飴を選ぶ。
目の前には何百種類もの飴が散乱してる。
生きていくために私達は、ことある事にこの中から一つ選んで食べなくてはいけない。
たくさんの飴が用意されていながら、実は選ぶべき飴は決まっている。
それは私の好きな甘くて丸くて可愛らしい飴ではなく、私の嫌いな苦くてざらざらした飴だ。
甘い飴を選んで食べ続ければ、口に広がる甘さに酔ったまま、いつか糖分に内臓を侵されて緩やかに死んでいく。
でも苦い飴を我慢して食べていれば、いつまでも長く健康に生きていける。
だから誰も彼もが「好きな飴を選びな」と言いながら「苦い飴を食べるべきだ」と目で訴えかけてくる。
それが正しいことは分かっている。
だって甘さを求めて死んでいった人達のことも知っているから。
それが惨めで無様なことも知っているから。
苦い飴を我慢して食べ続けている人に「なんでそんな酷な事を続けられるのか。甘さに目がくらむことはないのか」と聞けば「甘さが欲しいなら飴以外の他のものを食べてればいいじゃない」と言う。あるいは「甘い物はそんなに魅力的なのかね。私は食べたことがないから分からない。」と言う。
だけど私は幸せな方らしい。
「俺の目の前には苦くて臭い毒入りの飴しか用意されてないよ」そう答えた人もいた。そういう人達はこの話をすると決まって不機嫌になり、場合によっては私を責め立ててくる。そのうち私は他人にこの質問をしなくなっていった。
今日も今日とて目の前には無数に飴が散らばっている。
この中から一つ選ばなくてはいけない。周りには人も沢山いる。こっそり食べたふりもできない。
重たい手をなんとか動かし、右手が苦い飴を、左手が甘い飴を掴んだところで動きが止まってしまう。
「早くどっちか食べなさい」と周りの人間は口からそんなに言葉を出しながら、目は右手を口に運ぶようにしきりに目配せしている。
その目に催促されるまま、右手を口元へ近づけようとした瞬間、あの苦味と苦しみを思い出して吐き気と涙が止まらなくなる。
結局耐えきれずに左手に握っていた甘い飴を口に放り込んだ。
幸せな甘みがすぐに苦味を忘れさせてくれる。
あぁ。これで甘さに縋るのは何回目だ。
一人心の中で懺悔する。
そろそろ私の内臓は溶けきるのだろうか。それとももう少し生きていられるのだろうか。
何も分からない。分からなくてもいいか。もう考えることすら億劫だ。
ただ今は、この甘さに浸っていたい。
ただ私の心の内を書いただけですが、もし共感してくださる方がいましたら、コメントをくれると嬉しいです。