六章
六、指令を受けて
全治一ヶ月と言われていた怪我も何の事はなく、レゾンはその馬鹿体力にモノを謂わせ、たった一週間で完治してしまった。
そんな、レゾンを見て、介抱役だったリフィーはやれやれと肩を燻らしながら、「すごいですね」と褒めた。その言葉のみを捉えるなら、賞賛なのだが、しかし、目と口元が褒めていなかった事は言うもまでもない。
所で、少し、話を戻そう。話は、レゾンが入院した初日に戻る。
――
聖堂病院にレゾンが収容されて最初の日、リフィーの言ったランガと言う魔術医師が午後になってから、レゾンの元を訪れた。
入室して椅子に腰を据えるなり、レゾンに、ランガは「骨だ」と言った。
話の先が読めないどころか、一体何について話しているのかすら、全くもって不明瞭で、レゾンは只、「骨、ですか?」としか答えられなかった。
「骨だ」
もう一度、ランガは言う。
「これを見るといい」
そう言って、ランガは白衣のポケットから、人の小指程の白い物、白骨化した骨だ――を取り出す。しかも、丁寧に右手に白手袋をして、掴み、更に骨そのものも紙で包んである。紙を解き、紙に半分包まれた儘、手袋をしてない左手に乗せる。
レゾンにはそれが何で、又、何を意味する代物か検討も付かない。只、薄っすらと外法と言う言葉だけが脳裏を掠めて、意識の表層に躍り出た。
「骨――」
「勿論、只の骨じゃない。外法の骨だ」
確信していると謂わんばかりだ。
「外法、本当に実在するのですか?」
確かに、この骨が人の小指大程ありながら、一つの間接部位にしか見えないのは、これが人間の骨ではないことを物語ってはいる。只、何処か形状と雰囲気が人間味を帯びていて、巨大化した人間の小指の骨と謂われれば、にべもなく頷いてしまいそうだ。
もっとも、人間が巨大化する筈もないのだが。
だが、一体全体、何処が外法だと言うのだろう。
「いるんだよ。外法は」
畳み掛けるようにランガは言う。
「しかし、それは動物の骨なのでは?」
「そうだなぁ、それが自然な反応だなぁ。いない方がいいんだ。怨霊魔術師なんてものは。しかしな、これはその証拠なんだよ。いいか、見てろ」
ランガは骨を掴むと、包んでいた紙を取り除き、左手素肌に乗せる。
すると、瞬間にして、骨が軋み、ギギギと金属と硝子が擦れ合うような音を出しながら、爆ぜた。
骨は幾つものパーツに別れ、炸裂をもろに浴びたランガの掌には血が滲んだ。
なんとも不思議な光景だった。
「――爆発ですか?」
「そうだ、これだけではお前には分からないかもしれないが、これには魔術が仕込んである。もっとも、本来の威力はもっと高い筈だ。ある物がこの骨がある場所で何の骨だろうと、拾って見たら、掌で爆ぜた。それを、大聖堂に報告して来たんだよ」
それは拾った人物も驚いたに違いない。本来、正当な魔術体系では、死体には既に魂がない為、魔力を宿らせる事が出来ないと言うのが常識だ。無機物については違う論理体系があり、装置を埋め込む事で有機物とは違った魔法を顕現させる。
「魔術の駆動には、聖刻のような印や、魔法結晶、法具のような固形化凝縮魔法液が必要なのではないですか?」
「怨霊魔術師の魔法体系等分からんよ。只、この骨が只崩れた訳ではなく、爆発したのだと言う事は分かるだろう?」
レゾンは無言で頷く。確かに、奇異な魔法だ。
「それでだ、これは恐らく骸骨戦士の残骸と思われる。お前の会ったマールと言う少女は怨霊魔術師で会った可能性が高い」
「そうは見えませんでしたが……」
おかしな少女だったが、怨霊魔術師であるなら、二首大蛇をさっさと片付けてくれた筈だ。なにせ、あの時ピンチだったのは、レゾンだけではなく、マール自身もそうだった筈なのだから。
「自分から怨霊魔術師です、と言うヤツはいまいよ。しかし、この件はお前が目撃者であったから話している。もっとも、実際調査に赴く場合、一人位同行者がいても問題はないがな」
「調査ですか?」
調査とは恐らくマールの調査なのだろう。
しかし、イマイチ、話が性急で読めてこない。それも、峠で落下した時、頭を打って馬鹿になったのだろうか?
