14 新月と夜明け 中編
ーーーー寒い……冷たい…………
誰が泣いているの? 貴方は?
目の前では魔女狩りが執り行われていた。
『ーーーーダヴィド、さようなら……』
業火に焼かれる中、美しい女性はそう口にすると、そのまま三日三晩焼かれ、最後は灰となった。
きっと、彼にとって大切な人だったのだろう。
名前を呼ばれた彼は、彼女の業を知りながら止められなかった事を悔いていた。彼女が人に害をなした事を。
リリーに彼の感情が伝わってきたのか、目覚めると涙がこぼれている。
目の前には年老いた姿になったダヴィドが、赤黒い瞳を向けていた。
「リリー、ようやくお目覚めか」
「ーーーー貴方……」
手を動かそうにも彼女の腕は鎖で頭の上に拘束され、動く事は出来ない。
「…………貴方は……?」
「ーーーーあと少しのようだな……」
彼女の言葉に応える気はないのだろう。
ダヴィドと瓜二つの老いた顔が、彼女の首筋を舐めると、彼はたちまち王国騎士時代の姿に戻っていく。
「……やはり……甘美な香りだな」
そう言って顔を近づけ、長い栗色の髪の香りを嗅いだ。
「ーーっ!!」
「声が出せぬだろう……リリー、そなたは美しい……誰があの若僧にくれてやるものか……」
ーーーーーーーーその口調……まさか……
「その顔……我が誰か分かっているようだな」
そんな……だって……ダヴィドは、銃で撃たれたんじゃ……
「匂いも瓜二つだったであろう?」
…………そう、ヴァンパイアは嗅覚が優れている。
だから、偽物なら分かる。
純血であるレオが気づかない筈がない。
彼を構成する全てが、本物だと告げていたのに……
驚いた様子のリリーに、彼は不敵な笑みを浮かべていた。
「ふっ……あの時、生かしておいて正解だったようだな」
「ーーっ!!」
「この際だから、我が名を教えておこう……」
リリーは頬を舐め取られ、ゾクリと身震いがした。
「……我が名はクロヴィス。あの使えないダヴィドの片割れだ」
……片……割れ? ギー達と、同じ……?
「さすがの姫も知らぬようだな。最も覚醒すれば、多少は想い出すかもしれんが……時間だな」
声を出せない彼女は、牢に閉じ込められたままだ。
「そこで待っているがいい……リリー、そなたは我のモノだ」
手枷になっていた鎖は外されていたが、漆黒の闇が広がる場所から抜け出す事は出来ない。
ーーーーレオ…………どうか……無事でいて……
彼女の願いは、闇の中へ消えていった。
瘴気が強すぎる廃墟は、嗅覚の優れたヴァンパイアにとって身体を蝕む毒そのものだ。
「ーーーー酷いな……」
「あぁー……これじゃあ、気配が探れない」
彼等がいる場所にはかつて中庭があった。様々な花が咲き、笑顔が絶えずあったような面影は何処にもない。枯れきった土壌には、雑草すら生まれないのだから。
剣で斬り裂いても、瘴気がすぐに漂っていく。
「ーーーー来たな……」
「……姫様?」
「バジル……よく見ろ」
霧に包まれていなければ、一瞬で本人ではないとバジルにも分かっただろう。闇は深くなるばかりで、視界が悪いままだ。
「…………悪趣味じゃないか? エマ」
きっぱりと告げるレオに、彼女は元の姿に戻る。
「つまらないわねー、少しは遊んでくれても良いんじゃないの?」
「ギーは何処だ?」
「あら……リリーじゃなくて、ギーの心配?」
「エマの主人が、リリーを殺すとは思えないからな。だが、ギーは違うだろ?」
全てを見透かしたような瞳に、一瞬怯んでいる事がレオにも分かった。
「……エマ、ギーは何処だ?」
「私は……まだ死ねない」
「エマ……」
「長の命は絶対よ」
「そうか……」
短く応えたレオは、寂しげな瞳のままだ。ターコイズグリーンの綺麗な瞳が揺らめいている。
『ーーーーーーーー殿下、いました』
『確保出来たか?』
『はい』
言葉を発する事なく、レオは騎士の声に応えた。
「ーーーー見つかったようね」
「エマ……」
何処か安堵した様子の彼女は、土壌から蔓を生み出し、彼等に向けて放つ。
「下がれ!!」
「レオ、これは……」
「これが、この瘴気の……霧の源だ!」
レオ達の目の前が、イバラの棘を持った蔓で覆われていく。
二人を救出に向かった騎士と、完全に分断されてしまった。
レオとの通信手段はあるが、深くなる闇の中で何処まで使えるか定かではない。
「殿下はここで見物を……」
「エマ、何処へ行く?!」
「よせ、バジル……」
声を荒げるバジルの肩を宥める。
「レ、レオ……」
「大丈夫だ。リリーなら生きてる」
「だけど……」
彼の表情で冷静さを欠いていたのは、自分の方だとバジルも理解したようだ。
ーーーーこんな足止め、すぐにでも抜け出せるが……この蔓が毒素の源なら、斬り裂いた瞬間に飛散するのは目に見えている。
