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ACT.4 Feelings <3>


 清清しい青空の下、十字架が並んでいた。沢山の緑が大地を埋め尽くし、風が草木を揺らして行く。

 爽やかな風を浴びていると、そこが墓地である事さえも一瞬忘れてしまいそうになる。マリスは相変わらずの厚着、ロングコートを着込んで花束を手にしていた。

 彼女の眼下にあるのは、自らの手で命を奪ってしまった被害者の墓。そこにそっと花を添え、片膝を付いたまま目を細める。祈る訳ではなく、謝る訳でもない。ただそうしてじっと十字架に映りこんだ自分の影を眺めるマリス。その背後に歩み寄るブラッドの姿があった。


「何を考えているんだい?」


「おまえには関係ないだろう」


「関係があるかどうかは問題じゃないさ。大事なのは興味があるかどうか……。僕は君の考えている事が知りたいのさ」


「わたしはおまえにそれを知ってもらいたいとは思って居ない」


 忌々しく吐き、そうして立ち上がるマリス。背後に立っていたブラッドは相変わらずスーツ着込み、優しい笑顔を浮かべている。その笑顔の向こうにある物が優しさではなく、もっと残酷な何かなのだとマリスは気付き、それ以上彼の言葉に反応しようとはしなかった。

 破損したアザゼルの改修の為、アザゼル計画は完全に中断を余儀なくされていた。その間、マリスは休暇を与えられ“シュペルビア”としての任務からも開放されている。それが自分の所為である事も、仕方の無い事も、勿論判っている。だが――。

 両手をコートのポケットに突っ込み、マリスは歩き出す。風がコートの裾を棚引かせ、ブラッドは前髪を揺らしながら小さく笑みを浮かべた。

 ブラッドに助けられたという事も、ブラッドを助けたという事も、コスモスに捕まった事も、無事に生きて帰って来た事も……全て判っている。判った上で、それでも納得が行かない事もある。その矛盾した心が子供の我侭に似ている事を知っているからこそ、マリスはブラッドを拒絶する。それもまた、一つの我侭なのだが。

 それでもブラッドはマリスの後をついてくる。頼んだわけではない。しかしブラッドはついてくる。それには特に明確な理由はない。ブラッドはシュペルビアの中でも“期待されていない”。大役を任される事は無く、最新兵器を渡される事も無い。マリスの見張りだのなんだの、適当な理由をねじ込んでここにきているだけの事。


「……どうしておまえはわたしについてくるんだ?」


「暇だからだよ」


「……だったらさっさと帰って仕事をしろ、ばか!」


「君こそどうしてそんなに僕を嫌うのさー。いいじゃないか、お互い暇人なんだから」


「そういう問題かっ!? 兎に角わたしはおまえが気に入らないんだ! 何度もそう言っているだろ!?」


「でも僕は君の事が好きなんだ。君はとても可愛いからね」


「…………」


 マリスは僅かに頬を染め、それから不審げな瞳でブラッドを見詰めた。ブラッドの細められた瞳がゆっくりと開き、そこにマリスの姿が映りこむ。

 ブラッドの瞳に映る自分はまるで目の前の男におびえているかのようだった。実際ブラッドはマリスを“可愛い”と感じている。“可愛らしい”――。それは戦士にとって褒め言葉等ではない。


「君みたいにコンプレックスの塊で、どうしようもなく自分が大嫌いで矛盾だらけの人間というのは好きだよ」


「…………もういい、おまえに一々反応して怒るのも面倒になった」


「それは残念だな。君の怒っている顔、そんなに嫌いじゃなかったのに」


 二人の会話はそれで途切れた。マリスがこうして墓を巡るのは今に始まった事ではない。彼女は何年も前から、暇さえあればこうして各地を転々としている。

 マリスはテロリストだ。テロリストなんてものをやっていれば、当然人を殺す。殺した人間の数などいちいち数えては居ないし、それを記憶もしていない。

 ただ、自分がシュペルビアとして関わった事件の所為で命を落とし、或いは苦しみの最中に居る人々がいる事は紛れも無い事実。マリスはその事実から目を背けたくなかった。

 そういうものから目を反らしてしまった瞬間、自分の行いが全て間違いであるかのように錯覚してしまう。誰かを肯定する事は自分を肯定する事にも繋がる。少なくともマリスはそう考えていた。

