ACT.4 Feelings <1>
「ユスティティアのデータベースに何者かが不正にアクセスしています! 処理速度が速すぎて追いつけません!」
鳴り響くアラートの音に掻き消されぬようにとオペレーターが声を張り上げる。緊急事態を告げる音を聞きながらもフィーナはどこかそれを信じたくない気持ちを抱えていた。
「アクセス元特定完了! これは……!? ユスティティア格納庫、例のイモータル、“アザゼル”からです!」
「当然でしょ……! ここは潜水艦なんだから、アクセスできるとしたら内側からだけ……! 現地の状況はどうなっているの? アザゼルからハッキングしているのは誰!?」
「現地で解析作業中だった作業員との連絡が取れません! こちらからのアクセスではアザゼルを制圧出来ません! 何らかの特殊なハッキングAIを使用している可能性があります!」
「……現地に近いメンバー、誰でもいいから向かわせて! それと艦内の映像! まだ出せないの!?」
「……監視カメラの映像がジャミングされています! 復旧までまだ少し時間が……」
オペレーションルームが混乱している最中、ブラッドはマリスの手を引いてアラートの鳴り響く通路を駆け抜けていた。
その右手にはマリスの手を、左手には黒光りする拳銃を握り締めている。ユスティティア内は騒然とし、監視カメラの映像も完全に遮断されている。
この混乱に乗じてアザゼルからユスティティアにハッキング。“天使”の情報を探り出すと同時にアザゼルによる脱出を図る事――。ブラッドも目的は明白だった。
「お、おい……! どうするつもりだ!?」
「君はアザゼルに乗り込んで脱出の準備。ボクはクラウルで援護するよ」
「待て、ここがどこなのか判っているのか!?」
「どこかの海のど真ん中だねえ」
「アザゼルに飛行機能はないっ! 闇雲に脱出してどうする!?」
ブラッドはマリスの声に応えなかった。無言のまま通路を駆け抜け、格納庫へと飛び込んで行く。アザゼルに近づき、ハッキングを停止させようとしている作業員たち目掛けて発砲し、彼らの行動を牽制する。
突然の出来事に動揺する作業員たちへ銃口を向けたまま、しかし直接発砲する事はせず前に出る。横目でマリスに合図をし、作業員をアザゼルから引き離しつつマリスをアザゼルへ誘導する。
黒い機体を庇うように前に出たブラッドは作業員たちに優しく微笑みかける。その場に居たメンバーは彼がこの騒ぎを起こした張本人である事に気付き、歯軋りしてその様子を眺めていた。
「すまない、シェムハザ……! 心配をかけた」
『お帰りなさい、マスター。現在ユスティティア内のデータベースを検索中です』
「データベースの検索……? ブラッド、そんな事にシェムハザを勝手に……! アザゼルを出す! 行けるか!?」
『頭部が完全に損傷、右腕に異常があり正常な行動が不能ですがそれ以外に目立った問題はありません』
「くそ、ブラッドの奴……! アザゼルの頭を……ぶっ飛ばしやがってッ!!」
舌打ちしながら同時にアザゼルを機動させる。存在しない頭部にシートをかけたまま機体が動き出し、その身体を壁に固定していた拘束具を強引に引き千切る。
その足元、揺れる大地でブラッドは苦笑を浮かべていた。アザゼルの右足の直ぐ目の前に立っていただけにその衝撃はかなりの物である。アザゼルが動き出した事を確認し、銃口を作業員に向けたまま片手で端末を開いて操作する。
「これ以上はジャミングが持たないか……。さて、潮時という事だね」
隙を見て飛び掛ろうとする作業員たちの足元に三発銃弾を撃ち込み、同時にブラッドは駆け出した。自らの愛機となったクラウルに駆け寄り、コックピットからぶら下がる昇降ワイヤーに片足を引っ掛ける。
「ブラッドッ!! どういう事だ、これは!」
