ACT.3 Girl's innocence <1>
真っ赤に燃える炎の景色が心の中を今でも焦がし続けている――。
目を瞑り、夢を見ても。呼吸をして、ただ歩いてみても。ふと視界の端、“意識の隙間”、遮る過去の景色がある。
それは心の中に焼き付いて離れない、決して消し去れない思い出。それを“無かった事”には出来なくて、それでも忘れたくて……。矛盾する心に苦悩を繰り返す。
例えば、青い空とか。例えば、白い雲とか。花の香り、街の景色、吹き抜ける風の爽やかさ。行き交う人々のざわめき。アスファルトを濡らす雨。優しい誰かの手。暖かい温もり……。
覚えている事は沢山ある。それこそ忘れたく無いと、消し去りたく無いと祈る物なのに。どうしてそうした“きらきら”した思い出ばかり失って、全てが焼けてしまうのか。
魂が叫んでいるのだ。忘れたくないと。しかし同時にもう一つの心が知るのだ。“赦されない”と。
罪の意識は心を強く締め付ける。捕らえ続けて離さない。がんじがらめに結ばれた鎖の継ぎ目を握り締めているのは自分自身。その鎖を解いてしまわぬ様に一生懸命になってばかりで、気づけば他に握り締めるべきだった物を失っている。
人の一生は大差は無く後悔の連続だ。それは勿論、判っている。自分は特別ではない。今のこの世界に、一体どれだけの人がやりきれぬ思いを抱え、明日も見えない暗闇を歩くのか。
それでも自分の苦しみだけは誤魔化せず、目を反らす事も出来ないから。忘れられないからいつまでも記憶にこびり付き、それらはいつかは解けて消える。
アイラ・イテューナを名乗る少女は夢を見る。一人、シミュレーションルームの脇にある休憩用のベンチの上、壁に小さくもたれかかったままで。
夢の中でくらい赦されてもいいのに、どうしてこうまで心を締め付けるのか。それは前へ進もうとすればするほど足に絡みつく。後何百回苦悩の夜を繰り返せば、想い出は心を解き放つ?
全てが狂ってしまったあの日、知らねば良かった事を山ほど受け入れ自らアウラに乗り込み戦う事を決めた。初めてプロセルピナに乗った日からもう、引き返す事は出来なくなった。
いや、本当に引き返せなくなったのはいつからか。それを考える事そのものが馬鹿らしくなるほど、それは途方も無い疑問でもある。故に少女は夢を見続ける。
恐らくはこれからの千の夜を超え、数多未来の彼方まで……。自分を責め続ける心と折り合いを付けるのはそう容易い事ではない。一人ではきっと乗り越える事は出来ないだろう。
アイリの眠る姿の傍ら、随分と送れてやってきたブラッドがポケットに手を突っ込みながら立っていた。疲れて眠ってしまっているアイリの様子に微笑み、その髪を指で梳く。
「ん……」
少女の夢の中身などブラッドは知る由も無い。しかし眠っているアイリの姿に心の中がざわつくのは気の所為等ではなかった。確かに今、彼は目の前の少女に対して何らかの感情を抱いている。それは“年季の入った”心――。
隣に腰掛け、歳の離れた少女の寝顔を覗き込む。普段のアイリならば反応しても可笑しくない程の距離。しかしブラッドに気づく事は無かった。
「君は……どうしてここに居るんだい?」
小さな声で問い掛ける。ブラッド自身その質問の意図は判って居ない。しかしそれは至極当然の疑問でもある。
クリフや優紀、イリウムは正にイモータルに乗るに相応しい、堂々たるエースだ。それだけの風貌を持ち、実力を兼ね備え、結果を叩き出す。
それに比べてアイリはどうか。こんなにも可憐で幼い少女があんなにも巨大な兵器に乗り込み、決して似合わぬ戦場に向かうのだ。その様子は滑稽でさえある。
「アイリ。アイリ、起きて。こんな所で寝てると、クリフに襲われちゃうよ」