 自分たちに正義などと言う言葉が似合わない事など百も承知である。しかしそれでも直、引き返す事が出来ないのならば。明日へ進む為に、足枷は一つでも外して歩きたい。


「……いいのか?」


 坂道を下る途中、マリスはそう問い掛ける。


「おまえ――あの子の事が気になっているんだろう? 傍に居てやるべきなのは、わたしじゃなくてあの子だろう」


 ブラッドは笑顔を崩さなかった。しかしどこか悲しげに、諦めたように俯きながら笑っていた。


「僕が傍に居た所で、出来る事なんて何もないよ」


 ユスティティアから脱走し、もう二週間。その間彼は何度も彼らの事を思い出していた。あの嵐のような海の上、ブラッドはそれらを全て捨ててきたはずだった。

 理由は簡単な事だ。ブラッドは諦めて、そして手放したのだ。様々な平穏、願い……絆。全部ひっくるめ、感情なんて二文字で表現してもいいものかもしれない。とにかく彼は、手放した。


「世界は信じられないくらい広くて、信じられないくらい、誰にも判らないくらい、途方も無い大きな流れが全てを支配している。僕にも君にも、体中のありとあらゆる場所……目や耳や心臓や、骨や筋肉、魂や心でさえ全てが糸で吊るされている。目には見えないその糸の届く範囲、その糸の続く先からの力で僕たちは生きている」


 それらをひっくるめ、“運命”とも呼べるだろう。


「そういうものは、どうしたってあるんだよ。どうしたって、願っても手に入らない事はある。どうしても、どうしても、どうしても……ダメなことってあるんだ。その人がその人である限り、その他の者にはなれない僕らそのものである限り、僕らには叶えられない願いがある」


 淡々と、ブラッドは語る。肩を並べて歩くブラッドのそんな言葉を耳にしながらマリスは自分自身にそれを当てはめていた。

 シュペルビアに所属するより前の事。傭兵として様々な戦場を転々とした事。生まれて直ぐに生きるか死ぬかの場所に放り込まれた事。力が全ての戦場で見つけた、絶対的な崇拝対象の事――。

 天才は生まれた時から天才で。身分はどうしたって変えられなくて。世界には戦いが溢れていて。それを消し去る事も、止める事も出来なくて。

 戦いが無くなれば全てを失ってしまう。生まれてから死ぬまでの間、その人生の全てが戦いだった。体は戦いで出来ている。そこから戦いを取ってしまえば、何一つ残らない。


「それが判っているのに、希望を抱き続けるのは難しいのさ。どうしたって人はどこかで折り合いをつけて諦める。自分には無理だ、ってね……。僕は彼女をどうしたって救えない。それなのに彼女を見ているのは、辛いのさ」


「だからどうでもいいわたしの傍にいるのか。酔狂だな」


「君は気が楽だよ。君はどうしようもない。僕と同じだからね。どうしようもないのさ、これまでもこれからも。だから隣に居ても……胸が痛まない」


 肩を竦め、ブラッドは先を進んで行く。マリスは小さく息をつき、それから遠ざかる背中に投げかけた。


「それは――ただの弱さだろう」


 声は届かない。いや、或いは届いていたのかも知れない。ブラッド・アークスは、ただ只管に前へと歩みを進ませた。



ACT.4 Feelings <3>



 リノリウムの廊下を歩く一人の看護士の姿があった。彼女は長い間その病院で看護士を続けていた。長い長い廊下を歩きながら、ふと窓の外を眺めながら思い返す。

 以前、この廊下で見かけた人影。黒いコートで全身をすっぽりと覆うその姿はまるで世界全てから自分を守る為のものであるように彼女の目には映った。それはきっと間違いなどではなく。その人はいつも何かに怯えていた。

 そんな目をした人を見る事は、仕事柄そう珍しくは無い。恐怖を抱えて生きている人間など少なくは無い。闘争の足音は世界の何処にでも鳴り響く。戦争の無いこの国日本とて、世界の例外ではない。

