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四章

四・市聖堂地下室


「生きがいいよぉ、抜群だぁ」

 右手に鎖を持った男が言う。

 鎖の先には首輪が付いていて、首輪には少女が繋がれている。

 顔を沈鬱に歪め、道行く人々や自分の前に群る男達を白昼夢の中にいるような目で見る。

「何処が抜群なのかな?」

 一人の身形の良い紳士が歩み寄り、男に訊く。

 卑猥な笑みを浮かべつつ。

「そりゃ、お客さん、決まってますがね」

「おいおい、まさか、確かめたとは言わないよな」

 男は仕舞ったと言う顔になる。

 間髪入れず、紳士、

「そいつは、ユーズド扱いになっちまわんか?」

「いえいえ、まさかまさか、確かめるなんて」

「この手の娘は分からんからなぁ。ここに来る前に既にガバガバだったら、目も当てれん」

 やれやれと紳士。

 すると、別の紳士が落胆する紳士に言う。

「あなた、使いようですよ?」

「使いよう?」

「ほら、見てください」

 少女の腕を掴み、

「丁度良く締まってる。いい筋肉です。この筋肉の付き方からすると、何か全身を使う競技をしていたのでしょう」

 そして、今度は少女の腹を指し、

「腹筋もいい感じだ。確かに、エロスは足りない。が、顔もいい。食べるには中々美味そうだと思いませんか?」

 最初の紳士は少し引きつつ、

「あんた、本当に食べる人か」

「そうですよ。少女の肉はいい、勿論、肉襞も美味い」

「どっちの意味だい?」

「両方ですよ。臭みを取るのもそうですが、犯すのは調理の一環ですからね」

「ははは、いい事を言う。精神病院にでも行って来るといい」

 茶化すように最初の紳士。

「残念ですが、アレらは飽きましたよ」

「飽きた?」

「院長をしてましてね」

「ほう、それは羨ましい。キチガイの嬌声や哀願も聞いてみたいモノだ」

「ご所望でしたら、今度来ませんか? うちに」

「いいね、勿論、いい女なのだろうね?」

「それは保障しかねますな」

 はははは。

 紳士達は笑う。楽しそうに、淫靡に。

「それでだ、確かめていいかな?」

 紳士二人は鎖を持つ男に向き直り、言う。

「ええ、どうぞ、どうぞ」


――


 市聖堂前にはとても、神を売り物にし、美辞麗句で綴られた聖典の施設の近くとは思えない光景が広がっている。

 裸の女と裸の男が鎖に繋がれ、並べられている。

 彼らにはまるで商品のように、値札が付き、値札がないものは近くで競が行われている。

 ここは、奴隷市だった。

「うう……」

 マールはその光景を見ないように通りの反対側を見るが、結果は同じだった。仕方なく、前を向く。市聖堂へ行くには通らねばならない、しょうがない事だった。

 頭を抱える。

 頭痛がする。

 胃がピリピリする。

「嬢ちゃん」

 呼ばれた。

「嬢ちゃん、夜のお供はいらないか?」

 奴隷商の一人がマールに言う。首を横に振る。

「そうか……」

 残念そうに奴隷商は引き下がる。

 何人かの呼び込みに首を振り、進んで行くと、『貴族同盟』と言う単語が目に入った。

 その後の語句を追う。

――の盟主の娘、明日ここシャボン商会が競を執り行います。協賛司教さま――。

 目玉商品なのだろう、多くの人々が足を泊めている。

「めぃ、主……」

 張り出しの前で一人の紳士が言う。

「これで、貴族も終りだなぁ」

「救世堂に逆らうからですよ」

 答えたのは聖職者の格好をしている。

 ますます、頭痛が襲い、マールは早足に市聖堂の入り口を目指した。


 やっとの事で辿り着いた市聖堂の中は余り人がいなかった。

 外の活気が嘘のように静かだ。

 正面には巨大なイコンが鎮座し、天井も幾つものテンペラが彩り、所々に設えられたステンドグラスの窓から色とりどりの光が舞い込み、赤い絨毯の引かれた床と整然と並んだ木の椅子を照らしている。

