三章
三・夜明けの市と二人の少女
町は色々な意味で活気が溢れていた。
田舎程治安がよい、と言うのはよく言われる話、そして、真実であり事実だ。
ここ、夜明けの市は一昔前まで治安の悪さで有名だった。歴代の七番分帝の手を焼き、遂には先帝が投げてしまい、市長が絶対権力者になってしまったり、しかも、その市長がゴロツキのリーダーだったりとメチャクチャを絵に描いた町だった。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありも又世の慣わしで、救世堂の聖堂が立ってから町は一変した。
勿論、全く犯罪がないわけではない。圧倒的に少なくなったばかりか、強盗を恐れ、鉄扉が閉じていた商店街も今や大商業区となっている。
人々は口々に言った。
司教さまのお陰だと。
司教ラダトが七番分帝であり七枢機卿の一人であるオルディカーンの絶対の信頼を受け、夜明けの市に赴任して来たのは七年前の事だ。
ラダトは先ず布教活動に専念する前に僧兵部隊で町を制圧した。
当時、チンピラやヤクザ達に脅かされていた人々は、内心喜んだが、報復を恐れ、思ってもない言葉を司教に述べ立てた。
「我々は解放を望まない」
だが、司教は全てを見抜いていた。彼自身、人が恐怖に縛られるプロセスと方法論に熟知していたからだ。
制圧後、布教は始まった。
無料で各家庭に聖典(餌)が配られた。
人々はそこに救いを見出し、求めた。
救世堂の勢力は瞬く間に伸び、無法者達は立場を失った。
そこで、無法者達は貴族に救済を求めた。
当初、貴族達は渋った。
しかし、目の前で宿敵救世堂の力が拡大するのは我慢ならなかった。
貴族とヤクザは手を組んだ。
けれども、これは不味い選択肢に他ならない。只でさえ、臣民を酷使していた貴族への風当たりは日に日に増し、町には暴徒が溢れた。多くは勿論、救世堂信者だった。
全てはラダトとオルディカーンの目論見通りで、それ以外の何物でもなかった。
暴徒と僧兵達は貴族邸に押し入り、貴族達を捕らえ、「処刑を」と叫んだ。
皆が口々に断罪、死の鉄槌を望む。そんな中、司教ラダトは待ったを掛けた。
「死よりも楽しい仕打ちがある」
司教にあらざる言にも関わらず、人々は司教の二の句を待った。
人々は熱病に罹ったように憤慨していた為に正義を誤謬していた、といってもいいかもしれない。
「彼らを飼い慣らそうではないか」
そう、司教は述べた。
人々は司教の真意が汲めず、首を傾げ、一人の市民が聞く。
「飼い慣らすとは? 如何な事で?」
と。
「文字通りだ」
司教は汚らしい笑みを浮かべ、言った。しかし、残念な事に市民にはそれが救いの顔にしか見えなかった。
――
「いっらしゃい、お嬢さん」
店先で呼び込みをしていたウェイトレスは店の入口を潜った客に営業スマイルを感じさせない満点の笑顔を向けて、言う。
客は銀髪を揺らしながら、まるで意に介さず、早足でその儘入店した。
店のカウンターの中から、客の影を目に留め、オーナー兼ウェイターが外の呼び込み嬢と同じく、「いらっしゃい」と言う。只、こちらは営業スマイルなのが丸分かりだ。
銀髪の客は声の方を向き、機械のような動作でオーナーもとへと歩み寄る。カウンターを挟み、相対し、
「ご注文ですか?」
と訊くオーナーに、
「注文、前、に」
と言った。
店の他の客が煩く、よく聞き取れない声量だったが取り敢えず、オーナーは心の中で『日替わりメニュー』は採算が悪いんだ、選ばないでくれと願いつつメニューを開き、見せた。
「何になさいます?」
しかし、オーナーの注文取りを無視し、客は腰に縫い付けられたポケットから何かを取り出す。ポケットは元々、服に備わっていなかったのだろう、取って付けたように不自然で、黒のワンピースにも関わらず白の糸で縫い付けある。そして、そもそもポケットが歪んだ星型なのは妙で、多分、裁縫の苦手な人物か手先の不自由な――ぶきっちょが手掛けた事が見だけで瞭然だ。
客はオーナーに取り出した物を見せた。
「なんでしょう?」
オーナーは変な客だ、と思ったが、おくびにも出さない。客商売をしている身だ、きちんと弁えている。
「知る?」
「知る?」
