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10 甘美な香りと約束

 残ったはずの牙の痕をレオが舐めとると、傷痕は一瞬で消えていた。傷一つない綺麗な素肌だ。


 紅く光っていたレオの瞳は、緑がかったいつもの色に戻っている。


 「リリー……大丈夫か?」

 「うん……」


 ベッドの上でリリーは抱きかかえられたまま、レオの香りに包まれている。


 チュッと可愛らしい音を立てて唇が離れていくが、二人は抱き合ったままだ。


 ーーーーーーーー生きてる……そばにいるんだ……


 お互いが生きている事を確かめ合うように抱き合うリリーの瞳から、涙が溢れる。


 「ーーーー変わらないな……」


 昔と変わらずに綺麗な涙を流すリリーの瞼に、唇が寄せられていた。


 「レオ……」

 「そろそろ夕飯だな」

 「うん……」


 ぐぅーーーーと、何とも間抜けな音が小さく聞こえてきた。


 「うっ……」

 「くっ……腹減ったな?」


 笑いを堪え、彼女の頭にポンポンと触れているが、その顔はおかしそうに笑ったままだ。


 「もう……いっそ、声を上げてくれていいのに」

 「次はそうするかな」

 「うっ……次はないです」

 

 顔を背けたリリーの頬は赤い。このタイミングでの腹時計は、かなり恥ずかしかったようだ。


 「ーーーー行こうか?」

 「うん……」


 レオに差し出された手を握ると、旧友の集まるリビングに顔を出した。

 

 ダイニングテーブルには、五人分の料理が綺麗に並んでいる。


 「…………美味しそう……」

 「リリー様、体調はいかがですか?」

 「ギー、ありがとう。大丈夫だよ」


 先程まで強く漂ってきた香りが、今はほんの僅かに香っているだけだ。ギーも腕で顔を覆う事なく、話が出来る状態である。


 「バジルとオレールについては、どう?」

 「バジルと……トマは、よく遊び相手をしてくれていたよね? オレールは……よくハーブティーを淹れてくれていたかな? あと、レディーの振る舞いの先生?」

 「……当たってるな」

 「記憶が戻りつつあるようですね」

 「うん……お久しぶりです」


 五人での食事はいつもより賑やかなものだが、誰もこの危うい状態を口にはしない。彼女が狙われている現実に変わりはないからだ。


 「バジル様は飲まれますか?」

 「さすがギー、気が効くな」

 「いえ……」


 グラスに注いだ赤い液体を、リリーは不思議そうに見つめた。


 「姫様、気になるか?」

 「えっ……」

 「昔は、こんなのなかったからな」


 飲み干したバジルから香る微かな匂いに、グラスの中身が何か、彼女も理解したようだ。


 「ーーーー血……液……」

 「ご名答。今は最悪の場合、こういうのを飲んで満たすんだ」

 「そう……なんだ……」

 「驚いたか?」

 「ううん……あれから……それだけ、月日が経ったんだね」

 

 そう……少なくとも、あの日から百年近く経っている筈だから…………

 バジルとオレールは、あの頃とあまり変わっていないけど……レオは姿が違う。

 それでも、レオには初めから違和感がなかった。

 どうしてそう想ったのか、今の私でも分からないけど……会えたんだって、心が叫んでいたから……


 「リリー様、どうぞ」

 「ありがとう」


 ギーからティーカップを受け取ると、懐かしい香りが漂ってきた。


 「これ……オレールが調合したお茶?」

 「はい、よくお分かりになりましたね」

 「昔……よく飲んでいたから……」

 「そうですね」

 「リリー様の話、お聞かせ下さい」

 「ギー?」

 「知りたいじゃないですか。お転婆なリリー様」


 ギーとも打ち解けている。それは、彼女の記憶が完全ではないからだろう。

 からかうようなギーの様子に、周囲は安堵していたが、すべてを想い出した時の彼女が気がかりな事に変わりはないようだった。


 遠くにあった記憶の話は、想い出話にするには遠すぎて、すべてを想い出せていない事を実感する。

 そんな……簡単に元に戻れるとは、思っていないけど……どうして、忘れてしまったんだろう。

 最後の記憶は、血の海で…………


 「リリー、大丈夫か?」

 「う、うん……」

 