その時怒声が響き渡った。遠く、格納庫に入ったばかりのクリフが拳銃を片手に叫んでいる。ブラッドは無言でクリフ目掛けて発砲し、会話よりも早く銃撃戦が繰り広げられる。
クリフは直ぐに物陰に隠れ、ブラッド目掛けて発砲する。二人の攻防が続いているうちにブラッドはコックピットに辿り着き、何度か発砲しながらハッチを閉めてしまう。
「くそっ! フィーナ、ブラッドだ!! アザゼルが動き出してる……! 例のパイロットも一緒らしい!」
『確認したよ。どうやらブラッドがあの子を連れ出したみたいだね……!』
「ハッチは開けろ! 艦内で暴れられたらひとたまりも無い! アザゼルは兎も角、ブラッドのクラウル・グラフトはレールガンも装備してる! ウルカヌスで連中を追い出す!」
通信機に叫びながらクリフは拳銃を投げ捨てて走り出す。既に動き出したクラウルとアザゼルは走るクリフの背景をゆっくりと動いている。正面から逃げてきた作業員たちと擦れ違い、クリフはウルカヌスに向かって行く。
「おい、ブラッド・アークス! ここからどうするつもりだ!? 外にも出られないぞ!?」
「昇降用リフトがあるよ。マニピュレーターで手動解放も出来るはずだけど、ユスティティア側がロックしてるかもしれない。最悪機体でこじ開けよう」
「……それしかないか」
アザゼルは頭上を見上げ、それから周辺へ視線を向ける。並んだ装備類の中から単分子ブレードを二つ引き抜き、更にウルカヌスに向かって歩いているクリフを視界に捕らえる。
「あいつ……。この間のデブのパイロットか……!」
ウルカヌス目掛けて走っていたクリフの目の前、アザゼルがウルカヌスを思い切り蹴り倒している。凄まじい衝撃と轟音と共に情けなくばったりと倒れこむウルカヌスを前にクリフは頭を抱えた。
「俺のウルカヌスがっ!? てめえ、卑怯だぞ――うおっ!?」
間一髪で横に思い切り跳躍する。クリフが先ほどまで立っていた位置にはアザゼルが放ったアンカーファングが突き刺さっていた。
「フン、いい気味だ!」
「マリス、遊んでいる暇はないよ?」
「遊びじゃない! 追撃を妨害していただけだっ!!」
「じゃあそういう事にしておくけど……。リフト動くよ、乗って」
既に動き出したリフトの上でアザゼルに手を差し伸べるクラウル。アザゼルは大地の上を疾走し、既に動き出しているリフトに滑り込む。
二機が完全に上に昇って行った事を確認し、クリフは物陰から顔を出した。足元には巨大な亀裂が走り、通路はいつ崩壊してもおかしくない。
「野郎……! ナメやがって!」
小さく毒づき、パイロットもいないまま情けなく倒れこんでいるウルカヌスへとクリフは移動を開始した。
ACT.5 Feelings <1>
夜の闇の中、浮上し海面に顔を出したユスティティアの濡れた甲板の上、アザゼルとクラウル・グラフトの姿があった。
海は荒れていた。波は高く、風も強い。ユスティティアほど巨大な潜水艦ともなれば揺れさえも艦内からは感じられないが、そこは紛れも無く大海の上である。
頭上に暗澹と敷き詰められた黒い雲からは絶え間なく雨が降り注いでいる。その勢いは強く、二つの機体もその全身を雨風に晒していた。
「どうして海面に……? 潜航していなかったのか?」
「そりゃ、ハッチが開いて格納庫が水浸しになったら大損害じゃないか。それに、僕らがここから逃げられない事は彼らも判っている。ここで決着を付けるつもりなのさ」
ブラッドの言葉を肯定するように格納庫からリフトが上がってくる。雨に晒され、闇の中に浮かぶ真紅のシルエット……。ウルカヌスは二つの機体の前に立ち、一歩前へ出た。
「ブラッド! もう冗談じゃ済まされねえぞ、てめえっ!!」
「それは残念だね……。でも生憎こっちは冗談でやっているわけじゃあなくてね。ここからアザゼルとマリスを連れ帰らせてもらう」