オーナーは鸚鵡返しに聞き返す。そして、客の指し示す物に目を向ける。
客の出した物は端の破けた紙で、年季の入り具合を体現するように、しわくちゃ、が、注視すべきはそこではなく、紙には似顔絵が描いてあった。
この似顔絵の人物を知っているか? そう客は訊いているのだろう。
オーナーは困惑した。
知らなかったからではない。知っていないとおかしいから困惑したのだ。
似顔絵の人物はラダト司教だった。
やや、現在より若い印象があるが、間違いなく司教その人だ。
への字に曲がった特徴的な眉と骨格が変なのではないか、と疑いたくなる程突き出た顎。そして、司教にはとんと似つかわしくない獅子のような目付。
こんな印象的な人物を忘れる人はそうそういまい。それに、夜明けの市市民であるなら、このユニークな顔に毎日触れている筈なのだ。夜明けの市市民権を持つ人々の家には、一家に一つ魔術投影箱に因る御真影がある。
旅人だろうか? それにしては目の前にいるのは十八歳前後の幸薄そうな少女だ。何処か高貴な色を帯びていて、深い海の底を連想するエメラルドの目、銀糸のような髪、そして、何とは言っても美人。とても、旅人には見えない。
貴族? 市場から逃げてきたのだろうか? 一瞬、そう思ったが、もしそうなら、食堂でチンタラしていないでさっさと町から離れる筈だ。
「知っていますとも」
考えを保留にして、オーナーは答えた。
「誰? どっちの人?」
どうやら、客は頭が弱いらしい。『どっちの人』ではなく『どこの人』がこの場合、正しい筈だ。そんな事、堂学校しか出ていない貧民、無学の乞食でも知っている。オーナーはこの結論に満足し、さっさと終わらせる事にした。
「司教さまだよ、この夜明けの市市聖堂の」
思わず、言葉も等閑になってしまう。しかし、オーナーは言い直さなかった。
「シ、聖堂?」
「町の中央にあるでしょう、あれ」
「町、の、ちいぅ央……」
客は無表情に復唱――きちんと発音出来てはいないが――して、頷く。
「分かつた、見、みつくた」
話は終わった。オーナーは少女から目を離そうとし、
「これ、欲しい」
少女は「待つ」とオーナーを呼びとめ、メニューの隅っこの『竜の唐揚』と言う文字を指で示す。
「お金あるの?」
少女は又頷く。その姿を訝りながら、オーナは見届ける。
先の似顔絵をポケットにしまい、同時にポケットから銀貨を三枚取り出す。
「足りう?」
足りるなんてものじゃなかった。全然、お釣りが来る。なにせ、銀貨は銀貨でも銀の含有量が高く、良貨と言われる十八代六番分帝銀貨、通称、マテシニ。そして、そもそも、『竜の唐揚』の値段なんて高が知れている。上級眷属の竜肉ならいざしらず、そんな物を一食堂が出せる筈もない。
瞬間、オーナーの脳裏に悪魔が囁く。
頭の弱い少女にマテシニ銀貨三枚で『竜の唐揚』を売れ、と。
しかし、彼は肝心な部分で真面目だった。直に接客モードに自分を戻し、
「ええ、十分ですとも、銅貨二枚で十分ですから」
けれども、きちんと値段を言ったにも関わらず、銀髪の客は銀貨三枚を出す。
オーナーは銀貨二枚を押し戻し、釣り銭箱から銅貨を数枚掴んで銀髪の客に握らせた。
「足りるた?」
「はい、では、あちらの席でどうぞ。あと、ドリンクをサービスしますね」
不埒な事を一瞬でも考えた事への罪悪感から、オーナーは付け足すように言った。
「あいがと」
客はウェイトレスに誘われ、窓際の一人席に座る。
「でぃ丈夫だつ、かな」
銀髪の客――マールは窓越しに町を見る。少し遠い目。
すると丁度、先程情報を得た市聖堂らしき物が目に入った。
白く荘厳な雰囲気の聖堂は、周りの建物より一際大きく、尊大な雰囲気を持ち、立っている。ここは、俺の町、そう嘯いているようだ。
「やと、大きいのに会えた。きみぃ、六人ん目ぇ」
市聖堂を握り潰す動作をマールはする。
カリカリと硝子窓が鳴る。思わず、窓に爪を立てていたようだ。
「お客さん、お待たせしました」
笑顔一杯のウェイトレスが盆に載せた『竜の唐揚』とアイスティーをテーブルに並べた。
「以上ですね」
「うん」
マールは小さく首肯した。
その時、ふわりと揺れた前髪の隙間から覗く傷跡をウェイトレスは見てしまった。