 考え込んだ様子から、触れられた手の温度で我に返った。


 「それじゃあ、姫様の無事も確認出来たし、帰るか」

 「ええー」

 「二人は何処に住んでるの?」

 「この下ですよ」

 「下?」

 「ここでの住居は、一つ下の階。オレールと俺は、ルームシェアだな」

 「ルームシェア……」


 同じマンションに住んでいるとは、思いもしなかったのだろう。驚いた表情を浮かべるリリーの頭に、バジルが優しく触れる。


 「ーーーーだから、またな」

 「ええー、またお会い出来ますよ」

 「……うん」

 

 玄関先まで見送る姿に、かつての二人を重ねるバジルとオレールがいた。

 

 


 「ギーもお疲れ」

 「レオ様……」


 主人の労う言葉にギーが微笑む。


 「供給された分は、いかがしますか?」

 「そのままで……何が起こるか分からないからな」

 「はい」

 「ギーは足りてるか?」

 「はい、今日は下がりますので」

 「あぁー、ありがとう」


 ギーが部屋を出た所で、彼女が浴室から出てきた。いつもと同じ薔薇の香りを纏っている。


 「お先しました」

 「あぁー」

 「ギーは? もういないの?」

 「……今日は二人だけにして貰った」

 「ーーーーそう……」


 お風呂上がりだからじゃなくて、頬が赤くなっていくのが分かる。


 レオに触れられた肩が思わずピクッと、動いた。


 「取って食ったりしないよ」

 「レ、レオ……」

 「俺も入ってくるから」


 気にするなと言っているかのように、ポンポンと触れられた頭に、リリーもそっと触れる。


 ーーーーーーーー会いたかった…………ずっと、会いたかったから……ようやく会えたのに……上手く言葉に出来ない。

 触れられると……泣いてしまいそうになる。

 夢なんじゃないかとさえ感じてしまうの。

 どうしたらいい? どうしたら届くの?

 言葉にしたら、消えてしまいそうで怖くて…………


 リリーは窓の外を眺めていた。

 そこには、人々が照らす街並みがあった。ビルの灯りや帝都タワー、電車やバスの行き交う駅も、午後十一時を過ぎたというのに、空に対して地上はまだ明るい。綺麗な夜景が広がっている。


 私が想い出したのは、お城にいた頃の記憶。

 レオと別れる前までの事だけで、断片的な部分が多いから……ギーのことは覚えていない。

 あの顔に……見覚えはある筈なのに、想い出せない。

 最後の記憶は、血の海で……空白の時間が多すぎて……ヴァンクレールとされる私達が、生きていた時代は……確かにあった筈なのに……


 以前とは違いすぎる近代的な建物は、綺麗な夜景を生み出していた。


 記憶を失っていた十年間の事は、ちゃんと覚えてる。

 修さんと史代さんに、どれだけお世話になったか分からない。


 ーーーーーーーー本当だったら……どんなに……


 ガチャンと小さな音がして、リビングの扉を振り返ると、レオが立っていた。

 リリーと同じシルク素材のパジャマ姿だ。


 「リリー、何か飲む?」

 「うん……」


 キッチンに立つレオの元に思わず駆け寄る。


 「……リリー?」

 「あ、あの……」

 

 無意識にぎゅっと、抱きついていたのだろう。リリーは頬を赤らめながら手を離そうとして、引き戻される。


 「……リリーは甘えただな」

 「ーーーーそう、思うなら……離して?」

 「却下。ハーブティーにするか?」

 

