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ACT.1 Entrance to fate <1>

『この様子じゃあ、どうやら今回も何の手掛かりも得られなさそうだな……』


 特に必要性を感じない一言。通信機越しに聞こえてくる愚痴としか表現の仕様が無い男の声に少女は返事をする事は無い。

 理由は当然、返事をする必要性を感じないからだ。しかし同時にそれさえもどうでもいいと思う部分があった。頭の中で巡らせる思考は、既に目の前の景色とは遠く離れた場所にあったのだから。

 焼け焦げた大地の匂い――。直にそれを体感したわけではないのに、まるで思い出すかのようにそれを感じてしまう。じりじりと首の後ろ、うなじが焼け付くような感触……。七色の感情、どんな物でさえ当てはまる事はない、正解のない感情。

 反射的に思い描く自らの過去のワンシーンに思わず強く操縦桿を握り締める。軋んでいるのは操縦桿か、或いは彼女の骨なのか。小さく音を立て、苛立ちはしかし消える事は無い。


『しかし、これだけ派手にぶっ壊すだけの理由がこんな辺境の工場にあったのか……? 未だに犯人像が掴めないって言うのは、天下の“コスモス”としてどうなんだかな――。なあ、“アイリ”?』


 通信機の向こう、仲間の男が自らの名を呼んでいる。その事実に気づき、少女アイリは小さく頷いた。勿論彼にはその返事は見えて居ないのだが、そんな事は考えてもいなかった。

 二人の目の前に広がるのは嘗ては森を“なめして”作った広地だった場所。しかし今は何らかの巨大な爆発に巻き込まれ、何もかもが吹き飛んでしまっている。

 近隣の町にまで被害を与えた大爆発は大地を抉り今でもその凄まじい破壊力を見る者に伝えている。かつては森、そしてそこに建造された巨大な工場……。そのどちらの面影も今は見つけ出す事が出来ない。

 謎の輝きがこの地を包んだのは今よりも数時間前。どれだけ急いだ所で彼らが駆けつけるにはそれだけの時間がかかってしまった。

 アイリは手元にある資料に手を伸ばす。茶封筒の中に一先ず突っ込んできた幾つかの衛星写真。そのどれもが目の前の荒野と同じように灰燼の景色と化している。

 そう、この事件はこれで“六件目”――。大規模な爆破テロと思われるこの事件を追い掛け、結局犯人の尻尾を掴み損ねたのはこれで三度目。手掛かりも痕跡も何も残らず、遭遇さえ出来ない犯人像……。

 これだけの大規模な爆発の後では痕跡を探すのも馬鹿馬鹿しくなってくる。アイリは資料写真を封筒に再び収めて小さく息を付いた。

 ここの所この無意味な追いかけっこが続いている。いつ終わるのか、今の所見通しは付いて居ない。疲れている……その自覚は彼女にもある。だが何よりも、こうして大量の命が失われた場所に立つのは辛い物があった。

 クレーターを見下ろす山間に突如巨大な影が現れる。それは彼女が乗り込んだ巨人の姿――。アイリの駆る巨大な人型戦闘兵器、“プロセルピナ”が自らを覆い隠すように纏っていた擬装用のネットが外れた所為でその姿が浮き彫りになったのだ。

 せっかくこうして息を殺して戦地にまで近づいたというのに、全ては後の祭り――。徒労に終わった作戦行動に溜息を一つ残しプロセルピナは擬装用ネットをマントのように身体に巻いたまま振り返る。

 背後ではプロセルピナと同じく全身に擬装用ネットで迷彩を施した巨大なロボットの姿がある。アイリのプロセルピナがネットを剥いで立ち上がった様子を見てもう一つの影もプロセルピナの下へと歩み寄る。

 巨大な山の傾斜を下る巨大な影。月夜の暗闇の中、巨大な影が二つ蠢く。灰色のプロセルピナの隣に静かに停止した真紅の機体“ウルカヌス”のパイロットが小さく舌打ちする音が聞こえた。