訳もなくウェイトレスは恐ろしさに、かしめ取られる自分を感じ、足早に去る。
そして、盆を取り落とし、床に落ちた盆が盛大な音をだし、五月蝿り立てた。
一斉に客が注視する中、一人、見向きもしない客――マールはアイスティーにストローを差込ながら、ずっと窓の外を見ていた。死人のような顔で。
――
ジメジメする。
キモチワルイ。
泣きそう、吐きそう、死にたい。
如何してこんな事をするのだろう、幾ら考えても答えが出ない。
あんなに笑顔で迎えてくれたのに、その背後に悪魔がいたなんて、そんな事分かる筈ない。
何でかな、何でだろう、如何して、如何して。
何回も繰り返して来た『如何して』を今日もイダサは繰り返す。
取り留めがない、考えたって、子供の頭じゃきっと分からない。だけど、じゃあ、誰か答えを教えて欲しい。
でも、教えてくれない。父母はもういない。あの人達は答えない。
鞭打つだけ、卑猥な笑みを浮かべるだけ、よく分からない話をするだけ。
だから、考える。堂々巡りでも考える。
薄っすら判っている事もあるけど、それらは考えたくない。
だって、怖い。怖い。
深く考えてしまうと、分からないのに答えが出てしまいそうで――。
「新入りだ」
ドサっと言う音、何かが投げ込まれた。格子扉の閉まる音、続いて施錠される音。キチンと言う金属音が暗く陰鬱な室内に木霊する。
「痛い……」
ドサっの主が口を開いた。
「あいつら、許さん」
ガバっと音のしそうな動きで発言者は顔をあげ、体を起こし、身を叩く。着ているドレスは白を基調にしている所為で、泥や汚れは落ちず、チっと舌打ち。
「汚い場所……あいつらの性根そのまんま、ん? あんたは?」
新入りは部屋の奥で蹲る少女を見つけ、声を掛けた。発言だけからではなく、声色からも何処か高飛車な印象を聞く者に与える。
しかし、不快より頼もしい感じもしないではない。
「私……」
少女は顔を上げて、生気の抜けた目で新入りを見る。
「そう、あんた」
「古株、って言ったら駄目?」
「駄目。私は悲観論は受け付けない」
堂々と言い放つ。余りに堂々としていて、眩しい位だ。
「私はクラヤシャン・イ・クァンスケルプトーラ・イム・ハシュバイクニトーマ、貴族」
「えっと、私はイダサ」
戸惑うように、答えた。
「何時からここにいるの?」
クラヤシャンはイダサに問う。何時の間にか、イダサの隣に座っている。さっきはドレスの汚れを気にしていたようだったが、もう、如何でもよくなったのか、湿気で青カビの生えた床に平気で腰を据えている。
「先週かな?」
「そう。なら、そろそろね」
イダサの顔が歪む。今にも泣きそうな程歪に。
クラヤシャンは焦る。確かにブラックとかそう言うレベル、もとい、ジョークですらない。
「な、泣くな。泣いちゃ駄目、そういう事はあいつらを喜ばす」
断として宣言するように、イダサの両肩に手を置き、真摯な眼差しで彼女を見つめ、言った。
「うん、分かってる。昨日も一人、いなくなった」
「全く、何が庶民の味方だ、悪魔の手先め」
クラヤシャンは犬歯を露に吐き捨てる。ギチと奥歯が擦れ合う音も噛み合わさった歯列より漏れ出る。そこには、禍々しい程の憎悪が滲んでいる。隠す気もとんと感じられない憎悪は、それ故に簡単に空気に浸透し、その深さをイダサに知らしめた。
「うん、悪魔だよね」
言ってから、あははと他人事のようにイダサは笑った。マリオネットみたいな少し不気味な笑い方。不憫に思い、クラヤは言う。
「えっと、でもね、安心して。助けは来るから」
「ほんと?」
イダサは身を乗り出す。表情が一気に華やいで、クラヤシャンの顔面スレスレに自分の顔を寄せ、「近い」と言われ、引き下がる。
「そう、ここの司教、何者か知ってる?」
ここの司教、ラダト司教、夜明けの市の市長にして市聖堂の支配。町をゴロツキと貴族から開放した人物。昔――そんなに遠くない過去だけれど、家に御真影があったのを覚えている。目付の悪いコメディアンと言った風貌の。
「救世主?」
「バ、っかじゃないの?」
色めき立って、クラヤシャンは拳で床を打つ。余り強く叩き過ぎて、痛そうに柳眉を曲げ、青カビの付いてしまった手をドレスに擦り付ける。もう、殆どドレスは白さを失ってしまった。