 絶対的かつ恒久的な平和など無く、仮にあったとしてもそれは表層だけ。ちょっとしたきっかけで世界は簡単に崩れてしまう。悲しくなるほど、呆気ないほど、それは直ぐにでも身近に訪れる。

 平和な世界の中からはじき出されて戻れなくなった人々はまるで輪廻から弾かれた亡者のよう。入り口の前に立ち尽くしていた彼女も、その中の一人のようだった。

 看護士は小さく息をつき、窓の外から廊下へと視線を移した。すると正面、丁度以前彼女を見た場所に一人の男が立っていた。線の細い、中性的な顔立ちの青年――。男は振り返り、看護士に微笑みかける。


「こんにちは」


「……ええ、こんにちは。今日はお見舞いですか?」


「そんな所です。尤も、僕は頼まれて来ただけなんですが」


 既に見舞いは済ませたのか、青年は微笑みながら看護士に歩み寄る。スーツを着込み、優雅な雰囲気を漂わせる青年は白い歯を見せて笑う。


「――――彼女、もうずっとあんな様子なんですか?」


 それは恐らく彼が見舞った病室の患者の事を指していた。看護士は浮かない表情で頷き、苦笑を浮かべる。


「もう、随分と長いことあのままね……。可愛そうだけど、回復の目処は立っていないの。お見舞いもめっきり減ってしまって……」


「で、しょうね。時間は残酷ですよ。きっと全てを押し流してしまう……。忘れる事より、忘れない事のほうがずっと難しい」


「……そうね。頼まれて、と言っていましたね。もしかしてそれは……浅黒い肌の、目に傷がある女の子から?」


 看護士の問い掛けに男は一瞬驚いたように目を丸くした。それから柔らかく微笑み、頷き答える。


「ええ。まさかお知り合いだったとは」


「知り合い、というほどの仲じゃあないわ。ただ……とても、痛々しかったから」


「傷が?」


「……そうね。そういう事にしておきましょう。あの子は元気? また来るって約束してくれたんだけど」


「ええ、元気ですよ。日本へは、彼女と仕事で。彼女は今忙しくて、ちょっとお見舞いにはこられそうに無かったので、代わりに僕が」


「まあ、そうだったの……。ありがとう。私がお礼を言うのも変な話だけれど……」


 看護士の困ったような笑顔に青年も笑顔で応える。そうして二人が廊下で会話を交わしていると、階段を上がり一人の少年が姿を見せた。学生服に身を包んだ少年は真っ直ぐに二人に向かって歩いて行く。

 二人もまた、少年へと視線を向けた。彼は別に二人を目指していたわけではない。二人の向こう、自分が見舞うべき少女の病室を目指していたのだ。しかし道を塞ぐように立ち話をする二人を無視するわけにも行かず、片方は顔見知りという事もあり傍に立ち止まり頭を下げた。


「こんにちは」


「ええ、こんにちは。彼は、あの子のお兄さんなのよ。枢君、こちらは結衣さんのお見舞いにいらしてくれた……」


「――ブラッド・アークスです。初めまして、カナメ君」


「え、が、外国人さん……っ? は、はじめまして……」


 ブラッド・アークスと名乗った男は少年に握手を求める。少年もおずおずと手を差し出し、二人はぎこちなく握手を交わした。

 枢は顔を上げ、ブラッドをじっと見上げる。背の高い、外国人のブラッドが何故妹の見舞いにやってくるのかその理由に思い当たる節が無い。それに枢は今まで殆ど毎日のようにここにやってきているが、ブラッドに出くわすのは初めての事……。困惑するのも無理はなかった。

 勿論、ブラッドもここに足を運ぶのは初めての事。要するに二人がここで偶然こうして出会う事は全くの偶然であった。怪訝そうな表情を浮かべる枢にブラッドは優しく微笑みかける。


「あの……失礼ですが、結衣とはどういったご関係で……?」


「知り合いの知り合い、だね。僕の知り合いが彼女のお見舞いに来たがっていたんだけど、色々と忙しくてね。代わりに花だけ活けに寄らせて貰ったんだ」


「そうだったんですか……。ありがとうございます。その知り合いさんにも宜しく伝えてください」


「うん、承ったよ。それじゃあ、僕はこれで」


 ブラッドは二人に会釈して間をすり抜ける。遠ざかるブラッドの背中を見送り、枢は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。