「そうだ、完治したら、お前には外法調査の任務が与えられるらしい。私がこの骨の件を教区長に話した所、そう言われた。その聖堂騎士を任務に就かせると。特に急務はあるまい?」
「ありませんが……。実際、帝都に帰還の途中でしたので」
竜口峠を越えたのは今更ながらに失態ではあったが、そのお陰というか、クビにもならず、新しい任務が与えられるようだ。不幸中の幸いと言えるだろう。
「まあ、怨霊魔術師や外法関連以上に重要な任務もそうそうないがな」
言って、ランガは苦笑する。
「しかし、何故? 俺なのです?」
「さっき言ったろう。目撃者だからだ」
「はぁ、しかし――」
言い淀む。しかし、ランガが首で先を促すので続けた。
「何故、外法を重要視するのです? 世間には不明の存在として置きながら」
「それは、事情があるんだろう。大聖堂の。私としては、魔術師として、あのような連中を放っては置けないと言った所だが」
トップのみぞその理由を知ると言う事なのだろう。
恐らく、ランガもその理由の本当の所を知らない。
例え、魔術医師言うエリート職にあっても知りえない事。それに、ランガは魔術師として意見しているに過ぎない。
そして、レゾンはランガが所属している組織は、自ら、『世界を救済する』と任じ、『救世堂』と名乗る程の組織だ。
救世する為には、敵がいる。仮想敵と言う可能性もあるが――。
なら、世間に公表した方が、実があるような――。
それに、敵なら貴族と言う明確に実態を持つ存在が既にある。
色々と考えて、巡らして、レゾンは答えを出せず、止めた。詮ないと思ったからだ。
考えてもどうしようもない。真実は知らなければ、意味がないし、真実を類推できる証拠も今、自分は持っていない。
只、一つ言える事は、救世堂にとって怨霊魔術師は唾棄すべき相手であり、打倒すべき相手だと言う事だ。
なにせ、骨があったと言う不確かな理由で、その関係者と思しき少女を調査しようと言うのだ。
つまり、怨霊魔術師を倒す事は大聖堂内部で伸し上がるにはうってつけの任務だと言う事。不幸中の幸いどころか、これは僥倖と呼ぶべき事態かもしれないと、レゾンは思った。
さすれば、断る理由など、そもそもない。
何一つありはしない。
「分かりました」
レゾンは答える。そして、苦い顔をしつつ、「俺は未だ動けませんよ」とリフィーにしたように、ホンの少ししか足が動かない事を同じように示して見せた。
ランガは分かっていると首肯し、
「全力は尽くすさ。後は、治療の事は、私らとリフィーくんに任せて安静にして置きなさい」
そう言って、ランガは退室した。
退院後、レゾンは教区長の元を訪れるように言い渡された。
――
そして全治した後。
レゾンは一応、回復しているか確認したいので、と言う事でシスター・リフィーを伴って、入院していた聖堂病院から馬車で半日掛かる場所にある教区長の聖堂へ赴いた。
待っていましたとばかりに、門番にレゾンは通された。
リフィーは応接間で待つ事になった。
開口一番、教区長は「よくぞ、来た。思いの他、早くて安心した」と言って、レゾンを労った。
教区長の執務室は広く、豪奢な机が並び、教区長の座る椅子は一段高くなっており、その前に執務机が鎮座する。
部屋の四隅を聖刻の刻まれた青ベールが覆い、厚手の赤いシルクのカーテンが硝子窓を塞いでいる。
