五章
五・脱出の道
強かった。滅茶苦茶強かった。
クラヤは恍惚としてマールを見ていた。
隣でイダサはビクビク震えていたが、彼女の震える理由がよく分からなかった。
救世主だ、彼女は。
奴隷市で一段高い見せ台に並ばされるのを阻止してくれたのだ。
勿論、彼女自身が逃げる為だろう。
でも、それはおかしい。こんなに強いなら、どうして捕まったのか。理由が判らない。
「怖い……」
「なんでさ?」
呟くように言う。
「だって、あの手。それに、鉄を壊せるなんて……人間じゃないよ」
人間じゃない――。
そうかもしれない。何かしらの法具かもしれない。
確かに不気味だ、でもそんな事余り関係ない。
目の前で、屈強な男達が女の細腕にボコボコにされていく様は爽快じゃないか。
「でも、イダサ。あんたを助けてくれたんだよ。結果的に」
「うん、だけど――」
納得いかないと言う風に言い淀み、泪の筋が分かる頬を震わせる。
あっという間に敵は片付く。
「ふむ、奴隷を叩く棒ですか」
マールは一人の看守が持っていたカシの棍棒を取り上げる。
もう動いている相手はいない。
さすがに死んではいないだろう。白目を剥いてはいるが。
「昇りますよ」
マールはすたすたと先へゆく。
階段。昇る。
足音が静かな螺旋階段に響く。
「姉ちゃん」
クラヤはマールを呼んだ。
「何?」
「なんで、そんな強いのに捕まったの?」
「色々あるんですよ。只、あなたたちを救えてよかったですよ。多分、上の階には他の人達もいるでしょうね」
マールの言う通り、階段を上がり切った先には牢が並び、これから市に出されるであろう奴隷達が収監されている。
奴隷達は看守とは違うマールと、逃げ出したとしか思えないクラヤ達を見て、口々に助けを乞う。
マールは一つ一つ錠前を壊した。
奴隷達はお礼も言わず、解放されると一目散に逃げて行った。
廊下の一番端の奴隷が解放された。
そして、クラヤはそのまま階段を更に昇ろうとする。
しかし、制止された。
「駄目ですよ。このまま上にいっても、ゴチャゴチャしています」
「なんで、またぶちのめせばいいじゃない?」
「そりゃ、そうですけどね。今、何人解放しました? 廊下は渋滞ですね。関係者通路を使いましょう」
「場所なんて分かるの?」
「今から探すんですよ」
言って、マールは壁を手で探る。隠しスイッチでも探しているのだろう。
「未だ?」
クラヤは訊く。答えはない。
真剣に探しているようだ。
五分位たっただろうか、未だ見つからない。
ヒマなので、クラヤはイダサと何か話そうと隣を向き――。
「イダサ!」
「ふん、賊が一体何処から入った?」
一人の男が立っていた。
イダサを左小脇に抱えている。
「おい、そこの女。お前だな?」
マールが男の方を振り向く。
「法具ですか?」
マールは答えず、男の右手を見た。
斧の形状をした法具。法具と判然としているのは、石突に聖刻の刻まれた結晶が光っているからだ。
「その棒を捨てな。さもないと、この子等がどうなってもしらんぞ。司教さまが言うには重要な品じゃそうじゃないか。お前もそれ狙いなのだろう?」
「さあ、知りませんね。只、あなたには借りがありましたね」
マールが男の方を向く。
灯でお互いの顔がはっきり分かるようになる。
「お前は、さっきレテユルさまが連れてきた。あの時は無抵抗だったのになぁ」
「ええ、実に口惜しかったですね。色々と確かめられましたしね」
「気狂いのフリして潜入とはな」
「ふふ、私は気狂いですよ」
「じゃあ、好きなだけ殺してやる。美人を殺すのと犯すのは最高だからな」
男は斧を振り上げる。
何かをする気だ。クラヤは男にタックルをかます。
しかし、意味なぞなく、簡単に跳ね返され、背を床で強かに打った。そして、気を失う。
その隙を突き、マールが突撃して来ていた。
が、男が斧を振り下ろすと、マールは転倒した。
「七級法具転足。なかなかだろう?」
「ええ」
転んだマールに歩み寄る男。
イダサは叫ぶ。
「やややめて!」
ザリュ!