本人が聞いたら殴られそうな台詞を漏らしながらブラッドはアイリの肩を優しく揺する。しばらくすると少女はぱっちりと目を覚まし、ブラッドを見上げた。
「お疲れ様、アイリ。訓練はまた今度にするかい?」
「……いい、今……」
「――っと」
急に立ち上がろうとしたアイリの身体がふらつく。それを慌てて支え、ブラッドは小さなアイリの身体を押し返すようにベンチに座らせた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。アイリ、疲れてるんじゃないかな? 肩でも揉もうか?」
「いい……遠慮する」
「そう」
冗談交じりに笑うブラッド。アイリは眠たげに目を擦りながら小さく息を付く。
夢の中身など覚えては居ない。だがどこか寂しげな気持ちと誰かの手の温もりだけがはっきりと感じられる。今でもそう、目の前にあるかのように……。
思い出の名残に思わず胸が締め付けられる。流す涙は無かった。何よりブラッドの様な赤の他人の前で弱さを見せる事はあってはならないように思えた。
「……大丈夫かい? 僕の事なら気にしないで部屋に戻ってもいいんだよ」
「いい。戻っても……する事は無いから」
「女の子なんだから色々あるじゃあないか。あ、そうだ。この間任務で日本に行った時、アイリにもお土産を買って来たんだけど――」
ブラッドの不真面目な発言にアイリは眉を潜める。立ち上がり、振り返ってブラッドを見据えた。
二人は見詰め合う。しかしアイリの不機嫌な様子に対し、ブラッドは笑顔で応えた。その笑顔がアイリにはどうにも胡散臭く見え、表情は余計に険しくなる。
「――――どんな夢を見ていたんだい?」
無神経とも取れるブラッドの質問。いつも笑顔を浮かべている男の視線がどこか冷たく不気味に歪む。
アイリは初めてブラッドを見た時からどこか“腑に落ちない”感覚を持っていた。それはブラッド自身が持つ不穏さに付け加え、この男が酷い“うそつき”である気がしたからである。
一度そう考えてしまうとブラッドの一挙一動全てがうそ臭く見えてくる。彼が嘘を付いているかどうかなど判らないし、それを判断するのはアイリには不可能だ。だがブラッド自身が時折見せる一瞬の“不敵さ”がどうにも気に入らない、それだけは事実だった。
勿論質問には応えなかった。目を瞑り、沈黙で返すアイリ。そんな少女にブラッドは明後日の方向を眺め、言葉を続けた。
「――世界がね。炎の赤に、照らし出される夢を見るんだ」
ブラッドはアイリを見ては居なかった。シミュレーションを映し出す大型のモニター……それも違う。手前にある空気、何も無い場所、つまりは“ここではないどこか”を見詰める。
「何もかもを吸い込んで飲み込んで、炎はどんどん広がって行く。沢山の悲鳴が聞こえて、沢山の銃声が聞こえて……。そして僕も銃を構えるんだ。悲鳴を上げる世界に、ね」
アイリに向ける指先。それはブラッドが手で作る銃口だった。アイリはその手に自分の手を沿え、そっと下ろさせる。
「思い出したの?」
「思い出したと言える程ハッキリはしていないかな。でも、もしかしたらそういう体験をしたのかも知れないね……」
「どうしてそれを私に言うの?」
「さあ、どうしてかな……。初めて会った時から、君は他人の気がしなかったんだ。僕はいつも、視界の端で君を気に掛けている」
「…………」
「だって、君も僕も“まっさら”だ。僕らには“何も無い”――。生きていても死んでいても同じさ。“明日なんか見ちゃいない”んだ。君も、僕もね――」
シミュレーションルームに乾いた音が響き渡り、ブラッドの言葉は中断させられていた。口元から小さく紅い血が流れ、アイリは叩き付けた手をゆっくりと引っ込めた。