加えて、よく見れば、執務机も細かい透かし細工等が施されており、一体、幾らの金でこれだけ揃えたのだろうと思わせる骨董の磁器類や彫像が壁に沿うように配置されている。
大聖堂の下級聖堂騎士ならば、この豪華絢爛さにしり込みしてしまう筈だが、レゾンは案外と平気な顔で教区長の前に佇んでいる。
そして、侍従に「あれを」と命じる。
命じられた侍従は、暫くして、一振りの刀を持って来た。
反り返った刀身が鞘に納まり、柄の部分に蔦が這ったようなレリーフがある。そして、鍔の部分には断骨と同じく、固形化凝縮魔法液と聖刻がある。
何処を如何見ても、法具だった。
更に言えば、その聖刻の輝きから見て、それなりのレベルの物と見る者が見れば分かる一品だ。
「これを渡す。断骨は損傷してしまったのだろう」
正確には紛失が正しいともいえるが、レゾンは黙って聞いた。
言わないでいい事は、言わない。
「これは塩碍と言う。五級だ」
五級。第七法守には普通ならば、授けられる事のない等級の物。
普通なら、九級か八級、高くても七級だ。
今までの経験や、レゾンの聖堂騎士としての先輩等を見ても第七位にして、五級を受け取った人間の話は聞かない。
この任務の重要性をレゾンは再確認した。
又、難易度も高いのだろう。
この塩碍が保険の意味合いを持っていても。
もっとも、マールが外法であった場合の話で、大聖堂の取り越し苦労の線もまだまだ濃厚だが。
「五級ですか。それは――」
「恐縮するな。堂主さまからきちんと証書も付いている」
そう言って、証書を翳す教区長。
証書にはきちんと堂主の印が入っている。
そして、そもそも、偽造する必要性がこの場合ないのだから、本物である。
つまり、正規のルートで、堂主さまから下賜されたと言う事になる。
「私個人としては第七位の君に五等級を授けていいのか、不安だ。しかし、堂主さまの言葉に逆らうわけにはいかない」
まるで、堂主本人から言われたような言。
事務手続きではなく、実際にこの――五級法具塩碍を渡すよう命じたのだろうか?
「堂主さまが?」
「ああ、そう言う事だ。任務の詳細は省くが、一応、ここいらでは私が一番高位だからな。簡潔だが、概要を説明しておこう」
「はい」
一旦、大きく息を吸い込んでから、教区長は話し始めた。
「君が捜すのはその竜口峠で会ったマールと言う少女だ。実はな、暫くして二首大蛇の死体が見つかった。かなり、外法である可能性が上がった。
だから、これは重要任務だ。それと、君が連れてきたシスターは同行させてもかまわんが、大聖堂内部、及び、外部に、余り他言せんように。
特に、外部の者、民草に言ってはいけない。不安を煽るだけだからな。只でさえ、貴族同盟との抗争も佳境だ」
一拍置き、
「現在、マールと言う少女が何処にいるかは分からん、一応、君の証言で、黒ワンピースの十八歳前後の女、髪は銀色、左額に大きな傷と言う事で手配はしているが、なにせ、君が気付かなかったように、髪で傷は隠れるだろうし、服装は着替えてしまえば意味はない。銀髪は珍しいが、そんな女は吐いて捨てる程いる事も又、確かだ。
美人と言うのは少ないかもしれんが、美人の尺度も人によるからな。そう言う事で、有益な情報は入っていない。やはり、君自身が見つけてみるかしない訳だ。只、事は慎重にな。外法であると言う確信が出たら、連絡を出せ。
そうだな……、あのシスターを連絡係にするといい。確か、あのシスターは小竜を扱えるそうじゃないか、伝令としてはうってつけだ」