 レオに手放す気はないのだろう。今も右腕に抱き寄せたまま、左手で器用に茶葉の箱を取り出している。


 「レオも飲むの?」

 「あぁー、もう少し話すか?」

 「うん」


 嬉しそうに微笑むリリーの額にキスをすると、ソファーで待つように促した。


 ーーーー触れられた所が熱い……

 

 リリーは額に触れると、酔いを覚ますかのように、夜風に当たっていた。

 

 赤くない……綺麗な月…………


 空を見上げていると、ハーブティーの良い香りがしてきた。ソファーには、レオが二人分のティーカップを持って腰掛けている。


 窓を閉めると、彼の隣にぴったりと寄り添うように座った。


 「良い香り……レオ、ありがとう」

 「あぁー、召し上がれ」

 「いただきます」


 オレールが調合した茶葉の香りがする。

 眠れない私に、こっそりと淹れてくれた優しい味。


 「美味しい……」

 「いつでも淹れるよ。リリーが望むなら」

 「うん……次は、私に淹れさせてね?」

 「あぁー」


 寄り添う二人の間に会話が途切れる。


 ーーーー何を話したらいいか……分からなくなる。

 話したい事は、沢山ある筈なのに…………何も出てこない。

 レオがそばにいる。

 それだけで、嬉しくて……強く、心臓が鳴っているのが分かる。

 

 彼も同じ想いなのだろう。リリーに向けられる視線は、変わらずに甘いままだ。


 「……リリー」


 頬に触れる手に体がピクリと、動く。

 

 「ーーーーレオ……」

 「大丈夫、分かってるから……」


 怖がって震えている訳じゃない事くらいは分かっていた。

 

 「…………レオ……すきだよ……」

 

 頬に触れる手も、私を見つめる瞳も……恥ずかしいくらいに、顔が赤くなるのは、貴方に見つめられると、どうしていいか分からなくなるから……


 まっすぐな瞳で告げられた言葉に、レオは微笑んで見せた。


 「リリー……約束の意味、分かってる?」

 「うん……」

 「ーーーー次は止まれない……」


 小さく頷く彼女の肩に触れると、微かに震えていた。


 「…………リリーを抱くよ」


 ストレートに投げられた言葉に、また小さく頷く。

 彼女の頬は今まで以上に真っ赤だ。


 「…………リリー……」


 甘い囁きに溺れてしまいそう。

 ずっと感じたかったレオの香りに、包まれてるみたい……


 「レオ……」


 唇が重なっていたかと思うと、ふわりと体が宙に浮く。レオが横抱きにしているからだ。


 「んっ……レ…」


 言葉は呑み込まれ、ベッドの軋む微かな音が、やけに響いて聞こえていた。


 素肌に触れるレオは、余裕のない表情を浮かべ、リリーを見下ろしている。


 「リリー、すきだよ……」


 告げられる言葉に、触れられる肌に、身体が反応していく。

 

 「ーーーー泣くなよ……」


 リリーの瞳から涙が溢れていた。


 ーーーーーーーーあの日、レオと城で別れを告げた日から……私が、記憶してるだけでも……百年は経っている。


 「ーーーーレオ…………」


 昔、まだ……あの城で暮らしていた頃の約束。



 

 『ーーーー結婚?』

 『うん!!』

 『レオとリリーが?』

 『うん!!』

 

 まだ幼くて、ずっと一緒にいられると、何の疑いもなく思っていた。

 二人で報告した時、ベルナールとアベルは嬉しそうに微笑んでくれていたけど、それは儚く消えてしまった。


 ーーーーーーーーもう二度と、会えないと思っていたから…………




 「ーーーー愛してるよ」


 高まる香りは、まるで彼を誘っているようだ。部屋は満開の花が咲いたように、甘美な香りに包まれていた。


 「レオ……すきだよ……」

 「ーーーーっ、リリー……」


 一つに重なった肌に、また涙が溢れる。


 貴方のそばに帰ってきたんだ…………

 

 二人は長い年月を埋めるように抱き合っていた。

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