「お前……まさか本当にそいつの仲間だったのか!? 今まで俺たちを騙して居たって事かよ、このクソ野郎!!」
「騙していたつもりはないんだけどね……。まあ、そうは言っても、騙した事は事実だ。謝るよクリフ、ごめん」
「ごめんで済むわけねえだろがっ! ボケッ!!」
ウルカヌスがライフルを両手に構えて発砲する。ユスティティアの上をスライドするように移動しつつ、二機は後退する。
「ユスティティアの上で戦闘することになるとはな……! 精々暴れてくれるなよ――ッ!!」
「おい、どうするつもりだ!? アザゼルは破損しているし、逃げ道もない……!」
「まあ、ここは戦うしかないだろうね。とりあえずはクリフを何とかしないと……」
船体の上に両足を固定し、ライフルで攻撃を続けるウルカヌス。しかし得意の大火力による掃討は出来ない。まさか自らの母艦を沈めてしまうわけにも行かないのだから、使える武装と言えばライフル程度のものである。
なれば他の武装は切り離して出撃してくるべきだったかも知れない。しかし今はそんな事を考えていられるほど悠長な状況ではなかった。何よりクリフはいつに無く冷静さを失っていたのである。
目の前の男が胡散臭い事など百も承知だった。しかしどこか、心のどこかでクリフは彼を信じていたのだ。このままコスモスとして、彼と共に戦う未来……それは想像するに容易かった筈。
しかし今はそんな未来は闇に掻き消され手の届かぬ場所にある。彼方に消え去った幻想を打ち砕くように、クリフはライフルを連射する。
ユスティティアの上を疾走するクラウル・グラフト。ブラッドは冷静な表情で顔を挙げ、レールガンを発砲する。その蒼い一閃が闇の中に瞬き、ウルカヌスは横にステップしてそれを回避する。
弾丸はユスティティアの上部装甲を焼きながら闇に消えて行く。ちかちかと瞬く光が消え去るのを待たず、ブラッドはレールガンを連射する。
「てめ……!? こっちがライフルしか撃てないのをいい事に……!」
「ユスティティアに今すぐ沈まれると確かに困るけどね、だからって無傷にしておかなきゃいけない理由なんてものはないんだよ、クリフ」
「この中には優紀もアイリも……皆居るんだぞ! てめえにユスティティアをやらせるかよっ!!」
ライフルを発砲しながらクラウルに近づくウルカヌス。その片腕をレールガンが吹き飛ばし、しかし次の瞬間ウルカヌスはクラウルに組み付いていた。
激しい衝撃によろめくクラウル。ウルカヌスはレーザーブレードを展開し、至近距離でクラウルに襲い掛かる。
ブラッドもまた眉を潜めながらレーザーナイフを手に取り、二つの閃光が鍔迫り合いする。閃光が何度も瞬く中、二人は二度三度と刃を交差させた。
しかしクラウルの足元が雨の所為もあり滑るようにぐらつく。そもそもウルカヌスとではパワーが違いすぎる。同じレーザー武装を使っていたとしても、出力で押し切られる事も想定される――。
その時であった。背後から跳躍してきたアザゼルがクラウルを飛び越し、ウルカヌスの頭を踏みつける。アザゼルの足裏に装備されたローラーが高速回転し、機体が宙に舞い上がると同時にウルカヌスはゆっくりと背後に転倒する。
「ごめん、助かったよマリス」
「そんな出来損ないでIMアウラを相手にするやつがあるか! 分をわきまえろ、ばか!」
「気をつけるよ、今度から――っと!?」
倒れたウルカヌスは倒れたまま脚部だけを起こし、クラウル目掛けて高速で前進する。身体をユスティティアに擦りつけ火花を上げつつ、クラウルの足元を掬う。
「コスモスのフェイクスを舐めるなよ――ッ!」
転等したクラウルは胸部から思い切り大地に叩きつけられ、コックピットが激しく揺れる。倒れたクラウル越しにアンカーファングを打ち込もうとするアザゼル目掛け、ウルカヌスは脚部のミサイル武装を切り離し対応する。