リフィーが小竜を使えると言うのは初耳だ。
確かに、小竜ならば、馬車で半日掛かる道でも一時間で情報を送る事が出来るだろう。
「まあ、一人で挑んでも構わんがな。連絡さえ寄越してくれれば」
今までの熱心さが消え、まるで他人事のように最後の投げっぱなしの発言をし、教区長の話は終わった。
レゾンは侍従から塩碍を受け取り、リフィーの待つ応接間に向った。
――
「ちゃんと、特技があるんだな」
レゾンはリフィーに言った。
「はい。でも、威張れる程ではないので」
謙遜ではなく、本当にそう思っているらしく、全然です! と手を振りながらリフィーは答える。
「でも、お陰で、一発で見つかったじゃないか」
教区長の聖堂を出てから、とりあえず、当てもないので、二人は小竜を手に入れる所から始めた。リフィーはその手際を見る限り、有能な小竜使いだったが、何故か、個人所有の小竜を持っていなかったのだ。
的確な事を言えば、お金がないし、シスターにとって小竜は不必要だからなのだが。
小竜は本来、帝国中に生息していた。取り立てて、珍しい竜と言う訳ではなかった。
けれども、美味の竜肉と言う事で、一時期乱獲された為に急激に数を減らした。今では絶滅危惧種とまで言われている。
しかし、人に懐き易く、又この性格の所為で乱獲に遭ってしまったとも言える。
そして、何よりも小竜は、空の生き物としては最速に近い飛行速度を有するので、早馬よりよっぽど役に立ち、急務の際の連絡用として重宝されている。
教区長のお膝元の市で、小竜探しをしてみた所、都合よく、小竜が三匹、市で売られていた。
価格はと言えば、市内の一等地に家が建てられる程の額だったが、今回の任務では大聖堂からそれなりの支援金が出ていた為、難なく購入する事が出来た。
「家建てたかったな」と二人が思ったのは言うまでもない。
購入するや否や、リフィーは手早く、小竜をテイムし、現在地から西と南、北の関所へ向けて小竜を放った。
竜は数時間で情報をかき集め帰還した。
北の関所で手掛かりは見つかった。
教区長の話では手掛かりなしとの事だったが、恐らく、大聖堂筋に頼りすぎていたのだろう。
いくら、現在、帝国内で大聖堂の勢力が強かろうと、天上皇帝を堂主が兼ねていようと、帝国の政治行政基盤の全てを大聖堂が握っている訳ではない。
関所守によれば、確かにエメラルドの目に銀髪の美少女だったと言う話だ。
そして、一番重要な傷も見たと言う。夜間だったのに、何故か、傷が判然と分かった事とそれに言い知れぬ恐怖を抱いた事からよく覚えていたとも。
しかし、ここで一つ問題があった。
竜口峠を抜け、三番分帝と教区長のいるカノザ市を通った先にある北の関所を抜けると、そこにあるのは、現在レゾンとリフィーがいる三番分帝領ではなく、七番分帝領であり、その更に先には天上皇帝直轄領と帝都がある。
七番分帝領は肥沃な平野に位置し、竜口峠のような難所もなく、交通の弁もよい。
普通、竜口峠を抜けた後は、七番分帝領を通りスムーズに帝都へ行く事が出来る。
又、竜口峠を避けた場合、三番分帝領の北部に行く事が出来ない為、隣の一番分帝領を迂回してから七番分帝領に入らざるを得ない。その為に、日程が延びてしまう。