 壁も柱の大理石も白く、汚れ一つない。

 余りに綺麗なので、却って不気味な雰囲気を醸し出している。

 マールがきょころきょろしていた所為か、副支配の格好をした男がやってきた。

「いい絵でしょう。それと、何か御用ですか?」

 マールは丁度、イコンの真下にいる所だった。

 イコンを見ていた、と言えば、そう通るだろう。

 もっとも、マールはイコンを見ていた訳ではないのだが……。

「用、有うよ」

 副支配は少し嫌な顔をする。

「……何でしょう?」

「何ない」

「?」

「いい、きみぃはいい」

 会話が噛みあわない。そもそも、副支配にはマールの言っている意味が取れない。

 副支配は取り繕う風もなく、言う。

「精神のおかしい人に聖堂は慈悲を与えません」

 副支配は僧兵を呼ぼうとし、考え直すように踏み留まる。

 よく見れば、美人だ。年の頃から言えば、美少女と言った方がいいのか?

 副支配の中にいい考えが浮かぶ。

「そうですね、お嬢さん、こちらへ」

 言うが早いか、副支配はマールの手を取る。

「あぅと?」

「こちらにいい物があります」

「いい物ぉ?」

 副支配はほくそ笑む。心の中でガッツポーズ。

「そうです、とてもいい物です」

 副支配はマールを引いた儘、聖堂の右手へ向かう。

 小さな部屋に着く。

 部屋の端っこの本棚の隅を何やら弄り、

 ガガガガ。

 部屋を震わす振動音がやって来て、それと同時に部屋の四方の壁の一つがせり上がる。

「こちらです」

 現れた通路に進む。

 通路は下がり階段になっていて、両脇には蝋燭台が設置してある。

 二人が通るごとに、今まで密封されていた空気が動き、蝋燭の灯が揺らめく。

 会話はなく、かつんかつんとマールの履く木靴が石の階段を打ち鳴らす音だけが反響している。

 どれ位下がったか、階段は途切れ、天井の高い部屋が現れる。

 中央には大きなガス灯が一つ。

 ガス灯の灯に照らされて、二人以外の影。

「レテユルさま、どうなされました?」

 影が言う。

「何ぁに。新しいブツだよ」

 くいくいと繋いでいない左手の親指でマールを指し示す。

 影はしげしげとマールを見て、

「高く売れそうですね、レテユルさま」

 と言う。

「まあ、買手に因るだろうな」

 副支配――レテユルは頭を掻く。

「何故です?」

「気狂いかもしれんからな、これ」

「ああ……」

 得心したように影は頷く。

「まあ、そこの所はお前が確かめてくれよ」

「了解しました」

 卑猥な笑みを浮かべる二人。

「うむ。任せたぞ。後、高く売れた時は、私の推薦だと司教に言えよ」

「分かっております」

「じゃあな」

「はい」


――


「ほら、又新しいのだ」

 地下牢に新しいのが放り込まれた。

 放り込まれた人物は特に痛がりもせず、声も上げる事なく、そして、起き上がらない。

 絶望に我を忘れたのか。

「それから、そっちの小娘。お前は夕刻、出番だぞ」

 放り投げた男は笑いながら言った。

「さっさと行け、ゴミクズ」

 クラヤは歯をギリギリならし威嚇した。が、少女の威嚇にビビる大人などいない。

「今日……私……」

 イダサが震える。

 クラヤは新入りは放って置く事にしイダサを宥めた。

「大丈夫、パパが来るから……」

 しかし、語尾は尻窄む。

 なぜなら、クラヤのパパが助けにくるのは少なくとも明日、長く見て、三日後。

 イダサは売られてしまう。誰か知らないクソみたいなヤツに。

「くそうぅ」

 泣き出したくなるのをクラヤは堪えた。ここで、自分が泣いてしまっては意味がない。

「うわああああああ、私売られるんだぁ」

「だい、丈夫」