進行方向風上に立つウルカヌスがパージしたミサイルポッドは空中を吹き飛び、アンカーファングの刃先を食い込ませる。それはそのまま転がって海面へと落ちて行き、アザゼルもそれに一瞬引っ張られる形になる。
「伊達にメタボってないんでな――!」
ライフルを放つ。その弾丸がアザゼルに被弾し、機体を吹き飛ばす。体位を低く保ったままアンカーを巻き戻し、アザゼルは前進。
戦略の要である大剣、スケープゴートを失い機体性能も低下している今、ウルカヌスを単騎で撃退する事は難しい。それは理解している。だが、目の前で無様に倒れているクラウルのパイロットには大きな借りがある――。
「その身体、スライスしてダイエットさせてやるよ!」
単分子ブレードを構え、走り出す。しかし直線である以上ライフルの攻撃はまともに食らいかねない。アザゼルはアンカーをウルカヌス目掛けて放つ。
「馬鹿の一つ覚えか! ウルカヌスだってそのくらいは避けられる!」
しかし次の瞬間、アザゼルは自ら海目掛けて跳躍する。空中に舞い上がったアザゼルにライフルを発射するウルカヌス。
「行くぞ、シェムハザ……! “グリゴリ”――!」
アザゼルの瞳が輝き、海に落ちかけたその機体が大きく加速する。海面を吹き飛ばし、高く舞い上がる飛沫。しかしそのブースターの加速は早すぎてウルカヌスを一瞬で追い越してしまう。
「制御出来てないブースターで……!?」
「その為の――アンカーファングだッ!!」
飛び越した時点でアンカーを巻き戻す。空に舞い上がったアザゼルはウルカヌスの足元、先ほど突き刺したアンカーを支点に半回転する。
ぐるりと高速で反転し、ブレードを構えて襲い掛かるアザゼル。そのブレードがウルカヌスの足に深々と突き刺さり、同時にウルカヌスの放った弾丸が健康だったアザゼルの腕を撃ち抜いていく。
同時に小さな爆発が二箇所で発生した。足ごとブレードで甲板に串刺しにされたウルカヌスは片膝を付き、アザゼルは何とか着地したものの既に戦闘は不可能だった。
騒がしかった甲板に一瞬静寂が戻る。しかしいつの間にか体勢を復帰していたクラウルが背後から膝を付いているウルカヌスにレールガンの銃口を突きつけていた。
「そこまでだよ、クリフ。これ以上やるなら、どっちか死ぬ事になる。僕はマリスにも、クリフにも死んで欲しくないんだ」
「……ブラッド! 一体どういうつもりだ!? 何が目的でコスモスに潜入した!? 破壊が目的なら、何故そうしなかった!? 何故態々ここまで脱出した!?」
コスモスは“正義の味方”――? それはつまり、“悪の敵”という事でもある。
彼らを恨んでいる存在も、彼らを疎ましく思う者も決して少なくはない。コスモスの歴史はつまり戦いの歴史である。彼らを消し去りたい……そうした目的でブラッドが動いていたのならば話はまだわかる。
だが彼はユスティティアを破壊しようとはしなかった。格納庫内で暴れまわればあるいはユスティティアに致命的なダメージを与える事も可能だったかもしれない。ここでレールガンをユスティティア目掛けて連射すれば、その動きを停止させる事も可能だったかもしれない。
しかし彼はそれをしなかった。むしろクリフ同様、ユスティティアを沈めないように気遣っていたかのようでさえある。クリフに対しては強気な言葉を放った、ものの、それもまた彼なりの嘘だったのかもしれない。
ブラッド・アークスという人間の事をクリフは必要以上に深く知りすぎていたのかもしれない。戦場で態々自分に銃口を向けた敵に問い掛けるなど、正気の沙汰ではない。
それでも訊ねなければ気がすまなかった。一度は仲間だと思い、信じた友だから……。クリフは戦争がしたくてここにいるわけではない。ただ悲しみを消し去りたくて、その為に仲間と共に歩んできた。