『狙っている企業も毎回別々……。ターゲットにされるのは必ず“生産ライン”だって事は判ってるが、逆に言えば判ってる事はただそれだけだしな』


「……それだけじゃない。毎回手口は“動力炉暴走”による大規模爆発だから」


『……まあそりゃそうだが、結局何も判ってない事に変わりはねえだろ。ったく、また無駄足か……。こういう地道な作戦はあんまり好きじゃねえんだけどなあ』


「作戦に好き嫌いも何もないと思う」


 ウルカヌスのパイロットはコックピットの中で肩を竦めた。それに反応するようにウルカヌスも僅かに機体を上下させる。

 既に何も見つからないと高を括っているウルカヌスと違い、この状況でもプロセルピナは周囲の探索を続けていた。ゆっくりと傾斜を下降しつつ、クレーターへと向かって行く。

 プロセルピナのコックピットの中、アイリは次々と機体が拾い上げてくる様々な情報を瞬時に判断し認識していた。勿論、何かが見つかるという期待はして居ない。今までのケースと今回、全て何も残っていなくて当然なのだから。

 動力炉の暴走により引き起こされる大爆発は忌まわしき核弾頭の威力に追従する程の物……何かが残っている方がおかしいのだ。それでもクレーターを調べようと考えたのは彼女の真面目な性格故と言える。

 そんな期待も持たずに行った調査。しかしプロセルピナの望遠したカメラが在り得ない物を映し出す。


「……クリフ」


『あん? どうした?』


「あそこ……。クレーターの端に、“アウラ”が倒れてる」


『……マジか? 熱源反応は無いぞ』


 報告すると同時に仲間の言葉を最後まで聞かずにアイリはプロセルピナを動かす。傾斜を素早く下っていくプロセルピナ。そのしなやかな動作とシルエットは機械仕掛けとは思えない程美しく緻密だ。

 山を下り、続けてクレーターの淵をなぞる様に移動する。その背後でマントを棚引かせウルカヌスが追従する。二つのシルエットは目標の横たわる場所へと直ぐに辿り着いた。


『……いくらクレーターの端だからって、まさかこんなにきちんとした状態のアウラが転がってるとはな』


「罠かも」


『かもな。だが正直俺はいい加減手掛かりが欲しいんでな。何かあればフォローを頼むぜ』


「あ、だったら私が……」


 アイリが声をかけるよりも早くウルカヌスは足を止めているプロセルピナを追い抜いていく。伸ばしかけた手をおずおずと引っ込めてアイリは操縦桿を握りなおした。

 ウルカヌスが大地に横たわった巨大な人型の残骸の直ぐ傍に歩み寄る。“アウラ”――。それこそがこの世界に存在する人型兵器の名称であった。

 クリフが『きちんとした状態』と表現したそのアウラはしかし下半身を完全に失っていた。すっぱりと刃物のようなもので切り裂かれた切断面……しかし付近に下半身が転がっている気配は無い。

 ウルカヌスの内側、クリフがカメラでその機体を見詰める。完全に動力は停止し動く気配もない。さてどのように扱ったものかと考えながら腕を組むクリフ。彼が見詰めるそのカメラの視界に何故か突然生身のアイリが飛び込んできた。

 一瞬何事か理解が追いつかずに目をぱちくりさせるクリフ。それから思い切り身を乗り出し、ウルカヌスのライトが照らし出す機体の上に声を上げた。


『おいこら、アイリ! 罠かもとか言っておいて何勝手な事してんだ!?』


 夜の闇を切り裂くようなライトに照らされ、光に手を翳しながらアイリが顔を上げる。しかしその表情は光の所為ではっきりとは窺い知る事が出来ない。

 クリフの注意も聞かず、アイリは壊れた機体のコックピットを開こうと手を伸ばす。外部から小型の端末に繋ぎ、強制的にハッチを解放させるのにそれほどの時間はかからなかった。

 危険の可能性――。クリフの悪い予感は杞憂で終わった。開いたコックピットからは銃弾も化物も飛び出す事は無い。小さく安堵の息を漏らし、クリフは腕を組んでシートにどっかりと体重を預ける。

 アイリは冷静だ。歳の割には優秀すぎる戦士であると言えるだろう。しかし時々無茶な行動や仲間の声を無視する場面が目立った。それは優秀であれば優秀である程、同時に彼女が子供であれば子供である程に。

 そんなアイリの行動をクリフは不安に感じていた。それはクリフだけではなく、仲間たちの共通認識……。アイリはどこか、自分の命を“勘定に入れて居ない”部分がある。


「クリフ」


 自分の名を呼ぶ声。クリフはハッチを開いて身を乗り出した。腰を落としたウルカヌスから伸びる昇降用ワイヤーに片足をかけて上下が分断された機体の上に降り立った。


「どうした?」


「中、見て」


 コックピットを覗き込んでいたアイリが身を引いて言う。“どうぞみてください”と言わんばかりに開けられたスペースにクリフも大人しく顔を突っ込む事にした。

 どこかが故障してしまっているのか、完全には開かないコックピット。その隙間から覗き込む内部にはパイロットの姿があった。気を失っているのか、或いは既に事切れているのか……。どちらにせよ動く気配は無い。