そして、その問題であるが、北の関所を通ったと言う事は七番分帝領にいるのだろう事は確かだろう、しかし、北の関所の後、道が二手に分かれている。どちらからでも帝都へ行けるが、関所から北西へ行けば、夜明けの市、北東へ行けば城塞都市アラバルに出る。
マールがどちらへ向ったか。
それが分からなかった。
夜明けの市にもアラバルにもその後、小竜を飛ばしたものの有益な情報が得られなかったからだ。
賭けに出るか――。
ヘタに時間を潰すよりは、さっさとどちらかに決めたほうがいい。そして、そもそもの話、もしかすると、どちらにも言っていない。山越えをした可能性もある。
だが、悩んでもしょうがない――。
そこで、二人はコインの裏表で行き先を決める事にした。
その結果、行き先は夜明けの市に決定した。
――
二人は荷馬車に乗っていた。
それも荷物を積むべき幌の荷台に。
何故かと言えば、小竜を買った所為でしょっぱなから、資金不足になっていた上、チャーターしようとした馬車も多くが、魔物お断りとの事だった。
これからも役立つだろうから、小竜を手放す訳にもいかず、三匹の小竜は鎖も付いていないのに逃げ出す事なく、リフィーの膝の上と両肩に一匹づつ乗っかり、寝こけている。
とても愛嬌のある寝顔を浮かべている。
ついでに、色合いも赤と白のブチ模様、黄色に黒のストライプ、緑と青の斑と実にカラフルだ。一重二十重に服を着込んでいる風にも見えなくもない。
やはり、と言うか、当然、荷馬車故に、人間用の乗り物ではないので、居心地は悪く、又、他に荷物も載っているので自由になるスペースは殊の外狭い。
加えて、偶に荷物が坂道や下り坂でズレ、二人を襲う。
車輪が路傍の石を巻き上げる音と荷台が揺れる振動音を聞きながら、レゾンが口を開く。
「リフィー、こんな事を聞くのもアレだが、まあ、暇潰しだ。何故、大聖堂にいるんだ?」
長い間、パートナーを組む訳ではない。マールが見つからなければ長引くかもしれないが、臨時のタッグである事には代わりがない。
そもそも、レゾンは今まで任務に於いて他者と共同戦線を張った経験がなかった。
しかしながら、寝起きを共にし、同じ目的を持っている以上、身の上話とまではいかなくても、大体、相手の人となりを掴んでおくべきと思い、質問した。相手の事を知って置いて損はない。
「そうですね。この前は偉そうな事言いましたけど、ようは逃げです」
『逃げ』には何処か強い意志が感じられる。
そう言えば、最初逢った時色々聞いたなとレゾンは思った。
あの時も意思の強そうな喋り方だったが、今も何処か厳格な物言いだ。普段の少し抜けた喋り方と一線を画す。
恐らく、これが彼女が自分の意見を言う時の口ぶりなのだろう。
「逃げ?」
「時代はもう、貴族を必要とはしていない。って事ですかね。時代が人を作ると言います。今、大聖堂の時代なのなら、私はそれにコバンザメみたく引っ付く、それだけです。でも、貴族のして来た過去の清算って話、嘘じゃないですよ」
コバンザメ、言いえて妙だった。
実際、大聖堂の正義の為と言うよりは、自分の正義の為にこうして聖堂騎士をしている。多くの連中も大概そうだろう。
信仰の為と言う厳格な信徒も多いだろうが、昨今の貴族同盟との闘争を思い返すと、リフィーの言った「時代が人を作る」と言う言葉が現実感を帯びていると感じる。
只、がっつく人間と、コバンザメのような人間とがいる。
時代に分かっていて流されるか、自分が時代を作っていると錯覚しているのか? そう言う違うだろうか?