ずきずきと痛む手の甲、それはもしかしたら心の痛みなのかも知れない。ブラッドはアイリに殴られた頬に手を当て、うそくさい笑顔を浮かべる。
「――判ったような事を言わないで。私にはプロセルピナが居る……。“何も無い”のは、あなただけ」
そうして踵を返しアイリは部屋を去っていく。その足音に耳を傾けながらブラッドは目を瞑り、そうして痛む頬そっと擦った。
「喋ってる時に叩くから、口の中切っちゃったじゃあないか、アイリ……」
口元に手を当て、親指でその血を拭う。自分自身の紅い血液、それさえもまるで偽者の様に思える。
「――そうだね、アイリ。何も無いのは僕だけさ。でも君の傍に居るのは“プロセルピナ”だけじゃないって事、いい加減気づくべきなんだよ、君は」
溜息と共に肩を落すブラッド。口の中に広がる血の味。そっと壁に背を預け、一人でシミュレーションルームの中で時間を過ごしていた。
ACT.3 Girl's innocence <1>
マリス・マリシャは一人アザゼルのコックピットの中で膝を抱えていた。
アザゼルは輸送機によって空輸され、今はマリスも知らぬどこかの海の上を飛んでいる。シーツによって全体を覆われたアザゼルは同時に輸送する他の機体に紛れ闇の中に沈んでいる。
コックピットの中は暗い。ほぼ闇で覆いつくされていると言えるだろう。決して座り心地が良いとは言えないアザゼルの硬いシートの上、こうして膝を抱え続け既に三時間になる。
後どれくらいの時間で目的地に到着するのか? 考えながらも同時につかなければいいとも思う。アザゼルの中だけが今の自分の居場所で、ここから一歩でも出てしまったら闇に紛れて消えてしまう。
妄想染みた考えに取り付かれ眠る事も叶わない。目の下に隈を作りながらブツブツと独り言を漏らし続ける。膝を抱える指先に一層力が篭り、マリスはきつく目を閉じた。
「駄目だ……! 何故なんだ!? どうしてっ!? 一体“何が足りない”!?」
誠のヒステリックな叫び声が響き渡る研究室。頭を抱える誠の背後、マリスは機材に手を触れながら立っていた。
「足りないんだ、出力も……全て性能もっ! だが、こんな数値は空想の産物だっ! 私のシステムの問題じゃない……! もっと根本的な……っ!」
「……おい。いつまで時間をかけるつもりだ? アザゼルの実戦データは充分集まっているはずだ。いい加減、アザゼルの成果を出してくれよ」
「そんな事は言われずともやっているんですよ! アザゼルは完璧なんだ……! なのにどうして“追いつけない”ッ!? 足りないんだ、何かが! もっと根本的な……全てのリスクをメリットに逆転させる様な何かがっ!!」
誠は既にマリスの姿など眼中に無い様子だった。マリスは当然それに気づいている。だというのに口を出すのは単純にマリスも苛立っているからに他ならない。
アザゼルはただの“プロトタイプ”――そのはずだった。完全なる形態への伏線。完成形への足掛かり。それ以上でもなく、それ以下でも無い。
アザゼルはアザゼルでしかない。どんなにこの機体を強くした所でアザゼルを越えた物は生み出せないのだ。アザゼルでのデータを元に、“アザゼルを超えた存在”を再現する事……それこそがアザゼル計画の本懐。
だというのに計画はここに来て完全に行き詰っていた。アザゼルを生み出す為の礎となった設計図を前に誠は完全に壁にぶち当たっている。それ以上もう一歩も前に進めないような難問が彼に襲い掛かっていた。
その壁を突破出来ない限りアザゼルはアザゼルのまま……計画は遅々として進む事はないだろう。故にマリスも焦っていた。自分ではどうにも出来ない事だからこそ、焦りもより一層強くなる。
「おい、うるせえぞカギハラ。今何時だと思ってやがる」