 当然この機体が無人機インフェリアではなく量産機スタンダードである以上、コックピットの中に人間の姿があるのは自然な事。生死は兎も角、それは正常な事だ。


「……これ、もうちょっと開かないもんだろうか」


 夜の闇の所為もあり、中の様子は不透明だ。ウルカヌスのライトもコックピットの影に遮断されて届かない。ぼやいたクリフの背後、小さなアイリの手が伸びてコックピットの淵を掴んだ。

 少女が一生懸命にコックピットを開こうと力を込めている。しかし明らかにそれは無理な話だった。“素手でコックピットを開く”事そのものが無理難題だというのに、アイリは平均と比べてかなり“ひかえめ”な体格なのだから。

 クリフがじっとその様子を見ているとアイリは手を引っ込めてさも“やってみただけ”と言わんばかりにそっぽを向く。勿論やってみただけなのだろうが、その様子にクリフは苦笑を浮かべた。


「仕方ねえな。コックピットは専用の工具で開けるしか無いか……。一先ずハッチを閉じて“ユスティティア”にまで持ち帰るぞ」


 小さく了解と返答して頷くアイリ。彼女がコックピットを閉じている間にクリフは昇降用ワイヤーでウルカヌスのコックピットにまで戻る。そこで通信機のパネルを操作し、ユスティティアへと連絡を飛ばす。


「こちらウルカヌス。手掛かりになるかどうかは分からんが、“不自然な生き残り”を発見した。回収後、ユスティティアに帰還するぜ」


『了解しました。ウルカヌス、プロセルピナは合流予定ポイントに向かってください。ユスティティアの浮上予定時間はカウント300です』


 オペレーターからの返答にクリフは小さく返事をする。意識を周囲に戻すと既にプロセルピナに戻ったアイリが機能停止した機体に牽引用ワイヤーを装着し終えようとしている所であった。


「せっかく俺がいるんだから力仕事は俺に任せろよ、アイリ」


『……いい。プロセルピナなら、これくらい簡単だから』


 ぶっきらぼうな返事にクリフは頬をぽりぽり掻きながら息を付く。アイリの言う通り、プロセルピナは軽々とワイヤーを引いて倒れた機体を牽引して行く。

 プロセルピナは優秀な性能を持つアウラだ。そう――時代遅れの旧式とは考えられない程の。そしてその事実はアイリにとっては心の支えにも成り得る。

 何者よりもプロセルピナを愛する少女はその灰色のアウラでゆっくりと移動を開始した。本来ならばこういった作業は高出力のウルカヌスの方が向いている。先ほどのハッチ解放作業も、経験豊富なクリフの方が適任であったと言えるだろう。

 それをアイリは理解している。理解した上で彼女はそれを自らの手で、そしてプロセルピナで遂行する。“向き不向きなど関係ない”とでも言うかのように。己に万能を言い聞かせるかのように。

 そんなアイリの行動の全てが彼女の暗い決意に導かれる物である事をクリフは知っている。クリフだけではない、彼女の仲間は全員知っているのだ。だからこそ、その行動に不安を覚える。


「――予定合流ポイントまで急ぐぜ。あんまりちんたらしてたら、ユスティティアに置いてきぼり食らっちまうぞ!」


 勿論そんな事はされないのだろう。だが背後からアイリにそんな冗談交じりの声をかける。アイリの返事はない。それでもその声は彼女に届いているのだと、クリフはそう信じていた。



Entrance to fate <1>



 青年が目を覚まして第一に思った事。それは、“全身が妙に痛い”……だった。

 天井は見覚えの無い物。何の飾り気も無い鉄製の壁、天井、床……。自分が横たわっていたベッドさえも鉄製で、部屋全体が光を映しこんで光沢している。

 そこは見るからに牢獄と言える場所だった。しかし牢獄独特の薄汚い雰囲気は微塵も存在しない。そこにある簡易な洗面台も便器もベッドも何もかもまるで新品であるかのように美しく、完全に手入れが行き届いているように見える。或いはその場所は一度も使われた事が無かったのか……。兎も角そこは牢獄にしておくには勿体無いほどのワンルームだった。