態と見せつけて足止めをしたのは分かっても、エマは何をするつもりなのか…………それは、俺にも分からない。
双子の弟を刺すなんて事、あのエマに出来る筈がないんだ。
「ーーーーレオ、どうする気だ?」
「そうだな……このままだと埒があかないな」
リリーが無事なら、香りを辿る事が出来ると思っていたが……この瘴気の中じゃ、とても追えそうにない。
焦るな! 焦ったって、状況は変わらない。
レオは至って冷静な頭で考えていた。
ギーはオレール達が救出した。
それは間違いない。
ーーーーそれなのに……胸騒ぎがする……
「リリー……」
…………どうか……無事でいてくれ……
切ないくらいに揺れる瞳で呟いた言葉は、瘴気の渦に呑み込まれていった。
「ギー、飲みなさい」
小瓶に入った赤い液体を飲むように、オレールが上半身を起こした。
ゴクゴクと飲み干すと、彼の傷がみるみるうちに消えていく。
「ーーーーっ……オレー……ル……様…………」
「そのままで、話さなくて構いません。暫くすれば動けるようになりますから」
小さく頷いて応えたギーに、オレールは微笑んでみせた。
ーーーーーーーーよく生きている。
それが彼の率直な思いだ。
急所を僅かに外れているとはいえ、銀の剣で貫かれていた。
ヴァンパイアにとって、最も殺傷能力の高い武器の一つであり、再生は容易ではない。
「オレール……どうする? さっきから殿下と通じない」
「そうですね……どうやら、来たみたいですよ」
「あぁー、やるしかないか……」
彼等の前に、空から降り立ったのはエマだ。
「ーーーー久しいな、エマ」
「その余裕振り……殿下と同じね、トマ……」
「俺は殿下ほど優しくないぞ?」
「……知ってる」
エマは黒い影を自在に操り、騎士と対峙していく。人の形をした影は、銀の剣を振りかざしていた。
「ーーっ?!」
「下がれ! オレール!!」
「はい!!」
オレールは、ギーを抱えたまま対峙していたが、トマの振り回す槍の邪魔になったのだろう。
二人が下がると、トマは影に向けて思い切り槍を突いた。
影が銃を扱えないのは、影の能力値が低いからだ。トマは腕試しと言わんばかりに、槍で対峙しているが、銃を使えば瞬時に仕留められただろう。とはいえ、さすがは王国騎士だ。槍でも一発で命中させている為、銃を使うまでもない。
「くっ……鈍ってないのね」
「まぁーな、殿下に鍛えられているからな!」
無数にいた筈の影は、あっという間に最後の一体だ。
『ーーーー何を遊んでいる。さっさと仕留めろ』
彼女の手が止まった。クロヴィスの命により、自由を奪われていくようだ。
『そう、いい子だ。早く仕留めて、姫を覚醒させろ。簡単だろ? 仲間を失う場面を見せれば、すぐに目覚めるさ……先程のようにな』
頭に響く声に、彼女の身体は支配されていた。
「オレール、気をつけろ。様子が変だ……」
「ええー、トマも」
彼女の想いとは裏腹に、石畳が割れ、先程よりも太く鋭い棘をもった蔓が、鬱蒼と生い茂っていく。
「くそっ……瘴気の元か……」
棘が放つ微かな匂いで、攻撃をしたら自滅すると察したようだ。
『それでいい……お前は我が僕だ』
エマの瞳が微かに赤みを帯びる。
「エマ! 聞こえるか、エマ!!」
彼女には届いていない。
エマの瞳に映るのは、闇の中に現れた牙を持つ狼のような姿をした化物達だ。
「いや、いやーーーーっ!!」
彼女の放った棘が、騎士の動きを止める。
力が暴走しているのだろう。あまりの威力に、オレール達は柱の影に隠れ、退く事で精一杯だ。
エマの付近にあった石畳は欠片も残っていない。棘だらけの蔓が所狭しと伸びていき、全てを破壊する勢いだ。
ガガガガガと、大きな音を立て壁を削り、城が傾いていく。
「くそっ……」
トマは悪態を吐かずにはいられない。エマの術に手も足も出ないのだから、無理もない事だ。
今の状況を打破する回路が見つけられず、柱の影に隠れているが、それもあと数分で限界を迎える。
エマと距離を保っていた大きな柱が、今にも崩れ落ちそうだ。
このままでは、回避する場所すら失われるだろう。ギーが動けるようになるには、まだ時間が足りない。
「……オレール、ギーを頼む」
「トマ、突っ込む気ですか?!」
「隠れてるのは、性に合わないんでな!」
トマは相討ち覚悟だったのかもしれないが、柱を飛び出していったのは彼だった。
「待て! ギーー!!」
一瞬で見えなくなっていく。
辺りは漆黒の闇が深い。服で顔を覆っていないと、呼吸さえままならない所まできていた。
『ーーーーよくやった……これで我のモノとなる』
頭に響く声が止んだ。エマは崩れかけた城と、自分の意思に反して繁殖し続ける蔓に驚愕していた。
「ーーっ、う……嘘…………」
地下牢への道は閉ざされていたのだ。