声は二人の背後から聞こえてきた。つい先ほどまで誰の声も届いていなかった誠が慌てて振り返る視線の先、欠伸を浮かべながら出入り口に立つ男の姿があった。
「ジ、ジル……」
誠が男の名を呼ぶ。“ジル”――。誠がパートナーと呼び、アザゼル計画の為に手を尽くしてくれた“協力者”であるその男は眠たげに肩目を瞑りながら扉に手をかけ身を乗り出す。
「……ん? 居たのか、お前。あー……?」
「……マリスです。マリス・マリシャ」
「あ? ああ、そう。まあお前の事はどうでもいいんだが……どうだ、カギハラ? “プロトネフィル”の様子は」
緊張した面持ちのマリスの横をジルは素通りして行く。その背中を寂しげに見詰め、マリスは視線を反らした。
「“アザゼル”と呼んでもらいたいですねえ……。断片的とは言え、“ネフィル”の設計データを元に私が改良を加えて生み出したアウラなのですから。“ネフィル”等、容易に踏破して然るべきだと言うのに……!」
「何だ、もう行き詰ってんのか?」
と訊ねつつジルは興味なさげに欠伸を浮かべる。そんな半分居眠りをしながら対応するようなジルの態度を気にもせず誠は続ける。
「この設計図が悪いんだ! データには“最も肝心な所”が抜けている! 装甲の材質! エネルギーの源泉! それを統括するシステム……! 何をどうすればこんな馬鹿げた数値が実現出来るっていうんだ……!?」
「それを何とかするのがお前の仕事だろ」
「…………まあ、確かにその通りだ。中々いい事を言いますね、ジル」
何をどう解釈したのか、誠は落ち着いた様子で頷く。大人しくなった誠に満足したのか、ジルは誠の肩を叩き小さく頷いた。
「どうでもいいが静かにやれよ。金も人手も好きなだけ貸してやってんだ。その……どうにもならん問題とやらもどうにかしてくれ」
「判っているとも! 必ずやアザゼルは“ネフィル”を超えてみせるぞ!!」
鼻息荒く意気込む誠。早速仕事に戻った研究者の後姿を眺め、ジルは部屋を出て行こうと歩き出す。
「……そうそう、ジル」
「あ?」
「もう少し腕の立つテストパイロットは居ないんですかねえ? せっかくのアザゼルもパイロットの腕が未熟では真価を発揮出来ませんよ」
嫌味たらしく本人を前に笑う誠。よりにもよって尊敬するジルを前にそんな事を言われたマリスは黙っていられなかった。食って掛かろうと前に出た瞬間、ジルは誠に答える。
「アザゼルは所詮プロトタイプ……試作機だろうが。壊れたら新しいのを作りゃいいだろ? テストパイロットだって――替えはいんだろ」
マリスの脚がぴたりと止まる。振り上げかけていた拳がゆっくりと解かれ、ゆっくりと女は俯いた。
項垂れるマリスの傍ら、ジルは部屋を去ってく。擦れ違うその一瞬、ジルは足を止めてマリスに問い掛ける。
「……そういやお前、どこの担当だ? ここは一応アザゼル関係者しか入らない様にしろ。見ての通り、あの研究者はその……“うるさい”んでな」
ジルは決してテストパイロット本人を前に発言したつもりではなかった。ただ、ジル自らが選んでアザゼルのテストパイロットにしたその女の顔を、既に覚えていなかっただけで。
マリスは喜び勇んでアザゼルのパイロットに成った。ジルとの距離は広がるが、それはジルが自分を貴重なテスト機のパイロットに選んでくれたのだからと自らに言い聞かせた。
しかし蓋を開けてみれば、或いはジルにとってこの計画そのものが興味の対象外だったのかも知れない。まるで彼はこの計画が成功しない事を知っているかの様だ。“期待”などして居ない。故に成果が出なくても、“口うるさく”なかった。