「こんなに綺麗なら、牢獄とは言え不便は無さそうだねえ。まあ……これが無ければもっと具合はいいんだろうけど」


 青年はそう呟いて気の抜けるような朗らかな笑みを浮かべた。柔らかなその視線が映し出す物、それは彼の両腕を拘束している手錠である。

 両足にも枷がつけられ、正に囚人の様相である。歩く事は可能、しかし走る事は不可能――。そんな意図が見え隠れする鎖の距離、凡そ40cm。憎たらしく感じるはずのその鎖も新品のように彼の顔を映しこんで歪めている。

 それにしても体中が痛い。まるで全身を何度も硬いものにぶつけたかのような痛みだ。両手を拘束されたその身では叶わなかったが、その身体、服に隠された素肌には実際にいくつもの痣が浮かんでいるだろう。

 ベッドの上に再び横たわり溜息を漏らす。その重苦しい吐息と共に気力が抜け落ちて行くような錯覚を青年は味わっていた。

 状況はそれだけしか判らない。時代錯誤の鉄格子は見えないが、明らかに外部からロックのかけられた扉が一つだけ。後はベッドと便器と洗面台、それを詰め込んだだけの“小奇麗な”箱に過ぎない。

 何故自分はここにいるのか。何故拘束されているのか。そして何故全身がこうも痛むのか。何か拷問でも受けた直後なのだろうか? それにしては気持ちがどうにも不安になってこない。


「さて――。どうしたものかな」


 横たわったまま首だけを動かして唯一の出入り口である扉を見詰める。ノブも溝も手をかけられるようなものも存在しない。内側から開ける事は完全に想定して居ない扉だ。となると、やはりここからは出られそうもない。

 一先ず無駄だと判っていてもベッドからおリ、40cmを超えない歩幅で扉に歩み寄る。扉には覗き穴さえない。当然のようにがっちりとロックされて開かない扉、更には外の様子も窺い知る事が出来なかった。

 仕方が無くベッドまで引き返して腰を下ろす。さて、どうしたものか。スプーンか何かで壁に穴でも彫って脱出――出来るような材質には見えない。青年は一人くだらない思考に小さく微笑む。

 視線を下から上へと向ける。こういう時は出来る限り上へと顔を上げるものだ。辛い時、悲しい時、下を向いていたら明日は見えない――そんなどこかの大人の言葉を思い出す。それが誰の言葉だったのか、或いは本当に誰かから聞いた言葉なのかはわからなかったが、しかし部屋の隅に設置された監視カメラの存在には気づく事が出来た。

 カメラはじっと青年を見詰めている。カメラのレンズが何度か動き、小さな機械音が聞こえてくる。青年は何を思ったかつながれたままの両腕を小さく上げ、片手を開いてカメラに手を振った。


「誰か〜、見てますか〜?」


 返事が得られるとは思って居ない。しかしカメラがそこにあるのだから、誰かが自分を見ているのだろう。特に何かを思考するわけではなく男は朗らかな笑顔と共に手を振ってみせる。