今自分がその輪廻の中に組み込まれたのならば、それを投げ出す事はしてはならない。いや、そんな“自分を裏切る”ような生き方は、したくない――。
「ユスティティアにハッキングをかけたのはどうしてだ!? 脱出をカモフラージュする為か!?」
「……こっちにも色々と事情があってね。僕とマリスは一枚岩じゃない――。僕は僕の、彼女は彼女の目的を果たす為に行動している。君たちが確固とした信念を元に動いている様に、僕にもそれなりの事情があるのさ」
「はぐらかすなっ!」
「尤も、僕らは君たちみたいに“立派”じゃない。“誰かの為に”なんて戦いは出来ない性質なんだよ。僕らはいつも“自分の事”ばかり考えている。この世界に、君のように争いを失くそうと、必至に戦っている人がどれだけ居ると思う……?」
深く暗い雲は月明かりさえ彼らに届けようとはしない。まるで全ての希望を遮る様に、懸命に闇ばかりを広めている。
どんなに太陽が明るく輝いても。どんなに月がそれを受け止めて輝いても。人は直ぐに全てを覆い隠してしまう。自分の為だけに。
「君たちの理想はとても崇高だ。賛同するし、共感も覚える……。でもねクリフ、世界は奇麗事だけで回ってる訳じゃない。この世界にはそういう、“どうしようもないやつ”っていうのが確かに居るものなんだよ。僕や……マリスのようにね」
「お前は……!? 一体何の話をしているんだっ!!」
「“この世界の話”だよ、クリフ。それに――――アイリ。君だってそうだ。例外じゃない。僕たちは同じ、人間なんだからね」
ウルカヌスにレールガンを突きつけたままブラッドは背後に視線を向ける。腕から黒煙を巻き上げるアザゼルの背後、ろくに戦闘出来るような状態ではないプロセルピナに乗ってリフトを上がってくるアイリの姿があった。
頭部と片腕は相変わらずシートで覆われ損傷したまま。片足も応急処置で、走る事もままならない。立つ事も満足に叶わない機体でリフトをあがり、片膝をついたままプロセルピナは顔を上げた。
「ブラッド……」
「――――この世界には、どうしようもない事が多すぎる。君たちはその悲しみを救えるのか……? その矛盾を……“世界の歪み”を……」
瞼を閉じれば思い出す。炎に包まれた景色の事。
もう、鮮やかに蘇ってしまった記憶の中、ブラッドは銃の引き金を引いていた。まだ少年の、子供であるはずのブラッドは既に戦場に居た。
それも、誰かを守る為ではなく、何かを奪う為の戦場――。“テロリスト”。それこそ彼の持つ、幼い日々から背負い続ける肩書きであった。
何の為に戦うのか? それさえも判らない、戦う事が日常化し、そこに疑問を挟む余地もない……そんな子供たちが居る。この世界には確かに存在するのだ。
誰からも祝福されず、世界から弾き出され、与えられた物は銃と鉛の弾……。それを握り締め、誰かの命を奪う事を選ばされた人々。
生まれた時から生きる事を否定され、最初から最後まで戦いだけを与えられたのならば、その命は何を成す事が出来るというのか? 正義の味方? 世界の平和……? それがどんなに歪んだ言葉なのか、彼らは知っている。
「アウラはこの世界に新たな秩序を生み出した。バランサーとしての役割を多いに果たしている……。しかし同時に、どうしようもない歪を世界に落としてしまった。アウラ産業のその影で、世界は確実に動いて来た。君たちは知っているはずだ。この世界がどれだけ憎しみに満ちているのかを……」
「…………ブラッド、それは……」
「君たちはこの世界全てを敵に回すような途方も無い戦いをしている。僕は――――怖い。怖いんだよ、アイリ」
