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二章

二・(しるべ)残し


 骨は折れていなかった。不幸中の幸いと言えた。

 しかし、体に負った傷は深く一月は歩けそうもなかった。

 レゾンは一週間振りの溜息を吐いた。

 まさか、自分が生還するとは思わなかった。

 目を醒まして、「騎士さま、お目覚めになられましたか?」と可愛いシスターが言った時、一瞬、天国かと思った程だ。

 シスターの弁に拠ると、二首大蛇が姿を消したらしく峠は再び往来で溢れているのだと言う。その時、崖下で瀕死のレゾンを偶然通りがかった大聖堂の司祭一行が見つけ、救世堂の病院へ連れて来たのだそうだ。

 救世堂の優秀なスタッフ、魔術医師と人体医師の手によって一命をとりとめ、今朝方、医師連中が峠を越したと宣言したばかりだと言う。

 自力で竜口峠を越える事は出来なかったが、「驚異的な体力だと医師も言ってましたよ」とシスターが言うように、命の峠を越えたのは自分の力だったようだ。

 もっとも、救世堂のスタッフが一級と言う事もあるけれども。

 只、二首大蛇が姿を消したと言うのが解せなかった。

 お役所仕事の帝国府や地方分帝府が救世堂に要請し、討伐軍を出すには一週間は早すぎる。

 疑問をベッドの脇で聖典を読みながら、その実、舟を漕いでいるシスターにぶつける。

「二首大蛇、本当に消えたのか?」

「ええ、綺麗さっぱりです」

 慌てて目を開け、わたわたしながら、シスターは言った。

「討伐軍か?」

「いいえ、だったら、竜肉が今頃、院内食に出てますよ」

 もっともな話だった。

 (りゅう)(にく)はとても美味なのだ。一級の眷属の肉ともなれば、精力もつく。

「去ったのか?」

「分かりません。竜が出産や子育てを放棄すると言う話は聞きませんし」

 これ又、至極常識的な回答だった。

 多分、真面目で実直なシスターなのだろう。なにせ、救世堂病院で働いているのだ。もっとも、あの船の漕ぎっぷりは何処か天然もあり得るが。

「誰かが倒した、とは?」

「なら、死体が見つかると思うのですが……」

「死体、捜したのか? 今の時期、他の竜が邪魔で捜せないと思うが」

「そうですね。街道沿い以外の探索はされていませんね。崖の上にあるかもしれませんが、それは討伐軍のお仕事ですし」

 シスターは言いにくそうにしながら、続けた。

「未だ、討伐軍は来てないんですよ」

「そりゃ、竜はもういないんだしな」

「でも、姿がないなら、潜伏しているとか考えませんか?」

 少し難詰が含まれている。

「確かに、すまないな、俺のお仲間が」

 レゾンは後頭部を掻いた。

「いえ、レゾンさまを責めてもしょうがないですよ……。寧ろ、レゾンさまは勇敢に戦われたのでしょう?」

 戦うとは言い過ぎだが、確かに挑戦はした。

「一矢報いようとはしたが――」

「見習って欲しいですよ、本当」

 シスターは頬を膨らました。何処か、幼く可愛らしい。

「上層部は貴族連中と抗争している割に帝国政府とは馴れ合っているからな……。まあ、六番分帝以外が枢機卿(イサデル)なんだから、当然と言えば当然かもしれないが……」

「だからって、お役所的な仕事しちゃいけませんよ。大聖堂は庶民の味方でないと」

 庶民の味方と言った時、やや、シスターの顔が曇る。それを捉え、レゾンは笑って誤魔化そうとし、

「はは、そう言えば――」

 マールは如何したのだろうか。同じく病院にいるのだろうか?

「俺と一緒にいた少女はどうした?」

「少女? ですか? 聞いていませんが……」

「マールと言うんだ。貴族っぽかったが、峠を越えるようだったので同道したのだが」

「マールさん、ですね? 院長に聞いてみます」

 シスターは立ち上がった。今まで掛けていた綺麗な木目の椅子がカタリと音をたてる。

「あっと、シスタ……じゃダメだな、名前教えてくれ」

「リフィークリュスです、長いのでリフィーとでも」

「貴族なのか? 敬語でないと不味いか……」

「いえ、元貴族ですよ。他の貴族達は色々、苦労……しているみたいですが、私は因果応報と思うんです。今までのツケが(まわ)って来た、そう思います。私は運よくシスターになる事で難を逃れましたけど、償いはすべきと思うのですよ、だから、今の私は庶民と変わりません。聖堂の格付けでも第十八法従(イタンタメンカ)ですから、底辺シスターです。敬語は控えてくださいね」

 シスター・リフィーは長々と喋った。言いたい事が今まで沢山あったのだろう。

 それでも、名を聞かれ、貴族にのみ許された長真名(ながまな)を答えるのは彼女の意地でもあるのだろう。

「貴族の苦労か……」

 暫くして、シスター・リフィーは病室に戻って来た。

「どうだったか?」

「院長はご存知ないと。他の医者にも聞いたのですが、変な事を言われた方がいて――」

「変な事?」

「はい、魔術医師のランガさんと言う方なのですが、その、レゾンさまに聞きたい事があると」

「その何処が変なんだ?」

「えっとですね、そのマールさんは外法(げほう)ではないか? と言うんです」

「外法? まさか、確かに彼女は精神を病んでいたが」

 レゾンの発言にリフィーは嫌悪感を露にした。

精神病者(キチ)ですか?」

「ああ、こんな事を言うのもアレなんだが、怨霊魔術師に処置されたような後があった」

「何故、放って置いたのですか!」

 リフィーは問い詰めるようにレゾンににじり寄った。

「精神障害者は被害者じゃないか」

「確かに、そうなのですが――」

「俺は正しい事をしたと思う」

「はい……それも分かるのです――すいません、外法と言われたもので、つい」

「それでマールはいるのか、いないのか?」

「いません、恐らく。詳しくは後程、ランガさんが来ますので」

 外法。人々は外法を酷く恐れている。

 怨霊魔術師の施術は外法とも呼ばれる。

 怨霊魔術師の存在が不確定であるにも関わらず、外法と言う言葉は人々に恐怖を抱かせる。シスター・リフィーも外法を見た事も、外法者にあった事もないだろう。それでも、皆怖いのだ。正体不明だから、尚更に。(こと)(さら)に。

「分かった。それで、シスター・リフィー」

 レゾンは柔和な笑みを作り、

「なんでしょう?」

「きみは俺の(しも)の世話もしてくれるのか」

「は、はい?」

 突然、真面目な話――これも不真面目な話でもないが――から話題がシフトし、目に見えてリフィーは慌てた。頬を少し朱に染めて、

「なにせ、俺はロクに動けない、ほら」

 レゾンは足を動かそうとし、ホンの少し、聖典の半分位浮き上がっただけで、力なくマットに落ちた。

「えっと、すると思い……ます、よ」

「それは嬉しいな。こんな可愛い人に傅かれるとは」

 リフィーは下を向く。

「意地の悪い人ですね。握り潰しますよ?」

「はは、シモネタの分かるシスターでよかったよ」

 レゾンはさも可笑しそうに笑った。その脇でリフィーは膨れっ面。やや朱が注している為に未熟なトマトに見えない事もなかった。


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