『……お前、自分の状況を判ってるのか?』


 すると期待していなかった返事が聞こえてきた。青年は苦笑を浮かべ、小首を傾げる。


「良く判ってませんねえ」


 監視カメラの下、小型のスピーカーが設置されている。カメラの向こう側に居る人物はそのスピーカーから小さく溜息を漏らした。


『意識を取り戻したのなら色々と聞きたい事がある。本当ならこんなのは俺の仕事じゃないから早く済ませたいんだ。だから正直に答える事。いいな?』


「は〜い」


 男の疲れたような声に気の抜けた声で返す。小さな部屋に再び溜息が響いた。


『まずは名前と所属だ。それから何故“あの場所にいた”のか』


「名前と、所属……」


 青年は首を傾げて視線を反らす。それは彼の癖。思案の最中は対象から視線を反らす。暫くそうして思案が続き、沈黙が空間を支配する。


「――――判からないなあ」


 それが青年の本音であった。しかしそれは質問の返答と呼ぶには余りにもお粗末。カメラの向こうの人物は不機嫌さを隠そうともしない。


『なんだそりゃあ? 名前と所属、それくらい子供だって言えるだろう! アウラに乗ってたんだ、一般人って事はないだろ!?』


「あ……うら?」


『そうだ、アウラだよ! “The Armaments universe reigns anew wepon”! つまり“AURAアウラ”だ!!』


「……えーと?」


『えーと……じゃねえ! 惚けようとしたって無駄だぞ! 今のこの世界にアウラを知らない人間なんて居るはずが――ぐはっ!?』


 突然何かが倒れるような物音が鳴り響く。一人ぽかんと口を開けたまま待つ青年に先ほどとは別の声が聞こえた。


『あー、もしもし? もしかして君、記憶喪失とかだったりしちゃう?』


「記憶……喪失……」


 青年はぼんやりとその言葉の意味を反芻する。何度か繰り返しその言葉を口の中で音も無く噛み締める。

 記憶喪失。過去を失うという事。青年は己の過去に思いを馳せる。そこに広がっているのは本来ならばアイデンティティとも呼べる記録の海。しかし彼の中にあったのは“真っ白”――。空虚な自分、過去と同時に存在の意味さえ見失ったカラッポの自分自身であった。

 一瞬、その途方も無い事実に打ちのめされる。しかし次の瞬間には記憶喪失という突拍子も無い事実を受け入れ、顔を上げて微笑んでいた。


「どうやらそのようですね」


『記憶喪失!? おい、フィーナ! そんなの絶対嘘だって! そんな都合良く記憶が消えるわけが――』


『ああもう、うっさいなあ! 黙って仕事してなよっ! 艦長のやる事に一々口出ししないの!』


『いや、仕事って……。拿捕した不審者の尋問を俺に押し付けたのお前じゃ……』


『はいはい、そうですね。わかりましたからもうさっさと私の部屋の机の上にドッサリ溜まってる書類を一つ残らず全部綺麗に片付けておいてくださいね』


『何でそうなるんだよ、おいっ!? だったら尋問の方がいいよ!!』


 なにやらカメラの向こう側で二人の人物の言い争いが始まってしまった。方や怒気を孕んだ男の声。方や今だ成長途中にあるような少女特有の甘い声。しかし二つはまるで同年代、古くからの友人であるかのように容赦なく言い争いを繰り返す。

 やがて何やら酷い物音が聞こえ、争論は終了した。カメラの向こう側、青年が映りこんだモニターの前に半分に折れたノートパソコンを片手に肩で息をする少女の姿があった。


『ごめんごめん、お待たせ。で、君は記憶喪失なんだっけ?』


 何事も無かったかのような声。青年は何も考えないようにして会話を続ける。


『それじゃあ、判っている事だけでも教えてもらえるかな? 名前とか、断片的なイメージとかでも良いからさ』


「…………そうですね」


 青年は息を潜めて頭の中を引っくり返す。飛び出す真っ白になってしまったピースの中、少しでも色を保つ欠片を探す作業に没頭する。

 そうして“それ”は直ぐに彼の思考の中に舞い戻った。恐らくは“自分を称する物”――。青年は静かにその言葉を紡ぐ。


「“ブラッド”……」


 それから今度はハッキリと、彼女にも聞こえるように。


「“ブラッド・アークス”――。多分それが、僕の名前ですね」


 そう自分で口にした瞬間には既に違和感を覚えていた。ブラッド・アークス、それが自分の名前……。確かにそのような記憶は存在する。しかし正直な所その名に“親密さは覚えない”。

 まるで自分の名前ではない、架空の存在の名前であるかのように。友達でも家族でも恋人でも仲間でも、そして自分自身でも無く。ブラッド・アークス……そんな人物は存在しないのだと自分の中の何かが叫んでいた。

 だが記憶はハッキリとその名を自分のものであると認識している。心と身体がまるでばらばらになってしまったかのような奇妙な感覚……。しかしそれを彼が表情に出す事は無かった。


『ブラッド・アークス、ね……成る程成る程。他に何か判る事は?』


「他には……。いえ、何も――――あっ」


『どうかした?』


「そう、ですね……。それが何なのかは僕にはさっぱり理解出来ないのですが、一つだけ思い出した言葉が」


『何かな? とりあえず言ってみてくれる?』


「はい、えーとですね――」


 そうしてブラッドは顔を上げ、カメラのレンズに向かって微笑みを浮かべた。唇がゆっくりと丁寧に言葉を紡ぐ。そうして何も宿さないかのような冷たい瞳が笑顔で歪み――。


「――――“ネフィル”」


 紡がれた言葉は乾いた部屋の中に乾いて反響する。カメラの向こう側、少女はモニターを覗き込みながら口元に薄っすらと笑みを浮かべた――。



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