 新入りが言う。

「なんでさ!」

 クラヤが詰め寄る。

 新入り――マールはゆっくりした落ち着いた動作で身を起こす。

「だい、丈夫」

 繰返す。

「だから!」

「だい――」

「なんでだって訊いてるんだよ! 会話になってない!」

 いきり立って、クラヤは足を忙しく動かす。

 イライラする。大丈夫じゃないのを知っている、折角、友達になって、大丈夫だと助けてくれるって、パパが来てくれるからって、言ったのに! それが壊れちゃって、なのに、無責任な事をこいつは言う!

 憤怒は加速して、クラヤは言ってしまった。

「大丈夫じゃないんだよ! 夕方なんて早すぎるんだよ! パパは来れないんだよ!」

 罵っているのに、相手は表情一つ変えない。

 それどころか、何を見ているのか判然としない目付。

 変なヤツだ。なんで、大丈夫なんて言えるんだ。

 益々、怒りが募り――。

 今言った事を反芻しクラヤは、ハっとした。

 イダサがぽかんと見ている。

「只の慰めだったんだ」

 しょぼしょぼと言う。

「違う、違うよ、でも、そう言わないと、言わないと――」

 狼狽するクラヤ。取り繕う。

 そのやり取りをしげしげとマールは見ている。

 そして、やおら動き出し、牢の格子をガチガチ揺らした。

 金属の擦れ合う音にイダサの(すす)り泣きが混じる。

「くそう、くそう」

 クラヤの眦に泪が光る。

 泣くな、泣くな、お前は貴族、プライドを持て! 心で言い続ける。

(がい)こ――ダメ……」

 何かをぶつぶつ言い始めるマール。

 独り言なのに、まるで誰かと会話しているよう。不気味だった。

 クラヤは耳を澄ます。

 外こ? ガイコ?

「な、い。半分、で、行く」

 決断したとばかりにマールは拳を握り、錠前を叩いた。

 ガキャ。

 鈍い音を立てて錠前が外れ、横木が穴に残り、ぶらぶら揺れる。

 それを叩き落す。床に金属音が響き、狭い地下廊下にエコーを刻む。

「行きますよ、お嬢ちゃん達」

 さっきとはうって変わって、感情豊かにマールは言った。

 余りの豹変振りにクラヤは驚く。

 そして、そもそも錠前を叩き壊した事も驚嘆すべき事。

「何をしたんだ!」

「だから、大丈夫だって言ったでしょう?」

「うん」

 頷くしかなかった。

「行くよ、イダサ」

 事の進みがいまいち理解出来ていないイダサの手を引く。

 三人は地下牢を出る。

 暗く湿った廊下が広がっている。

 壁に(しょく)(だい)、そして、蝋燭。

 赤い光に照らされて、クラヤとイダサは見た。

 マールの手の甲から僅かに白い骨が飛び出している。

「ケガしたの? あんな事するから」

 でも、血は出ていない。不思議な話だ。

「これ? これがミソですよ、お嬢ちゃん」

「お嬢ちゃんじゃなくて、クラヤシャン、そして、こっちはイダサ」

 びくつくイダサを指す。

「じゃあ、クラヤって呼びましょう」

「あんたの名前は?」

「秘密です。私は有資格者にしか言わない事にしてるんですよ、只、マールって呼んでもいいですけどね?」

「秘密? 本名って事」

「そう言う事です。さて、敵が来ました。派手に音立てすぎましたね」

 クラヤは手の甲の事をもっと聞きたかったが、それ所ではない。

 足音が前後からする。

 看守が来たのだ。

 どうする? 逃げれるのか?

 自分は牢に戻っていれば、殺される事はない。でも――。

「何処に逃げるの!」

 足音が迫り、損得勘定に埋もれ、クラヤは訊く。

「ふふ、逃げませんよ」

 マールは悪魔のように笑んだ。


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