自分は? とレゾンは思う。
コバンザメだろうか、いや寧ろ、ダボハゼだろう。
益があれば、飛び付く。そんな感じだ。
「ああ、俺も似たようなモノさ」
「似たようなモノ?」
興味深そうにレゾンをリフィーは下から、覗き込む。
「親父がトンでもないヤツだったって事」
「えっと、レゾンさま。貴族さんだったのですか?」
驚いたようにリフィーは言った。
あの時、「貴族なら敬語」と言った所為だろう、てっきり、リフィーは平民だと思っていたのだろうな。そう、レゾンは思う。
しかし、リフィーの感覚も正しい。レゾンは正式な貴族ではない。だから、レゾンは通名ではなく、本名で、長真名を持っているわけではない。
「半分正解かなぁ。まあ、それでいい思いもしたんだけどな。しっくり来ないと言うか」
「ああ、何となく分かります」
幌の隙間から差し込んでくる昼の日差しが、幌の中の暗がりを照らし、筋を描く。その筋は荷馬車の振動と幌のはためきで自在に形を変える。
そんな筋の万華鏡じみた挙動を見つめながら、何処か遠い目をしつつ、リフィーは同意して、軽く首肯した。
「大聖堂は善、だと思うか?」
「それは難しいですね。聖典は確かに正しい事、一杯書いてありますし、私は好きですけど。その、総体を如何か? と問われれば、どうなのでしょう? 人が組織を作る以上、闇は生まれますから」
「よく言うな。シスターの言とは思えん」
やたらと、リアリストなシスター・リフィーに苦笑を漏らすレゾン。
「ええ。その辺り、レゾンさまは分かってると思いますから。踏み台なのでしょう?」
「――鋭いな」
優れた洞察力だとレゾンは感じた。
ダボハゼよりは踏み台を昇ろうとしている。
いきなり、食って掛かるではなく、慎重に踏み台を積み上げる。
「私も似たようなモノです」
コバンザメも確かに慎重だ。
しかし、自分の過去の行いをいざ振り返ると、本当に慎重だったのか? とも思える。
結構、行き当たりばったり。
今回の任務も偶々、行き当たりばったりが功を奏しただけとも言える。
それを否定する材料もない。
その点、小竜使いである事を自ら語らなかったり、きちんと持論を持っていたりする部分、リフィーは強かな人物だ。
小竜の技だけではなく、パートナーとしても申し分ない。
そんな気がレゾンを包む。
賢しい女を良しとしない男は多いが、これはこれであり。もとい、仕事仲間的には有難いとしか言いようがない。
「似た者同士か」
感慨深く言う。
それに、暫く考える仕草をリフィーはした後、光の筋を指先でなぞりながら、更に持論を展開した。
「貴族社会を潰す巨象の足、それが今の聖堂でしょう。結局、天上皇帝も堂主さまに挿げ代わっただけですから、物の本質は変わってない。とも言えます。
出来るなら、象使いになってしまいたいですね。この流れを利用して、平和で緩慢な世界を実現出来るなら」
小竜使いが象使いになりたいと言う。
比喩に過ぎないのだが、何処か可笑しく、レゾンは笑いを堪えた。
「緩慢か、きみらしいな。確かにこれはチャンスだからな」
「ええ。どうぞ、のし上がって下さい」
皮肉ではなく、応援するかのように笑む。
「言われるまでもないが、果たしてなせるかな」
「二首大蛇に逢って生き残ったガッツは伊達じゃないのでは?」
「ははは、違いない」
実際は、無謀と勇気を履き違えていた。
と言うか、かっこ付けただけとも取られるような不甲斐ない動機だったのだが。
そんな自省もあって、恥ずかしそうにレゾンは苦笑する。
「レゾンさまは恐らく優しい人です」
リフィーは話の筋を大きくそらしながら、レゾンの瞳の中を覗き込んだ。
何か吸い込まれてしまいそうな魅力をレゾンは感じた。
「恐らくってのが気になるな」
誤魔化すように瑣末な部分に突っ込みをいれる。
「こっちの話です。勝手な解釈ですから。只、世界はもっとレゾンさまのような人で満ちて欲しいですね」
「それは――過大評価だ」
「じゃあ、後の歴史学者にお任せします」
「無名の騎士として終わるだろうさ」
自嘲げに呟く。
「無名のシスターよりはマシですよ」
更に被せるように、リフィーの自嘲が重なった。