ジルが去り、扉が閉まる。誠は既にマリスの事など見ては居なかったし、声をかけたところで反応も無かっただろう。マリスは暫くその場に立ち尽くし、それから部屋を後にした。
期待などされて居ない……。“どうでもいい案件”だから、“どうでもいい自分”が選ばれたのだ。暗闇の中、その事実を何度も胸に刻み付ける。
アザゼルは自分を受け入れてくれた。アザゼルのパイロットはマリス・マリシャしか居ない。他の誰もアザゼルは受け入れない。自分だけをここに乗せてくれる。
替えなんているものか。そんな事になって堪るか。何度も何度も呟き続ける。痛む左目に手を当て、眉を潜める。
「戦うんだ……。“コスモス”だろうが何だろうが、全部倒して“アザゼル”を最強にする……。そうしなきゃ、わたしは――」
アザゼルを乗せ、輸送機は夜の闇を飛んで行く。次の目的地、新たな被害者を求めて……。
「ねえブラッド、アイリに何かしたの?」
シミュレーションルームで一人訓練を続けていたブラッド。休憩所に飲み物を買いに出た所、通路の向こうからやって来た優紀に声をかけられる。
その手には洒落た紙袋に入ったアイリへのお土産が入っている。新品のまま持ち主となるべく少女に拒絶されてしまった服たちは今やどこか哀れである。
「アイリに渡そうとしたら、思い切り突き返されちゃったわ。あんなに機嫌悪いアイリ、見た事無いわよ……?」
「あはは……。ちょっと、怒らせちゃったみたいでね。今度から気をつけるよ」
「……はあ。ブラッド、あなた問題しか起こさないのね。アイリはまだ子供だし……多感な時期なんだから、あんまり変な事言わないでよ?」
困った様子で紙袋を引っ込める優紀。勿体無いが、これは取って置くしかないだろう。いずれアイリが受け取ってくれる日を信じるしかない。
ブラッドはドリンクを一気に飲み干し、ゴミ箱に紙コップを投げ入れる。行儀の悪いブラッドの頭を小突き優紀は背を向ける。
「兎に角、アイリには謝っておきなさいよ! 男なんだから、女の子には優しくする事!」
「はあい」
「全くもう、アイリとどれだけ歳が離れてると思ってるのよ……。あなたの方がよっぽど子供に見えるわ」
「あははは〜……」
溜息を漏らしながら去って行く優紀を見送りブラッドは小さく息を付く。口元に手を当ててみるが、既に血は止まっている様だった。
訓練を中断し、アイリが居るであろうプロセルピナが眠る格納庫へと歩き出す。しばしの時間を置いた事でアイリの怒りも少しは収まっているだろうか……そんな都合のいい事を考えながら。
格納庫にアイリの姿は無かった。いつもプロセルピナを見上げている通路の向こう、プロセルピナのコックピットは開いていた。ブラッドは頭を掻きながら暫く考え込み、それからプロセルピナに向かって進んで行く。
通路からプロセルピナに伸びた小さな連絡路を伝い、コックピットを覗き込む。そこには案の定、膝を抱えたアイリの姿があった。
アイリとブラッド、二人の視線が交差する。相変わらず不機嫌な様子のアイリにブラッドは微笑みながら声をかけた。
「さっきはごめんね、アイリ。君の言う通り、全面的に僕が悪かったって思ってる。仲直りしようよ」
そうして手を差し伸べる。しかしアイリはその手を取ろうとはしない。
「……弱ったなあ。どうしたら赦してくれる?」
「――――私は」
ブラッドの言葉を遮り、アイリは顔を上げる。その瞳はブラッドが思っている以上に大人びていて、しかし同時に少女の純真を切り取ったかのように無垢だった。
「私は……独りだから。何も残って無いから……。ブラッドの言う通り、私には何も無いのかもしれない……。そう考えたら、止まらなくなって……」
いつもは見上げるだけでプロセルピナが答えてくれる気がした。言葉は無くとも通じ合っているような、そんな不思議な感覚があった。