「――アイリ。アイリ、聞いてる?」


「――えっ?」


 ぼんやりしていた――その一言に尽きる。しかしそれも時と場合に寄るだろう。アイラ・イテューナは自らに対する呼びかけに気付き、顔を上げる。

 視界に入り込む仲間たちの姿。彼らは一様に呆れている――というよりは、珍しい物を見たといったように目を丸くしていた。実際にそうそうある事ではない。アイリが“ブリーフィング中にぼんやりする”事など。

 自分でも何故そんなにぼんやりしていたのかは判らない。ただ何となく、随分と昔の事を思い出していた。といってもそれはたった“二年前”の出来事……。忘れるには早すぎて、思い出すには遅すぎる。

 頭の中から想い出を追い出し、ブリーフィングに集中する。作戦内容は既に何度も頭の中で反芻した。そう、思い返すかのように、それらの工程は全て頭の中に入っている――。



「――わたしたちは、ただのお膳立てか」


 ユスティティアからは遠く離れた日本の地。とある場所にあるホテルの一室、ベッドの上に腰掛けてマリスは拳銃を握り締めていた。

 コスモスが作戦を練り、行動を開始するのと同時。“偶然”にも、全く同じタイミング、段取りでシュペルビアは動いていた。狙う物はコスモスと同じ。世界に二つしかない宝物――。マリスはその宝物を手に入れる為の手助けを言い渡されていた。

 髪から雫が滴る。シャワーを浴びてそのまま、髪を乾かさずに頭の上にタオルを乗せてマリスは目を細める。ワイシャツ一枚の格好でベッドに腰を沈め、小さく息を付く。


「不満かい?」


 部屋の扉が開くと同時にブラッドの声が聞こえてきた。マリスは一瞬顔を上げたがそのまま視線を元通り落す。ブラッドの手には花束は握られて居ない。道端で捨てたのでなければ、病院へ行った帰りだろう。

 裸同然の格好で肩を落すマリス。その傍に立ち、タオルを手に取り頭を拭く。マリスはなされるがまま、最早言い返す気力もやり返す気力も無かった。

 “二年”が経ってしまった。マリスには最早生きる理由の大半が消えてしまっていた。まるで壊れる直前、惰性で動き続けている人形のようなマリスを見下ろしブラッドは何も言わずに目を瞑った。

 アザゼル計画は頓挫した。二年前、コスモスに捕まったマリスが恐れていた未来は現実の物になった。アザゼル計画は全ての意味を失い、マリスの手の中から零れ落ちた。今のマリスは既にアザゼルのテストパイロットでも何でもない、シュペルビアの末端構成員の一人に過ぎなかった。


「そんなに落ち込む事はないじゃないか。人生色々あるものさ」


 ブラッドのそんな他人事な言葉にも最早苛立ちは覚えない。ぼんやりとした瞳のまま、拳銃を握り締める。冷たい鉄の感触が掌に伝わり、自分が生きている事を自覚させる。

 アザゼルを降ろされた時点でマリスは特別な存在ではなくなった。いや、最初からそんな事は判りきっていたのだ。裏切られると判っている夢を見たくなる時がある。そこから振り落とされたらもう立ち上がれないと判っていても、全てを賭けてしまいたくなる時がある。

 夢は見ている間ならば最強だ。しかしそれが覚めてしまえば後には何も残らない。マリスの長い黒髪に視界が途切れる。既に世界の事など、どうでもよかった――。



「“目標”は日本、旧エクステンション・エレクトロニクス社ビル、その極秘地下エリアにあるらしいの。長い間放置されている廃墟と呼んで差し支えない建造物だけど、情報を裏付けるようにきっちり警備が張り付いてるみたい」


「日本のど真ん中か……。行き成りアウラで進行するのは問題があるな」


「クリフの言うとおり、場所が場所、国が国だけに表立って目立つような行動は控えるべきだね。こっちはこっそり潜入してこっそり目標だけ回収できればそれ以上の用件はないんだし、派手に戦力を動かしてもいい事は何もない」