「奴隷商人よ、しかも元じゃなくて、現役」
「え?」
「もしかして、知らない?」
驚いてクラヤ。
「うん、知らない」
「幾つ? 歳」
「十一」
そっかぁと感慨深く言い、何かに同意すると謂わんばかりに首肯し、
「私は十二、ま、私も七年前の事なんて伝聞でしかしらないんだけどね。で、あんたが言った悪魔って誰の事?」
「叔父さんと叔母さん、そして私を買った人、これから買ってく人」
悲しさ、寂しさ、憎しみとない交ぜになった寂寞の想いが微かにイダサの声と面から匂った。
「半分正解、それらの元締めがラダト司教って事」
人差し指を小さくメトロノームにしながら、クラヤは言った。
それに対して、イダサは目を開けて、分かりやすい驚きを示す。
驚き顔がさぞおかしかったのか、クラヤシャンは噴出した。唾が飛散し、飛沫に変わる。
「あははは、マジなんだ。でも、大人は知ってるだろうなぁ。汚いからね、ここみたいに」
「そうなんだ、知らなかった。酷いよ、皆」
「そうだね」
クラヤシャンはイダサの頭の天辺を撫でた。
一週間風呂にも入っていない所為か、フケがぶわっと舞う。
「わ、汚なっ」
「クラヤも酷い」
さっきとは打って変わって、酷いに本当の恨み節は見えない。冗談のレスポンスに思える。
「冗談。私は良識的貴族なの、そもそも、あいつら悪魔をのさばらせたのは、私らにも責任があるんだよ。臣民を酷使して来たのが悪い。
確かに、救世堂が来た町は発展する。でも、それはあいつらが税金を取らないから。
じゃあ、善なのって言えば違う、天上皇帝が未だ堂主に奪われてなかった頃は、奴隷制はなかった。朝三暮四ってヤツだよ、何かを与え、そして喜ばす、代わりに何かを奪う。
あいつらは、神のヒエラルキーとか呼んでるけど、それで、奴隷制を正当化してるけど、だから、何? って感じ。
何時神から神託を得たの?
聖典って誰が書いたの?
古い帝国の神々は何処へ行ったの?
あいつらは偽善者ですらない、だから、私は偽悪になってでも、あいつらを滅ぼす、そう決めてる」
イダサは余りのクラヤの長口上にぽかんと口を開け、
「難しくて分かんない、歳一つしか変わらないのに凄いね、クラヤ凄い」
他意のない賞賛になれていないのか、それとも貴族として当たり前の事と自分が思っている事を褒められたからか、照れくさそうにはにかんだ。
「ありがと、クラヤって呼んでくれて」
そして、何故か違う点にお礼を言う。
「うん、でもクラヤは何でここに?」
「うぅん、話すと長いよ?」
かったるさを難しげに歪む唇が語る。
「いいよ」
「私、持論を言うのは好きだけど、経験とかプロセスを云々するのはね」
面倒そうに、ロングヘアーを弄ぶ。長髪故に吸い込まれていた部屋埃とカビが追い出される。そして、「えー、もうこんなに汚れる?」と不満顔になる。
「助け、来るんでしょう?」
「うん、来る。だからさ、もっと明るい話をしよう」
「それがいいね」
屈託なくイダサは笑む。その笑顔をクラヤはガン見し、
「うぬぅ、食べたくなるね」
舌なめずりを一つ。
「私?」
「そう、食べちゃいたい」
「食べないでね」
ワザとらしく、後退るイダサ。
「食べないよ、友達だから」
「ほんと?」
「うん、ほら、貴族って言うと皆厭な顔するでしょう? あんた、全然しなかったし、いきなり、渾名で呼ぶし」
「私、馴れ馴れしいんだ。それに、ずっとここに押し込められてて、最初いた人達もいなくなって――」
「はい、泣くな!」
「うん、泣かない。クラヤ楽しいし」
「楽しいのはあんただと思うけどね……」
「う……ん」
結局、堪えきれず泣き出すイダサ。少女の瞳は泪で瞬く間に埋まり、洪水のように溢れ出す。
暫し、困った顔をするもクラヤは煤けて湿っぽいイダサを躊躇なく抱き締めた。
「クラヤ、強い……ね」
「当たり前、貴族だから。って嘘、余裕ぶっこいてるだけ、助けが来るって知ってるから」
「――うん」
イダサは一頻り、クラヤの胸で泣いた。未だ、十二歳の少女の胸は小さかったが、イダサは母親を思い出した。自分と同じ位の歳の少女にそんな思いを抱くのは変だと思ったが、それも泪と共に露と消えた。嗚咽はなくサメザメとした泪だった。