この灰色の鉄の塊は魂を持つかのようにアイリの思いを映しとって答えてくれる。それはこのアウラが言うなれば“今は亡き家族との絆”であるから。
「……プロセルピナが、急に遠く感じられた。私は“ここ”から離れちゃ行けないって言われてる気がした。だから……」
「プロセルピナは、さ」
手を引っ込め、ブラッドは鋼鉄の機体を見上げる。
「もしかしたら、君とずっと一緒に居たいと思っているのかも知れない。君に離れて欲しく無い、そう寂しがっているかもしれない。でも……“そうじゃないかも”しれない」
微笑みながらアイリを見詰め、コックピットの内側をコンコンと叩いて見せる。
「もしかしたら、君にもっと自分以外の友達を作って欲しいと思っているかもしれない。自分が居なくても、君が一人で頑張れるようにって応援しているかもしれない。それは僕には判らない。君にも判らない。でもそれは両方正解で、全てが不正解だ」
もう一度そうしてアイリに手を伸ばす。
「過去の全てに僕らは答えを出せない生き物だ。今ある物でさえ不確かで、だから明日は見えないまま。それでも君には今がある。明日にはもしかしたら違う未来が待っているかもしれない。いつか君を、プロセルピナだけじゃなく、君を守ってくれる人が現れるかもしれない。その時君は、その人の手を握れる女の子であって欲しい」
「…………手を……?」
「言葉にするのは難しいよ。正解を辿るのはもっと難解だ。至難とも言える明日を一つ一つ、歩いていくんだ。僕も君も例外なく、時の流れは押し流して行くさ。だから伝えたいなら手を握ろう? 好きな人にはキスをするし、守りたいから抱きしめる……。とても当たり前で、とても自然で、だからずっと良く伝わる」
ブラッドの笑顔は相変わらず胡散臭かった。うそくさくて、どうにも作り笑いのようにしかアイリには見えなかった。
それでもブラッドは手を伸ばす。気づけばその指先に手を伸ばしていた。触れそうで触れない二人の距離、アイリは不安気な瞳でブラッドを見る。
「ほら、アイリ。仲直り」
「………………」
一瞬迷いを浮かべ、しかしそれを振り払うように思い切ってブラッドの手を握り返す。微笑むブラッドの向こう、何故か優紀とクリフの顔が覗き込んでいた。
それに気づいたブラッドが振り返り、二人の顔を交互に眺める。そんなブラッドの頭にクリフの拳が減り込み、ブラッドの目が丸を描いた。
「おいこらブラッド! アイリをいじめたって本当か!?」
「い、いじめてないよ……。いじめてるのは今正にクリフじゃないか……」
「大丈夫だった、アイリ? ブラッド、ちゃんと謝ったの!? アイリ――泣きそうじゃないっ!!」
三人が同時にアイリを見詰める。優紀の言葉を受けてアイリは自分の顔に触れる。無表情を作り続けていたその瞳には何故か涙が堪っていた。
「お、おい……!? ブラッド、何しやがったこら!」
「僕は何も……い、痛いよクリフ! 痛い痛い! こっちの方が泣きそうだよ〜!」
「アイリ」
優紀が優しい声と同時にアイリの手を掴む。それに続きクリフが。三人に手を繋がれ、アイリはコックピットから引っ張り出された。
眩しい照明の光を浴びながらアイリはゆっくりと目を開く。そこには自分の手を繋いで笑う三人の仲間の姿があった。
振り返り、プロセルピナを見る。その大きくて冷たくて、しかし暖かくて優しい機体はアイリを見下ろし微笑んでいるような――そんな気がしていた。
「……うん」
誰かに声をかけられたわけではない。アイリは心の中、自分を縛っていた自分に返事をした。
“行ってらっしゃい”――。プロセルピナがそんな風に笑っている気がして、何だか少しだけ幸せな気持ちを取り戻せたような気がした――。