「それでこの少数精鋭か。実際に回収するのはアイリで、俺たちはそのサポートって事だな」


 作戦の成否は自分にかかっている――。アイリは自分自身にそれを言い聞かせる。そうして気を取り直し、意識を集中した。

 エクステンション・エレクトロニクス社――。ここ近年放置状態にある企業。廃墟と化する以前は、無人機の開発などを行っていたアウラ産業の中小企業である。何故そんな会社の地下に“それ”が眠っているのか、疑問がないわけではない。だが確かな筋からの情報ならば、それが作戦ならば、ただ従うだけだ。

 世界の平和――それよりも優先する、コスモスの最大の目的。盛大な“宝探し”の結末は、目前に迫ろうとしていた。

 世界の命運を左右するだけの力を持ったアウラ――“ネフィル”。その隠し場所がようやく判明したのである。コスモス程の組織が長年をかけて辿り着いた一つの終着。しかし、アイリにとってそれはただの始まりに過ぎない。

 ネフィルを手に入れたところで、心の中に吹き込む空しい風は消えはしないだろう。世界は平和になどなるはずもないし、それ以上も以下も無い。“疲れた”等という言葉で表現すれば随分と安っぽくなる。しかしアイリの心境を他に表す言葉があるのだろうか。



本物ネフィルが手に入れば、偽者アザゼルは必要ない……。当然だな。結局アザゼルは、ネフィルにはなれなかった。わたしのアザゼルは……ずっとただの羊飼いのままだった」


 ぼんやりと呟く言葉。視界にブラッドの姿は無い。彼は冷蔵庫からアイスキャンディを取り出し、それを口に咥えて戻ってくる。ブラッドから差し出されたアイスキャンディを手に取り、マリスは顔を上げた。


「…………おまえは、これで良かったのか? おまえの想いの全ては水の泡だ。もうあの子は助からない。それでもおまえは……良かったのか?」


 ブラッドはアイスキャンディを咥えたままぼんやりと窓の向こうに視線を向ける。問い掛けには答えなかった。答えられるはずもなかった。

 空の遥か彼方、雲の向こう。日本を目指して静かに飛行を続ける輸送機があった。ブラッドたち先遣部隊から遅れ日本を目指す輸送機の中、アウラのコックピットに座る一人の少女の姿があった。


『潜入には地下の搬入口を使う』


「……はい」


『現地に到着する頃には既に露払いは終わっているはずだ。気兼ねなく任務を遂行しろ』


「……はい」


『お前の任務を言ってみろ』


「……はい。私の任務は、エクステンション・エレクトロニクス社の地下に潜入し……“ネフィル”を回収する事です」


 抑揚の無い声で答え、少女はゆっくりと顔を上げた。暗闇の中、計器の明かりに照らされたその横顔は美しく、しかし無表情なそれは見る者に人形を思わせる。


『それでいい。上出来だ。しくじるなよ――――アイラ』


 少女は答えない。瞳に光は宿らない。勿論その姿は日本に居るブラッドの瞳にも映らない。ブラッドの摘んだアイスキャンディーの棒の先、解けた甘い雫が零れてカーペットに染みを作る。

 これで良かったのか? それで良いのか? このままで良いのか? そんな自問自答ならば既に飽きた。何百何千何万と繰り返したところで答えなど出るはずも無い。ならば最初から思考など閉ざされていればいい。

 振り返ってマリスを見下ろす。マリスは既にアイスを食べ終えて棒を咥えていた。それを見てブラッドはようやく気付いた。過去の事ばかり思い返し、時間は長く流れて消えていた。手にしたアイスは解けてカーペットの上に落ちていた。

 時間は戻らなかった。世界は変わらなかった。悪い予感を食い荒らすように時間は流れて行く。それをせき止める事は出来ない。

 ブラッドは自分の頬から何かが零れ落ちた事に気づいた。アイスではなかった。甘くない、むしろ正反対の雫。表情も無く、ブラッドは窓の向こうを眺め続けていた。


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