーー……オレールは相変わらずだな。今は便利な物で溢れてるのに……悪いなギー、少し出る」
「は、はい!」
「トマとバジルは残るんだろ?」
「当たりー」 「よく分かってるじゃん」
「じゃあ、話の続きをよろしくな」
二人の肩に触れると、レオはオレールと共に部屋を後にした。
「んで、話って?」
「ーーーーあの……エマの事を……」
二人の前に並んだティーカップからは、湯気が立ち上っている。
「そうだな。今のギーになら、話してもいいかもしれないな」
「あぁー……ギーは、姫様達が城を出た理由を知っていたか?」
「いえ……その頃は既に、エマとは別々に暮らしていましたので……」
「そうか……アベル様は知っているか?」
「はい、陛下の兄上ですよね?」
「そう、二刀流使いの達人だったな」
「だよなー、あれ程までに剣技に優れた方はいなかったな」
「そうだな。あの頃は……血統差別が激しかった時代だ。アベル様は数少ない純血のお一人だった……と言えば、分かるか?」
「ーーーー迫害……されたのですか?」
「結果的にはそうだな。アベル様は至上主義派と対立し、ハンターやヴァンクレールを連れて城を……国を出たんだ」
「ハンター……人という事ですか?」
「あぁー、アベル様は人と共存の世界を夢見ておられたからな」
「ーーーー懐かしいな……」
バジルの言葉に、トマも頷く。
「俺達は一時、アベル様のもとで暮らしていたんだ」
「まぁー、護衛も兼ねてたけどな」
「そうだな。あの頃、エマは人間の男と結婚していたな」
「結婚……ですか?」
「あぁー、父上から聞いてないのか?」
「はい……」
「そうか……」
「まぁー、幸せに暮らしてたよ」
「そうだな……あの日までは……」
彼等はどんな記憶も忘れる事が出来ない。たとえそれが、どんなに残酷な場面であろうとも。
「ヴァンクレールの半数が、この世から去った惨殺を知ってるか?」
「いえ……」
「俺の講義でもやらないからな。上辺だけというか、真実はとても話せたようなものじゃない……残酷で、ヴァンパイアそのものみたいで、イヤになるよ……」
「そうだな。あの日……女、子供関係なく惨殺され……森の奥でひっそりと暮らしていた村は、一夜にして滅んだ。俺達が戻った時には、手の施しようがなかったんだ……」
「あの時の姫様は……見てられなかったな……」
「あぁー……ギーを救った力で、すべてを救おうとしていたよ……」
「ーーーー救えなかったのですか?」
「あぁー、死者は甦らない」
ギーは、彼女が必死に力を使おうとする姿が目に浮かんだ。同時に、死者を甦らせる事が禁忌である事も。
「ーーーーエマが亡くなったのは、惨殺から数年経った後の事だ」
「ダヴィドは……執拗にヴァンクレールを追っていたからな。すべてを奪い尽くすまで……惨殺は終わらなかった」
「そうだな……」
「……エマに子供はいたんですか?」
「ーーーーいたよ。ギーによく似た男の子だって、喜んでたな。あの惨殺の日……エマは、夫と子供を一気に亡くした。何度も死を選ぼうと、復讐を果たそうとしていた時期もあったな……」
暗い過去だ。トマもバジルも久しぶりに語る内容に気分も沈んでいくが、これが現実だった。
「そんな人々に寄り添っていたのが、アベル様であり、マリア様であり……リリー様だ」
「姫様は、よく傷を作ってたなー」
「あぁー、アベル様によく叱られていたな。ギーを癒したリリー様の血は、ヴァンクレールなら誰しもある能力じゃない」
「では……リリー様、固有なのですか?」
「そうだ……他には知らない。少なくとも俺達の生きている三百年では、リリー様だけだ」
ギーの生きる年月は、彼等と百年近く差がある。永遠のように生きるヴァンパイアにとって、それは大差ではない。
「ーーーー講義でやっただろ?」
「はい…… 『この世界に一筋の希望の光をもたらすモノ』ですよね?」
「そう、それには続きがあるんだ」
扉をノックする事なく、レオが顔を出した。オレールより指示された書類整理が、ようやく終わったようだ。
「ちょうどいいや。レオ、ヴァンクレールの神話について話してくれ」
「神話って、あれか?」
「そう、人とヴァンパイアの間に生まれた子の意味で使われる前の事だ」
「それは『我々が忌み嫌われる事なく生きられる世界に、ひと筋の光をもたらすモノ。その光により、世界に平和をもたらしていたと記され……飢えることも、無駄な血が流れることもない。誰もが皆、それぞれの王であり、朽ちることのない光で満ちた世界を……ヴァンクレールとされる女神が、創り出したとされる』っていう、古くからある言い伝えだな」
「今とは……違うんですね」
「あぁー、この神話のような伝説から女神の名を借りて、そう名付けたんだ。人との共存の世に光りを照らす存在になるようにと……先王の時代は、もっと過酷だったからな……」
「誰が名付けたのですか?」
「ーーーーアベルだよ。自分の娘であるリリーが、まさに人との間に生まれた子だったからな……」
壮大な歴史に、ギーは思わず無言になる。
適当な言葉が見つけられなかったのだ。
レオは眠ったままの彼女の手を再び握ったが、反応はない。
パタンと、小さく扉の閉まる音がした。
あれから三日、彼女は眠ったままだ。
「ーーーーーーーー目覚めてくれ……」
彼の切なる願いだ。
部屋にはレオとリリーの二人だけとなっていた。
シャンデリアの並んだ煌びやかな廊下を、三人揃って歩いている。自室に戻るからだ。
「ギー……念の為、頼むな?」
「はい、心得ております」
トマの頼みを理解していた。レオに飲ませる血の確保だ。
「……姫様が目覚めれば、大丈夫だろ?」
「だから、念の為だよ。あの姿で、いつ目覚めるか……」
「そうか……」
「あのお姿が、本来のリリー様ですか?」
「あぁー、ギーは見るの初めてだったか……」
「……はい…………」
「美しいだろ? あの見た目で、それはお転婆な姫様だったからなー」
「バジル……オレールに見つかったら、説教されるぞ?」
「大丈夫だろ?」
「ーーーー何が大丈夫なんですか?」
振り向けば、仁王立ちのオレールがいた。
「げっ……」
「げっ……じゃありません! バジル!」
何処か笑いが溢れる雰囲気に、三日前の出来事が嘘のようだが、すべてが現実である。
「……ギーは眠れていますか?」
「はい……」
「無理はするなよ?」
「あぁー、姫様が目覚めたら……色々聞いてみるといい」
「ーーーーはい……」
文無しと、蔑むような者は現在はいない。
ーーーー必ず光は現れる。
そう信じたエマの願いは、ある意味叶っていた。
自分の不甲斐なさを感じるギーを責める者は、一人もいない。
沈みそうなギーの肩に触れ、気づかう仲間がいた。