ブラッドは目を瞑り、眉を潜めて微笑みを浮かべる。その表情はどこか泣き出しそうで、親に縋る幼い子供のようでもある。アイリはその消え入りそうな声を確かに聞き届けていた。
「皆と一緒に居た時間は本当に幸せだった。記憶が無ければ、僕はずっと君たちと一緒に生きられたかもしれない。僕はコスモスで居たかった……それも一つの事実だ。でもねアイリ、記憶が戻ってしまったんだ。僕は記憶が戻って別人になったわけじゃない。僕は僕の意思で、“ここにはいられない”」
「どうして……?」
「夢を追い掛け続ける事が恐ろしいんだ、僕は。君たちみたいに、“こんな泥舟”には乗っていられないんだ。夢は見続けるよりも忘れた方がずっとラクだからね。僕は君たちみたいな勇者じゃない。僕は君たちとは一緒に居られない」
「…………そんなの、間違ってる」
ブラッドの言葉を否定するように首を横に振り、アイリは顔を上げる。
「自分たちが正しいかどうかなんて判らない……。この先どうなるのかだって判らない! 不安で苦しくて、先が見えなくて……昔の事ばかり考えてちゃうよ。でも、諦められないから! 諦められないからずっと苦しくて、ずっとずっと求めてる! ブラッドだって同じだよ! 求めているから――! ブラッドだって、“夢”をまだ諦めきれないからっ! だからそんなに怖いんだ――!」
アイリの叫び声にクリフも、ブラッドも目を丸くしていた。アザゼルのコックピットの中、マリスは片目を瞑って小さく息を付く。
「もうやめて、ブラッド……。クリフを傷付けないで! 仲間を傷付けるなら……私は貴方とだって、戦う!」
「アイリ……。止せ! そんな状態のプロセルピナで何が出来る!? 武器も持たないで何言ってんだ!! ブラッド、やるなら俺をやれ! アイリはあんな状態なんだ……!!」
「クリフ!」
「黙ってそこで座ってろアイリ!! ブラッド、てめえの言いたい事は正直よくわからねえ……! でもな……! 俺たちはそれでも、自分たちが信じているからここに居る! ここで生きて行くっ! お前の言う、“歪んだ世界”だろうとっ!!」
片足をブレードで串刺しにされながらもウルカヌスは顔を上げる。そうしてレールガンの銃口を掴み、自らの胸に押し当てる。
「仲間はやらせねえ……! 俺はその為に……コスモスに入った! この世界がどんなに歪だろうと、俺はお前みたいに諦めたりしない!」
「…………僕が引き金を引かないと思うのかい?」
「引かねえよ……! 引いた時は……へっ、その時はその時だ! 俺は俺の判断を信じている……後悔はねえよ……!」
二つの機体を雨が濡らして行く。ブラッドは黙り込んだ静寂の中、一人小さく笑みを浮かべてレールガンから手を離す。
次の瞬間、空の向こうから飛来したミサイルが海面に着弾し爆発する。水飛沫と轟音、巻き上がる炎の中、クラウルはウルカヌスの元を離れて行く。
ウルカヌスが咄嗟に伸ばした腕はクラウルまで届かない。空しく空ぶった腕の向こう、アザゼルと共にユスティティアから飛び降りる二機の姿を見送った。
アイリのプロセルピナが空を見上げる。そこには数機の戦闘機が飛翔し、同時に爆撃をユスティティアにかけた。しかしそれは船隊を破壊する目的ではなく、かく乱の為に放たれた物であることは直ぐに判った。
振り返ったアイリの視線の先、空に上っていく蒼い光が見える。それがアザゼルのブースターの光だと気付いた時、少女はきつく目を瞑って拳を握り締めた。
「ブラッド……っ」
ユスティティアから遠く離れた空の上、大型の輸送機が雲の上に飛翔していた。そこから吊るされた牽引用ワイヤーに捕まり、ブラッドは雲の上から世界を眺めていた。
「……月はこんなにも綺麗なのにね、アイリ」
見上げる視線の先、つい先ほどまでは厚い雲に覆われて見えることの無かった美しい満月が淡く光を放ち世界を包み込んでいた……。