血飛沫が舞う。
暗がりに血が絵を描く。
血を流し、倒れる――男。
「な、なんだ……」
疑問を漏らしながら、頭から床に落ちた。
その体の胸の辺りにぽっかりと穴。
そして、男の胸に風穴を開けたのは――この場に一人しかいない。マールだ。
彼女の手の甲から骨が伸びている。
さっきまでと違い、手の甲から僅かに出ていると言うレベルではない。
一本の巨大な骨の指が突き出している。
手の甲には先程と同じく、四つの骨の突起も残っている。ここからも生えるのだろう。
気味が悪かった。
が、何故かイダサの嫌悪はマールのそれにではなく、浴びてしまった男の血に向けられていた。
余りに気持ち悪くて、イダサは失神した。
――
レテユルは焦っていた。
賊が地下室に出たとの報を聞いたからだ。
賊は地下牢看守を振り切り、逃亡中だと言う。しかも、法具まで持ち出した看守長が帰ってこない。
どうしたものか? そう思い、聖堂をうろついていたレテユルだったが、見覚えのある顔、しかもさっき見たばかりの顔を見つけ、顔を向けた。
数時間前に地下牢に送った美少女。
しかも、両脇に子供を抱えている。
「あれ、さっきのお嬢さんではないですか? 何処へ?」
賊が逃がしたのだろう、そう思い、レテユルはマールに歩み寄った。柔和な笑みを消さず、好青年、市聖堂の信心深い副支配を装って。
「戻りましょう」
「地下牢へ戻りなさいと?」
てっきり、この気狂いの女は、言う事を聞くとレテユルは踏んでいた。しかし、違った。精神障害者とは思えぬ判然とした回答。しかも、明らかな拒否の顔を浮かべ、こちらを嘲笑する微笑を浮かべている。
面食らった。
「へ?」
何だ。ちゃんと、喋っている?
「それは出来ない相談ですね」
マールは静かにそう言い。抱えていたイダサとクラヤを静かに床に下ろすと、レテユルに歩み寄る。賊の報を受け、慌しくなっている大聖堂の主力は逃げた奴隷の確保に向っていた。この場所にはレテユル一人しかいなかった。
だから、レテユルは助けを呼ぼうにも呼べなかった。
マールがつかつかと歩み寄り、言い知れぬ恐怖を感じても、何も出来ず突っ立っていた。
マールは右手を軽く引き、レテユルの臓腑を抉るような一撃を浴びせた。
レテユルは昏倒し、床に崩れ落ちた。
――
「お姉ちゃん、ここは?」
自然に親しみ深い呼び方をイダサはしていた。
お姉ちゃん――マールはイダサの脇の肘掛椅子に座っていて、呼ばれて振り向く。
「ホテルですよ。安心していいですよ。かなり、郊外まで来てますから」
イダサはクラヤはどうしたのだろう? と思い、辺りを見回す。
すると、丁度隣のベッドでクラヤも目を醒ました所だった。
目が合う。
「脱出出来たんだ。ま、当たり前か。でも、びっくりだ。姉ちゃん、法具持ってないでしょう?」
「そうですね」
「なのに、法具使いに勝ったんだ」
「うん、一撃。ちょっと不気味だったけど」
イダサが嬉しそうに答える。
「それで、町の外に親戚とかいる? 路銀なら、ここにある」
マールは、ポケットから銀貨を取り出す。
が、クラヤは制止した。
「私は不要。あさってまでここがバレなければいい。イダサは?」
「私は……。誰もいない」
悲しそうに言う。
「お姉ちゃん、一緒にいれないですか?」
「それは無理ですね。諸般の事情にて」
きっぱり断るマール。
「ですか……」
「イダサ、身寄りがいないの?」
無言で首を縦に振る。
「なら、私の妹になりなよ」
「え?」
鳩が豆鉄砲を食らった然とするイダサ。
「大丈夫。一人位増えてもなんて事ないよ。うち」
「ほんとうに?」
「ほんとう」
クラヤの顔に嘘はなかった。
そう言えばとイダサは思う。
クラヤは高そうな純白ドレスを着ていた。貴族とも言った。
妹になる。それは貴族になる事。
夜明けの市に暮すイダサにとって貴族は悪だと教えられてきた。暫し逡巡する。
でも、クラヤは悪い人には見えない。
寧ろ、自分を励ましてくれたし、臆面もなく妹になりなよと言う位の好人物。
少しの迷いも馬鹿らしい気もした。
「お願い」
「うし。じゃ、無事パパが来たら頼み込む。意地でも」
クラヤは胸を張った。
「だから、姉ちゃん。三日間、護衛してくれない? お金なら出すよ」
「そうですね。でも、それも出来ません」
「そっか」
「じゃあ。二人とも目覚めた所で、少しシャワー浴びてきます」
マールは立ち上がり、隣部屋のシャワールームへ消える。
「ねぇ、イダサ。あの姉ちゃんの事気にならない?」
「うん、少し」
「じゃあ。ちょっと、衣装漁りでもしようか」
「いいの?」
「いいの、いいの」
言うが早いか、クラヤは脱衣室へ忍び込む。
マールの着けていた黒のワンピースが無造作に脱ぎ捨てある。
シャワーの音が聞える。
歪な星型ポケットをクラヤは探った。
紙。
手紙のようなものが入っていた。
習作なのか、何枚も同じ物が入っている。
「何? これ……」
内容を読んで、クラヤは言葉を無くした。




